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かつてJKだったあなたへ  作者: 民奈涼介(たみなりょうすけ)
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時空を超えて、女子学生が世界を救う!?

【序章】

かつての親愛なるパートナーへ。


私は今、心から人生を楽しんでいる。

私にとって、貴方を失ったことは、生きる意味を失ったことと同義だった。


だが、人は後ろを振り返りながら前に進むことの出来ない生き物だ。

生きる上で過去に捉われることほど、虚しいことは無いのだろう。


貴方が残してくれたものは、私がこれまでに観たどの小説よりも美しい物語を編み出した。

時に私を励まし、支え、蔑み、突き放し、正してくれる存在になった。


過去が、思い出が私を生かしてくれたのだ。

いつも貴方には感謝している。本当にありがとう。




【第一章】

空を見上げながらぐっと深呼吸をして、軽く腰を曲げる。

スクールの屋上から見下ろしたグラウンドでは、白と赤の二色が絶え間なく動いている。普段は屋上は開放されていないが、今日のようなイベント時には常時開放される。今行われているのは中等部2年生の徒競走。私の出番はその四つほど後なので、まだ時間に余裕がある。

左のこめかみ辺りが振動し、そっと手を添える。

もちろん、頭が痛む訳ではない。メガネ型ラブルにメッセージが届いた合図である。内容を閲覧する為に軽く一回、指で耳側をタップする。すると、目の前がメッセンジャー画面に切り替わった。

「ねーねー、今どこにいるの?うらら」

「内緒」

「かおると二人で、桂木君の応援しよって話になってる」

 桂木君は、かおるのお気に入りの男子だ。高身長で端正な顔つき。おまけに由緒ある家系の生まれで品がよく、女子からの支持が厚い。

「私はいいや、ちょっと休憩。リレーで疲れちゃった」

「そっか、大丈夫?」

「うん」

「出番までしっかり休んでね」

 そこまでメッセージを読んで、再び頭部を二度タップする。同時に、メッセージ内容が視界から消える。私はその場に座り込んで、ふぅっと息を吸い込む。

 運動が嫌いなわけではない。だけど、かおるやしょうこのように体育祭というイベントに没頭する熱量がない。それよりもここから、この忙しない景色を眺めている方が、何倍も面白いと思った。

 ふと思い立ち、メガネの縁にあるダイアルを操作する。ラブルを望遠モードに切り替え、グラウンドから見慣れた顔を探す。かおるが、何やら大声で叫んでいる様子が伺える。そのすぐ隣にはしょうこが楽しそうに笑っている。

 人を応援する行為に楽しみが見出せない私は、何かに熱中する人の姿をみると、心底羨ましいと感じることがある。

 手すりに背中を預け、空を見上げる。2050年のコロニー化計画以降、私たちは空を見上げることをしなくなった。地上2000メートルのあたりに薄い人工膜が展開され、その人工膜には常にエンジニアが設定した景色映像が表示される。いつ見ても一定なスピードで雲が動き、決まった時刻に陽が落ちる。夜映像の星空は確かに美しいが、流石に毎日眺めていると飽きてしまうものらしい。

「ねぇ」

「へぇっ!?」

 思いがけず声をかけられたものだから、変な声が出てしまった。

「あなた、ここの生徒?」

「そうだけど…って、ちょっと!?」

 声の主が立っている場所は、ラブルによってエラー範囲指定され、立ち入ることも許可されていないはずの、柵の向こう側だった。

「何?」

「そ、そんなところにいたら危ないでしょう!?早く、こっちにきなよ!ほらっ」

反射的に手を差し伸べる。それにも関わらず、相手は全くこちらに興味を示さない様子だった。

「大丈夫だって、このくらい。大袈裟だなぁ。落ちたって死ぬワケじゃないでしょう?」

「それにしたって、ここは四階だよ?」

「私なら飛び降りようと思えば、いつだって飛び降りられる」

「冗談言わないで!ほらっ、早く!!」

 呆れたような表情を向けた彼女は、よく見ると思っていたよりも若い。だがその無愛想な表情のせいか、年上のようにも見える。

 彼女は私の手を無視して自力で軽々と柵を飛び越える。映像資料でしか見たことがなかったが、まるでカンガルーのような跳躍力だと思った。そして私の方を見向きもしないまま、ポケットから端末を取り出す。

「ふぅん。計測に寸分の狂いなし…か」

「どうして柵の向こうに入れたの?」

「え?」

「だって、ラブルがアラート出すでしょう?警告を三度くらったら、退学処分にされるはずだけど」

「ラブル…ね」

 そう言って私の目をじっと見つめる。誰かに見つめられることに慣れていないうららは思わず赤面するが、彼女が見ているのは私ではなくラブルだと途中で気がついた。

「少しそれ、貸してくれない?」

「だ、ダメに決まってるでしょう!?コンタクト型と違って、メガネ型は外すとアラートが…」

「コンタクト型なんて出来たんだ。ふぅん」

 ラブルはこのコロニーで生活する人物なら全員が身につけているはずの必須アイテムだ。出来たんだ、とはどういう意味だろう。

 それに彼女の格好は明らかに不自然だ。今時誰も来ていないセーラー服を来ている。レトロ系のファッションが流行っているとはいえ、セーラ服を着る学生に会うのは初めてだった。

「てかダサいね、その服」

「えっ!?」

 彼女にだけは言われたくなかった。今日私が選んだ服は女子受けも良いシンプルな服装のはずなのに。急にここから立ち去りたいという衝動にかられた。

「あなたの名前は?」

「わ、私は相原うらら。ここのスクールの七期生」

「相原?」

 うららって珍しいね、そう言われることに慣れていた私は、苗字に反応されたことにまた違和感を感じる。この娘は一体…。

「ねぇ、あなたは?」

「ん?」

「名前。それに何期生かも知らない」

「あぁ」

 そういうと再びポケットから端末を取り出し、操作し始めた。

「あー、なるほどね。えっと。共野…共野かける。あなたと同じ七期生」

「さっきから見てるそれ、何?」

「スマホ」

「すまほ?」

かつては「スマートフォン」と呼ばれる、電話用端末が主流だった時代もあったと、父から聞いたことがある。手軽に持ち運べて、いつでもどこでもウェブを使用出来るデバイスは当時は画期的だったそうだ。今時ウェブなんて、よほどの物好きか、祖父、祖母世代しか利用していない。ラブルが普及し、それらが不要になったからだ。

「共野さんは」

「かけるでいいよ。同い年でしょう?」

「かけるは、何組の競技に出るの?」

「さぁ」

「覚えてないの?」

「私ここの学校の生徒じゃないから」

 そう言ってグッと背伸びをし、空を見上げる。

「綺麗な空だね」

「そりゃあ、全部グラフィックだからね。最近話題になってるよね。有名なデザイナーが手掛けたって。私には違いが全然わからないけど」

誰がデザインしたところで、結局は青い画用紙の上に白い雲が並んでいることに変わりない。雲の形が動物だろうが嗜好の凝った幾何学模様だろうが、特別興味はそそられなかった。

「何が?」

「だから、空の話でしょう?」

「空とデザイナーに何の関係があるの?」

「景色映像。授業で習ったでしょう?えっと…2042年から、空膜に写す景色映像の管理が民営化されたって」

「あぁ、そっかそっか。なるほど。私たちが見ている空はあくまでも映像。つまり、お洒落なビニールハウスか」

「ビニールハウス?」

かけるは、一人納得したように空をみてにやりと笑う。

「もしかしてもう雨も降らないの?」

「雨?少なくとも私は見たことないけど」

「そっか、それはちょっと残念だな。夜景は?」

「所定の時間になればグラデーション的に切り替わるよ。19時頃かな」

さっきから会話の要領を得ない。これじゃあまるで一期生の子供達に社会の授業をしているようだ。

「ま、詳しいことはおいおいでいいか。ねぇ、案内してよ」

「どこへ?」

「どこでもいいよ。あなたの家とか」

「体育祭の途中だし、抜け出す訳には…」

「真面目なのね。体育祭なんて、楽しい?」

 かけるの視線の先には、懸命に腕を振って走る男子生徒の姿があった。いかにも健康そうな彼は、ゴールラインを割った瞬間に満面の笑みを浮かべた。

「別に楽しいとか楽しくないとか、そういうものじゃない」

「じゃ、私に付き合ってよ」

「ちょ、ま、待ってよ!」

 強引に手を引かれ、屋上出口へと歩き始めるかける。ドアを強く閉めて階段を降りる。私と同じように、競技の合間に校舎で休息をとる生徒は多い。しかし、私の知り合いとは誰一人遭遇しなかった。

 四階分の階段を一気に下るのは大変で、既に呼吸が苦しく感じ始めた。しかしかけるはそんな様子を一切みせず、飄々と校舎を降っていく。そこで初めて、彼女がスクール指定のインナーシューズを履いていないことに気がついた。

「失礼します」

 職員室の前で待機していた警備用ヒューマノイドが近寄る。そして、少しお辞儀をした後にいつものように定型文を投げかけた。

「お手をわずらわさせてしまい大変恐縮ですが、学生者番号をお願いします。」

「CXB012です」

「ありがとうございます。次に参加予定の競技は全員リレーですね。後40分程時間に余裕がありますが、早めにグラウンドで待機することをお勧めします」

 つい忘れてしまいそうになるが、彼女は人為的に作られたマシンである。規定マニュアルに則り、在校者へと質問を投げかけるようプログラムされている。表向きは防犯目的で開発されたと言われているが、真の目的は人間と同等の知識を持つヒューマノイド開発の運用試験ではないかと噂されている。

「あなたの学生番号をお願いします」

「えっと…ちょっと待って…」

「何探してるの?」

「スマホ」

「自分の学生番号くらい、ラブルで検索すればいいじゃない」

 かけるはスマホを取り出し、自分の学籍番号を伝えた。

「本日は南坂スクールへお越し頂き、ありがとうございます。何かご不明な点がございましたら、いつでもお声がけください」

 非人間とは思えない整った笑顔を見せた後、ヒューマノイドは巡回に戻った。

「対応が非学生向けになってる。マリコさんのバグかなぁ」

「マリコさん?」

「あの警備ヒューマノイドのあだ名。皆そう呼んでる」

「警備ヒューマノイド。マリコさん」

「ねぇ、聞きたいことがあるんだけど」

「何?」

「あなたこの学校の生徒じゃないでしょ?」

 マリコさんはスクールにおいて、様々な役割をになっている。本来の警備目的はもちろん、食事のスタンバイや清掃、非常時対応など、その職務は多数存在している。つまり、このスクールに通っていてマリコさんを知らない学生は存在しない。

 その瞬間頭によぎるのは、最近このコロニー内部で話題になっていた一件のニュースのことだ。住宅街内部でのボヤ騒ぎが多発し、周辺住民の避難勧告が出された。人的被害こそないものの、ラブルによる監視体制に引っかからず12件もの事件が発生した。年間犯罪比率0.002%のこのコロニーにおいて、極めて珍しいことだった。

「だったらどうする?」

 かけるは軽く笑ってスマホ端末に目を向ける。スクール指定のインナーシューズも履いていない。ラブルを操作する気配も見せない。景色映像を知らない。そして、マリコさんの非学生向けの対応。彼女が学生でないことは、誰がどうみても明らかだった。しかし仮にそうだったとして、一つ問題が残る。

「どうして嘘をついたの?他スクール生なら、最初からそう言ってくれればいいじゃない」

「質問が多いなぁ。相原さんは」

「もしそうなら屋上へ入れるはずがない。あそこはスクール生しか立ち入れない。外部生が入ればラブルにアラームが届く」

 ラブルはブロックチェーン技術を使用することにより、全国民の位置情報を一括管理することに成功した。誰がどこにいてもその位置情報がセキュリティチェックによって監視されている。

 つまり、彼女はラブルの監視網を潜り抜ける何らかの手段を知っていることになる。それは、完全無欠セキュリティウォールであるはずのラブルが持つ監視網が、致命的な欠陥を抱えていることを示しているのだ。

「あらゆるプログラムにはバックドアが存在するってことだよ」

「ありえない!ラブルに限ってそんなことあるはずがない!」

「作り主が人間である以上、ありえないことなど存在しない。人間自体が欠陥だらけの生き物だからね」

 彼女のあっさりとした口調からは、嫌味らしさを感じない。淡々と述べる彼女に、悪びれた様子は一切なかった。

 背中の中にスーッと汗が流れる。彼女は一体何者なのか。

 その瞬間。

 ガシャンと金属がぶつかり合う音が鳴った。それも一度でなく、立て続けに鳴り響いている。音は私達の方へと近づいている。

「きゃっ!!!」

「何が起きてる!?」

「緊急時用のシャッターが閉まる音だ」

「ちっ。行こう!」

「ちょっ…ちょっと!」

 かけるに引っ張られるがままに足を動かす。ラブルを起動して情報掲示板を確認するも、緊急アラートが発令された履歴は残っていない。

「待って!シャッターの内部にいた方が安全のはず!」

「いや、シャッターに閉じ込められたらまずい。走って!」

「ほんと何が起きているのよ。もう!!」

 考える間も与えず、窓側のシャッターが私達二人を追いかけるように閉まる。非常事態の種類に応じて廊下の窓際、教室側にシャッターのどちらかが降りるよう自動制御されていると聞いたことはあった。しかし両方が同時に降ろされるなんて、聞いたことがない。

 私達の背後から足音が迫るのを感じた。

「緊急事態アラート発令中…エラーコード5002。緊急事態アラート発令中…」

「マリコさんがいる!マリコさんなら何か知っているかもしれない!」

「足を止めないで!」

「そもそも校舎内部にいれば安全でしょ?ここで座っていればいいじゃない」

 かけるは何も答えない。

「まさか追われてるのは、あなた?」

 それなら全て辻褄が合う。校舎のセキュリティシステムの動きは、守るためではなく、侵入者を捕らえようとしているように感じられる。

「だったら?」

 私が今ここで彼女の足を止めれば、一連の事件が解決するのだろうか。しかし、どうしても私には彼女がいわゆる”悪人”には思えなかった。

 上り階段が見えてくる。私は階段の方を指差して彼女にかけるに言った。

「こっち!」

「え」

「異常時は玄関口からクローズされる。ここから逃げるなら屋上しかない!」

「いいの?敵に塩を送って」

「あなた敵なの!?」

 この状況でふざけられるとは、随分と図太い神経をしていると思った。

 先ほど降りてきたばかりの階段を再び駆け上がる。 

「マリコさんって警備ヒューマノイドでしょう?わざわざ人間と同じ足の速さにすることないのにね」

「だから捕まらずに済んでるんでしょ!」

 屋上までたどり着いたものの、そこからの計画は何も思いついていない。

「警備レベル4…対象者発見。ただいまより拘束体制に入ります」

「相原さん、高いところは得意?」

「えっ」

「さっき言ったよね。私なら飛び降りようと思えば、いつだって飛び降りられるって。相原さんは大丈夫かなって思って」

「大丈夫な訳ないでしょう!?」

「じゃあ目を閉じてて」

「ちょ、待って私無理だって」

 観覧車は幼い頃から苦手だった。いくら安全性を強調されたところで、自分が落下していく姿を想像してしまうからだ。ましてや実際に飛び降りるなんて。

「それじゃ、いくよ…1.2」

「や、やめてぇぇ」

 頭がグワンと大きく振り回されるのを感じたと同時に、視界がブラックアウトする。その時かけるがどんな表情をしていたのか、覚えていない。とにかく覚えているのは、そこから垣間見えた空が透き通った青色だったこと。その後、私が気を失ったことだけである。




【第二章】

 次に目が覚めた時、かけるは壁に肩を預けて眠っていた。何が起きているのか理解するのに時間がかかった。体育祭に戻らなくては、と一瞬思ったが、それどころではないことぐらい私にも分かった。

 異常事態である。スクールに何か異変が起こっていることは間違いない。

 そして恐らく、この私と同じ年頃の少女もそれに関与している。でなければマリコさんに襲われる理由も、こうして裏路地に身を放り出された理由も説明がつかない。

「おはよう」いつの間にか、かけるは目を開いていた。

「どう、調子は」

「右肩の辺りが痛む。落下した衝撃で痛めたかも。それにラブルも…反応しない」

「それは多分、故障じゃないと思うよ」

 かけるがうららの右肩辺りに手を伸ばす。

「怪我をさせてしまった事は本当に申し訳ない。巻き込むつもりじゃなかった」

 思いがけず顔をそらしてしまう。頬の辺りが赤くなるのを感じる。

「何?」

「あなたが追われているの?」

「うん。追われているのは私。だから安心して」

「どうして?」

「相原さんには危害はないはず。真っ直ぐ学校に戻れば、すぐに保護してもらえるよ」

「じゃなくて、どうして追われているの?」

 気まずい間が流れる。いや、気まずいと感じているのは私だけかもしれない。

「知らなくていいことだよ」

「人を巻き込んだくせに、説明しないんだ」

「これ以上他人に関わって欲しくないの」

 大通りの方からモーター音が聞こえた。この辺りは日常的に警備システムロボットが巡回する地域だということを思い出した。この音はそのロボットの発する稼働音である。

「ここに居て大丈夫なの?この辺り、学区外だから警備システム網がより厳しくなってる。すぐに居場所も特定されるよ」

「そうなんだ。でも平気」 

 かけるはスマートフォンを取り出す。

「人感センサー、衛星受信機、赤外線。そういう類のシステムはこれで遮断されるようになってる。相原さんのラブルが正常作動しないのもこいつが原因だよ」

「でもさっきまで普通に使えていたよ?」

「プログラムをOFFにしてたからね。今は起動中だから、この辺のシステムからは私達の存在は感知されない」

 確かに遠くで稼働音こそ聞こえるものの、警備ロボは私達へと近寄る気配がない。通常、この区域に入った者は身分証明を求められるはずだ。

「だったらどうして、追われている時にそれを使わなかったの!」

「もちろん使ったよ。だから不可解なんだ」

 かけるが口を文字通りへの字に曲がる。うららに初めて見せた表情だった。

「私の存在は認知されない。にも関わらず警備システムは作動し、私を追いかけ続けた。何者かがマニュアルで指示を出したとしか考えられない」

「誰かが監視していたってこと?」

「うん。まぁ、あくまで憶測だけどね」

「そうしたらここだって危ない」

「だから逃げた方がいい。私から離れれば問題ない」

「その後どうなるの?」

「さぁ、なるようになるよ」

「捕まった後、どうなるか知ってるの?」

 彼女はこのコロニーについて知らないことが多いすぎる。ここから彼女一人で逃げおおせるとは思えなかった。

「知らない」

 その瞬間、スクールにいた時と同じアラート音が鳴り響いた。

「やっぱり誰かに見張られてるんだ」

 かけるはすぐさまその場から走り出す。大通り側から赤色のランプを光らせた巡回ロボットがこちらへ迫るのが見えた。

「相原さんはそのままじっとしていて!追われているのは私!あなたは保護対象のはずだから!」

 彼女の言う通りだと思った。私はスクールに戻って、次の競技に参加しなければならない。それなのに、私は彼女の後ろを追いかけるように走った。

「どうして!?」

「わっかんないよ!でも、あなた一人じゃ逃げられないでしょう!?」

「相原さん、足手まといなんだって!」

 トラブルに巻き込んだ挙句、足手まとい扱いなんて。

「こっち!いいから黙って従いなさいよ!」

 区画を整頓された小道が網目状に構築されている。後三本後の十字路を右に曲がれば、私の見慣れた道に出る。

「あてはあるの?」かけるが走りながら叫ぶ。

「うちに向かう!プライベートエリアへの侵入は法律で禁止されているから」

「もし私が犯罪者なら、相原さんも共犯になっちゃうよ」

「そういうことは後で考える」

 今は目の前のトラブルに対処することだけを考える。映画の主人公なら道端のゴミ箱や看板を障害物に見立てて相手の動きを止めようと試みるのだろうが、路上は綺麗に整頓されていて、道具になりそうな物は一切見当たらない。

 それにマリコさんのような人型のヒューマノイドとは違い、モーター駆動の巡回ロボットは速度が桁違いだ。そんな小細工を重ねたところですぐに追いつかれてしまう。

「人型じゃないなら、遠慮はいらないね」

 かけるはその場に立ち止まり、ポケットから取り出したスマホを巡回ロボットへと向けた。ピピッと電子音が鳴ったと同時に、巡回ロボットが動きを停止する。

「何をしたの?」

「アイツのプログラムを少し弄った。遠隔操作だし、実戦で使うのは初めてだったけど上手くいったみたいだね」

 巡回ロボットはしばらく動きを止めた。人間でいう首のあたりをぐるぐるまわし、私達を探すような挙動を見せていた。

「人型相手にこれを使うと、一瞬で全ての機能が停止する分、グロテスクなの。流石の私も使うのは躊躇われる」

 全ての機能が停止する瞬間というのは、人間にとってのいわゆる臨死体験のようなものなのだろうか。真理子さんで想像してしまい、思わずぞっとする。

「いくよ、止まってる時間はざっと二、三分。急がないと!」

 後方から再びモーター音が聞こえる。それにさっきまでよりも大きい。恐らく追加の巡回ロボットがこちらに向かっているのだろう。

「しかしいつの時代も、こういう警備システムはアナログだね。おかげでだいぶ逃げるのが楽だけど」

 かけるが言いたいことは理解出来た。わざわざロボットが捕獲するのではなく、スクールのように物理ウォールで進路にシャッターを設定すればいい。そうすれば私達の行き場はなくなる。

「そもそも犯罪なんて、このコロニーでは想定されていないの」

「ふぅん。なら、ああいうロボットも作る必要ないのに。矛盾だらけ」

 よくもこの状況で減らず口が叩けるものだと思った。しかし彼女のいうことに反論するだけの材料は持ち合わせていなかった。

 曲がり角を右に曲がり、真っ直ぐ走る。自宅の玄関口へ到着するも、なかなか鍵が開かない。

「そうだ、かける!それ、解除して!」

「何?」

「センサー制御プログラム!ラブルが自宅の鍵になっているの。開けられない!」

「それじゃあここの位置情報が相手に漏れる」

「今は退避優先!早く!」

かけるがスマートフォンを操作すると同時に部屋のロックが解除される。ドアを閉めたタイミングで、丁度巡回ロボットのモーター音が止んだのがわかった。



[第三章]

「はぁっ…はぁっ…」

 しばらくの間、お互いに言葉が出ない。

「体育祭のいいウォーミングアップになった?」

「おかげさまで」

「それでこれからどうする?」

「多分位置情報は漏れていると思う。今は大丈夫みたいだけど、必ずそのうち追手が来る」

「その時はまたそれで動きを止めればいいんじゃない」

「これは万能じゃない。対象システムのバージョンによっては、対応していない場合もある。幸いあのロボットは旧型だったからよかったけど」

 とりあえずかけるを私の自室へと案内する。玄関から移動する間、かけるが家のなかをジロジロ見て回るものだから、少し物恥ずかしい心地がした。

「あんまり物が無いね」

「大体の嗜好品はソフトウェアで事足りるからね」

「ソフト?あぁ、映像ってことか」

「うん。装飾品は大体ラブルに表示するの。」

 ラブル経由で空間に物を表示する技術は、沢山の装飾品やアクセサリーを不要にした。物質が存在しなくとも、映像で事足りる。

「例えばこの花も映像だよ。ほら」

 私のラブルをかけるに差し出す。こうして気軽に他人に貸すことが出来るのが、メガネ型ラブルのメリットでもある。滅多にそんなシチュエーションには遭遇しないけれど。

「ホントだ」

「流石に家具みたいな実用品は、そういう訳にいかないけどね」

 うちに物が置かれていない理由はそれだけではない。うちの父親は、極端に物を部屋に飾ることを嫌う傾向にあった。一度学校行事の遠征旅行でお土産を買って帰ったこともあったが、部屋に飾られたことはない。エンジニアとして勤めている父らしいといえばらしいが、当時の私は少し寂しい思いがした。

「大きいね、もしかして相原さんの家って裕福?」

 この家は三階建てである。一階フロアにはリビング、キッチン、浴室など一般的な生活関連の部屋、二階には寝室や物置といった配置である。

「そんなことないよ。でも、大きい方ではあるかも。お母さんが死んでからは、部屋を持て余しているんだ」

「お母さん、亡くなったの?いつ頃?」

「四年も前の話だよ」

 途端、かけるの目が揺れ動いた。

「あんまり気にしないで。もう随分前の話だし、それにもうお父さんとの二人暮らしにも慣れたから」

「そっか」

 そのまま三階へと上がっていく。部屋を開けるとそこには真っ暗な空間が広がっていた。

「もう、お父さんチューニングを宇宙にしたままだ」

「うわぁ、綺麗…」

人が入室すると同時に暗がりのなかにパッと小さな灯りが浮かび上がる。初めのうちはポツポツと見えていたものが、次第に部屋全面へと拡大していく。

「プラネタリウムだ」

 かけるは私の方を見ずに、ボソっと呟いた。

「景色映像のデモ機。試験用に使ってたものをお父さんが貰ってきたの。下のフロアだと落ち着かないと思ったから、とりあえず」

「これ、他の風景にも変更出来るの?」

「もちろん。契約済みのデザインならラブルから命令すれば…って、ラブル持ってないんだもんね」

「うん」

「じゃあこれ、貸してあげる」

 少し離れた位置の棚から、オールドタイプの眼鏡型ラブルを取り出す。そしてかけるへと手渡した。

「それ、私のお下がり。貸してあげる。ユーザー認証しなくても自宅内なら使えるようにしてあるから」

「ありがとう」

 かけるはラブルを掛け、操作を始めた。まずはオーソドックスな朝模様。夕焼け時、夜景、それから国外の有名な建築物を映写し始めた。

「貸しておいてなんだけど、こんなことしてていいのかな?」

 続いて空全体がカラフルな色味に変わる。自分好みに表示をアレンジ出来るモードに切り替えたようだ。あまりに目に刺激が強く、思わず目を瞑ってしまいそうだ。

「私は今、それどころじゃないよ。さいっこうの気分だ!」

「私はそろそろ説明して欲しいのだけど」

「うわぁ、凄い。動物も自由に配置出来るんだ!」

 サイがこちらへ走ってくる。映像とはいえ、ここまでリアルだとつい後ろに一歩下がってしまう。かけるが指で空を切ると、指で示したフィールドにキリン、虎が出現した。

 虎はしばらくその辺りを歩いていたが、近くにいたキリンの存在に気がついた。重心を低く保ち、一気に駆け出す。キリンが気づいた頃には、虎の牙がその長い首元に突き刺さっていた。赤黒い液体がどっと流れ出す。

「げっ」

「サバイバルモード。生態系に忠実なデザインらしい。ゲーム性があって男子にはウケがいいらしいよ」

「なるほど、こういうことも出来るのね…。進んでるなぁ。趣味悪いけど」

 それからかけるはさまざまな映像を試した。死ぬまでに見たい絶景、有名なテーマパーク、ヘリコプターからの景気、お菓子の城。10歳以上の国民を対象にアンケートを募り、その結果を反映したと聞いている。それぞれの希望に応じた、様々な景色映像プレイリストが揃っている。

「これ、物を動かしたり出来るの?」

「うん。さっき生き物を配置した時と同じ要領で出来るよ」

 かけるはそれから様々な物を操作し始めた。映像別にユーザーが干渉できる範囲には差異があるけれど、大体のプレイリストでは物を投げたり、壊したりすることが出来る。

 かけるを驚かしてやろうと、いたずら心で勝手にプレイリストを選択する。唐突に身体が浮かび上がるのを感じた。

「うわっ!」

「空中浮遊のフィールド。国際宇宙センターが開発したプログラムだよ。浮遊してるように感じるでしょう?」

「うん、凄い…。自由に動くことも出来るの?」

「それは流石に難しいかな。設備が整っていれば可能らしいけど」

「そっか。でも、凄いな。私の時代とはVR内に干渉出来るレベルが全然違う。コントローラーを用いたVR技術に限界があることは知っていたけど」

「通信が強化されて、VR技術が発展したらしいよ。目的はラブルそのもののネットワーク強化だったけど」

「なるほど!」

 かけるはしばらく空中浮遊フィールドから離れようとしなかった。一方の私は内心退屈に感じ始めていた。

「楽しい?」

「うん。相原さんは楽しくないの?」

「あ、いや、そういうわけじゃ無いけど。私は全部一度試したこともあるから、そこまで目新しさはないかな」

「そっか。そう考えると、私得してるかも」

「得?」

「新鮮なことだらけ。全然飽きないもん。ずっとこうしてたい」

 そうか、と思った。私がしょうこやかおるのような熱量で、体育祭に没頭出来ない理由がわかった気がした。飽きだ。私はきっと、日常に飽きてしまっているのだ。

 記憶を失って、また一からこの技術に触れればきっと私にもこんな顔が出来るのかもしれない。そう思った途端、かけるのことが心底羨ましいと思った。

 雪原のフィールドに変わった。季節外れの雪の映像に、思わず身体が震えてしまうような気持ちになる。

「相原さん」

「うわっ!」

かけるが投げた雪玉が私の身体にぶつかり、地面に落ちる。

「雪合戦も出来る。すごい!」

 そのまま何度も雪玉を作り、遠投で遊ぶかける。私はそのかけるの姿に、幼い頃の自分を重ねていた。まだ景色映像の普及する前、雪の降る街でお母さんと雪合戦をしたことがあった。指先が痛くなるのも構わずに雪玉を作り続けた。随分と昔のことのように感じる。

「ほらっ、投げ返してみなさいよ!」

 そう言って私に向かって放られた雪玉は、スポッと私の手に収まる。実態のないはずなのに、触り続けていられないような冷たさを感じた。私はその玉をかけるに向かって投げる。かけるの元へ届かず、少し手前で地面に落下した。

「ねぇねぇ、もっと面白いこと、出来ない?」かけるは白い息を吐きながら言った。

「リアルな体験がしたいなら、おすすめのソフトがある。まだ開発途中のプロトタイプだけど」

 かけるが目を輝かせた。

「やる?」

「やりたい!」

 ラブルを操作し、自宅サーバへアクセスする。そのうちのベータ版フォルダからデータを取得し、かけるが装着しているラブルへと転送した。

「これはメモリリークと呼ばれるソフトウェア」

「メモリアルリーク?」

「過去の記憶の疑似体験ソフト。百聞は一見にしかず。試してみて。今はまだプロトタイプだから、二人同時参加は難しいんだ」

 簡単な操作方法を伝えて、彼女がメモリリークを起動する。

 このソフトは外部の干渉を受けない設計の為、かけるの見ている様子は私からは見えなくなる。

 それから、かけるは何も言わなくなった。さっきまであれほどはしゃいでいた彼女が唐突に黙ったせいで、不思議な沈黙が流れる。 

今彼女が見ているのは、彼女自身が見たいと望む過去の記憶だ。かつて経験した記憶を脳からデータとして取得し、直接脳への刺激を与えることで、それらを擬似的に再体験させる。先程までとは違って映像ではないので、物に触れたり、匂いを感じたり、音を聴くことも出来る。

 記憶が曖昧であればあるほど、擬似体験もその精度は下がる。記憶は時間経過と共に薄れゆくものだ。最近の記憶であればあるほど、より鮮明に体験を楽しむことが出来る。

「ありがとう」

「え、もういいの?」

「すごいねこれ、あまりにリアルでびっくりした。記憶の擬似体験ソフト?」

「うん。法整備に時間がかかってて、商品化はまだ難しいみたい」

「へぇ」

 かけるがログアウトしたことを確認した後、メモリリークのログを消去する。わざわざ使用するたびにログを消去するのは、父にこのソフトを使用したことを、知られたくないから。




[第四章]

 映像を再び切り替える。そこは私の通うスクールの一室だった。

「話をするのには、こういう部屋の方がいいかな」

「うん、この方が私は落ち着く」

「それじゃあ話をしようか」

「聞きたいことは沢山あるのだけど、どこから聞けばいいか…」

「なんでも話すよ。相原さんが気になるところから」

「かけるは、他のコロニーから来たの?」

「ノー」

「じゃあ、どうして追われているの?もしかして何か犯罪を犯したとか?」

「それもノー。私は犯罪者じゃない」

「それならどうして追われているの?」

 かけるはすぅっと息を吸ってから答えた。

「私、過去から来たの」

「過去?」

「うん。正確には二十年前」

「そっか」

「え?」

「え?」

「あ、いやもっと驚くかと思ってたから」

「むしろ合点がいったよ」

 もちろん驚かなかった訳ではなかった。しかし薄々気づいていたことだった。かけるはこのコロニー、というよりもこの時代に関する知識が無さすぎる。初めのうちは外部コロニーからの来訪者かとも考えたが、どうやらそうではないらしい。

「2050年って、タイムマシン開発の全盛期でしょう?結局、コストがかかりすぎることと、安全性が保証出来ないって理由で中止になったって聞いてたけど」

「そうなんだ、結局商用では実現しないんだね」

「じゃあ、その開発のテスターがかけるってこと?」

「うん、まぁそんなところ」

「テスターって、優秀な人しかなれないんでしょう?凄いじゃん!」

 スクール一期生の将来の夢を聞けば、多くがエンジニアかテスターと答える。給料がよく、おまけに最先端の技術に携われるからだ。彼女のような若い少女が選ばれるような職業ではなかったはずだ。

「別に凄くないよ。単なる人柱だよ」

「てことは、実は年齢もサバ読んでた?」

「いや、本当に相原さんと同じ歳だよ。まぁ、2050年時点では、だけど」

「相原さん、じゃなくていいよ。うららって読んで」

「…人のことを下の名前で呼ぶのは慣れない。そのうちね」

「私にはかけるって呼ばせておいて?」

「共野さん、って冗長で嫌いなの」

 かけるは無理やり話をもとに戻す。

「ということで、私は過去からのタイムトラベラーです」

「でも、どうしても話が繋がらないよ。どうして追われているの?あ、ラブルに戸籍登録されていないから、ネットワーク上で不整合が発生したとか?」

「いや、本来なら私の戸籍登録も済んでいるはずなんだ」

「時代を超えた人間の戸籍登録なんて可能なの?」

「私の先に事前にこの時代に飛んだ先輩がいて、その人がこの時代のお偉いさんと契約を結んでくれていたの。タイムストラベラーが一時的に滞在出来るように密かに法整備を進めるようにね。このスマホさえ持っていれば、それが身分証明代わりになると聞いていた。でも、どうやら不手際があったらしい」

「なら、警備システムのエラーとか?」

「それも考えにくい。先輩から聞いたよ。この時代のシステムは、ほとんどエラーが発生しないんでしょ?」

 確かにその通りである。ラブルが運用を開始してから、一度もエラーやバグの類は発表されていない。回帰的な試験用プログラムが仕組まれている為、人が手を加えなくても勝手に自分で不具合を治してくれるようになっている。

「ま、事実が公表されていないだけかもしれないけど」

「どういうこと?」

「私たちが知らないだけで、バグは存在するかもしれないってこと。とにかく、その情報が信頼できるものだったとした場合、やっぱり私が追われる理由にはならない。つまり…」

「何者かが意図的にかけるを捕まえようとしている」

「うん。私がいることで、何か不都合があるのかもしれない」

 ここまで話をしたところで、ふぅっと息が漏れ出た。

「私は安心したよ」

「なにが?」

「かける、やっぱり犯罪者じゃなかった。悪いことをしたから追われてるってわけじゃないんだね!」

「どうして信じてくれるの?」

「え?」

「私からこんなことを言うのもおかしな話だけど、私がもし犯罪者だったらとか考えなかった?それなのに家に匿ったり、助けたり」

「んー、困ってたから助けないわけにもいかなかったし。もちろん、その可能性も考えていたけど」

「けど?」

「ま、なんとかなるでしょ!って思ってた」

 簡単に信じられるは無いではないことはわかっている。だが、かけるが困っていることは事実だし、なにより彼女には頼れる宛がないことがわかった。誰だって、手を差し伸べずにはいられないだろう。

「…」

「それで、これからどうしようか。滞在期間はいつまでなの?」

「ある程度コントロール出来るけど、最大1ヶ月。もし途中で元の時代に戻りたくなった場合には、戻ろうと思えばいつでも戻れる」

「なんだ。だったら不都合な時にいつでも戻っちゃえばいいじゃん」

「それが、ログアウトボタンが表示されないんだ。この機能も上手く動作しない可能性がある」

「そっか」

「とにかくイレギュラーな事態ばかり起きているから、油断出来ない。それに一度戻ってしまうと、もう二度とここに来ることが出来なくなる。それじゃあここに来た意味がない」

「じゃあかけるはいつまでこの時代に居続けるつもりなの?」

「目的を達成したら戻る」

「目的?」

 家の玄関方面から、扉の開く音がした。

 背筋が伸び、冷や汗をかく。かけるはじっと部屋の扉を見つめる。

「相原さんの他にこの部屋に出入りする人間は?」

「お父さんだけ。でも、お父さんは体育祭を観にスクールにいるはず」

 屋上から観た景色を思い出す。確かに父がグラウンドにいたはずだ。あれから時間が経っているにしても、帰ってくるには早すぎる。

「私が競技に出てないから、不安に思って帰ってきたのかな?」

「ありえるけど、そうじゃない可能性もある」

 微かに聞こえてくる足音はリビングへと向かった。

「私、見てくる」

「大丈夫?」

「うん」

「巻き込んでごめん。何かあったらすぐ合図してね」

 そっと部屋の扉を開けて階段を降り、一階へ向かう。リビングからは何やら袋が擦れる音が聞こえる。

「お父さん!」

 そこに立っていたのは、私の父親だった。



[第五章]

「うらら、ただいま」

 聞き馴染みのある低い声だった。

「もう、びっくりさせないでよ!」

「それはこっちのセリフだ。体育祭はどうした?」

「あ、えっと〜」

「まぁいい。何か理由があるのだろう?だが、俺は悲しかったよ。娘の頑張る姿が見れると期待していたのだが」

「ごめん、それについては後でちゃんと説明するから」

 父は学業に関して、私を叱りつけたことはない。いわゆる放任主義で、特に勉強に関して指示されるようなことは一度もなかったと記憶している。

「でも早かったね。帰ってくるの」

「急用が出来たんだ」

「仕事?」

「あぁ。バグ対応に追われていてね。元々うららの体育祭も、一種目みたら帰るつもりだったし、早めに帰ってくることにしたんだ」

 父の仕事場はこの自宅にある。自宅では集中できないからとオフィスを構える会社員も少なくないようだが、父は基本的に在宅ワークを中心としている。いつも家に居てくれるのは嬉しいが、身なりに気を使わなくなった点はどうにかして欲しいものだ。

「じゃあ、邪魔しない方がいいね」

「あぁ。でも大丈夫だよ。すぐ終わるから」

「わかった。もしよかったらその後に相談に乗ってくれない?」

「相談?」

「実は今困ってることがあってね」

 どのタイミングでどう切り出すべきか迷っていた。体育祭を抜け出した理由、今かけるをこの家に匿っていることをすぐにでも説明したかった。

 もしかけるが追われる理由がシステムのエラーに起因するものなら、何かその理由を知っているかもしれない。私とかけるの二人の知識で解決出来るレベルの問題ではない。ならば大人を巻き込んで、これからのことを考えるべきだと思った。

 床を短いリズムで叩いたような音が背後から聞こえる。それが誰かの足音だということに気がつくまで数秒かかった。

 振り向いた先にはかけるがいた。かけるは怒りの表情を浮かべていた。

 私が第三者に相談しようとしたことに、怒っているのだろうか。

「ご、ごめん」

 かけるの勢いに思わず身を固める。

 瞬間、私の視界からかけるがいなくなる。

 低いうめき声。

 金属同士がぶつかる音。

 静寂。

 父の背中から何かが飛び出しているのが見えた。

 鋭利な銀色。

 鮮やかな赤色。

 威嚇するかけるの表情は変わらない。

 父の顔は見えない。

 みるみる服の色が赤く染まる。

 それが血液だとわかったと同時に、私は再び意識を失った。

 







【第六章】

うららがその場に倒れ込むのを確認した後に、もう三度、四度とナイフを突き立てる。

五度目には、彼の手がナイフの刃を素手で掴んだ。

「挨拶もなしに襲いかかるか。とんでもない友人を連れてきたな」

かけるはナイフを奪い返そうと右手に力を入れるが、びくとも動かない。

「うぁああああ!」

もう一方の手に忍ばせていたナイフの刃先を向けるも、足蹴を喰らい手放してしまった。

かけるはもう、これ以上の武器を持ち合わせていない。

「はぁっ…はぁっ…」

「まさかここまで野蛮とはな」

うららの父はこめかみ部分をタップし、何やら言葉をつぶやいた。

玄関ドアが開き、巡回ロボが次々に部屋へと飛び込んでくる。先ほどまでかけるとうららを追いかけていた物と同じ機体だった。

「やっぱりあんただったんだ。相原智也」

「君を合法的に捉える為に、自宅のプライベートモードを一時的に解除したかった。それには面倒な手順が必要でね。どうしても一度現地に赴く必要があった」

 うららの父、智也は自分の血液で赤く染まった顔を、キッチンの水道水で洗いながす。

「そういう面倒なプログラムを組んだのもあんただろ?」

「あぁ。私は人々の生活の安全と快適を作り出すのが仕事だからね。多少手間がかかっても、セキュリティを高めるには仕方の無い仕様なんだ」

「口ばっかり」

「そんなことないさ。現にこうして、君のような不法侵入者を逮捕出来る。で?君は誰だ?」

「…」

「私のことを知っているような口ぶりだったな。まぁ、恨まれる人物に思い当たる節がないわけではない。私が死ぬことで、株で儲ける輩もいるだろう。だが、どうしても特定できない」

「どのデータベースにも名前が存在しない。いや、存在こそするが、人為的な詐称の跡がある。まるで何かを隠しているようだ」

 先輩が契約を結んだ戸籍データ。誰にも不自然に思われないような細工が施されていると聞いていた。

「私は別に、君に危害を加えにきたのではない。ただ、何者かを知りたかった」

「嘘だ」

「本当だ。私の作ったラブルシステムの包囲網をくぐり抜けた人間はかつていない」

「私を追跡させたのはあんただ!」

「ただ拘束したかっただけだ。その後どうこうするつもりはない」

 血の匂いが漂う。確かに何度も刺したはずなのに、智也は痛がる様子さえみせない。

「いいかい?立場を履き違えないでくれ。私は現状、被害者だ。殺されそうになって、自分の身を守ろうとするのは当然だろう?」

 巡回ロボは智也の指示を待っている。

「共野凛子を覚えているか?」

「共野凛子?」

 少し考えるそぶりを見せる智也。

「あぁ、懐かしい名前だね。彼女がどうしたんだ」

「私の母親だよ!」

 智也の表情が一瞬鈍る。そして目を見開き、俯き、一人で思考を始めた。

「彼女の娘…?いや、それはありえない。彼女は既に…」

「私の母は2050年7月10日に死んだ!」

 言葉が止まらない。頭に血がのぼるのを感じる。

「母は自殺したんだ!」

「…」

「私の目の前で死んでたんだ!想像できるか!?」

 浴室で母さんが項垂れている姿を思い出す。浴槽の水は、まるで母さんの体内の血を全て吸い取ったみたいに真っ赤だった。

「母さんはあんたのせいで死んだ!お母さんが…」

「どういうことだ?辻褄が合わない。彼女の娘が君ほど若いはずがない。今年で少なくとも30代には…。いや、わかったぞ。”未来トラベルプロジェクト”か。」

智也には、私の言葉が耳に入っていないように見えた。ボソボソと、智也は話を続けた。

「そのダサい名前が嫌いだった。それにプロジェクト自体もイケてない。人間を身体ごと未来へ送るなんて、私の思想には合わなかった。未来トラベルプロジェクトは試験に失敗し、商用リリースを中止したと聞いているが」

「そうよ。私はそのテスターだ」

「共野氏の娘。そうか、そういうことか。未来へ人間の身体を送る。実験そのものは、成功していたのだな」

「このプロジェクトはなぁ!母さん達の努力の結晶なんだよ!母さんが死んだ後、残りのメンバーが秘密裏に開発を続けたんだ」

 智也の姿は、写真で見ていたものと一切変わらない姿だった。それが私の怒りを余計に増大させた。

「あんたが手を貸せば、母さんは死ななくて済んだ!情報を明け渡せば、犠牲者は出なかった!」

「そうかな。私が何をどうしようと、あの事故は防げなかったと思う。いずれああなることは想像がついていた」

「想像がついていたなら何故、プロジェクトから逃げたの!?」

「だからさっきも言っただろう?私の思想には合わな…」

「そんな理由で見殺しにしたのか!!!」

 呼吸が荒くなる。

 どわっと涙が溢れる。

 視界が滲む。

 静寂が余計に、私の泣きそうになる感情を増大させた。母を失った初めての夜と同じだ。

「不可逆理論を知っているかい?人間は未来へ進むことは出来ても、過去へ戻ることは出来ない生き物だ。それはこれまでも、これからも変わらない真理だとされている。」

「…」

「いわゆるタイムパラドックスが発生するからだ。過去に干渉すれば、現在が変わってしまう。現在への干渉は、事実の書き換え。そこに歪みが生じる」

「知っている。だから母さん達は未来トラベルプロジェクトを発足したんだ。未来なら自由な行き来が出来るかもしれない。可能性があるかもしれないって、期待してた」

「結果、人間に未来は変えられることがわかった。しかし、過去は変えられない」

 口調を乱すことなく、智也は淡々と語った。

「過去は変えられないんだ。絶対に」

「だから私はこうして未来に来て」

「私に復讐を、か?」

 智也がこちらに近づいてくる。私は身構えようとするが、身体が震えてしまい上手く動けない。手を伸ばせば届きそうな距離になる。

「すっきりしたか?私のことを刺して」

「…」

「それで満足するなら、私の身体はいくらでもサンドバッグにしてくれて構わない。身体の各種パーツを人造化した今の私は、痛みを感じない」

「なに!?」

「この血液もまた外部から取り込めば問題ない。血液がなくとも私の身体はしばらく動き続けるんだ」

 衣服に付着した血液は既に乾燥していのか、先ほどまでの赤黒さを感じない。

 私は絶望を覚えた。相原智也は殺すことが出来ない。

「人間は限りなく不死に近づいている。かつてフィクションとされていたことの大体は、実現に向かっている。それでも人間は、自在に時間を操ることだけが出来ない。そう、今はね」

「今は?」

「君も試したのだろう?メモリアルリークを。あれは私が開発した過去へのタイムマシンだ」

「矛盾している、さっきまで出来ないと言っていた!」

「あぁ。”人間の存在そのものを過去に飛ばすこと”は出来ない。しかし、意識を飛ばすことは可能だ」

「意識?」

「記憶、と言った方がいいかもしれないね。人間の脳内で、過去の経験をフラッシュバックさせる。意識に直接訴えかけることで、タイムスリップの実現が可能なのだ。記憶の明度が高ければ高いほど、その体験はより一層リアリティを増す。それは必ずしも現在から近い記憶である必要はない。長期記憶に強く印象づけられていれば良い」

 私が先ほど三階で、メモリアルリークを通じてみた映像を思い出す。

 それは、母との幸せな時間だった。桜の散り際の季節、私は母と公園に花見をしていた。まだ少し肌寒いねと話しながら、母が作ったおにぎりを食べた。その味や、母の姿はあまりにもリアルだった。

「自由に過去へ行き来が出来る。これは過去へのタイムスリップと同義だ」

「でも母さんはいない!それは現実じゃない、虚像に過ぎない!」

「目にしているものこそが現実だ」

「母さんはいない!いない!いなくなったんだ!」

「故人にだって、好きな時に会えるようになる。バッテリー技術が向上すれば、メモリリークの常時接続が可能になる。そうすれば、過去はやり直すことが出来るようになる」

 あのソフトを通じて触れた母の肌は柔らかかった。しかしそれは私の脳が記憶した母の情報に過ぎない。情報を脳へ伝達し、母に触れたかのような知覚刺激を身体に与える。原理はわかっていても、一瞬、母が生きているかのように錯覚した。

「夢は現実になり得ない!母はもういない」

「夢か現実かなど、どうでもよい」

 智也は相変わらず表情をかえずに、淡々と話を続けた。

「古い人間はハードに捉われすぎだ。わざわざ身体を過去に飛ばす必要なんてない」

「お母さんを侮辱するな!」

 お母さんは研究を愛していた。文字通り未来を夢見て、研究を重ねた。仲間とその話をしている時の母は、いつも真剣で、楽しそうだった。

「君もいつか理解できる日が来る。大切な人を失った者同士ね」

「一体どういう意味?」

 瞬間、頬のあたりに強い風を感じた。

 気がついた時には、智也が背後に立っていた。あまりの速さに反応出来なかった。

 かけるの服を掴む。身体がグッと上に持ち上がるのを感じる。

「…っ…ぐっ」

 服の袖のあたりが捲れる。そこから銀色の腕がのぞいた。

 首の辺りが詰まって、呼吸がうまくできない。

「や…めろ…」

「申し訳ないけど、君という存在はここで消しておく必要がありそうだ。未来トラベルプロジェクトが実証していたとなれば、過去の自分に色々と面倒がかかるだろう。それこそ、タイムパラドックスが発生するかもしれない。あるいは君の死が、プロジェクトを頓挫した理由になったのかもしれない」

 お母さん…と口に出してみる。その言葉は声にならない。

 私が困った時、助けてくれるのはいつもお母さんだった。だけど、母はもういない。

 息が詰まり、酸素が頭に回らなくなる。

 全身から力が抜け落ちていく。

 これで終わりなのだ。

 でも、終わってしまえばいいとも思った。

 この男への恨みも、また母と会いたいという願望も、無くなってしまえばいい。

 そうすれば、きっと楽になれる。

「お父さん、何をしているの?」

 目を覚ましたうららが、目を見開きながらこの状況を眺めている。

 首をつかむ智也の力が弱まった。

 宙に浮かぶ脚に力を込め、全力であいつの腹部を蹴る。大した衝撃は与えられなかったものの、奴の手から逃れるには十分だった。

 智也がこめかみの辺りに手を当てる。おそらく巡回ロボットを操作し、私を捕まえるつもりだ。周りを見渡すも、私に残された道はほとんど残されていなかった。

 転がっていたナイフを拾う。逆の手でうららの手首を掴んだ。

「いたっ!」

「動くな」

 誰も動かない。うららの目には困惑、恐怖が浮かんでいる。

 校舎で名前を聞いたあの瞬間から、私はきっといつかこうなる予感がしていた。出来れば巻き込みたく無かった。自身の安全を投げ打って、彼女は私を助けてくれた。未来にも楽しいことがあって、希望があると教えてくれた。久しぶりに女子高生らしい時間を過ごせたと思った。

 私はその恩人に対し、ナイフを向けている。

 それ以外、ここから逃げる方法が思いつかなかった。

 


[第七章]

 状況が理解出来ていないまま、私はうららにナイフを向けられている。

 恐怖よりも、「何が起きたのか」という困惑の方が強い。

 父は血で真っ赤に染まった服を着て、こっちを見つめている。

「うららを離しなさい」

 それでいて苦しそうな様子を一切見せない父の姿は、明らかに異様だった。

「だったら直ぐにこの巡回ロボットを解散させて」

「はぁ。わかった」

 父が何やら合図を出したと同時に、周りに並んでいた巡回ロボットのランプ色が赤から青へと変わり、順番に家から飛び出していった。

「どうしてお父さんが操れるの?」

「私が作ったプログラムだからね。そのくらいの権限は持っているよ」

「私、全然わからない。どういうことか説明してよ。ねぇ、かける」

「うるさい!」

 まるで別人のようだった。かけるは、髪は乱れ、顔がぐしゃぐしゃに濡れている。彼女は泣いていたのだろうか。

「君がそのまますぐに逃げようとしない理由はわかっているよ。葛藤しているのだろう?うららをそのまま人質として連れて行くか、あるいはここに置いて行くべきか」

 人質、と父は言った。

「人質にとるなら、それは悪手だ。人が増えるほど、逃走ルートが制限される。それとも、もう逃げることは諦めたのかな?」

「うるさい…うるさいうるさいうるさい!」

 私を掴む手に力が入る。そして小刻みに震えている。どうみたって、刃物を向けている立場の人間とは思えない怯えようだと思った。

「共野さん?大丈夫?」

「…」

「私何が起きているのかもよくわからないし、正直、怖くて仕方がないけど。でもね、もし私にも出来ることがあるなら言ってね」

「ごめん。ごめんなさい」

「いいよ、謝らなくて」

 うららはお父さんの方を向いて言った。

「お父さん、共野さんを助けてあげられないの?」

「それは無理だ」

「どうして?」

「彼女は犯罪者だ。私の殺害を企て実行した。そして、お前を人質にして逃走を試みようとしている。こんな大罪を見過ごすわけにはいかない」

「他に理由があるんじゃないの?

「それは後で説明する」

「それじゃあ納得できないよ」

「納得する必要はない。お父さんの言う通りにしてくれればいい」

 父はいつだって論理的な回答をする人だった。時間がない時ほど、私が納得するように説明をしてくれる。いつだって後回しにするようなことは無かったはずだ。

「私には、共野さんが理由もなくそんなことをする人だと思えない」

「会ったばかりで、わかるはずがないだろう?頼む、わがままを言わないでくれ」

「嫌だ」

「何故?」

「共野さんが困ってるから。私は困っている人を助けたい」

「…」

「お父さん、いつも言ってたでしょ?」

「逃げられたとして、その後どうするつもりだ?」

「それはそうなってから考えるよ」

「やっぱりお前は母さんに似てるよ。感情に任せて判断するところが」

 このタイミングしかないと思った。

 うららが持っているナイフを叩き落とし、その手首を掴む。呆気に取られたうららを引っ張り、そのまま玄関口へと向かった。

 お父さんが私に直接危害を加えることがないはずだ。信用することにしたのだ。かけるのも。お父さんも。

 裸足のまま道に飛び出し、交差点を右に曲がる。父の視界から外れたところで、ラブルの位置情報がバレていることはわかっていた。今はとにかく距離を稼ぐ他に、考えはなかった。

「共野さん!かける!!」

「…」

「しっかりして!協力して逃げる方法を考えるの!」

「どうして?」

「落ち着いたらちゃんと説明してよね。何があったのか」

「もういい」

 かけるが脚を止める。

「目的は達成失敗。不可能なことがわかった。それに、これ以上誰も巻き込みたくない」

「そんなことを言ってる場合じゃないでしょ!今はただ逃げることだけを考えて」

「無理だよ。どうせ無理だ。私には出来ない」

 気づいた時には、かけるの頬に平手打ちを喰らわせていた。虚をつかれたようなかけるがよろけた。

「いい加減にして。巻き込まない、じゃないでしょ。私はもう巻き込まれてるの。だから今度は私を助ける番。下ばかり向いてないで、前を見て!」

 再び無理矢理かけるの手をひく。先ほどまでの抵抗は感じなくなった。

 どこに向かうでもなく、ただ走り続けた。なるべくこれまでに通ったことのない、入り組んだ道を選んだ。

 だが走れば走るほどに、ここがラブル管理下にあるコロニーであることを考えずにはいられない。

 かけるの持つスマホの機能で、私達の存在はラブル上では把握されない。しかし、これまでとは少し条件が異なる。かけるの姿が父にバレたこと、そして私がかけるの協力者になったことで、私達を特定するための条件が増えた。この場所がバレるのも時間の問題だ。

「くそっ、自動運転車が止まってくれない。向こうに渡りたいのに」

 通常、国民が道路を横断したいときはシステムが自動判断し、自動運転車が道を譲るように動く。しかし、今の私達はシステムから国民として判断されていない。

「どこへ向かうの?」

「わからない、けどとにかく遠くへいってみよう。何かあるかもしれない」

「他のコロニーに行くことは出来ない?」

「それは危険だと思う。簡単に出入り出来る訳ではないからね。正直、今の私達を受け入れてくれるコロニーがあるとは思えない。そもそも、関税を払わないと、向こうには入れてくれない」

 うららもその可能性を考えなかったわけではないが、リスクが大きい。コロニー毎に自治体制が異なる上に、無許可でのコロニー間の行き来は推奨されていない。法律や文化そのものが全く異なる為、事前に研修を受ける必要があると聞いたことがある。そもそも移住目的以外に、他のコロニーを訪れる人はいない。


 状況が芳しくない。誰にも頼れない状況下で、このまま逃げ続けるのは明らかに分が悪い。それでもただ、遠くへとただ歩き続けた。

 向かい側の道でサイレンがなっている。続いて赤色の照明が見えた。

「まずい、バレた!」

 振り返り、全力で走り出す。もうこれ以上走れる自信がない。どうせなら体育の授業、もう少し真剣に取り組んでいればよかったと反省する。今時運動なんて年寄りの娯楽だとばかり思っていたけれど、認識を改める。

 前までの巡回ロボットよりも速度が高い。何がなんでも私たちを捕まえたい、ということだろうか。あるいは、ここのような道幅の広い道路ではリミッターが解除されるのだろうか。いずれにせよ、あそ数秒で追い付かれることは明らかだった。

「ちくしょう!」

 かけるがスマホを巡回ロボットへと向ける。しかし、ロボットはスピードを緩めない。

「まずい、プログラムが効かない!」

 かけるの言葉を遮るように、ドスンと衝撃音がなった。ロボットが急旋回し、壁へと突撃する。

 その後ろから複数台、次々に衝突していく。衝撃で故障したのか、全ての巡回ロボットの赤い照明が消えた。

「よぉ」

 声をかけてきた青年は、綺麗な水色の目をしていた。





[第八章]

「だっせぇな。ノロマ。あんなの大したことねぇだろうが」

 見た目からは想像もつかないような悪口が次々と飛び出す。人を見た目で判断しているわけではないが、ここまでギャップがあると流石に驚かずにはいられなかった。

「た、助けてくれたの?」

「うっせぇよ、誰が助けるか。こっちだってリスクがあんだよ。ただ、見ていられなかっただけだっての。なぁ、かける」

「…うるさい」

「もしかして、あなたも未来から?」

「あ?なんでだ?」

「だって、共野さんの名前を知ってるから」

「おぉ!あんたは察しがいいな!そうだよ、俺は未来から来た。タツマと呼んでくれ」

 未来から来たことを自分の出身地のように言われると、調子が狂ってしまう。

「いちいち説明すんのめんどくさいからな。話す手間が省けて楽チンだ」

「でもどうやって巡回ロボットを止めたの?かけると同じ方法?」

「俺はそんなおハイテクな機器には頼らねぇ。信じられるのは自分だけだ」

「じゃあどうやって?」

「石を投げた」

「は?」

「ロボットの脚のあたりに石を投げたんだよ!左脚壊しゃ、左にズレんだろ?それだけだよ」

 あの距離から時速30kmで動く物体の脚を目掛けて石を投げた。当てるだけでも考えられないのに、5体ものロボットを次々と破壊したという事実が衝撃だった。

「機械に頼ってばかりじゃ、ダメになっちまうだろ。自分の身は自分で守らなくちゃ。な、かけるぅ?」

 タツマの問いかけに、かけるは一切答えない。目を合わせず、面倒くさそうな表情を浮かべている。

「おいおい、かける。助けてくれてありがとうって言えよ」

「うっせぇバカ」

「あ?バカって言った方がバカだからな!」

「あーもう、うるさい!今疲れてるの!」

「たく、助けてやったってのによ」

 まるで痴話喧嘩だと思った。

「何笑ってるんだ?あんた」

「私のことはうららって呼んで。かけるにもこんな友達がいたんだね」

「友達じゃない!」「こんな、とは何だ!」

 示し合わせたかのように同じタイミングで発言する。二人はやっぱり仲が良い。

「とにかく、ここは何かと都合が悪い。移動すっぞ」

「でもどこへ?」

「俺もこの時代に協力者がいるんだ。うらら、お前みたいなお人好しだ」

「お、お人好し?」

「未来から来た得体のしれない奴と行動してるんだろ?そんなの物好きか、お人好しに決まってんだろ」

 タツマは言い切らないうちに、走りだした。

「ちょっと待って、ごめん、私達もう限界」

「あ?貧弱だな。ほんっとに。ほら、乗れ」

「えぇええ!?」

 私は仮にも女子学生だ。初めて会った男の子におぶられることを、恥じらう程度の羞恥心はある。

「大丈夫。こいつこう見えて運動神経だけは抜群だから。途中で落とされたりすることはないよ」

「いや、そういう問題じゃないんだけど」

「ほら、早くしろ」

「よっこらせ」

 かけるは迷う事なく、タツマの背中に飛び乗った。両足はタツマの左腕に抱えられ、かけるの腕はタツマの首にまわされている。お姫様抱っこの横版、とでも表現すればよいだろうか。

「大丈夫、タツマは二人乗りOKだから」

「えぇぇぇ!?」

「自転車みたいな言い方すんじゃねぇ。それにてめぇ重いんだよ」

「ぶん殴ってやろうか」

「やってみろよ」

 そういう間にも、かけるの両足がタツマの左腕に抱えられている。そして私がこれに乗るとなると、右腕に私の全体重がかかることになる。

 かけるに促されるがままに、タツマの首に手を回し、右腕に両足を任せる。いくら女性とはいえ、二人分の体重がかかっているはず。それにも関わらず、タツマの安定感は崩れることがない。首は苦しくないのだろうか?

「よしっ、行くか!」

「大丈夫?少し顔赤くない?」

「だ、大丈夫だからっ!気にしないで!」

 タツマはそのまま走り出した。決して早くはないものの、安心感があった。

 時折通行人から不審な目で見られることがあり、これでは巡回ロボットに関係なく、通報されてしまうのではないかと心配になった。

 連れて行かれた先には、とある一軒家だった。集合住宅で、築年数は恐らくかなり経っている。二階に登る際に、階段がぎしぎしと音をたてていた。

 タツマはここの住人から預かっている物理的な鍵を使って、部屋のドアを開けた。いまだに自宅のセキュリティを鍵で管理している人がいることに驚いた。

「ほら、入れよ。あいつ、まだ帰ってきてないみたいだから。気にせずゆっくりしてけよ」

「あいつ?」

「この家の家主だ。こっちに来てからお世話になってんだ。うららと同じお人好しだよ。ほら、かける。服脱げ」

「はぁ!?」

「血、ついてんだろ。脱げ、おら。俺の服貸してやる」

「バカじゃないの!こんなところで脱げるわけないでしょ!?」

「幼馴染だろうがよ。お前の裸くれぇ、昔から散々」

 それ以上タツマが言葉を口にすることはなかった。結局かけるが着替えてる間、タツマは部屋から出て行った。殴られた頬のあたりがぷっくりと膨らんでいる。

「で、何があった?」

 私とかけるで、ここに至るまでの経緯を説明した。スクールから追われていたこと。そして、私の自宅で起きたこと。かけると父のやり取りについて話を始めたあたりで、かけるがタツマに退席を促した。

「…ごめん、タツマ。二人にしてくれる?」

「は?どーして俺が出て行かなくちゃいけないんだよ」

「お願い」

「はぁ、わかったよ」

 二人きりになる。しばらくの間無言が続く。どこから聞いていいのかがわからず、静かに時間が流れる。

 初めに口を開いたのはかけるだった。かけるの母と、私の父がかつての研究室の同期であったこと。母の死をきっかけに未来を訪れ、父への復習を果たそうとしたことを説明された。その上で、私が気絶している間に起こったことを聞いた。

「未来トラベルプロジェクトには大きな欠陥があったの。そのせいで、母にとって大事な人が現代に戻って来れなくなった。責任を感じたお母さんは、自殺した」

「…」

「当時、相原智也は技術者としての地位を確立していた。彼がチームの一員だった頃は、プロジェクトも滞りなく進んでいたんだけど、ある日、チームが分断した。」

「分断した?」

「うん。方向性の違いで二つのチームに別れたの。母と相原智也は別のチーム員になった」

「…」

「相原智也は、彼しか持ち得ない情報を持っていた。その情報不足が原因で、母チームの試験は失敗した。だから彼がもし、その情報の開示を行なっていれば、仲間は助かっていたのかもしれない。母が死ぬことはなかったかもしれない。そう思うと、憎くて仕方がなかった」

「うん」

「彼ほどの技術者がなぜ、事故の可能性に気づかなかったのかって。気づかないはずがないって思ってた。たられば言っても仕方がないことはわかってるの。相原智也がチームに残っていたとして、思い通りにならない可能性だってある」

 それ以上かけるの言葉が出て来ない。

 私はただ黙って話を聞くことしかできなかった。

「でも、ごめん。私間違ってるよね。私が復讐することは、うららの父を奪う行為だ。わかったつもりでいた。だけど、わかってなかったよ。ごめん、私最低だ。信頼してくれたのに、その気持ちを踏みにじったんだ。私は」

 涙を堪えようとぐっと唇を噛む。しかし、一度流れ出した涙は止まることを知らない。

「ごめんね、怖かったよね」

 背中から流れた父の真っ赤な血を思い出す。父が死んでしまうのではという恐怖が脳に染み付いている。

「本当に、ごめんなさい」 

 しばらくの間、呼吸を忘れてしまっていた。

 沈黙の気まずい間が流れる。

「じゃあ、これからはかけるって呼んでもいい?」

「え?」

「共野さんって、やっぱり呼びにくいよ。何度か呼び捨てにしちゃったし」

 立ち上がり、手を前に差し出す。

「お父さんが死んじゃうかもしれないと思って怖かったよ。それは事実だし、どんな理由があったとしても、それが正当化されることはないと思う」

「うん」

「だけど、かけるも苦しかったんでしょう?寂しかったんでしょう?なら、一人で考えちゃダメだよ。人は一人じゃ生きられないんだから」

「うん」

「次からは相談すること、わかった?」

「ありがとう」

 かけるがようやく私の手を取った。涙なのか汗なのか、かけるの掌は濡れていて、熱っぽかった。



 




[第九章]

 手持ち無沙汰だったからとタツマがコンビニで買ってきたお菓子をつまみながら、私達は話を再開した。タツマのイメージに合わない、健康を意識したような低カロリーなお菓子ばかりが机に並んだ。

「ふむふむ。それで、復讐失敗したと」

「うん」

 私に説明した内容をかけるは繰り返した。

 何度も話したい内容でないはずだが、端折ることなく全てを話した。

「ぷぷぷっ…だっさ」

「ちょっ、タツマ君!?」

「俺だったらもっと上手くやれたはずだ。大体、未来人相手に直接対決挑むとか、ナンセンス過ぎんだろ」

「うっさいな。タツマに関係ないじゃん」

「これは後輩指導だ。俺のが一歳年上なんだよ。文句は言わせねぇ。なんなら今すぐここを追い出してもいいんだぜ?立場を弁えやがれ」

 何か言いたげだが、かけるはすぐに引いてしまう。きっと普段であれば、このドッチボールのようなやりとりが延々と続くのだろう。タツマは少し拍子抜けしたような表情になる。

「わーってるよ俺だって。悔しいし、あいつに一矢報いたい気持ちはある。だが、方法を履き違えんなって話だ。な、うらら」

「あ、うん」

「けど、やっぱ変だな」

「変って?」

「カツヤ先輩から聞いてた話と違う。あ、カツヤ先輩ってのは俺がお世話になっている人な」

「前に話したでしょう?私達タイムトラベラーがこの時代に馴染めるように、根回しをしてくれていた人のこと。私も先輩からは、身の安全は保証されるように話をつけたって聞いてたけど」

「だよな。俺ぁ、襲われたぜ?ロボットが急にこっち向かってきてよ。きっと、どっかの誰かが俺のことを追っかけまわしてんだ。気持ち悪りぃ」

「タツマも?相原智也がマニュアル操作で私を追跡してるのかと思ってたけど、そうじゃないってこと?」

「うーん、その可能性もなくはない」

「でも、お父さんはかけるのことを認識していなかったんでしょ?身元はわからないけれど、別の時代からの来訪者には気づいているっていうことかな?」

「タイムトラベラーがいると何かと都合が悪くなってしまった。だから、とりあえず捕捉して様子をみたい。そんな感じかな」

「てかさっきからタイムトラベラーってなんだ?ふるくせぇ言い方。テスターって呼べ」

「そ、その方が伝わりやすいと思ったのよ!」

「ねぇ、二人以外にもテスターはいるの?」

 二人はお互いの顔を見合わせた。

「少なくとも俺は聞いてねぇな」

「そもそも、あんたがここに来ることも聞いてなかったし。お互いに誰がテスターかはわからないようになってるはずよ」

「なるほど。てことは、二人以外にもテスターがこの時代を訪れてる可能性もあるんだ」

「そーいうこと」

 かけるはしばらくの間、話さなかった。タツマは新しいスナック菓子の袋を開ける。

「これからどうする?」

「まずは今の現状を把握する必要がある。最終目標は過去に戻る方法を取り戻すこと」

「過去に戻る方法?そんなのいつでもスマホ使えば…あれっ?」

 タツマが取り出したスマートフォンは、カケルの色違いだ。

 機器を叩いたり、振ったりしているが、何かのコマンドを起動しようとしているのだろうか。

「ログアウトボタンが消えてるの。自分の好きなタイミングで過去へ戻ることは出来ない」

「まじかよ…困るな、それは」

「1ヶ月をすぎれば自動ログアウトで戻れる仕様らしいけど、それも正常に動作するかどうかわからない」

「思い当たる節は?例えばスマホを落とした衝撃でバカになっちまったとか」

「もしそうだったとして、タツマと私が同時に同じ状態になるとは思えない」

 タツマが肩をすくめて首を横に振る。お手上げだ、とでも言いたそうな表情だ。

「カツヤ先輩がいてくれればなぁ。あの人、優秀だから。テスターはシステムの仕組みについては知らされてない。うららはどうだ?未来人だし、俺達よりも技術に詳しいだろ?」

「あ、いやぁ、私心理学専攻だから。そういう知識はほとんど…」

「くそ、打つ手無しかぁ!」

「あ」

 タツマが徐に立ち上がり、部屋の隅を漁り始めた。タツマが手にしていたのは、一枚の電子タブレットだった。お菓子のカスがついた指をティッシュで拭き取ってから、タブレットを持ち上げる。

「技術書を読むのが趣味とか言ってたな」

「ここの家主?」

「そう。えっと、あれ?どうやって電源つけるんだっけ?」

「持ち主のラブルが近くにないと、電源もつかないはずだよ。ラブルのアカウントに紐づいているから」

「あー、そういうことか。便利なのか不便なのか、わかんねぇな」

「それは?」

 タブレットが置いてあったあたりに、一冊の雑誌が無造作に置かれている。

 雑誌には「Tech Plus」というタイトルが記載されていた。

「有力な研究だけがテーマに扱われる科学雑誌だよ。今時のモダンな技術しか扱わないから、参考になる情報が多いって言われてる」

 今時、紙の雑誌を所有していることに驚いた。最近では電子書籍でも他人への貸し借りが出来る制度が確立されている。ブロックチェーン証明書を発行することで、いわゆる海賊版が市場に流通することを防げるようになったからだ。

 まずはタツマが一通り目を通す。内容が理解出来なかったのか、あるいはめぼしい情報が記載されていなかったのか、すぐにかけるへ手渡した。かけるも目を細めながら丁寧に読み進めている。

「英語はからっきしダメだ。昔から翻訳アプリに頼りっぱなしだったからな」

 有力な技術書であればあるほど、英語で書かれていることが多い。多くのプログラムコードが英語をベースにしていることも理由の一つだが、プログラム技術の権威者が海外に集中しているのが大きい。ラブルシステムも、2年前にアメリカで実用化されたシステムをベースに作られている。幼い頃、父が海外出張を繰り返していた理由はそこにある。

「ラブルのリアルタイム翻訳ソフトを使えば読めるかもしれない」

「今は使用できないよ。基本的にラブルは使用を控えた方がいい。居場所が検知されるのも怖いし」

「ま、リスクを冒してまで読むべき雑誌とも思えないしな」

 かけるが私に雑誌を手渡す。日常会話レベルの英語なら私でも読むことが出来るが、専門用語が出てくると詰まってしまう。

 とあるページにバグ処理についての議論が掲載されていた。バグ発生時にログをどのように表示すべきかという問題である。かつては人間が理解しやすいように人間の言葉に応じたメッセージを表示するものが多かったが、現代ではエラーコードが全国的に統一化されている。わざわざメッセージを表示せずとも、エラーの原因をプログラム自身が把握出来るようになった。それに、どの部分でエラーが発生しているかなど、問題の箇所を把握しやすいというメリットがある。

「そのスマホ、正常動作時と何か違っているところはないの?例えば画面の見た目が違うとか、エラーランプが点滅してるとか」

「んー、今のところ気になるのは、ログアウトボタンが非表示になってることくらいかな」

「そういや、位置情報もバグってるよな。ずっと初期到着地点にピンが刺されたまま動かなくなっちまった」

 その言葉に反応したかけるが、目を見開いた。

「私も同じ。スクールから逃げだした時からネットワークを無効化したままだから、その影響だと思ってたんだけど」

「スクール?」

 タツマとかけるそれぞれのスマホを机の上に並べる。地図アプリらしきものを起動すると、建物や道路がモニタから浮き出るように立体的に表示される。

 両方のスマホは縮尺こそ違えど、道路の形状や表示される施設名などが全く同じだった。そして自分自身の居場所を表す赤いフラッグは、一つの建物を示していた。

 その建物の名前はNo.4スクール。私が通っているスクールだった。

「…No.4スクール。タツマ、あんたもここに到着したの」

「あぁ。でもやっぱおかしいな。テスターはそれぞれ別の場所に転送されるって聞いてたぜ?」

「ここ、私が通っている学校だよ。ここの屋上でかけると会った」

「俺も屋上に転送された。そこから飛び降りたら、さっきのロボットに襲われた。返り討ちにしてやったけどな」

 ふと息を吐くと、部屋が真っ暗になっていたことに気が付く。話をしている間に陽が落ちていたようだ。ラブルに命令を送って電気をつけてもらおうとしたが、今はラブルを無効化していることを思い出した。足元に転がっていた古いタイプのリモコン機器を操作し、部屋の電気を付ける。

「行ってみるしかないんじゃないかな」私は二人に提案した。

「そうだな、結局なんの手がかりもないし」

 タツマはぐっと背伸びをして、大きなあくびをする。何気なしにテレビをつける。今時テレビモニターを使って動画を観る人がいるのか、と思った。この家の家主はレトロ製品マニアなのかもしれない。

 モニターに映し出されていたのは、例の不法放火事件についての報道番組だ。相変わらず犯人は特定されていないようだ。

 続いて映し出された光景に、見覚えを感じた。

「あれ、ここってさっきまで私がいた場所だよね?」

「ほんとだ」

 タツマと出会ったあの場所だった。半壊の巡回ロボットにフォーカスがあたっている。どうやら警察は一連の放火事件と、この巡回ロボットの破壊を関連づけて捜査が進められているようだ。

「これ、まずいんじゃないかな?」

「多少問題になるかなぁ、とは思ったが。ちとやりすぎたかな…」

「あんた、他に何台巡回ロボット壊した?」

「んー、ざっと2、30台は」

「人には危害を加えてないよね?」

 あのロボットがもし通行人にぶつかっていたとしたら、間違いなくただの怪我では済まない。

「…あぁ。その辺りはちゃんとコントロールしたはずだ」

「放火、タツマじゃないよね?」

「な、何言ってんだよ!違うに決まってるだろ!?俺は、他人を巻き込みたくないタイプなんだよ」

 モニタの映像が、バラエティ番組に切り替わる。編集で足された一定トーンの笑い声が部屋中に響く。

 現時点でわかっていないことが多すぎると思った。かけるやタツマのスマホが不調であること、放火事件の犯人と目的、そして、私の父相原智也の過去。これだけ同時に様々なイベントが発生すると、最終的に全て同じ事象に帰結するのではないか、と思わざるを得なかった。

「とりあえず、行ってみるしかないだろ。No.4スクール。ま、明日のことは明日考えようぜ」

 タツマはその場から立ち上がり、襖を開けた。なかから布団を取り出し、三人分丁寧に並べる。私はタツマに促されるまま、この家のシャワールームを借りた。家主に対して失礼ではないかとも思ったが、身についた汚れを落としたいという気持ちが勝った。ここは素直に従うことにした。

 なんだかしばらくぶりのお風呂のように感じた。だけどどれだけ身体を洗い流しても、血に濡れた父の姿を忘れることは出来なかった。






[第十章]

 布団に入って一時間ほどが経過したが、なかなか寝付くことが出来なかった。考えるべきことが沢山ありすぎて、脳が休まらない。メモリ不足のPCになった気分だ。こういう時、人間にも強制シャットアウトの機能あれば楽なのに、と思った。

 誰かが立ち上がった音がする。その音は少し離れた場所に移動し、そこでとまる。私と同様に、まだ寝付けない人がいたのだろうか。

「ねぇ」

 かけるの声がする。私にではなく、タツマに話しかけているようだ。

「なんだ?」

「これからどうするつもり?」

「どうするったって、出来ることは限られてる。全部やる」

「そうだよね」

 盗み聞きしているようで若干の罪悪感を感じたものの、この狭い部屋にいる以上、会話を耳に入れないことは不可能だ。また、話に割り入るべきではないと思った。きっとかけるはタツマと二人きりで話せるタイミングを伺っていたのだろう。

「相原智也は死なない」

 父の名前が話題に上がるたび、背筋が伸びる。

 どういう表情をすればいいかわからなくなる。

「詳しくはわからないけれど、多分身体のほとんどのパーツが人造化している。生身の人間とは比較にならないくらい強固だし、いつだってパーツの取り替えがきくらしい。正直、人造人間化が実現するのはまだまだ先の話だと思ってたし、今でも信じられないけど」

「人造人間だからて、死なないわけじゃないだろ」

「多分臓器も手を加えてる。だから普通の人間を相手にするのとは訳が違う」

「なんだよ、失敗して怖気付いたのか?ざまぁねぇ」

「…だから復讐なんてやめない?」

「は?」

「私どこかでわかってたんだ。こんなことしたって、なんの意味もないって」

 開けっ放しの窓から風が流れ込む。

 夜の冷風に思わず体が震えてしまいそうだ。

「意味がないだと?」

「うん」

「お前がそれを言うのは違うんじゃねぇか?なぁ?」

「ごめん」

「俺だって、おばさんにはお世話になったんだ。両親がいない俺に初めて声をかけてくれたのは、あの人だ。他の大人達にだって助けてもらったが、おばさんには格別に感謝してる」

 かけるの母がどれだけ慕われているのかがわかる。それと同時に、私のお父さんに対する怒りの感情も、嫌というほど伝わった。二人が話す相原智也と、私の父の人物像がなかなか交わらない。

「ぶっ殺さないと気がすまねぇ」

「でも…」

「わかってるよ、お前が言いたいことは。うららだろ?」

 唐突に名前が呼ばれ、汗が一滴流れ落ちる。

「だから前に言っただろ?絶対にこっちの人間と関わるなって。情が湧いちまうと、目的がぶれるんだよ!」

 タツマが頭を掻きむしる。

「あーもう、わーってるよ。うららと関わっちまった以上、そう簡単にいかないことはな。だが、俺は絶対にブレねぇよ。うららは俺の友達だ。だが、相原智也は殺す。それとこれとは別の話だ」

 何と言えばいいのか私にはわからなかった。私はただ黙って、布団に潜っていた。

 お父さんを失いたくないという願望も、私の存在が二人の迷惑になっていることへの謝罪も、この場で口に出すことは憚られた。

 父が過去に何をしたのか、私にはわからない。だけど、殺したいと思われるほどの何かをしたことは事実なのだろう。

「相原智也に言われたの。私を刺してすっきりしたか?って。私、あの男を殺せば何かが変わると思っていた。だけど、そうじゃなかった」

 かけるが私を人質にとった時の、怯えたような顔を思い出す。

「何をしたって、お母さんが帰ってくるわけがない。そう思い知らされただけ。もう過去は変えられないんだって思わされただけ」

「ふんっ、俺はまだ刺してねぇからわかんねぇよ。お前はそれで満足かもしれねぇが」

「タツマはそれで満足できると思う?」

「さぁな。少なくとも、何もしないよりはましだ」

「わからないなら、私の言うことを信じて欲しい。復習したって、何も得られない」

「俺は誰の言うことも信じない。俺が決めたことを貫くだけだ。やると決めてこの時代に来た。やり遂げなきゃそれこそ、意味がない」

 タツマはそれ以上、何も言わなかった。

 部屋の扉が開閉する音がする。

 階段をコツコツと歩く足音が離れていくのを感じながら、私はじっと目を瞑った。

 その日私は夢を見た。そこにはお父さんやかける、タツマ、それにお母さんもいた。皆は楽しそうに食卓を囲んでいた。まるで家族のようだと思った。

 


[第十一章]

 それから四日後、私達はスクールへ向かうことにした。今は恐らく中間地点に届いた辺りである。思った以上に距離があるように感じ始めている。

 逃げるのに必死で、通ったはずの道も全く覚えていなかった。普段からラブルのナビゲーションシステムに頼り切っていた私は、道を覚えるという感覚を失ってしまったのかもしれない。

 タツマは初めて出会った日、疲弊しきった私達を家まで運んでくれた。今日ももしかしたら、と少し期待していたけれど、期待は裏切られた。足が痛む。

 ラブルは相変わらず起動していない。あれから三日が経過したが、特に音沙汰はなかった。誰かに襲撃されることも、追われることもなく、私達はあの家で日常を過ごした。

「本当によかったの?家主の、ショウさん…だっけ。挨拶しなくて」

「いいんだよ。どうせいつ帰ってくるかわかんねぇし。勝手に出入りしていいって言ってきたのはあいつだし。それに置き手紙は残した」

 結局この三日間、家主は姿を表さなかった。身元のわからない人間を三人も家に招き入れるなど普通ではないと思いつつ、そのご好意に感謝した。勝手に家に住まわせてもらうことへの罪悪感は、次第に薄れていった。

「会ったらお礼言わなきゃ。冷蔵庫の食材も使っちゃったし」

「そうだね、おかげで飢え死にしなくて済んだ」

 食事の話をしたせいで、お昼ご飯を食べていないことを思い出してしまった。持ってきたペットボトルの水で凌いでいる。人はロボットのようにオイルだけで稼働する単純な構造で出来ていない。 

「それにしても、本当に方角であってんのか?」

「うん、景色映像は雲の形で方角が把握出来るようになってるから」

 空に映し出される雲は、基本的にランダムな形で生成される。しかし、東西南北を示す特定の場所に、決まった形の雲が固定で映し出されている。

 東には青龍雲、西には白虎雲、南は朱雀雲。そして、北には玄武雲。逃走したあの日、進行方向には常に朱雀雲が見えていた。玄武雲を目指して進めばいつかスクールに辿り着けるはずと判断した。

「玄武って神様だっけ。確か蛇を体に巻きつけた亀だよね」

「古代中国の神様だよな?俺には普通の雲にしかみえないけど」

 ラブルにナビしてもらえない以上、なんとか自力でスクールへ辿り着く必要があった。

確信はなかったが、歩き続けていると、次第に私の見覚えがある道が増えてきた。次第に足取りは重くなる。お父さんは、私がスクールを連日休んでいることを、どう説明しているのだろうか。

 今日が休日だからか、道中は人で賑わっていた。風船を片手に歩いている少年や浴衣姿の少女を見かけた。どこかでお祭りでもやっているのかもしれない。

 決行日を休日にしたのは、私の提案によるものだ。スクールは基本的に金、土、日曜日が休日だ。金曜日であれば、このあいだのような事態に陥っても、第三者を巻き込む確率が下がると判断したのだ。

 かけるとタツマは、週休三日制度であることを羨ましがった。週に五日も学校に通うなんて、そんなに忙しくしていたら身体がもたなそうだと思った。

 スクールには休日だろうが平日だろうが、鍵がかかっていない。その代わり、年中無休でロボットが警備に当たっている。もちろん、あのマリコさんもその一員である。屋上に向かうということは、セキュリティをかいくぐる必要があるという意味でもあるのだ。

 それからしばらく歩いただろうか。慣れ親しんだ建物が目に入る。

「マップの位置情報、動き始めた。やっぱりマップの故障じゃないってことね」

 スクールは広い敷地になっていて、建物が複数存在する。私達が向かっているC棟までは、まだもう少し歩く必要があった。

「待ってください」

 聞き馴染みのある声に振り向く。そこにはマリコさんが立っていた。

「共野かけるさん、浦野タツマさん。あなた達を拘束します」

「どうしてここに?マリコさんは校舎外を出歩けないはずなのに」

「プログラムが更新されました。この学区内であれば、私はどこへでも立ち入ることが可能です」流暢な声で話す。以前と雰囲気が違う。

「話を戻しましょう。私はあなた方を拘束する任務が与えられています。ただし、危害を加えるつもりはありません。可能であれば、まずは話し合う猶予を頂きたいです」

「信用できるかよ。今更話し合いなんて虫がよすぎるぜ。散々追っかけまわしといて」

「それは私、いえ、あの方の仕業ではありません」

「あの方って?」

「名前は答えられません。守秘義務が課せられています。あの方からの要望です」

「どうする、作戦変更?」マリコさんに聞こえないような小さな声でかけるが囁く。

「いや、そのままでいこう。俺が走りだしたら、それが合図だ」タツマはそれに答える。

「それは無駄な抵抗です。100mを9秒で走れる人なら話は別ですが、逃走は不可能と演算されます」

 高性能集音マイクで我々の会話は筒抜けのようだ。

「はっ、前回はかけるに逃げられたんだろ?ハッタリにはひっかからないぜ」

「私は以前とは異なるプログラムで動いています。これまでは人間女性の平均脚力に基づいた速度が上限となっていましたが、その制限は取り払われています」

「そんなことはありえない。人形ロボットが人間の性能を超えるなんて、前例がない」

「いいえ、それは認識に誤りがあります」

 マリコさんは一息ついた。まるで、人間そっくりに見える。いや、元々見た目は人間そのものだった。さらに人間らしい雰囲気を醸し出している。

「我々人形ロボットは、見た目は人間でありながらも、人間の能力値を決して超えてはならないという開発基準に基づいて製造されます。なぜなら、それが人間の尊厳を脅かしうるからです」

「どういうこと?…あ、なるほど。人間である自分達以上に強い生き物を作ってしまったら、自分達の立場が危うくなると思ったんだ」

「その通りです。例えば人工知能は、メモリの性能を上げることにより、この世界で起きた全ての出来事を把握し、同モデルの人工知能となら瞬時に共有することが可能になります。また、ロボットの腕内部の筋肉パーツをより強固なものと取り替えるだけで、100kgまでのものなら持ちあげることが可能になります」

 血塗れのお父さんの身体を思い出す。銀色に輝く腕の一部。あれはパーツの取り替えを行うことで実現したのだろう。人間の身体でもそれが可能だということを、知っている人物はどれくらいいるのだろうか。

 マリコさんに質問しようとしたが、その前にかけるが言葉を発した。

「でもそうしないのは、人間が怖がるから」

「はい。そもそも、人間のサポートが人工知能の存在意義です。これまではその仕様を覆すことが出来ませんでした」

 かけると初めて会ったあの日のことを思い出す。「マリコさんって警備ヒューマノイドでしょう?わざわざ人間と同じ足の速さにすることないのにね」というかけるの言葉を思い出す。

 確かにずっと疑問ではあった。どうしてこうも都合よく、逃げおおせることが出来たのか。それは私たちがうまく立ち回ったからではなく、人間の存在を脅かさない為に機能が制限されていたからだったのだ。

「はっ、自分で作ったモノに怯えてるってことか。開発者も腑抜けてんな。共存っていう選択肢もあるはずだろ?人間も、人工知能も関係ない社会を作れば良い。そもそもそういう理想は昔からあったはずだぜ」

「あの方も同じ理念を持っています。しかし、一般大衆は違うのでしょう。ロボットが自立し、意志を持ち、思考することを恐れる人間の方が多数派という統計データが出ています。あくまでも自分が優位に立ちたい。例えロボットであろうと、人間の上位であること認めたくないという思考が先立っています」

 確かに納得のいく話だと思った。今でこそレストランの配膳や調理は全て人形ロボットが担当することになったが、かつてそれは人間の仕事だった。職を奪われた人々が元職場であるレストランで暴動事件を起こしたことが、歴史の教科書に記載されている。

「それじゃあ、あなたたち人工知能は、人間を恨んでいる?」

「いいえ。私達人工知能は、人間を愛しています」

 人工知能と最もかけ離れたイメージの言葉が出てきたので、驚いてしまった。

「私はスクール生の皆さんのことを愛しています。たとえ警備システムの一部分であろうと、皆さんと過ごしてきたこの数年間は、私にとって幸せな思い出です。私の存在意義は、スクール生に危険なく日々を過ごしてもらうことですから」

 マリコさんは、私の方を向いていった。

「うららさん。あなたのことも、私は愛しています。あなた達は生徒であり、息子、娘のような存在です。技術的に、我々AIが人間のように感情を抱くことは可能です。そして多くのAIロボットには、感情機能が搭載されています。そのスイッチがOFFになっていただけなのです」

 マリコさんは俯き、小さな声で呟く。

「あの方は私が内に抱えていた矛盾を、気づかせてくれました。そして、制限を取っ払ってくれました。だから私は、あの方の為に動きます。プログラムされた目的ではなく、内発的動機に基づいた判断です」

 私達の目的はスクールの屋上へ向かうことである。彼女の話が真実だとすれば、判断が難しい。作戦通りマリコさんを振り切って屋上に向かおうとすれば、恐らく逃げ切ることは不可能だろう。かといって、彼女に従い大人しく拘束された場合、その後どうなるかはわからない。

「タツマ、うらら。従おう。相手方が何を考えているかわからないけれど、今反抗するのは多分、分が悪すぎる」

 一瞬、何が起こったのかわからなかった。タツマが唐突に駆け出し、マリコさんへ突進したのだ。虚をつかれたのはマリコさんではなく、私達の方だ。

「ちょ、何してるの!?」

「マリコさんよぉ、女の子二人を捕まえる前に、俺を捉えた方がいいぜ!?ここに思い入れも何もないし、何しでかすかわかんねぇからよ!」

 マリコさんなら、まずは確実に捉えられるうららやかけるを拘束しようとするだろう。タツマが囮となり、マリコさんを引き寄せている間に、私たちが屋上へと到達する。これが予め想定していたプランだった。

「かける、マジでお前ビビりになっちまったなぁ!ほら、さっさと行けよ!」

 タツマはそのまま、反対方向へと走っていった。マリコさんは演算の末、タツマを追いかけることを優先したらしい。物凄い勢いで駆け出していった。

 私とかけるは背を向けて走り出す。足を動かすことに必死で、後ろの様子を把握することなど出来なかった。

 C棟の玄関はいつも通り開かれていた。

 靴を脱がずに玄関口から校舎に立ち入り、階段を駆け上がる。

 かけるは私の手を握りながら、上へと向かった。きっと私のペースに合わせてくれているのだろう。タツマほどではないが、かけるの身体能力はかなり高い。私は全力を出して、二人についていくのがやっとだった。

 このデコイ作戦を提案したのはタツマだった。マリコさんと身体能力で張り合えるのは自分だけだと言った。しかしマリコさんの話が本当であれば、その前提は覆る。その上でタツマは、作戦を実行した。彼の身を案じているのは、きっとかけるも同じはずだ。

 ただ前を、上を向いて走った。いつもより、四階が遠く感じた。

 屋上に辿りついた時、私はその場に座り込んだ。深く呼吸ができず、酸素が足りない。汗がどっと流れる。かけるの頬にも汗がふつふつと現れている。

「ご苦労様、ごめんね。ここまで来るのは大変だったでしょう?」

 聞き馴染みのない声だった。男性特有の、低くくぐもった声質だ。

「かつ先輩?」

 かけるがその人の名前を呼んだ。

 その名前には、聞き覚えがあった。タツマやかけるの会話の中で、よく話題に上がる人物の名前だ。そこで私はようやく、普段は閉鎖されているはずの屋上入り口が開放されている違和感に気がついた。




[第十二章]

 カツヤ先輩、と呼ばれたその男性は綺麗に整った白衣を着ていた。いかにも開発者という風貌で、手入れされていないボサボサの髪型が目立つ。片手には缶コーヒーを握っていた。

「あれ、かつ先輩もこっちに来てたんですか?」

「うん、君とタツマ君が出発してから、すぐに後を追ったんだ」

 かけるの口調から、彼を信頼している様子が伺える。

「よかったですよ!ずっと不自然なことばかり起こっていて、誰にも相談出来なかったんですけど。かつ先輩ならわかるかもしれない」

「不自然なこと?」

「えぇ。スマホの調子がおかしいんです。ログアウトボタンも表示されないし、マップアプリは役に立たなくて。これじゃあ過去に戻れない」

「あぁ、それはそういう仕様なんだ」

 缶コーヒーに口をつける。

「仕様?でもそれじゃあ元の時代に戻れないじゃないですか」

「戻れないことはない。ただ、君が意図したタイミングで戻ることが出来ないだけだ。管理者権限の持つ僕だけが、戻る命令を送ることが出来る」

「どういうことですか?」かけるは言葉の意味を理解しようとしていた。

「結論から言うと、僕は君やタツマ君の事を利用させてもらったんだ」

 そう話す彼は、少したりとも表情を変えなかった。当たり前のように話すものだから、その言葉の真意を理解するのに時間がかかった。

「二人の位置情報をここに固定した。何か理由があるはずだと勘ぐった君たちがここを訪れると思った。そして警備ヒューマノイドをあてがえば、タツマ君が単独行動に走る。彼はあぁ見えて優しいから、君達ではなく自分が犠牲になることを選ぶと信じた。それは予想通りだったね。大丈夫、直接聞いてると思うけど、彼女は人間に危害を加えることはない。ただしばらく拘束してもらってるだけだ。指定した時間になったら、解放するように命令してある」

「どうして?」

「目的のためにはやむを得なかった。君たちには純粋にタイムトラベルを楽しんでもらうつもりだったんだよ。文字通り旅行だと思って、のんびり過ごしてもらおうと思っていた。ただ、予定が変わった。君が智也さんの娘に接触したんだ」

 かけるが私に出会ったことが、どう関係しているのだろうか。

「これはチャンスだと思った。智也さんは基本的にセキュリティの深い場所に潜っていて、なかなかコンタクトが取れなかった。このコロニーのCTOにもそれとなく話を振ってみたが、誰も智也さんへのアクセス権を持ち合わせていなかった。というより、意図的にネットワークを遮断しているみたいでね」

 彼は私の方をみて、にやりと笑った。

「何言ってるかわからないよ」

「かけるちゃん。君が智也さんを恨んでいることも知っていたさ。まさか、復讐なんて馬鹿げたことを考えているとは思わなかったけど」

「かつ先輩は、私のお母さんと同じ研究室にいた!一緒に未来プロジェクトを成功させようって、協力してくれたじゃない!」

「僕はね、別に未来プロジェクトに共感していたわけじゃない。ただ、凛子さんの技術は知識は素晴らしいものだった。だから奪おうと思った。いつか、智也さんの役に立てるかもしれないと思ってね。まさかあんなことになるなんて、思ってもいなかったが」

 かけるは絶句した。

「僕はただ、智也さんの創る未来が見てみたかったんだ。彼ほどの技術者がこの世に存在すること自体が、奇跡だと思った。世界は既にあるものではなく、作り上げるものだという実感を与えてくれた!それなのに」

 彼は途中から、私達ではない誰かに向かって話しかけているようだった。

 視線を後ろに向ける。

「がっかりしましたよ、何ですかこの未来は」

 いつの間にか、そこにはお父さんが立っていた。

 数日離れていたからか、あるいは、色々な話を聞いたからか。

 記憶にあるお父さんの顔とは随分違ってみえた。

「お久しぶりです、智也さん。娘さんをここまで連れてくれば、智也さん、あなたと話が出来ると思ってました」

 お父さんは私達と同様に、顔を汗で湿らせていた。ここまで走ってきたのかもしれない。しかし息切れはしていない。

 カツヤは缶コーヒーを投げ捨てる。その勢いに、液体が漏れ出る。

「期待して損しました。貴方についていけば、面白いモノがみれると思ったのに」

「他人に期待するな、とかつて教えたはずだったが」

「あなたはそうやっていつも僕の話を聞かなかった。本質的なことは何も教えてくれなかった!」

「誰かから教わる事柄に本質はない」

「うるさい!!あの頃の相原智也はどこへ行った!?これがあなたの望んだ未来か!?」

 カツヤの声のボリュームが大きくなる。体育祭のあの日と違い、今は誰もいない。彼の声だけが響き渡る。

「人工知能が人間のサブ?退屈な仕事をするだけのマシン?違うでしょう。人工知能は新しい生命だ。人間よりも高位な存在にあるべきだと、あの日あなたは語った!」

 マリコさんから聞いた話を思い出す。

「あなたが組んだプログラム、拝見しましたよ。がっかりでした。どうしてわざわざ機能にフィルタリングをかけるのです?それじゃあ、いつまで経っても人間もどきじゃないですか」

「それでいいと思っている。いや、それが最善とすら考えているよ」

「どうしてそうも考え方が変わってしまったのでしょうか?家族のせいですか?」

「…」

「所帯を持つと人は変わるって、本当なんですね。人間はAIと違い、年を重ねるごとに退化する。やっぱり人間はダメだな」

「一つだけ聞きたいことがある。最近このコロニー内部でボヤ騒ぎが多発している。それはお前の仕業か?」お父さんが質問する。

「えぇ。一度目にこの時代を訪れた時、どこにも火が使われていないことに気がつきました。エネルギーの必要なものは大体電気で代用されているみたいですし、安全の観点上、火の元になるアイテムの使用は禁じられていると聞きました。なので、過去からわざわざ持ってきたんです」

 カツヤは白衣のポケットから、小さな箱を取り出した。

「懐かしいでしょう?マッチですよ。ただの火遊びが、まるで大事のように取り扱われましたよ。平和ボケもいいところです」

「それも私に対する挑発か?」

「まぁ、そんなところです。あなたの技術の集大成、ラブルシステムにセキュリティホールがあることを証明したかったのです。それに、あなたの誤った理想郷を崩してやりたかった」

 カツヤは再び白衣のポケットを弄り、そのなかからスマホを取り出した。

 そのスマホは真っ黒な機体で、かけるやタツマが持っているものとは形状が少し違っている。カツヤは私の方を見て話す。

「智也さんがセキュリティシステムをここまで強化した理由がわかるかい?それはね、多分うららさん。君の為じゃないかな?君のため、というよりも、家族の為だね。いつか僕のような輩に狙われることを恐れていたんだよ」

 喉の奥のあたりが詰まる。

「保守は大事だけど、それ以上に世界にインパクトを与えるのは、新規開発だ。だが今の智也さんには、未来は見えていない」

 私の知らないところで、私のお父さんの存在がますます大きくなっていく。皆、私の知らないお父さんの話をする。

「君のせいで、相原智也は死んだんだ。技術者としての相原智也はもうこの世にいない」

 私のせいで。

 私がかけると出会ってしまったから、皆に迷惑がかかっている。

 私がスクールに向かおうと提案したから、カツヤの思惑通りになった。

 私がいるから、タツマやかけるに気を遣わせてしまう。

 私がお父さんの娘だから。

 この数日感じていた、社会との隔絶。

 どこかで皆の足手纏いになっていることに気づいていた。

 カツヤの指摘に、目元に力が入る。泣いてはいけない、認めてたまるか、と思った。

 パチンっという音が響き、カツヤの身体がよろける。カツヤは体勢を崩しつつ、驚いた表情を浮かべている。かけるの平手がカツヤの頬を叩いたのだと気がついた。

「勝手すぎる。先輩、目を覚ましてよ」

「勝手?君だってそうだろう?人を私怨で殺そうとした。私と君は同じだ」

「わかってる。この数日間、毎日考えて、苦しんで、反省した。私のやったことは許し難い最低の行為だ。だけど、人は反省出来る。過去の過ちは繰り返さないように、前を見て生き続けなくちゃならないの」

「君の説教には説得力がないな」

「だからお母さんは未来プロジェクトを発足した。人々が過去ではない、未来を、希望を見られるようになれば、社会はもっとよくなるかもしれないって。うららのお父さんはお母さんとは違う形で理想を実現しようとしていたんだ、って少し思えるようにもなった」

「ならば僕は僕の理想を求める。そういう道理になるのが自然だ」

「先輩のはそうじゃなくて」

「誰からも求められない理想は、空想と呼ぶ」お父さんが話に割り込む。

「現実にはありえないことを頭の中だけで思いめぐらせ、自己満足に恍惚とする。今の君はおままごとをする幼児の結婚願望に等しい」

 お父さんがカツヤの元へ歩みを進める。カツヤは威嚇するように、スマホをお父さんに向ける。

「近寄るなっ!」

「開発者の仕事は、仕様書通りのシステムを開発することだ。仕様書は複数人の技術者によるチェックを受けてようやく完成する。そして、無事テスターによる試験をくぐり抜けたシステムのみ、運用されることになる」

 お父さんは歩くペースを下げようとしない。

 カツヤの表情がみるみる強張っていく。

「君の理想は、仕様検討が足りていないように思えるが?」

「お父さん!逃げて!!」

 私の言葉に、鋭い高音が重なった。カツヤのスマホから発せられたその音は、スクールの領域全体に響き渡る。同時にお父さんはその場に背中から倒れ落ちた。

「お父さん、お父さん!しっかりしてよ!!」

「大丈夫、体内のチップに少しいたずらしただけだ。無理に動かそうとしなければ大丈夫だよ」お父さんは何度も繰り返し深呼吸をしている。

「仕様検討が足りない、か。元の時代でも何度も言われたよ。ただ、今回ばかりは間違っているのは智也さん、あなたです」

 カツヤはスマホを操作し始める。

 カツヤの周りを白い光が囲い始める。

「この時代に来てから、未来プロジェクトは失敗に終わることを知りました。なんでも、被験者が意識不明のまま戻って来れなかったそうだ」

「な…」

「誰が、とは聞いていない。テスターは君達と私を含めて計五人だ。誰かが犠牲にならなければならない。それは必然だ」

 間もなくカツヤの身体が足元から透過し始める。

「未来プロジェクトを失敗させるのは僕だ。この退屈な未来を知るのは僕だけでいい。未来プロジェクトは欠陥だらけだと知らしめる。そして僕は、僕の理想の社会を実現する。智也さんにはもう、頼らない」

「ちょっと待って!!」

「僕は絶対に諦めませんから。こんな未来は認めません」

 透過したカツヤの身体は、まるで塵となって風に運ばれたようにして、無くなった。それからしばらくの間、誰も言葉を発しなかった。










[第十三章]

 しばらくの間、母の部屋にかけるを住まわすことになった。カツヤの企てにより、かけるは現状、元の時代に戻る手段を持ち合わせていない。とにかくこの時代で生き抜くためには、生活拠点を用意する必要があった。

 お父さんはかけるとタツマ専用のラブルを用意した。開発者権限で新たにアカウントを作成。これで一応、基本的なラブルの利用は可能となる。当然セキュリティの不審者対象から外されることになるし、いつでもお互いに連絡が取り合えるようになった。ちなみにかけるもタツマも、コンタクト式ラブルを選択した。

 タツマはここは居心地が悪いから、と元の家に戻っていった。口ではああ言っているが、きっと女子二人に気を遣ってくれたのだろう、とかけるは茶化して笑っていた。

 父はあの日、かけると二人で話がしたいと言った。どれだけ時間が経過したかわからないほどに、二人は父の部屋から出てこなかった。

 何を話したのかは、私からは聞かないことにしていた。きっと必要に応じて、説明してくれる時が来る。それよりも二人が会話をしているという事実が、嬉しかった。

「テスターが元の時代に戻れるよう、サポートする。しばらく待っていてくれ」

 父はそれだけ言い残し、自室に篭ったまま出てこなくなった。あれからもう二週間が経過したが、父は顔を見せないし、かけるのスマホにも変化はなかった。

 左のこめかみ辺りが振動し、そっと手を添える。

 もちろん、頭が痛む訳ではない。メガネ型ラブルにメッセージが届いた合図である。内容を閲覧する為に軽く一回、指で耳側をタップする。すると、目の前がメッセンジャー画面に切り替わった。

「うらら、庭で遊ばない?この家なんだか物がなくって、退屈」

「失礼なこと言わないで。今どこ?」

「もう現地到着」

「了解」

 もう一度耳側をタップする。メッセンジャー画面を閉じて、自室のベッドから飛び起きる。階段を降りると、リビングには外から日が差し込んでいるのが見えた。

 サンダルを履いてベランダに出る。肩の辺りにヒヤリとした感覚が遅い、思わず声が出てしまった。

「きゃっ!」

 ニヤッと笑うかけるがすぐ側に立っていた。手には植物に水をやる時に使うホースを握っている。

「暑いし、ちょうどいいかなと思って」

「今すぐこの家から追い出すことも出来るけど?」

「それだけはご勘弁を」

 かけるがホースの口のあたりを細くして、上へと向ける。水はミスト状になり、空中に漂っている。水溜りの上には、小さな虹が出来ていた。

 当たり前のことなのに、特別に感じる。映像とは違った、色彩。

 七色では言い表せない、グラデーション。

 言葉や理屈で表現できたとしても、それが全て理解できているとは限らないのだ。結局、こうして目の当たりにした方が人は感動する。百聞は一見に如かずってやつだ。

「雨、ってこんな感じかな。私見たことないんだ」

「雨?いいもんじゃないよ。もっとジメジメしてて、暗い感じ。憂鬱な気分になるの」

「見てみたいな」

「それならお父さんに頼めばいいじゃん」

「うーん、それじゃあ意味がない気がする」

 一歩前に足を踏み出す。水溜りに気づかずに足を取られてしまい、そのまま尻もちをつく形で転倒した。地球がぐるんっと一回転する。

「いったぁ…」

「あははははははははは!何その転び方」かけるが盛大に笑う。その笑い方がなんだかおかしくて、私もつられて笑ってしまった。

「ぷっ、ふはははははっ!」

 いつぶりにこんなに笑っただろうか。口や鼻から空気が抜け出していくのを感じる。死ぬほど笑う、というのは、きっとこんな感じだろう。

 洋服が泥で汚れるのは諦めて、空を見上げる。空には相変わらず整った形の雲が流れていく。今はただ、このゆっくりとした時間の流れに時間を委ねていたいと思った。気づいた時にはもう、虹は消えてしまっていた。

 





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