帰宅②
美咲は冷たい水を全身に浴びて体を引き締めた後、
温かいシャワーに切り替えた。
その凍てつく感覚から、温かな水に包まれる心地よさに、
このまま時が止まればいいと願ったが、
すぐに寝ないと、明日が大変だと気を取り直す。
続けて、石けんを泡立てていると、
その香りが全身を包み込み、少しずつ落ち着きを取り戻した。
「ハァ。今日も…」と、いつもの愚痴が次々と体から出て、
あの感覚を忘れようと、全身をしっかりと洗い落とし、
それが終わった後で浴室の鏡を見ると、とても疲れた顔の女が映る。
そんな女が、浴室を出て全身を乾かしていると、
やっと今日が終わったと感じて、少しだけ元気な顔に戻っていた。
女は、いつものように、全裸の上にタオルを巻いた姿で部屋に戻ると、
大きな窓から差し込む月明かりが淡く部屋を照らし、
その静かな光の中で、柔らかいソファーに腰を下ろす。
「やっぱり…」と、コレが最高だと美咲の心が開放された。
深呼吸をしながら、緊張を解き放つように色々な場所を伸ばし、
それをする度に、日々のストレスが少しずつ剥がれていくようで、
部屋の静けさだけが、心の奥に安寧をもたらし、
美咲は、今のこの時間が永遠に続けばいいと感じていた。
。
心地よい感覚が全身を包み込み、あの苛ついた心が落ち着いた頃、
「明日…」と、日付はとっくに過ぎた部屋で何かを考え始める。
美咲は静かな部屋の中で、まどろみへと引き込まれるように、
少しずつ意識が薄れて、心の奥に沈んでいた疲れも、
徐々に消えていくようだった。
しかし、ふとした瞬間、ビデオ店でのバイトのことが脳裏に浮かび、
あのイヤらしく笑う姿が彼女を襲う。
「うわっ…」
山田の笑いが頭の中で響き渡り、あのねっとりとした視線が絡みつき、
自分を物色するような不快な笑顔が、脳裏に焼き付いて離れない。
彼の無遠慮な視線や下卑た言葉が、
心の奥で大きく響き渡り押し寄せて来るので、
美咲はその記憶に押しつぶされそうになり、思わず飛び起きた。
「もう、イヤだ!」
その記憶を忘れようと、
目をぎゅっと閉じて頭を振り、記憶を振り払おうとするが、
思い出はしつこく追いかけてきて、山田の姿がますます鮮明になる。
あの油ぎった髪、厚ぼったい体、そしてあのいやらしい笑い声、
その全てが、彼女の心をかき乱し続けた。
「本当に、何なのよ…あの人…」
その苛立ちを胸に抱きながら、美咲は深く息を吸い込んで吐き出し、
心を落ち着けようとするものの、心臓は依然として不規則に脈打ち、
不快感が胸の奥で渦巻いていた。
「もう全て終わった…もう二度と…」
そう自分に言い聞かせるが、記憶の中の山田は、
彼女にとって完全には消え去らない存在となっていた。
「殺すしか…」と、そこまで考えたが「何を思っているの?」
と、まだ普通の感情が押さえつけてきた。
再びソファーの上で横になり、何とか心を静めようとしたが、
あの嫌な笑い声や見た目が頭から離れない。
「とにかく、明日…」
美咲は思考を切り替え、あの出来事や明日への不安を振り払おうと、
深く呼吸を整えて、ゆっくりと瞼を閉じた。
しかし「みさきちゃん」と言ってくる山田がちらつき始める。
美咲は、心を落ち着けようと目を閉じたものの、
あの衝撃的な記憶に蓋が出来なくて、
またふいに山田の笑い声や、アルバイトでの出来事が蘇ってくる。
「もう、どうしてこんなに忘れられないの…」
苛立った彼女は、気を紛らわせようとそこから立ち上がったが、
視線の先に手さげ袋がある事に気づく。
その袋は山田に渡されたもので、すぐに捨ててしまいたかったが、
誰かに拾われて中身を見られるかもしれないと思い、
どうしても捨てられずに部屋に持ってきた。
そして、その袋に入っていたDVDを手に取ってしまうと、
頭をよぎるのは「あの中に私が映っている…」という不安と山田の声が。
「美咲ちゃん。コレはスペシャルだよ。」
その言葉が何度も頭の中で繰り返され、怖いもの見たさなのか、
それとも別の理由なのか、彼女はついにDVDを再生してしまう。
再生が始まり画面が明るくなると、映像に引き込まれて息を呑む美咲。
そこに映し出されたのは、カメラを自分に向けて、
薄暗いアダルトビデオ店内で、画面に手を振る山田の姿と、
その山田に向かってポーズを取っている女の姿。
彼女が着ているのは、ビデオ店で用意された衣装で、
店の外で大勢の男たちの目にも晒された、大胆でセクシーな服装。
映像で改めて確認すると、
到底信じがたいほど恥ずかしい姿なのに、女は嬉しそうに笑っていた。
「なんで、こんなことに…」
美咲は戸惑いながらも、目が離せない。
自分が映っていることへの驚きと、思わず蘇る山田の視線が心を乱し、
この映像を、あの男が何度も見ていたと思うだけで、
今すぐに吐き気がするような不快感が彼女を襲った。
「もう、やめて…」
美咲は恐る恐るリモコンを握りしめ、再生を止めようとするが、
心のどこかで映像を見続けてしまう、自分がいることに気づいていた。
映像の中の自分は、嬉しそうに笑顔を浮かべ、
子供のような無邪気な振る舞いをして、山田が喜ぶ事をしていた。
「どうして、私はこんなことを…なぜ?」
気持ちが高ぶる一方で、自分を責める思いも交錯する。
この映像を撮影しているのは山田で、
編集で切られた影像でさえも、彼は持っているはずだし、
それを彼の気分次第で好きにできると思うだけで、ぞっとした。
美咲は、もう一度リモコンを握りしめて映像を止める。
止めた後でプレーヤーから取り出して「壊したい…」とも思ったが、
その指はなかなか動かず、また再生ボタンを押してしまった。
映像が再び動き出し、心の中で揺れ動く感情が彼女を支配していく。
「私、どうしたいの…」
そう思いながら映像に映る自分を見ているが、
彼女は自分の心の声に耳を傾けることができずにいた。
画面に映し出されているのは、
美咲が店の外でティッシュを配っていた時の姿。
セクシーなコスチュームを身にまとい、
ピタッとしたトップと短いスカートが彼女の曲線を際立たせて、
高いヒールを履いたその姿は、普段の彼女とはまるで別人のようだった。
画面の中の美咲は、明るい笑顔で通り過ぎる男たちにティッシュを配り、
まるで「自分から嬉しそうに仕事をしている?」ようで、
彼等の視線が集まる中でも、とても良い笑顔で働いていた。
「この子のDVD、ありますよ!」という山田の声が響くと、
映像の彼女は少し照れたように笑い、楽しそうにポーズを決め、
その姿は、普段の自分からは考えられないほどに大胆で、
その場にも馴染んでいるようにも見えた。
やがて映像は彼女の顔のアップになり、頬が少し赤く染まり、
少し緊張した様子で男たちを見つめながらも、
もっと見て欲しいとまで思っているのか、目線で彼等を誘っていた。
「まさか、私がこんな姿を見せるなんて…」
美咲は胸の奥にざわつきを覚え、その女の行動に自己嫌悪とともに、
映像の自分に、どこか魅了されているような気がして、
その場にいる「自分」が、理想の人のように感じ始める。
その後は撮影が始まり、一緒に並んだり、お互いに肩を組んだり、
しまいには、客が腰に手を回して抱き寄せてきたり、
さらには、しゃがみ込んだ客が、スカートの中に手を入れたりと、
見ている美咲が、顔から火が出るような光景が流れるが、
その女は恥じらいながらも、嫌がる素振りを見せずに笑っていた。
次のシーンで山田が映像に登場し、軽口を叩く様子が映し出される。
「美咲ちゃん、今日は特別サービスだよ。頑張ってね!」
というその言葉に、映像の中の彼女は一瞬驚いた表情を見せるが、
すぐに明るい笑顔に戻っている。
それ以上のことは、この映像には残っておらず、
美咲も何をしていたのか思い出せないし、さっきの事も思い出せない。
「一体、あの時の私は何を考えていたんだろう…」
美咲は心の中で呟く。
自分が楽しんでいたのか、あるいは流されていただけなのか、
覚えていないが、山田に脅されて表面だけは嬉しそうにしていたはず。
今はそう思いたいが、心の中で葛藤が渦巻いているのは、
どこかで自分の意志でしていたのかとも疑ってしまう、
曖昧な記憶と、明らかにに楽しんでいる影像の記録。
映像が終わりに近づき、最後に山田と一緒に映るシーンが流れると、
全身から冷や汗が出るような嫌悪感がして、
二人で笑い合いながら肩を組んで、嬉しそうに手を振る姿には、
美咲は思わず手で顔を覆った。
「これが私なの…?」
彼女は再生を止めることができずに、ただ映像に見入っていた。
帰宅②




