残光
夜が明けきる前――。
廃村を覆っていた盗賊への《檻》、願いが無い人達への《守り》は、
リーダーの指先ひとつで静かに解かれた。
囲っていた幾何学模様の格子がほどけ、
霧のように薄まり、やがて朝靄に紛れていく。
村を覆っていた、煮詰まりきった肉と油の匂い、
新鮮な血の臭い、煤と炭の混じった香りが、朝の森へ流れ。
今も燻る熱と腐臭に混じって、土と生き物の匂いが戻ってきた。
広場には戦いの痕跡が残り、裂けた地盤に崩れた壁、
焼けた梁や屋根に、乾きかけた血が黒い筋となって走り。
犠牲者たちは無残に骸を晒し、
許された人達だけは、項垂れ、まとめて縛られる。
今では縛られた想いに抗い、掴み取り、未来に触れた人達が、
闇にのまれ、零れ落ち、無くした、全てを思い出した。
その度に泣き崩れ、祈り、その結末を叫び、
途切れては、また繰り返し、朝の光が差し込む場所で描かれていく。
そんな喧噪の外で、ミアとリアは黙って朝日を見上げ、
リーダーは離れた場所で、人の願いを見つめていた。
◇
「ギルドに報告に戻って、生き残りを提出してきます」
助かった冒険者が、真剣な目で伝える。
その声には、怯えや絶望はなく、責任と興奮が入り混じっていた。
周囲には、襲われた馬車の豪華な服を着た人、
前を向いた護衛の剣士が、納得したように頷いていく。
もちろん、彼等が失った時間と、奪われた友は戻ってこない。
「……盗賊団が使っていた馬車で、歩けない人を運びましょう」
「大丈夫だ。水さえあれば、街まで行けるはずだ」
護衛の一人が言い、聞かれた冒険者も頷く。
ミアが、一歩前に出た。
「街へは街道にでれば解る。あの先に繋がっている……はず」
地下牢から助け出し、強力なボスを倒した彼女の声を聞き、
さっきまで曖昧で自信が無さそうだった人達に、明るい希望が灯る。
「街まで1日程度で着きますが、森にはモンスターが多くいます。
安全のために、まとまって移動して下さい」
続くのは、リア。
強大な魔法使いを倒し、エルフ特有の雰囲気が周りを掌握していく。
「あと、街へ戻る方は、この方々と一緒に行ってください。
戦える人が外側を固めて、自信が無い人を守って下さい」
指示は静かだが迷いがなく、
地下牢で震えていた人々を、最初に癒してくれた彼女の声は届く。
「ギルドが必ず動きます。治療する場所もあります。
――少なくとも、ここよりは安全ですから向かって下さい」
少し視線を外したリアの答えに、何人かが小さく反応した。
「街に行けば……助けがあるの?」「ここは何処?」「……」
既に生きる目的を無くしてしまい、呆然としていた人、
亡き子を抱いて、何かを求めていた人までが、未来を見つけていく。
黙っていたリーダーが、猜疑心と絶望に染まった人達に近づき。
希望を見つけた人たちを集め、握り締めていた金貨を押しつけた。
「……リーダー?」
最初に受け取った冒険者が、リーダーに戸惑った顔を向ける。
だが、男は一言だけ伝え、周りを見てから真っ直ぐ視線を返した。
「そんな……受け取れません。俺たちは助けられた側で――」
リーダーは何も答えず、豪華な服を着ている人達、護衛の剣士、
街に向かう人達にも、同じ言葉を、同じ想いを伝えていった。
「……これは、あなた方の取り分では」
「これは君たちの物だ」
リーダーは、相手を見つめて、何かを伝えるだけ。
豪華な服を着ている人達が、現実を思い出し、言葉を詰まらせ、
護衛たちは、悔しさと困惑が混ざった複雑な顔で拳を作った。
冒険者は、固く握ったままで深く頭を下げる。
「……必ず安全に連れていきます。もちろん、何が起きたかも、
誰がいたかも。全て言われた通り伝えます」
その光景に、ミアとリアの胸が少しだけ痛んだ。
自分たちを売って手に入れたお金が手渡され、
命の危険を感じて戦っていたのに、自分達には何も残らない。
――リーダーが全て正しい。
しかし、二人の淡い想いが追いつかない。
ミアはそれをごまかすように肩をすくめ、軽口めいた調子で言った。
「まあ、リーダーが決めた事だし。口出す筋合いはないけどさ」
笑っているのに、視線はどこか遠くを見つめ、
血と煤で汚れた指先が、無意識に双剣の柄をなぞっていた。
リアは、ちらりとリーダーの横顔を見る。
無精髭に覆われた顎。脂で束になった髪。垂れた瞼。
どれもが「奴隷を売った悪徳神官」という印象を強めるばかり。
けれど、その分厚い指先が人々を導く動きは、
奇妙なほど清廉で、まるで祈りのように静かな仕草。
既に目的を達成して、生きる希望を無くした人達に、
何処かの村や街から連れ去られて、居場所が無い人。
目的を見つけた冒険者や、生き残り希望に満ちた人達が続き、
街へ向かう一団が、準備を終えて動き出す。
◇
動けない人を乗せた台車が軋み、
生き残った盗賊が、首輪をされて続いていく。
豪華な服を着ている男が手綱を握り、
護衛が周囲を固めて、冒険者が先頭に立った。
「行きます!」
短い号令で列が進む。
去っていく背中を見送る人々の顔には、安堵と不安が同居していた。
残ったのは――
近くの村から連れてこられた子どもや女たちのうち、
土地勘があって「村に戻る」と、希望を見ていた人達。
この辺の村は、小さくて貧しい。
この盗賊に荒らされたのなら、
男手の多くを奪われ、畑は踏み荒らされ、家は焼けたはず。
これから村に戻っても、暮らしは決して楽ではない。
リーダーの油じみた顔に似合わないほどに、
静かで重い視線が残る人達に送られる。
その人達の中で――
子供を連れ、何処か疲れた女が、
向けられた目線の意味に気づいたらしく、迷いながらも口を開く。
「……私も、街へ……行ってみようかと、思います」
「あんた。本気?」
「村に残っても、畑は荒れたままだろうし。夫も……」
言葉が途切れて、連れていた子供が、心配そうに見上げる。
「おかあさん。どうしたの?」
「大丈夫よ。心配しないで……」
優しく手を取りしゃがむと、母親が笑いかけていた。
「ごめんなさい。この子に、食わせなきゃいけないの!」
視線を戻し、強くはっきりした声で答える。
その一言が背中を押し、数人の女たちが同じく頷く。
「何かあったら、帰っておいで。家は、残しておくからね」
その姿を羨ましそうに見ている老婆は、
歯を食いしばって、とても悲しく穏やかな笑顔で見送った。
街に行けば危険、知らない土地、知らない人、知らない暮らし。
けれども、働き口も、治療も、支援もあるかもしれない。
リーダーは、さりげない動きで女の手を掴み、
さっき見たよりも、多くのお金を手渡す。
渡されて、言われた言葉に驚き、見開かれた目が彼を見た。
「で、でも、こんな……! 私は――」
リーダーは、子供に向けて優しい笑顔を向けるだけで、
それ以上の説明、慰めや鼓舞さえもしない。
もう一度、真剣な目で約束させると、手を放して次の女へと向かう。
「ありがとう……ございます。でも……」
背を向けた彼に、女達は唇を震わせながらも深く頭を下げ、
何度も振り返りながら、街に向かう列に加わった。
リーダーが女達に向ける優しさを、英雄は離れてみていた。
ミアは、口元にはニヤついた笑いが浮かんでいるが、
目には優しさと一緒に呆れが混じっている。
「ほんっと、ああいうとこだけは真面目なんだよね。うちのリーダー」
リアは、わざとそっぽを向いたまま小さく答えた。
「……ええ」
言葉は短いが、胸の奥で何かが少しだけほどける音がした。
懐かしい村に残る者、未来を見て街へ向かう者。
誰もが失った想いを抱えたまま、次の一歩を選び始めた。
夜と朝の境が薄れて、空が少しずつ明るくなり、
焦げ跡の残る村にも、等しく光が振り注ぐ。
その光の下で、リーダーは相変わらず中心に立たない。
褒め言葉も、感謝も、尊敬の視線さえも受け取らない。
残光




