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キャベツ  作者: 枯れる苗
3/5

3,シャルドネ

「好。やはり、そうですね。薄々気付いて居ましたよ。次は私なのでしょう。皮肉な話ですね。誘き寄せられてしまったことを焦って見せましょうか」

上品な店内は薄明かりに照らされていて、深みのある朱を基調とした装飾品は艶やかに輝きを放っていた。料理と木材の香りが微かに漂う店内は、腕の良い職人達の技が垣間見える。耳を澄ますと微かに聴こえるバイオリンの声が心地好い。

テーブルの向かいに、彼がいる。あの麗しきシャーロック・ホームズが、明智小五郎が、エルキュール・ポアロが。

「貴方のことなんてお呼びしましょうか。ジェームズ・モーリアティー教授、それか遠藤平吉。もしくはシェパード博士?」

僕はそんな所まで似ているのかと思って、クスりと笑ってしまった。すこしすると料理が出てきた。

「前菜、春野菜のエチュベ」

「ホームズさん、まず何からお話しましょうか。昨日の情事に就いてその顛末をお話致しましょうか」

「モーリアティ教授、私は君をトモヤと呼ぶ事にするよ。そうだねそうしてくれるとありがたいけれど、情事そのものを語られても困るね」

彼は私の目を見つめたまま腰元を二回手のひらで叩いた。やはり、彼は全てお見通しでここへ来ている。勿論服の下に隠したナイフにも気付いているはずだ。だから、このナイフを使うことはないだろう。それは呆気なくこの舞台を終わらせてしまうし、それは選ばされる悪である。

「ハオラン、この間くれた手紙には、明後日、つまり今日僕と会えるって言ってたけど何かあったの?」

彼は少しだけ驚いた表情を見せていたがすぐに気がついて、近くにいる佐々木を睨んだ。なんてことは無いけれど、午前中に佐々木と少しだけ話したのだ。僕は彼の上司の友人という皮を被って。

「怖いよ、トモヤ。うちの佐々木翔太郎は何を喋ったんですかね」

佐々木はそっぽ向いている。そもそもこの食事会に誘えたのは佐々木のおかげだ。だいたい、佐々木は僕に対して全く警戒していない。僕らの会話が聞こえているにも関わらず、緊張の欠片もないあたり、どうにもその能力の程度が知れる。しかし、それにも理由がある。佐々木は平常心を装っているのだ。本当は僕が何処かに現れるかも知れないと気が気でない。

「佐々木くん。見回りへ行ってくれませんか」

「はい、勿論です。やつを捕まえてきますね」

この空気に反して元気そうな声をあげて立ち上がった。そのまま出口まで小走りで向かって、こちらに一礼した。

「楽しいお食事会に水を差してしまって申し訳ないね。モーリアティくん?」

本当はその言葉に目一杯の皮肉を込めているんじゃないかと勘違いしてしまいそうになる。それならばそれで、面白いのだけれど。

僕らは前菜を頂いた。彼はにっこり笑って僕の感想を待つ。その顔に微笑み返すと、まるで僕らは何年来の友人のようだった。

「どうして、彼女を殺したのかな」

「それはね、ハオラン」

口元に付いたソースは夕方の浜辺の様に優しい塩味を主張した。名残惜しいけれど、夕方は短く、夜は訪れなければならないから真っ白なハンカチで拭き取る。

「彼女は可哀想な子だったんだ。ホストに騙されて、鬱病で、歳上の男を籠絡する事しか生き方を見いだせなかったんだよ。立派な事じゃない、悲しいけれど」

「悲しいことですね。しかし、それは貴方が裁くべき罪じゃない」

この人は、どうも食えない。僕の言い分を理解して、僕が何を思って言っているのかどうせ分かっているくせに、何も知らないふりをしている。きっと僕に言わせたいんだ。まるで敏腕のインタビュアーだ。

「それを言ったらこの場は無駄になるよ」「その通り。まったく、好、好。」

彼はまだ口内に残る料理の味を思い出すように目を閉じ、頷いた。次はスープかな。


「スープ、コールズッペ」

彼は料理にご執心だ。香りを嗅いで、目を瞑る。

「謝謝。さぁ、次はスープですね。好。今の私たちにはぴったりです。そんな顔はしないでください。私、いつもはトリックとか、密室とか、そういう事件を解決しているんですよ。それで、その、今回はかなり楽な仕事だったんで、ね。気分が良いんです。トモヤはそういうの嫌いでしょう、トリックとか、密室なんてのは。『そもそも』えぇ、続けなくて結構。貴方は自分を犯罪者なんて思っていないんでしょ。罪人だなんて思ってない。不好、不好。でも、貴方のやった事は犯罪です。悪です。変わりはありませんよ。スープ、冷める前に頂きますね。あぁ、思った通り。なんて美味しい。失礼、少しはしゃぎ過ぎましたね。何をそんなに苛立っているのですか? 私に幻想を? 不好。犯罪者に抱かれる幻想ほど不快なものはないですね」

この人の周りの大気は、僕と、僕を愛する守護霊達が近付けない。まるで世界観が違うんだ。こんなにも僕らは似ているのに、どうしても僕らの根本が違う。きっと、分かり合えない。僕はきっとこの人に捕まるけれど、それでもこんなに良い料理店でこんなに良い男と食事が出来るならばそれで満足だ。

「不好、話が逸れましたね。さて、私はこの近くに生まれて、それから、まぁ、運良く才能が役に立つのでこういった職業に。貴方がお楽しみの時こそ私の仕事は増えるのです。ほんとに困った話ですね」

僕と彼とは、生まれが違うだけだと思っていた。でもそれは違う。僕も、彼ももっと根本的に大きく違うんだ。彼が僕を見つめる。自己紹介を求めているんだろう。しかしそれにどれほどの価値があるだろうか。僕は選ばされるというのが不快だ。同じ結論に至るとしても、自分で選ばなきゃつまらない。納得できない。自己紹介をするという選択を選ばされることも、自己紹介をしないという選択を選ばされることも、きっと彼が用意した皿の上にある。食わされるのは癪なんだ。

「ご存知の通りだよ。なにも、かも。ひとつ違うのはね、僕はキャベツが好きじゃないってことだ。ハオラン」

「えぇ、存じておりますよ。首を切る音と同じ、でしたっけ」

僕は浅く頭を下げた。

スープは綺麗に無くなって、二人で顔を見合わせる。

「貴方のお母様は十年ほど前から行方不明だそうですね。それも貴方が?」

僕は彼の顔を見て、わざと意味深に微笑んだ。何か勘違いする様子を見たかったのだ。

「そうですか。不好。それは失礼いたしました」

彼は指一本たてて、話始めようとした。しかし、その言葉は従順なウェイターによって遮られた。

「失礼しました」

一歩下がる店員を横目に、ハオランは立てた指をもう片方の手で下ろす真似をして微笑みかけた。

「大した話ではないんです。謝謝、その素晴らしい気遣いに感謝致します。お気にならさず」

「メインディッシュ、春野菜と鶏肉のフリカッセ」

笑顔で店員を見送って、彼は料理に眼を落とした。

「これまた、美味しそうですね。好」

眼を細めて、蛇のように笑う。僕もまた似たような顔で同じ表情を作る。

さて、ただ談笑するだけの為に用意された舞台などつまらない。それはまさしく後半にだれ始めるSF作品のように。

僕は最後に、たった一つの賭けに出た。次に注がれる筈のワイングラスには睡眠薬が縫ってある。

彼がもし、本当に何もかもお見通しなら、この賭けは負けに終わるだろう。もっと悲しいことに、睡眠薬が効果を現すまでに僕が捕まる可能性もある。すべての善と悪を天に任せよう。すべて自然に任せるのだ。ワインを飲まなければそれでいいし、グラスを変えるのならばそれでいい。ただ、僕が見たいのは、どっちを選ぶかって事だけだ。僕の背中には水色の炎が宿り始める。物語の始まりを予感させるこの熱は、まるで成功が近くにあるかのように錯覚してしまう。この男、ハオランに於いて、その予感は全く別の意味を持ってしまうのではないだろうか。その不安がこの熱を身体中に燃え上がらせる。次だ、ようやく待ちに待った瞬間だ。隣のテーブルで注ぎ終わったウェイトレスが、とうとうこの席まで来る。店員がワイングラスを持ち上げた。このワイングラスの縁が、この細いフルートグラスの縁が僕の希望の在処である。

「失礼」

彼の声が私の背中を不気味に撫でる。表情からその真意は読みれない。仕方が無いのでもう一切の打算的な考えを捨てることに決めた。それからハオランはウェイトレスの持ってきた高そうなワインを指さした。指さして、笑った。困惑するウェイトレスは一歩、後ろへ下がった。

「別のをお持ち致しましょうか」

「不好。いえ、それで構いませんよ。ただ、そのワインについてよく知っておきたくて」

「かしこまりました。こちらのワインは……」

それからは早かった。店員はなんだか色々話していたけれど僕の頭には何一つ入ってこなかったのだ。そうして、かれはフルートグラスにキスをした。味わう様に、愛する様に。

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