憧れ①
「たくみ。シャワー浴びたら、全身をちゃんと乾かしてから来て」
大声で叫ばれたのは少し気になったが──
農作業で汚れた服のまま、田舎から車を飛ばしてきて、
公園で転がっていた自分が、彼女の家でシャワーを浴びようとしている。
それだけで、自分が特別な気がして、思わず笑みが漏れた。
「子供じゃないんだから、当たり前だろ」
さっき、全身を乾かさずに風呂場から出てきた彼女の姿を思い出し、
内心色々と焦っていたが、素直になれず大声で返してしまった。
「…」
いつまで経っても返事がないのを見て、
彼女が不機嫌になったのかとまた焦ったが、
とにかく先にシャワーを浴びて、後で謝ろうと割り切った。
脱衣所から浴室に入ると、湯垢ひとつないガラス張りの造りに驚き、
シャワーだけかと思いきや、一人で入るには広すぎる浴槽も完備。
……ここまで、違うのかよ。
ただそれだけで、生きる世界の違いを突きつけられた気がした。
湯船には入浴剤でも入っているのか──
さっき彼女から漂っていたのと同じ、柔らかな匂いが鼻をくすぐる。
ああ……あはは……そうだよな。
大きな浴槽に、ピカピカの洗い場、見たことのない種類のボトルたち。
自分の体からは、
洗っても落ちないような独特の臭いが漂っている気がして、
一番減っていないボトルを選んで、全身を洗った。
洗い終わると、いい匂いがしたが、それで何かが変わったわけじゃない。
彼女と同じ匂いをさせたくて湯船に入りたかったが、
これ以上汚したくないと、気持ちを押さえて脱衣所に戻った。
さっき彼女が使っていた、ふかふかのバスタオルは心地よかったし、
言われた通り、全身を丁寧に拭いて、ドライヤーで髪を乾かす。
……臭う。そうだよな。
身体が乾いてくると、さっきよりもはっきりと自分の臭いが感じられた。
もう一度風呂に入り直そうかと迷ったが、
置かれていた時計の針を見て焦り、彼女を探しに行った。
「シャワー、浴びたよ。美琴」「たっくん、突き当たりの部屋」
リビングには彼女の姿がなかったが、
どこかよくわからない場所から、美琴の声だけが聞こえてくる。
「あっち?」「背中の通路を進んで、突き当たり」
彼女の姿は見えないが、こっちのことは見えているようで、
自分が指さした玄関の方にある部屋では無いことはわかった。
監視されている?やっぱり、SNSの家はここ?
ここでの生活の一端が見えたような気がして身振したが、
彼女が指示した通りに歩いていく。
ドアを開けると、ふわりといい香りが広がり、
それが、いつも美琴から漂っていた匂いだと気づいて、心が跳ねた。
「ちゃんと拭いたよね」「あっ…ああ」
キングサイズのベッドの上で、美琴が全裸で横たわっていた。
寝室は間接照明だけが照らし、
さっき見たはずの身体が、まるで別人のように妖艶で美しく、
男を魅了する雰囲気を濃厚に放って、俺を見つめていた。
「そこのクリーム、塗ってくれる?」「いいのか?」
「何が?」「触るぞ?」
身体が痛いほどに反応してしまう。
この場所で、あの男たちも──そう思うだけで、嫉妬が心を暴れさせた。
「何言ってるの?アンタが傷つけたんでしょ。アンタが塗りなさい」
「…」
「それに背中なんて塗れないでしょ。さっさと塗って。私は眠いの」
「……ごめんなさい」
「突然、誰かさんが突然来て、しかも怪我までされたの。
いい?たっくん、私は明日も忙しいの。わかる?
朝イチでエステに行って、早く身体を整えないと間に合わないの……」
何に急いでいるのか、何故そうなっているのかを知っている拓海は、
必死に涙を止めようとするが、止めることが出来ない。
「ポタ…ポタ……」「泣くなぁああ。泣くなら、さっさと出ていけ!」
「ごめん、美琴……」「クリームをぬれったら。ぬれぇええっ」
キングサイズのベッドに乗り、
彼女に触れながらクリームを塗るたびに、彼女の身体が小さく震える。
痛そうな傷と、腫れた場所に、そっと手が触れて消えろと祈る。
何故か不思議と、この言葉が頭に浮かんでいた。
……ベッドって、揺れないんだな。
憧れ①




