憧れ⑤
駅舎しかない、無人の田舎駅。
白線はほとんど消えかけ、
アスファルトの上には桜の花びらや枯れた葉が、
土塊と一緒にこびりついていた。
約二年ぶりに会えるのだから、桜が満開の頃が良かったけど、
美琴から「少し遅れる」と連絡があり、この時期になってしまった。
──そろそろ、ゴールデンウィークか。
人が少ないこの時期に会えるのは、救いといえば救いだった。
あの日から、叔父さんの家に頭を下げ、何度もお願いして、
トラクターをはじめとする巨大な農機具を貸してもらった。
あの時の約束だけで…。
「自分のほうが美琴を知ってる」と妙なことを言ってきたり、
「もし結婚して子供ができたら」と、からかうようなことを言ってきたり。
──定期的に何でもやらされる労働力としては、まあまあ使える。
そんな風に言われて、
なぜかすごく嬉しかったことを、今でも覚えている。
……まあ、今回で振られるかもな。幻滅されるに決まってるぞ。
叔父さんにそう心配されて、とても嬉しかった。
身体が限界を迎えれば整骨院へ行き、
愚痴を言いたい時は酒を奢って、若い男女と飲みに行った。
全部、美琴が敷いてくれたレールの上を、
俺はただ歩いてきただけのような気がする。
あれだけ魅力的で、誰とでも仲良くなれる彼女が、
小さな頃の約束を覚えていてくれるなんて──。
そんな妄想が頭をよぎる。
そうこうしているうちに、見慣れたローカル電車がホームに入ってきた。
今日は初夏のような眩しい日差し。
そして電車から降りてきたのは──
真っ白なロングワンピースを着た、美琴だった。
大きなキャスターバッグを引いて、ゆっくりと向かって歩いてくる。
彼女のことだから、タクシーで直接家に来るかと思ったが、
成果を持って「迎えに来て」と言われたのだった。
久しぶりに見る彼女は、
やっぱり美しくて、可憐で、まるで桜の花のように見えた。
「──できたの?」
「うん。これが、僕の精一杯。……これで、俺と結婚してくれ」
約二年、必死に働いて、やっと用意できたものは、
彼女に見せたって、きっと幻滅されるだけだ。
美琴が住んでいたマンションなんて、夢のまた夢。
「貧乏は嫌よ?」「君と、一生添い遂げたい」
「ふぅん、これ?」
紙の貯金通帳なんて、今どき誰が持ってるんだろう──。
そんな風に思っているのか、
美琴はどこか楽しげに、一枚ずつページを捲っていた。
「絶対に、君が満足できるくらいお金持ちになる。
だから……少しだけ待っててくれないか?」
振られるか、笑われるか、怒られるか、呆れられるか。
そんなことばかりが頭をよぎるなか、
プロポーズのように手を差し出し、目をつぶって跪いた。
もちろん、指輪なんて用意できていないし、花束さえもなかった。
ただ、必死に祈っていた。
「ガサガサ……じゃあ、これにサインして」
「……何を?」
彼女がカバンから何かを取り出した音がして、
気になったので目を開けた瞬間、俺の目から涙がこぼれた。
「もう……泣き虫ね。泣くなって言ったでしょ」
美琴も泣いてるのか、少しだけ俺を見ると、
すぐに覗き込むように俯いているので、表情がよく見えなかった。
「明日香……ほんっと、お金持ちで、泣き虫のパパさんですねぇ。
だから、私たちでちゃんと見てあげようね。ね、明日香」
「お金持ちって……?」「ほら、見て」
美琴がスマホを差し出すと、
画面には信じられないくらい多くの、ゼロが並ぶ数字が表示されていた。
「……ん?」
「アハハハ。パパってほんと呑気。
もー。夫婦になるんだから、これも一緒になるってことよ。ね、あなた」
「……ほんとに?」「うん。これからは夫婦。そう、家族になりましょう」
「家族……?」「もちろん。あなたの子供、明日香も一緒に──ね」
美琴からふわりと、すごくいい香りがして、
その優しい笑顔が、心の奥にまで染み込んでくる。
──それから色々あったけれど、家族がいれば、なんだってできた。
少し気になったのは、
あんなに忙しそうにしていたのに……と、羨ましそうに見てきた人たち。
もちろん、叔父さんは明日香にメロメロだった。
お父さんも、お母さんも、明日香のことが大好き。
明日香は……たぶん隠れて、いろんなプレゼントをもらってるんだろう。
「お父さん貰ったよ」「コレ、叔父さん…」「格闘技の先生が…」
「今度遊びに行っていい?」「ご飯食べにおいでって」「合宿って」
そんな誘いまで受けているけど、美琴の子だから──って、
そんなふうに、簡単に諦められるわけがない。絶対に許さない…
……色々と泣き虫だった俺だけど、
少しくらいは、みんなを笑顔にできたかな。
憧れ⑤




