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壱話 じゃんじゃん火



 小雨で濡れたアスファルトはネオンの原色に染まり、まるで鏡張りの床のようにギラギラと輝いている。

 土曜の夜の歌舞伎町ここは真っ直ぐ歩くことさえ難しい。

 人通りの多さに加え、派手な半被を着たポン引きがその理由である。

「三千円ポッキリ! いいいるよ!」

 お手本のような(うた)い文句で、脂ぎった顔の中年ポン引きに袖を引かれた。

「あんたんとこ、ヤクザの菊菱(きくびし)組が裏にいるボッタクリの店で有名だろ。つか、俺が学ラン着てんの見えねぇのかよ。それとも誰でもいいから金を毟ろうってか?」

「……イキがってんじゃねぇぞ、ガキ!」

 オレに事実を言われたポン引きは顔を真っ赤にして、店の入口にいた紫色の高級スーツを着たパンチパーマの男を呼ぶ。

「謝れば許してやるが、二度と歌舞伎町にくるな」

 暴力を生業としているヤクザならではの威圧感が、二十代半ばらしきパンチパーマ男にはあった。

 ポン引きはそいつの後ろで、オレが詫びを入れるのを薄ら笑いで待っている。

 それが、(しゃく)に障った。

「謝ったとこで、ボッタクリ続けんだろ。そんなクソみたいなシノギ、いつまでやるんだよ」

 パンチパーマ男は右足を前に一歩踏み出した。

 踏み込みは浅い。

 拳や蹴りの打撃ではなく、間合いを詰めにきている。

 ほんの一瞬、俺の学ランの首元にパンチパーマ男の視線が移った。

 オレは相手がどこを見ているかによって、次の動きを読む。

 例えばパンチパーマ男はオレの学ランの胸倉を掴み上げようとしているが、そんなものは視線が動いたときからわかっていた。

 それに合わせるようにこちらも右手をのばし、パンチパーマ男の右腕をつかむ。

 そしてパンチパーマ男の右足の踝を左足で払う。

 これらの動作を素早く同時に行うと、どうなるか。

「ンぐぁッ……!?」

 パンチパーマ男は氷上で滑ったように横転し、湿ったアスファルトに体を強く叩きつけられて呻く。

 こないだ本屋で柔道の入門書を立ち読みしたが、いまの技名は出足払いというらしい。

「てめぇ!」

 激怒したパンチパーマ男のこめかみに血管の青筋が浮いている。

 いつの間にか集まった野次馬たちの前で地べたを這っているのだから、そりゃ頭にもくるだろう。

 地面から立ち上がったパンチパーマ男は右足に全体重を乗せ、胴体を右後方に捻る。

 右ストレートを打つ前のテイクバックだが、モーションが無駄にでかい。

 パンチパーマ男の左側面をすり抜け、背後にまわりこむ。

 そのまま力一杯に背中で体当たりするとパンチパーマ男は前方に吹っ飛び、アスファルト上で再度うつ伏せになった。

 これも八極拳という拳法を題材にした漫画で読んだが、たしか鉄山靠てつざんこうという技名が付いている。

 どんな技でも一度見てしまえば使いこなせる自信が俺にはあった。

 小学生のころから勉強はからっきしだが、体育の成績だけは頭抜けて良いのも関係しているかもしれない。

「こちとら今まで喧嘩で負けたことねぇんだよ。勝ちたかったら、ドスでも出せ。それくらいのハンデくれてやる」

 野次馬たちから「いいぞ!」とか「もっとやれ!」などの歓声が上がる。

 その熱狂とは逆に俺の心は醒めていた。

 ――やりすぎたか。

 それを証明するように野次馬たちの向こうから、歌舞伎町派出所の警官がこっちに走ってくるのが見えた。

 ()んでいた雨も降り始め、野次馬たちも蜘蛛の子を散らすようにどこかへ行ってしまう。

 ポン引きは、無言で俺を睨んでいる。

 舌打ちしたオレは警官を巻くため、細い路地へと走りだした。



 ヤクザと喧嘩してから二日後、オレはコマ劇場前の広場を幼なじみの宮田(みやた)祐子(ゆうこ)と歩いていた。

(りょう)ちゃん、今日の昼休みに髪を金色に染めてることで担任の先生に呼び出されてたでしょ。あとその制服、足首だけ絞まってて格好悪いんだけど」

 祐子はポニーテールの乱れを気にしながら、嫌そうな顔で言った。

「金髪のなにが悪いのか意味わかんねぇ。それからこの制服は短ランにボンタンだ。最高に格好いいだろ」

「校則違反に決まってるでしょ、そんなの。中学生と違って高校生は退学もあるんだから、もっと考えなさいよね」

 幼稚園の頃から一緒に過ごしてきたせいもあり、祐子はなにかと注意してくる。

 この幼なじみは本来、接点のないタイプだ。

 祐子は小学校時代から何度も学級委員長をやってきたが、オレは喧嘩っ早い問題児として扱われてきた。

「家に帰るのに歌舞伎町を通った方が早いのわかるけど、私みたいな女子だけだとこんな近道は無理ね。物騒すぎる」

「勝手についてくるって言ったの、おめーだろ」

「どうせ、また誰かと喧嘩してるんでしょ。それに歌舞伎町の事件も犯人捕まってないし。私が側にいないと了ちゃんは、なにするかわかったもんじゃない」

「……歌舞伎町の事件?」

「絶対、知らないと思った。路地裏で人が焼け死んでたのよ。しかも二人目の犠牲者が二日前に発見されて、テレビで大騒ぎしてる。一ヶ月くらい前にヤクザと女性が飛び降り自殺したのも、ヤクザ同士の内輪揉めが原因じゃないかって噂されてるし。いつもどおり、歌舞伎町は柄が悪いわ」

「それで警官が多いのか」

 今日はやたらと警官の姿を目にしていた。

 そのせいかいつもより通りを歩く人の数は少ないが、それでも混雑しているのは変わらない。

 ――不意に背後から肩を叩かれる。

「女に手を出されたくなかったら、そこの路地に入れ」

 振り返ればこないだ喧嘩したパンチパーマ男が立っていた。

 その裏では、そいつの舎弟らしき長髪と禿頭の男たちに祐子は囲まれている。 

「こないだの仕返しに人質まで取るのかよ」

「今回は事情が違う。こいつはこないだの礼だ、受け取れ!」

 飲食店のビールケースや黒いゴミ袋がいくつも置かれている路地裏に入った途端、パンチパーマ男からボディブローを喰らわされた。

 ほぼ密着状態から腹を攻撃されるのは、さすがのオレにも避けられない。

 歌舞伎町といえば外灯とネオンに照らされたイメージを持ちやすいが、こうした明かりのない雑居ビルの谷間がいくつもある。

「なに、この人たち……」

 オレよりも少し年上くらいの舎弟たち二人に両腕をつかまれ、祐子は怯えながら言った。

「そいつは関係ない。放せっ!」

 殴られた腹をさすり、オレは声を荒げた。

「そうはいかねぇ。女子高生をソープに沈めたら人気の風俗嬢になるぜ」

 パンチパーマ男の言葉に祐子の顔は血の気が引いている。

「――いい歳した野郎どもが女子供に手を出すとは感心できんな」

 暗い路地の入口から男の声がした。

 その男の歳は三十を過ぎたあたりか。

 黒縁眼鏡をかけ、黒のハンチング帽をかぶっている。

 長身痩躯で手足が長く、堅気ともヤクザともつかない独特な雰囲気があった。

あんちゃん、俺たちが誰だかわかって言ってんのか。歌舞伎町ここを仕切ってる菊菱組だ。怪我したくなきゃ、とっとと()せな」

「俺に弓引こうってのか。あんたら全員の小指エンコ詰めた程度じゃ、ここでの揉め事は収まらん」

 ハンチング男の言葉を無視し、パンチパーマ男は動いた。

 祐子のまわりから二人の舎弟たちが離れ、ハンチング男に襲いかかる。

 その隙を俺は見逃さず、長髪の舎弟の後ろから跳び蹴りを喰らわせた。

 ハンチング男はどうなってるかと横目で見る。

 たったの数秒だがボコボコにされ、気絶していてもおかしくない。

 しかし、それは逆だった。

 すでに禿頭の舎弟は地面で気を失っている。

 オレが跳び蹴りした長髪の舎弟はハンチング男に顔面を膝蹴りされていた。

 ――この男、恐ろしく喧嘩慣れしている。

「手下を見捨てて逃げようなんざ、極道の風上にもおけん」

 ハンチング男は舎弟二人を置いて逃げようとするパンチパーマ男を背負い投げしたが、その拍子にかぶっていたハンチング帽が地面に落ちる。

「複数のヤクザとやりあうとは、クソ度胸だけはあるようだな」

 落ちていたハンチング帽の埃を左手ではらって被り直し、ハンチング男は言った。

 失神から回復したヤクザたちが、悪酔いでもしたように上半身を起こして何度も頭を振っている。

「オッサン、()けてたな」

「なぜだ?」

「タイミング良すぎだろ。こんな細い路地、偶然で通りかかる場所じゃない」

 オレの言葉にハンチング男は軽くうなずいた。

「それなりに頭は回るようだな。お前の名は()(おき)(りょう)だったか。ちょっとツラ貸してくれ。手荒なことはしない、約束する」

「なんでオレの名前を知ってんだよ……」

「それについても、これから説明してやる」

 ハンチング男は路地の出口に向かって歩きだす。

「あの人、怪しすぎ! もう帰ろうよ!」

 祐子はオレの手を引っ張って言う。

「お前は先に帰ってろ。危ない目に遭わせて済まなかったな」

 オレは詫びながら祐子の手を振りほどき、ハンチング男を追いかけた。

 やってきたのは靖国通り沿いの歌舞伎町一番街アーチ近くにあるボロい雑居ビルだ。

 一階には待夢(たいむ)という喫茶店があった。

 雑居ビルの三階まで階段でのぼっていき、ハンチング男は文字の書かれた磨りガラスのドアを鍵で開ける。

 ――(あし)()探偵事務所。

 磨りガラスには、そう書かれていた。

 中に入るとブラインドのかかったガラス窓の下に、表で見た一番街アーチが見える。

 間仕切りされた室内の半分はテーブルと二つの長いソファ、もう半分には資料棚と大きな木製デスクと革張りの椅子があった。

 資料棚の近くにコートラックとテレビが置かれ、いかにも探偵事務所といった有様である。

「適当に座ってくれ」

 オレがソファに腰を下ろすとハンチング男は、室内の奥にある狭い流し台でコーヒーミルのハンドルを回し始めた。

 ドリップの終わったコーヒーをカップに注ぎ、テーブルの上に出された。

「砂糖とミルクはない。ブラックコーヒーで飲め」

 焙煎したコーヒーなんて飲むのは初めてだが、意外と味は悪くない。

「で、いろいろ説明してくれんだろ……探偵の芦屋さん」

「入口のドアにあれだけ大きく書かれてたら、そりゃ俺の仕事と苗字もバレるわな」

 芦屋は肩をすくめながら言い、ソファにあった読朝新聞をテーブルに投げた。

「それの一面記事を読んでみろ」

 新聞の日付は二週間近く前の四月末だ。

 一面には『歌舞伎町で焼死体発見』と書かれている。

 被害者は一般人の女性で目撃者はおらず、ヤクザ同士の抗争に巻き込まれたのではないかと警察は調べを進めていると記事は纏めていた。

「その焼死体の事件は二日前にも起きた」

 次に芦屋はテーブル下の新聞を引っ張り出し、オレに放り投げる。

 内容は最初に見た新聞の記事と似たようなものだ。

「この記事がどうした?」

「お前、肝心なとこが鈍いな。問題は二日前の事件のほうだ。その事件で焼け死んだの、誰かわかるか?」

 二日前の歌舞伎町――まさか。

 オレには思い当たる人物が一人いた。

「新聞には被害者の男性としか書かれてないが、お前に声をかけたポン引きが焼死体で発見された」

「まさかとは思ったが、あいつだったのか……」

「この焼死事件は少しばかり面白い一致があってな。二つの事件は雨の夜に起こってる」

「そういえば二日前、俺が警官から逃げるときも雨が降り始めてたぜ」

「警察関係者からのリークだと遺体や事件現場から、ガソリンなどの可燃物は司法解剖や鑑識捜査でも見つかっていないそうだ」

「……オレに声をかけてきたヤクザたちは二日前の事件について調べてたってわけか」

 今思えば『今回は事情が違う』とパンチパーマ男は言っていたが、まさかオレを事件の容疑者として追っていたとは。

「菊菱組は本気でお前を犯人だとは思っていないだろう。だが自分たちのシマで喧嘩売られたポン引きが死ねば、メンツのせいで形だけでも誰かにケジメをつけさせようとしてもおかしくはない」

「おいおい、メンツのせいで追いかけ回されるなんて勘弁しくれよ!」

 オレはため息をつき、ソファに背を預けて白い天井を見上げた。

「お前に軽くヤキを入れて、終わらせるつもりだろう。まぁ相場としては、腕一本を折るあたりか」

 芦屋は過去に似たようなことがあったとでもいうような表情だ。

「今の話しで全部つながった。あんたが探偵でオレの名前を知ってたのは、今回の事件が絡んでるんだろ?」

「雑に説明すればそうだ。お前は運がいい。菊菱組の組事務所に連れて行かれる前に俺が見つけた」

「オッサンが俺を見つけたって、なにも解決してねぇだろ」

「成り行きとはいえ、お前もこの事件の関係者になったから言う。俺は今、三人の依頼主から三つの案件を抱えている。その一つが歌舞伎町の焼死事件だ」

「依頼主は警察か?」

「正解だが、依頼主はもう一人居る」

「他に誰が調査を依頼すんだよ」

「警察とは逆の組織で事件の犯人を追っている連中――今回の依頼人は(じん)(せい)(かい)の幹部の一人だ」

「仁星会っていやぁ、ヤクザの大手じゃねぇか」

「お前も仁星会の名前くらいは知ってるか。そこの二次団体が菊菱組だ。本家の仁星会から依頼された俺の調査を妨害したとなれば、菊菱組の三下ヤクザの小指程度じゃ手打ちにはできん」

「ヤベぇ仕事してんな。依頼人は選べと言いたいが、そのせいでオレは助かったようなもんだから世の中わからねぇぜ」

「仁星会からの依頼は四月末の焼死事件からだ。最初の被害者は堅気の女性だったが、関西の(さん)(こう)(かい)が事件に関係してるんじゃないかと疑っていたらしい。いまの仁星会は山公会と抗争中だからな」

 芦屋は黒いハーフコートのポケットからマイルドスターのタバコをだし、金メッキの剥げたジッポライターで火を点けて言う。

「お前と菊菱組のヤクザが喧嘩になったと情報屋から聞いてな。その情報屋からの金髪でボンタン制服のガキが暴れてたって証言を頼りに聞き込みをしたら、すぐにお前を知ってる高校生を見つけたよ。ずいぶん、学校で悪目立ちしてるそうじゃないか」

 芦屋はオレの名前だけでなく、学校での様子もその高校生から聞いたようだ。

「歌舞伎町には情報屋なんていんのか。おちおち喧嘩も出来やしねぇ。オレは事件と無関係だ」

「無関係にしては深入りしてるが、いいだろう。菊菱組には俺が話しをつけておく。あいつらも俺とやりあったのを本家の仁星会に知られたくないはずだ。それなりの金額の口止め料を用意して、内々で処理するってのが妥当なとこだな」

「菊菱組に(たか)ろうってのか?」

「俺は慈善事業をやってるわけじゃない。取れるとこからは取るだけだ」

 歌舞伎町の探偵だけあってトラブルには動じないらしい。

 タバコの白煙を吐き出し、芦屋は「それにしてもだ」とつぶやく。

「最近の歌舞伎町は勢いづいた海外マフィアの出入りも激しくなっている。狂犬みたいに誰彼構わずに喧嘩売ってると本当に殺されるぞ」

「ご忠告、ありがとよ。用は済んだ。俺は帰るぜ」

 芦屋の説教に、オレはまったく興味がない。

「こっちの用は済んじゃいない」

「まだ、なんかあんのかよ」

「腹が減ったと思ったら、こんな時間か。自炊はしない性分たちでな。晩飯を奢ってやるから、ついてこい」

 腕時計を見た芦屋は小さくなったタバコを灰皿に押しつけ、ソファから立ち上がった。

 何事も無ければ、こんな得体の知れないオッサンの晩飯に付き合うわけがない。

 しかし、ヤクザとのいざこざで助けてもらった恩があるぶん、誘いを断るわけにもいかなかった。 

 階段をおりて一階の喫茶店・待夢に入る。

 全部で十席ほどのこじんまりとした店で、オレたち以外に客はいない。

 六十を過ぎたであろう白髪の男が注文を取りにきたので、芦屋はナポリタンを頼み、オレはカツカレーを注文した。

「仁星会からの依頼なんてのは表向きのものでな」

 芦屋はテーブルの灰皿を自分の方に寄せ、またタバコを吸い始めて言う。

 注文を取りにきた老人が厨房からでてきて、作った料理をカウンターの棚に置いていった。

 どうやら老人は一人で、この店を切り盛りしているらしい。

「オレはヤクザと喧嘩しただけで、事件についてはなにも知らねぇぞ」

 老人が注文した料理を運んでくる。

 ステンレスの銀皿に盛られたカツカレーをスプーンで掬って食べてみると、ダシの効いた辛さが口の中に広がった。

 蕎麦屋のカレーのようで癖になる味だ。

「四月末の焼死事件、あれの被害者は堅気の女性だと言ったが正確な情報ではない」

 芦屋はナポリタンに卓上の粉チーズとタバスコを、たっぷり振りかけて言う。

 香ばしいケチャップの匂いが、こっちまでとどいてくる。

 この喫茶店は全メニューが”当たり”のようだ。

「風俗嬢とかホステスとか、そっちか?」

 歌舞伎町では、そういった仕事についている女性が多い。

 これから夜の仕事に出勤するであろう女性を俺は前から何度も見ている。 

「そういう意味じゃない。被害者の女は、いわゆる(おが)み屋をやっていた」

「拝み屋?」

「祟りだの化け物だの、そういったものを専門に扱う職業さ」

 オレは無言でカツカレーを食べる。

 トンカツはサクッとした食感なうえに脂は軽めで最高の揚げ具合だった。

「二つ目の依頼は焼死事件の化け物の調査だ。これは事務所でも話したが、警察からの依頼だ」

「化け物退治でもすんのかよ。どうかしてるぜ」

「まぁ、当たらずといえども遠からずだな。状況によってはそうなるかもしれん」

 ナポリタンを食べ終わった芦屋はペーパーナプキンで口を拭った。

「とんでもない好景気だってのに、訳わからねぇこと言ってんなよ。これだけ世の中が金にまみれて明るいんだ。化け物に居場所なんてあるわけねぇ」

 オレは残っていたカレーを口に入れ、食後に運ばれてきたアイスコーヒーを飲んだ。

 芦屋の話しなど、話半分以下でしか聞いていない。

 歌舞伎町で飲んだくれたオッサンが千鳥足で、『俺は宇宙人だ!』と意味不明な言葉を叫んでるのと同レベルの与太話である。

「一連の事件は特殊なものだと俺は推理している。焼死事件を起こしたのは十中八九、(かい)()という妖怪だ。だが、ほとんどの怪火は()(ばく)型といって同じ場所から動けないが、今回の遺体発見場所にはバラつきがあり、不自然だ。政府の内閣調査室にはアヤカシ専門の特殊対策室があるが、対応が後手後手になっているようで警察からきた依頼も、そのせいだろう。地縛型のアヤカシが移動するのは、一流の調査員でも手を焼く案件だ」

「ナントカ調査室だのアヤカシだのジバクガタだの、よくわかんねぇけどよ。政府に化け物調査の連中がいるとかオカルト雑誌の読みすぎだぜ」

 オレはカツカレーを平らげて、席を立った。

 食事を終えたオレたちは待夢を出る。

 帰宅するため、通りを歩きだすと雨が降り始めた。

 雨粒が大きく一分もしないうち、本降りになる。

 風俗店の前をうろうろしていた背広の男性や路地の横で(たむろ)していた若い連中が一斉に走り出し、屋根のあるところへと雨宿りに向かう。

 大雨でずぶ濡れのオレだけが大通りに突っ立っていた。

 ある奇妙な音を聞く。

 雨音とは別の音だ。

 ネオンが雨で乱反射した通りは、万華鏡のように揺れて方向感覚を狂わせる。

 ――音は次第に大きくなっていく。

 じゃんじゃん。

 人のささやきのようにも聞こえる音。

 その音をたどっていく。

 大通りに祐子がいるのが見えたが、なにかに寄せられるように路地へと入ってしまった。

 無性に胸騒ぎがする。

「祐子……!?」

 路地に入るなり、呼んでみたが祐子の姿はない。

 引き返そうとするが先にある大通りが見えないほどの濃霧が路地の入口を塞いでいる。

 大通りにもどることも出来ず、路地に閉じ込められた。

 路地の奥では、なにかが二つ光っている……いや、燃えているようだ。

 それは宙に浮いており、こちらに高速で近づいてきた。

 オレはしゃがみこんで、それを避ける。

 二つの明かりが急接近してきたとき、その二つの何かの正体がわかった。

「マジかよ……」

 ――人魂(ひとだま)だ。

 怪奇もののテレビドラマでしか見たことがないような物体が、釣り糸で吊るされたようにふわふわ浮いている。

 俺は近くに落ちていたスポーツ新聞を拾って丸めた。

 こうなったら自棄(やけ)だ。

「人魂だろうがなんだろうが、やってやろうじゃねぇか!」

 飛んできた二つの人魂を、ぎりぎりでかわす。

 間髪入れず、棒状のスポーツ新聞で人魂をぶっ叩いた。

 まるで油でも染みこませていたようにスポーツ新聞が一気に炎上する。

 おかしなことに雨に濡れても火は消えず、すべてが灰になるまで燃やし尽くした。

 オレは芦屋の言っていた”アヤカシ”という言葉を思い出す。

「こいつが焼死事件を起こしてる化け物なのか!?」

 二つの人魂は、次こそ外さないといわんばかりに飛んでくる。

「――そこまで攻撃を避けるとは大した運動神経だ。感心したぜ」

 路地の入口から聞き覚えのある声がした。

 オレは宙返りし、間一髪で膝下をすり抜けていく人魂を避ける。

「オッサン、なんでここにいるんだよ!?」

「尾けてたからな。それに天気予報の雨も当たって、こっちとしては好都合ってもんだ」

 芦屋は、ぬけぬけと言った。

「その化け物は俺の客だ。お前には面白いマジックショーをこれから特等席で見せてやる」

 ハーフコートの裏ポケットから芦屋はなにかを取り出して人魂に投げつける。

 それは、ただの紙切れだ。

 だが、人魂と紙切れが空中でぶつかると激しい閃光と爆裂音がした。

 あまりの大音響に耳鳴りが、しばらく止まない。

「なんだ、いまの……!?」

 耳鳴りがおさまると静けさがもどった。

 雨の勢いは弱まってきていて、まわりの霧も消えている。

「やはり、じゃんじゃん火の声が、お前にも聞こえていたようだな」

「あの変な音は声なのか?」

「じゃんじゃん火は”残念残念”と言っている。それが”じゃんじゃん”に聞こえるのが、じゃんじゃん火の由来だ。二つの人魂は、この世に大きな未練を残して死んだ憐れな奴等だ」

 オレはひどく混乱しているが、それとは逆に芦屋は落ち着いている。

「お前の疑問を順番に片付けていく。じゃんじゃん火に触れると雨では消えない炎に焼かれて死ぬ。そいつが焼死事件を起こした妖怪――アヤカシだ」

「……妖怪なんて信じられるわけねぇだろ!」

「無理に信じなくていい。いまのは悪夢だとでも思っておけば、心の均衡を保ち続けられる。最初からアヤカシの存在を認められる者は少ないからな」

 芦屋は問いに答えているが上辺だけのようで、オレにはなにがなんだかさっぱりわからない。

「お前の見えているのは陰陽道でいう表、(よう)の部分にすぎない。お前の見えていない裏、(いん)について俺にはすべてを伝える義務がある。お前を今回の事件に巻き込んじまった瑕疵(かし)説明みたいなもんだ」

 芦屋は(かしこ)まったように言い、ハーフコートの裏ポケットから一枚の紙切れを出して地面に投げた。

「この子は、さっきの喧嘩で見た女の子か」

 芦屋は淡々と言うが、俺は腰を抜かしそうになった。

 なぜなら、路地で見失った祐子が急に現れたからだ。

 俺は、あまりにも唐突すぎて言葉を失った。

「マジックショーは終わってないぜ。いまの呪符は見た者にとって親しい奴を幻影として映す。この子が見えるってことは、お前はそれなりの能力を持つ()(こう)(しゃ)だ」

 芦屋の言う意味はわかるが、理解するのを脳が強烈に拒否している。

 さらに遡行者という言葉を聞いたのは、これが初めてではないのも気になった。

 全部の話しが現実という地面から浮いていて、まるでこの路地で見たじゃんじゃん火のようにふわふわしているように感じた。

「手品なんだろ? タネを教えろよ」

「タネはこれだけだ」

 芦屋が言うと祐子は紙切れになって地面にひらひらと落ちた。

「この幻影を相手が見せたのは次の犠牲者かどうかのテストさ。この子の幻影を、お前が見えなければ俺も安心した。遡行者ではないからだ。しかし、お前は幻影を見てしまった。最初のじゃんじゃん火の犠牲者は拝み屋の女、二人目の犠牲者はポン引きの男。実はな、拝み屋の女は俺の助手、ポン引きの男は俺が(こん)()にしていた情報屋だ。お前がヤクザと喧嘩した話しを俺が聞いた二時間後、情報屋は焼死している。そしてここからが話しの肝だ」

 芦屋は雨で濡れた黒縁眼鏡を外し、ハーフコートの胸ポケットに入れた。

「今回の二つの焼死事件の被害者たちの条件には一貫性がある。一つ目は俺と親しい奴であり、二つ目は遡行者の資質を持ち、三つ目は……見てもらった方が早い」

 芦屋は路地の奥に歩きだす。

 オレも、その後ろを歩く。

 暗がりに、なにかがいる。

 ――老人だ。

 倒れているその人物の顔を見て、オレの頭の中はさらに混乱した。

「三つ目は俺と一緒に喫茶店の待夢に行った。そうだよな、爺さん」

 地面に倒れていたのは待夢の店主をしていた白髪の老人だった。

「俺がいままで待夢に連れて行ったのは拝み屋の女である助手、情報屋のポン引き、そしてお前の三人だけ。じゃんじゃん火は、この爺さんが操っていた。どうりで地縛型の怪火が移動するわけだ……この場所に来て思い出したよ。一ヶ月前にここで若いヤクザと女性の自殺があった」

 真横の商業ビルを見上げ、芦屋は言う。

「菊菱組の若い衆の一人が女性と共謀し、ソープランドの売り上げを持ち逃げした。俺にも捜索依頼がきたが別件で忙しかったせいで断ったがな。結局、菊菱組に追い詰められ、そこのビルから二人は身投げした。この爺さんは拝み屋で、その二人をじゃんじゃん火に仕立て上げた外道だ」

「…あ……あいつらは…生き返りたい……と言っていた…だから生き返ら…せた……じゃんじゃん火に……」

 呼吸を乱しながら語るその声には、”自分があいつらを化け物に生まれ変わらせた”という優越感が滲み出ており、聞いていて非常に不快だった。

「焼死した二人は遡行者のせいでじゃんじゃん火に引き寄せられた。そして、お前も。遡行者ってのはアヤカシに吸い寄せられる性質がある。俺は二度目の焼死事件から、この爺さんが犯人じゃないかと疑っていてな。待夢にお前を連れて行き、焼死事件についてわざと話して囮役で協力してもらった。案の定、この爺さんがすぐに喰いついったってわけだ。俺のシマで仲間たちを消せば、拝み屋の業界ではいい宣伝になる。最期は俺を殺して、名を挙げようって寸法だろ。自分で言うのもなんだが、俺は拝み屋としては有名人でな。この爺さんのように同業を消し、のし上がろうってのが稀にいる。仁星会と山公会の抗争と同じさ。半年前から探偵事務所の一階に喫茶店を開店して、俺が誰と親しいかを調べてたんだからご苦労なこった」

「喫茶店の飯に毒でも混ぜて、オレたちを殺したほうが手っ取り早くねーか?」

「毒なんて、そんな足が付くもの残してどうすんだ。アヤカシや呪殺を使えば証拠も残さず、相手を消せるってのに」

 オレたちの会話を聞いていた老人は薄気味の悪い笑みを浮かべ、そのまま動かなくなった。

「死んだ……のか?」

「死んだ」

 葬式以外で死体を見たのは初めてだった。

 芦屋はポケットからタバコを取り出し、火を点けて吸い始める。

 それが今日、芦屋が吸ったタバコの何本目なのかオレにはわからなかった。

「じゃんじゃん火に呪詛返しの呪符を投げた。あとは警察に任せるしかない。安心しろ。この爺さんの死因は心不全として扱われる。俺は死体の第一発見者でしかなく、警察で調書を取られて終わりだ。お前は家に帰っていいぞ。これで俺が抱えていた三つの案件のすべてが片付いた。最後の案件の依頼主は俺だ。依頼内容は今回の事件解決――これを渡しておく」

 芦屋は右手と中指でトランプカードのような何かを挟み、オレに投げる。

 反射的に右手で受け取ったのは名刺だった。

 それには芦屋探偵事務所・(あし)()(てつ)()と書かれている。

 妙なのは横棒が五本、縦棒が四本の格子のような模様が名刺の中心に描かれており、家紋のようにも見えたがそれにしては奇抜なデザインだ。

 正直なことを言えば、拝み屋同士の抗争やアヤカシによる焼死事件なんて、どうでもよかった。

 喫茶店を経営していた老人が路地裏で死んだ……それだけがオレにとっての事実だ。

「欠員が出たせいで、遡行者の助手を募集している。興味があるなら、いつでも事務所に来い。給料は弾むぞ」

 返事をする気力すらないまま、路地から大通りに出る。

 そこは、オレが今まで過ごしてきた世界とはまったく別物ののように見えた。

 雨の止んだ大通りでは一万円札を振り、タクシーを停めようとしている連中が歩道で列をなしている。

 あの一万円札も芦屋の見せた手品のように、いつかなんの価値もない白い紙切れに化けるのではないかと想像した。

 身投げしたヤクザと女性の二人も、持ち逃げした金に幻を見たのかもしれない。

 どいつも、こいつも――そしてオレも、と思いつつ、雨に濡れた額の水滴を手の甲で拭う。

 酷く疲れているオレはタクシー待ちの連中に背を向け、重い足取りで自宅へと歩きだすのだった。

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