帰宅③
DVDの映像を見終わった美咲は、全裸でソファーの上に横たわっていた。
寝ている彼女は、何故かタオルが無くても寒さを感じず、
逆に全身が燃えるように熱くて、
頭の中では同じ映像がぐるぐると再生される。
今も耳の奥に残っているのは、あの不快な山田や観客の喜ぶ声、
そして自分の嬉しそうな笑い声だった。
観客の笑い声や、いやらしい視線が肌に突き刺さっても、
それを喜ぶように、自分はいやらしい笑顔を返していた。
美咲も心の奥底では、言葉にできない漠然とした不安が渦巻く。
「もしかしたら、最初から私は楽しんでいたのかもしれない…」と、
本当は「こういう行為が好きなんだ」とまで思わずにはいられない。
あの恥ずかしい衣装に袖を通した事に興奮して、
わざわざ店の外にまで行き、客に見せつけるように歩いていた自分。
それでは物足りなかったのか、身体を触ってもらおうとまで思い、
自分から客に近づき、相手の手に触れるまで身体を寄せていた。
そう思うと、背筋に嫌なものが走り、その得体の知れない気持ち悪さが、
美咲をがんじがらめにして離さなかった。
「どうして、あんなことを…」
美咲はぼんやりと天井を見上げながら、心の中で呟いた。
映像の中、笑顔を振りまいていた自分の姿がくっきりと脳裏に浮かぶが、
それはまるで、他人のように見えた。
あの映像では、あの服を着て喜んでいるように見えるし、
客の視線に気づくと近づいて、触って貰おうと体を寄せている姿も、
今ではどこか違和感ばかりが残る。
「あれは、本当に自分だったの?」
それともただ、一生懸命アルバイトをしていて忘れているだけで、
今の気持ちが嘘で、あれが本当の行動だと、そんな疑問が胸をかき乱す。
「そんなはずはない…」
美咲は、自分に言い聞かせるように小さく呟くが、
その声は薄暗い部屋に吸い込まれ、どこにも届かない。
頭の中には、あのキャンギャルの派手な衣装、山田の無遠慮な言葉、
そして男たちの絡みつくような視線が次々と浮かんでくる。
時計の針が静かに刻む音だけが、部屋の静寂を乱す。
何度も寝返りを打ち目を閉じようとするが、眠気はまるで訪れないし、
毛布を取ってきて包まれても、心は宙に浮いたままで落ち着かない。
頭の片隅では、山田の声が何度も響き渡る。
「美咲ちゃん、今日は特別なサービスだよ。
サービスしてあげて…サービス。サービス?エッ。サービス?」
その言葉に、自分がどう答えていたのか、どうしていたのか、
目をつむっても、その映像を繰り返し見ていても、
何も覚えていないし、何が起こったのさえ覚えていない。
「何を、サービスしたっていうの…?何が、サービス?」
美咲は、毛布を剥ぎ取りたまらず起き上がったが、
窓の外は真っ暗で、都会のネオンがぼんやりと輝いている。
胸に押し寄せてくるのは、漠然とした不安と焦り。
大切な何かを失い、戻れない場所があるような、
そんな感覚に囚われている。
美咲はそっと胸に手をあて、かすかに震える心音を感じながら、
過去の自分と向き合わざるを得なかった。
「もう一度、あの時のことを考えてみよう…」
美咲は深呼吸をして、頭の中を整理することにした。
アルバイトの意味と、山田との関係に、自分自身の気持ち。
何もかもが曖昧に思えて、
心の奥底に沈んでいる何かを、掘り起こす必要があるのだと感じた。
「こんな所で、終わらせたくない…」
彼女は意を決して、映像をゆっくり再生しながら、
自分の記憶と照らし合わせる。
アルバイト中に何をしていたかわからない、
心の不安が少しでも解消されることを、願いながら映像を見続け、
あの衝撃的な場面にくると、自分を詳細に投影する。
今見ている映像の女は、あの日の美咲そのものの見た目で、
同時に、今の自分とはまったく別の存在のようにも感じられた。
あの笑い顔の意味や、あの喜ぶ声、嬉しそうに体をよじっている姿など、
何かが変わるきっかけを探しながら、何かを見落としていないかと、
もしかしたらと、彼女は映像に吸い込まれていった。
。
気がつけば、美咲は全裸のままソファーに横たわっていた。
周囲は夢の中のようにぼんやりとぼやけ、頭は重く、
全身から、さまざまな体液が混じり合った香りが漂ってくる。
その臭いに「ハァ。アハハハ…」と、
あの後悔に似た感情が心を満たしたが、
昨夜、何があったのかまったく思い出せなかった。
あれから時間がたったらしく、
窓から差し込む光が強く照らしてくるので、
美咲は、ふと時計に目をやった。
その時計は昼過ぎを指し、ここまで寝ていた自分に驚く間もなく、
突然、スマホの呼び出し音が響き渡る。
その音に驚いて体を起こし、
慌てて画面を確認すると「非通知」の表示が浮かんで、
知っている相手ではないはずなのに、なぜか不安が胸を掴んだ。
「誰だろう…」と小さく呟き、深呼吸をしてから通話ボタンを押すと、
スピーカーから、あの男の声が聞こえてきた。
「おい美咲。元気か?次は、何時頃店に来るんだ?」
その声に、瞬時に全身が凍りつき、
彼女は体中に怒りが込み上げるのを感じながらも、
「なに?」と、冷たい声で問い返すのが限界だった。
山田は、愉快そうに笑いながら話を続ける。
「お前、さっきのアルバイトのことを忘れたのか?
DVDをみたよな。あれ面白かったか?編集も最高だっただろう?」
「あんな物は見てもいないし、スグに捨てたわよ。」
「よく出来ていたのになぁ。
店に何枚でもあるから、今度持っていってやろうか?ぐふふ。」
「いらないわ。それよりも、なに?」
「客が次のを早くよこせって、うるさくてさぁ。美咲ちゃん。」
その言葉が、美咲の中にある不快な記憶を一層鮮明に呼び起こす。
映像の中で、自分がどれほど恥ずかしい姿を晒していたのか、
山田の声がその記憶をえぐり出していく。
「もうやめて。私には関係ない!」
美咲は、冷静を装って彼に強く言い返した。
しかし、内心では、アレが大量に出回っているという事実に戦慄し、
編集されていない映像が、山田の機嫌で出回るかもと動揺が広がる。
だが、山田はなおも続ける。
「そんなこと言うなよ。お前、俺のこと好きなんだろ?
あんな格好で嬉しそうに誘ってきてさ。ああ、スペシャルサービスか?
いいねぇ、やろうじゃないか。あれは、お前も楽しかっただろ?」
「スペシャル?冗談じゃない。もうかけてこないで!」
美咲は、山田の言葉に耐えきれずに、無理やり通話をやめていた。
恐怖で荒くなった呼吸を落ち着けようと、
息を深く吸い込もうとするが、上手く吸えないし、
不安でざわついた心を落ち着かせようと思うが、冷や汗が滲む。
「もう二度と、関わりたくない…」と何度も願い、
震える手でスマホを握りしめ、自分を取り戻そうとしたが、
いくら強がろうとしても、弱い心の奥に広がる不安は消えなかった。
しばらくの間、彼女は呆然とソファーに座り込んだまま考える。
しかし、山田の声が頭の中で何度も反響して、
それを裏付ける、自分が演じる不快な映像が次々と蘇り、
逃げられない現実だと、次々と美咲に襲いかかってきた。
。
スマホが再び鳴った。
画面にはまたしても「非通知」の表示が浮かんでいる。
「もう、なんなの……」
美咲は一瞬、無視しようかと迷ったが、
胸の奥に、さっきとは違ったざわつく感情と不安がよぎっていた。
この電話に出てしまうと、
何かから逃れなくなるような、とても嫌な予感がしたが、
彼女の指が勝手に通話ボタンを押していた。
「もしもし?」
スピーカーに流れてきた音は、山田の時とは違うと気づき安心したが、
その音が何故か何処かで聞いた覚えがあった。
「今すぐに来い。アルバイトは済んだな?」
その音に続いて聞こえた声は重く命令口調で、
その言葉に思わず背筋が伸びてしまい、
「何があったの?急に電話してきて……」
と、何処か不穏な気配を感じつつも、美咲はできるだけ冷静に返した。
もちろん、美咲が三島から電話をしろと、名刺に番号を書いたはずだが、
相手の不穏な空気に押されて、つい変なことを言ってしまう。
「情報が手に入った。早く来い」
その一言に、美咲は心臓が跳ねるのを感じた。
何が起きたのか、どんな事態が待っているのかなど、何もわからない。
しかし、三島の声には、ただならぬ切迫感がにじんでいた。
全裸の美咲は立ち上がり、身支度を整えようとしながら、
「わかったわ。すぐに向かうから、少しだけ待ってて」と答える。
通話を切ると、彼女は急いで服を探し始め、
化粧もせず、ウォークインクローゼットに向かい、
冷や汗なのか、寝汗だったのか、汗が浮かぶ肌の上から、
ゴミ出し用に使っているデニム地の前開きロングワンピースを着て、
足は黒の厚底サンダルを履いて出かけた。
もちろん、アッシュブラウンの髪は寝起きで乱れたままだったので、
ゴムで軽くポニーテールにまとめ。
普段なら気にする見た目も、このときは頭に入らなかったし、
それよりも時間が大事だと、その姿のまま荷物を持ち部屋を飛び出した。
。
美咲は、運よく拾った流しのタクシーに乗り込み、目的地を告げた。
三島に会えば、全てから解放されるという思いに、
心臓の高鳴りを抑えきれず、慌ただしく背もたれに体を預け、
さっきまで感じていた不安を振り払うように、
「早く着いて、もっと早く……」と心の中で繰り返し呟き
「友達のため」という思いにすがりつきながら、
その気持ちに集中することで、
美咲は、あの記憶を無理やり忘れようとしていた。
タクシーが停まると、彼女は慌てて降り、
薄暗いビルの中へ足を踏み入れると、
昼間にもかかわらず、静まり返った周囲の空気が肌にまとわりつき、
不安を一層かき立てていた。
帰宅③




