4 ことのはのこころ
制服から僕と同じような生地の私服に着替えたタタラとホールに向かう。
ホールには壁沿いに螺旋階段がはしる。2階分を吹き抜けとしていて、ここ3階から見える天井部分が食堂の床だ。食堂に行くときは5階行きエレベーターを使っていたが運動の為にはこちらから登るのもいいかもしれない。
魔力酔いはこちらに来てすぐだけの症状だったようで、夕食に向かった時はもう何の異常もきたさなかった。エレベーターは部屋に繋がる扉と同じデザインの扉の先にある。そう、全て同じ扉。壁と同化しそうな目立たない色に質感。道を覚えるのは得意な方だがそれでもまだ間違えそうだ。自分の部屋も若干怪しい。部屋番号でもあればいいのだが何もない。
1階行きのエレベーターもあるのだが、折角だから正面から出ようと螺旋を降りている。一段一段の踏み面はやや広めだが標準の範囲だ。段差も普通なので地下への階段よりはるかに歩きやすい。
[(勝手口から出たいならエレベーターのほうが近いし大概そっちを使うんでな。敢えて選らばないと1度も見たことねえってことにもなりかねない。)]
[(確かにこのホール、階段しかないし壁沿いの螺旋だし遠回りな気はするね。)]
[(有事の際は飛び降りるがな。)]
[(運動能力高いね。)]
[(獣人だしな。)]
先を歩くタタラには尾もある。手足は人と同じだから正直精巧なコスプレにも見える。だが人型の耳はない。肉球もないが。
1・2階ホールに入ると華やかさが増した。調度も増え、タペストリーも多い。階段を隠すように天井から吊るされ壁に繋いである。天井も平面ではなく同心円状に段があり、その外円から布が等間隔に垂れている。1階の床には正面の扉からまっすぐに緋色に金刺繍の絨毯が敷かれ、4本の大柱の彫刻にも金の色が入っている。要所要所にぴしりと立つ騎士然とした人や獣人は警備中なのだろう。今までは巡回警備にしか会わなかった。不動というのはやや緊張感がある。2階まで降りると長い踊場、もとい2階通路になる。横幅は十分に広くすれ違うも余裕なのだが、この道は螺旋階段を含め柵がない。些か怖いのでずっと壁沿いを歩いている。
[(ああ、ここですれ違う時は荷が多い方が壁側な。次いで弱そうなのが壁側。この幅だ、そう転落はしないが全く無いわけでもなくてね。暗黙のルールでそうなってる。)]
[(まあ、そうだろうね。)]
[(くくっ、ヌルはどう見ても貧弱だから、よっぽど大荷物のがこない限り壁側歩けばいい。誰も何も思わんよ。)]
[(否定はしないけど。それでも女性には譲りたいね。)]
[(案外フェミニストだな。)]
[(そう?)]
[(ま、良いことだ。)]
獣人に限らず人ですら、魔力で防御できる為この高さなら落ちても軽い怪我で済むらしい。魔力の使い方を知らない今の状況では間違いなく僕が譲ってもらう側だと言われた。まあ落ちたら高確率で死ぬと思う。魔力ね・・・魔化製品使えるからあるのだろうが今ひとつ実感はない。
[(このまま奥に行けば王族エリアだ。なんで賓客が来るときはこのホール自体が通行止めになる。2階通路もだ。警備の奴が道塞ぐから分かるがお呼びでない来訪ってのもあるしな、いざ通ろうとして駄目じゃ時間の無駄なんで、余計使わないんだよ。でもま、綺麗なもんだろ。)]
[(天井も彫刻あるんだ。凄いね。)]
[(ここは一般人も入れる王族仕様の空間だからな。市の時は見物客も多いぜ。)]
勤務中の武官に軽く会釈し、正面の重厚な扉をくぐれば前庭にでる。まっすぐに抜ける石畳の先には門扉が見えるが遠い。軽く外出が億劫になる距離だ。そんな広い庭でも手入れが行き届いているのだから流石王宮と感心する。市が開かれるだけあって、植栽の多いエリアとほぼ芝生の広場に分かれている。今度庭の散策もしたいね。淡々と歩を進めていると、タタラの足が止まった。向こうから来た人がどうも知り合いらしい。柔らか言語で何か話している。ヒアリングしてみるがさっぱりわからない。ぼぅっと庭の景色を眺めつつ待機していると、不意に頭に響く声があった。
((はじめまして。君が新たに来たアースだね。謝罪は割愛するよ。もう聞きあきただろう?言葉でなんと言おうが帰せない事実は揺るがないのだから。代わりに生きる術は与える。タタラは優秀だ。安心して頼るといい。))
どうもタタラの話し相手からのようだ。目があった。口は動いてないから念だけ送ってきたようだ。何となく会釈すると軽く笑み、王宮に向かっていった。
[(誰?)]
[(ああ、ここの王様だ。)]
[(・・・は?)]
[(あの人従者つけたがらないんでね。お陰で側付きの騎士なんか隠密のようになってる。)]
[(今も誰かついてたの?)]
[(んー。多分な。なんせ隠れてるから。)]
[(イメージしてた王族と随分違ったよ。)]
[(くくっ。あれでもちゃんと公務の時は威厳もカリスマもだしてるんだ。怖い人なんだぜ。それに強い。あとは子をね・・・つくってくれれば文句なしなんだが。あの年でお相手がいないんだよ。夜遊びもしないし浮いた噂ひとつないし。うっかりご落胤がってこともなさそうなんだよなあ。)]
[(王族って血筋重視だよね。)]
[(兄弟はいるから絶えることはないし、親子だからと同様の治世は期待しないが。俺はあの人が好きだからな。できたら彼の血が続いてほしいと思うんだよ。)]
王族エリアなんて言ってたから、王宮内とはいえこんな道端で会うとは思わなかった。だがあれは王に限ってのことらしい。他の王族にはそう会わないしまずひとりじゃないという。
[(内政はほとんど末の王弟が担当している。王は外交メインだ。王宮を空けることも多いんだが、訓練にも顔出すし、闘技会じゃ参加してくる。ああやって街もよく歩いてるから人気も高いぜ。)]
[(それは・・・守る側は大変そうだね。)]
[(だがその直に声を拾い肌で感じる姿に、俺らは希望を見たんだ。こいつが率いるなら白は変われるだろうってな。)]
[(・・・戦争を終えたのはあの王か。)]
[(そうだ。弱冠の子どもだった。よくやったと思うぜ。)]
随分惚れ込んだ王らしい。まあ戦争していた異種族がこう率先して仕えているのだからそうだよね。王宮内で獣人はよく見かける。下手すると人の方が少ない気さえする位に。・・・ああ、これって。
[(クーデターか。)]
[(そうだ。多くの首脳は粛清されたからな。昔の考え方に凝り固まった白は老害でしかないと、力業の変革だった。今でも不満をもつ奴はいる。だが少しでも尾を出せば切られるんであの苛烈さをみている世代は動かない。むしろその愚痴を聞いて育った奴が要注意だな。・・・って、すまん、こういう話は嫌なんだよな?)]
[(いや、一般常識としては構わない。直接関与したくないだけだ。そも話振ったのは私だろう?)]
[(ま、今は止めておこう。もうちょい楽しい話にしようや。せっかくの初街なんだ、良いところから見せたいね。)]
穏やかそうな人だった。勇者が最後に出たのが50年位前。戦後すぐ封印したとして、成人が20とすれば・・・70歳?いやそんないってないだろう。弱冠は成人とは限らないか。子どもって言ってたし。だが15と仮定しても65だ。あの王は40から50くらいにしか見えなかった。・・・成長速度が違うのかもな。人とは呼ばれているが僕とは、アースとは根本的に違う生き物っぽいね。
だんだん近くなる外壁は厚く3階分程度の高さがある。武官が壁上の通路を巡回している。所々が柱のように太い。門扉の横は特に太く・・・いやもう普通の建屋だね。そこは詰所になっているようだ。
[(平時はな、王宮内に部外者は入れない。中に用がある場合は門でセキュリティチェックだ。門は4つあるがこの東門がメインになる。食材等の消耗品が受け渡されるのは小規模な南北の門だ。なんで業者関係も習慣的にそっちに行くな。西もここと同程度だが装飾って意味じゃ劣る。)]
[(搬入って門までなんだ。)]
[(ああ。そっから厨房とか必要箇所に運ぶのは宮仕えの仕事だ。)]
[(開かれた王宮かと思ったけど結構厳重だね。)]
[(くくっ。あんな面倒なの月に1度で勘弁だ。悪意が無くとも迷子は出る。タグつけるのも大変だろうがタグあったって探すのも大変なんだよ。)]
タグは位置情報がわかる便利な魔法だが大勢にかけると精度が悪くなり、それを狙った不届き者も毎月恒例のようにいるそうだ。大概は小物らしいが取り締まるのも大変だな。
模様が彫り込まれたアーチ状の石壁をくぐる。馬車もすれ違える広い門だ。途中既視感のあるゆがみを感じたのは魔力的なものだろう。門を挟んで武官が立っていたが、タタラがご苦労さんと声かけた程度で特に何も聞かれることなく王宮の外に出た。
[(俺らは指輪もちだからな。自動チェックで問題なしになる。引っ掛かればあいつらが直接やるんだよ。門を通らずに出入りしてると不審者扱いになっちまうからあまりやるなよ?)]
[(できるのか?)]
[(自在に飛べる奴もいるしな。能力次第じゃできるかもだろ?)]
[(それは夢があるね。)]
鳥系もいるってことか。その場合腕が翼なのか、別に翼があるのかどちらなのだろう。
[(街の案内は言葉を覚えはじめてからがいいだろ。今日は塀の外にいくぜ。)]
[(塀は2重であったよね。)]
[(今いるエリアは富裕層、いわゆる貴族の住む場所だ。別に庶民がこっちに来ても問題はないが高級品を扱う店が多いし家も高い。価値観が違うんで住み分かれるね。この王宮に続く大通りは庶民もよく使うんでバランスのいい店が並ぶ。人当たりのいい店が多いし食事処も衛生的でおすすめだ。西に行くほど貴族向けになり邸も増える。塀の向こうが庶民エリアで大通り沿いに商業施設が多いのは変わらないが西に行くほど安価になる。)]
[(それだと西側って塀を挟んで随分雰囲気変わりそうだね。)]
[(まあ、そうはいっても内側は普通の生活レベルだからな。だが街中の塀に西門はないから覚えとけよ。)]
[(門ないんだ。)]
[(西は王族縁故の邸もあるんでね。防犯の意味合いも強い。それに子供がうっかり入り込んで斬首なんざ後味悪いしな。貴族の領域は少なからず治外法権なんだよ。)]
[(物騒なことだね。)]
[(法はあるが証拠がなければ敷地に入れないし取り調べも拒否される。証拠はそこにあるってのにな。捜査が容易な庶民と違って貴族相手の衛兵仕事は骨が折れるんだ。貴族にも拒否権なければいいんだが階級制度はなかなか根強い。まあもっとも不法侵入じゃそこが庶民宅であれ切り捨ててもその多くは罪に問われない。法では問答無用は良しとされず、特に相手が無抵抗であり故意の侵入でなかった場合は処罰が下る。だがそうだったという証拠は死人に口無し、他者の目のない場では立証すら成り立たないからな。)]
[(・・・法変えたら?)]
[(全くだ。だがこの国は勇者・アース関連を優先したからな。王の目がまだ届かないんだよ。)]
随分簡単に命が無くなる世界のようだ。こう歩いていても武器をもつ人が普通にいる。戦争が終わっても魔物って分かりやすい外敵のいる世界だから武装解除の文明にはならないんだろうね。そも武器なくても魔法って攻撃手段があるんだし解除したところでどうにもならないか。
[(いや、街中での揉め事には巡回の武官が対応するしそう簡単に亡くなったりはしねえよ。目が届かないのは個人宅なんかのプライベート空間だ。ヌルもほいほい知らねえ奴について行くなよ。何かあってからじゃ遅いんだ。)]
[(あれ?・・・念でてた?)]
[(くくっ。獣人の子どもにゃよくある事だ。念覚えたての頃は言葉にならねえ喜怒哀楽もぼんやりでてるんでね。ヌルは漏れてないほうだ。ちなみに鳥は腕に羽根生えてて、アースは白より短命だよ。)]
[(・・・調整ってどうやるの。)]
[(そのうち分かる。そういうもんだ。)]
活気のある大通りは整備され、掃除専用の業者がいるようでゴミもなければ馬糞も見当たらない。建物は2階建てだ。レストランからは美味しそうな匂いがただよう。服、宝飾、肉、野菜、香辛料、文具、書籍と看板の絵柄を見る限り専門店が多いようだ。買い物は1ヶ所では終われないらしい。
[(よく見てるねぇ。買い物代行を請け負う商売もある。手間賃とられるがこの辺りで手に入らねえ物も買えるから重宝する。依頼品集めに方々に出るついでに仕入れた物も並ぶから、多種多様な品揃えでな。行く度に品も変わるしもう何屋だかわからん状態だが店覗くのも楽しいぜ。あそこは大通りには面してないんだ。また今度行こうな。)]
[(・・・かなり駄々漏れてる気がするんだが。)]
[(気にするな。すぐ隣にいなけりゃ受信できないくらいのごく弱い念だ。それも部分部分しか拾えてねえよ。ああ、清掃業者はいる。大通りは国が雇ってるぜ。)]
早くコントロールできるようになりたいね。発信してるのが自分だとしても覗かれているようで些か落ち着かない。
[(ヌルの脚じゃ日が暮れちまうから馬車乗ろうか。)]
そこは強調するところか?確かに王宮から見た街は広かった。僕じゃなくとも時間はかかるだろうし、僕であっても日が暮れるという距離ではない。
[(ははっ、冗談だって。ただ往復するだけじゃつまらねえだろ?観光しようぜ。)]
ただの往復も異世界の道では十分観光になっているが、馬車にも興味があるのでタタラについて馬車看板の店にはいる。アイドルタイムなのか他に客はいなかった。中には馬小屋があって、奥が受付らしい。店員とのやり取りをヒアリングしてもまだ意味不明だろうし馬小屋の前で待つことにする。ふんふんと鼻面をこちらに寄せてくる馬は道中見かけたのよりもややずんぐりして脚も太い。背も低めでこのくらいなら僕ひとりでも乗れそうだ。この世界じゃ乗馬は一般教養かな。車に代わるような移動手段は馬車か直接騎乗してるかしか見かけてない。・・・撫でても平気だろうか。
(いいよ、撫でても。力持ちで穏やかな気性の種なんだ。瞬発力は劣るけど。可愛いでしょ?)
[(・・・ああ。)]
また漏れてたのか、あるいは撫でたそうな顔でもしてたのか。もう深く考えるのはよそう。角のある若者が話しかけてきた。タタラや王とはまた違う声色に感じる。音じゃなくとも個性は出るようだ。
[(こいつの妻は勇者だったんだよ。)]
後について出てきたタタラが言う。そんなプライベートな情報よこさなくていいんだが。
(もう亡くなって久しいけどね。)
[(それは・・・御愁傷様です。)]
(気にしないで。妻とはまた違う場所からきたんだね。毛色も言語も違う。・・・タタラ、どこまで行くの?俺が御者やるよ。)
[(商売はいいのか?)]
(息子に任すから平気だよ。)
呼ばれて出てきた男は正直、角付きより歳上に見える。彫りの深い顔立ちだ。異世界人とでも・・・異種族とでも子はできるんだね。角は遺伝しなかったようだ。
[・・・Nice to meet you.]
[・・・ナイストゥミーチュー。ソーリー、キャントスピークユァラングエッジ。]
英語かぁ。柔らか言語より分かるが無理だ。
(いや、話せてるよ。でもそっか、母様とは違う国からきたんだね。来たばかりだって聞いたよ。大変だろうけど頑張って。)
[(・・・ありがとう。)]
初対面からくだけているのはここの風習だろうか。畏まりたいわけでもないが。
[(それはヌルが纏う雰囲気のせいだ。獣人はオーラに敏感でね。上下関係にも大きく影響する。経験不足のヌルのは赤子と同じだ。見てくれが大人じゃなきゃ赤ちゃん言葉で話しかけられるレベルだ。アースだって事情を知らなきゃかなり舐めてかかられる。ま、相手の不意を突くには有利な特性だから悲観するものでもないぜ。そのうち内面に見合うものになっていくから今だけだ。)]
(ごめんね、なんというか、庇護欲がわくんだよ。)
(ギャップが面白いよね。こんな生まれたてのようなオーラでありながらおじさんだし。どう接するべきか軽く悩んだよ。)
[(これもアースの特徴なんだ。年齢とオーラが噛み合わない。なんでオーラは魔力由来の雰囲気だと言われてる。)]
(妻もそうだったけどね。勇者だったから幼いオーラでありながら威圧してくるような凄まじさだった。ふふ。懐かしいなぁ。始めの頃は友人ができないと嘆いていたよ。)
[(要は年の割に物を知らないように見えるってことだよね。)]
[(そうだ。ま、実際今は何も知らない訳だが。スラムに行けば良いカモにされるだろうな。ヌルはその雰囲気に反して大人びているから変な奴に好かれそうだ。売られないように気を付けろよ。)]
[(人身売買あるの?私みたいな見目じゃ需要ないだろうけど。・・・まあ、理解できない嗜好は何処にでもあるものだしね。)]
(アースってだけで希少だから。収集癖のある御仁もいるんだ。自衛もできないうちはタタラから離れちゃ駄目だからね。)
[(了解・・・。)]
希少生物枠だった。考えていたよりアース人口は少ないようだ。たいして興味もなかったが王宮にはどのくらい保護されているのだろう。街に出たのもいるはずなのだが。
[(それは秘密だ。アースであることを一応は隠して生きているんでな。身近にいれば分かることではあるが暴かないのがマナーだ。勇者も同じだ。もう生き残りは僅かだが街に残ったのは皆静かに暮らしている。)]
[(そうか。)]
[(脅しはしてるが、保護済みのアースを狙う犯罪は少ない。指輪を通じて王宮に露見するからな。だがアースであるかに関係なく巻き込まれる可能性はあるんだ。離れるなよ。)]
そう何度も念を押すほどには治安が悪いんだね。馬車を使うのもそのせいか。ここは塀に程近い店だ。建物と同じくらいの高さの塀は王宮のより幅もなさそうだが門の横が詰所になっているのは同じようだった。
(俺の馬車に乗ってるうちは安全だよ。守りの堅さには自信がある。)
[(御者もお前だしな。・・・自主的なんだからまけろよ?)]
(はいはい。通常価格でやらさせていただきますよ。)
角付きが用意してくると奥に退室して行った。その息子と会釈し別れ、タタラと通りで馬車を待つ。いくらなんでも街中で馬車が襲撃されることはないと思いたい。待つ間にも詰所に幾人か連行されてくる。人が駆け込んで何かまくしたてている。武官が駆け出ていく。・・・何ともせわしない様子ではあるがいつもの光景だそうだ。
[(喧嘩はしょっちゅうあるしな。下町はやや荒っぽいんだ。)]
からからと車輪の音がする。小ぶりな車を引くのはさっき撫でたいと思った馬だった。
(それじゃ行くよ、乗って乗って。)
箱形ではなくオープンな造りで、飾りのような可愛らしい幌が目を惹いた。座面には愛らしいクッション。白い馬に白い車。赤いラインで装飾された車体は女性受けしそうだ。馬にも飾りがついているし、角付きも控えめながら白の衣装で飾っている。明らかに道中で見た馬車と雰囲気が違う。・・・これに乗るの?
[(おい。他の車なかったのかよ。)]
(えー。この車好評なんだよ?だいたい急に来て選べると思ってるの?人気店なんだからね。文句あるなら特大サイズのもってくるけど。ああ、料金はちゃんともらうよ?)
[(ちっ・・・。)]
悪態も日本語でしてくれるタタラに人のよさを感じる。念で対応してくれる角付きにもだが。当たり前だが街中に飛び交う言語は知らないもので、視覚情報に劣らずここが日本ではないと、異なる場所であると訴えかけてくるようだった。郷愁はそう持ち合わせていないが理解できない心細さは否めない。その心遣いは嬉しい。だがまあ、何時までも甘えるのは良くないか。異なる言語で話していてはその異邦性が目立つだけだ。アースだと知られたくないのに吹聴して回るような行動はよくないだろう。何より念という共用語は使えるのだし、こうも漏れてるのでは喋りながらだろうが念だけだろうが同じことだ。
(世話になる。先のるよ。)
[(急に・・・どうした?)]
(こっちの言語でいい。念をのせてくれればわかるから。今はさっぱり聞き取れないがそのうち慣れる、と思う。)
「(ふふ。いい子だねぇ。来たの昨日なんでしょ。)」
「(辛くなれば言え。話してやるから。)」
(頼門って結構寂しがりだったんだね。)
「(まあな。あいつはホームシックが酷い。こっちの言葉を覚える気すらなかった。ま、お陰で日本語を覚えられたんだがな。)」
逆に覚えさせたのか。すごいな。僕は引きこもるのではなく旅に出たいから。こちらの言語を覚えないわけにいかない。念は人には通じにくいらしいしね。ヒアリングだけで学ぶ英会話もあった気がするしまずは耳を慣らそう。タタラの言葉が知らないものだけになり違和感はあるが、これで一歩前進。バイリンガルな言語は異世界語か。人生何が起こるかわからないね。
例え彼女とでも乗らないであろうラブリーな馬車に乗り込む。
「(うわ、躊躇なく乗りやがった。)」
「(ほら、乗らないなら行っちゃうよ?走る?)」
「(ぐっ・・・。)」
嫌そうにタタラが乗り込んで座る。想定通り密着した。
「(はい、これ抱えると落ち着くらしいよ。)」
ぽいっと一角獣のぬいぐるみを渡された。もっちりとした触感で確かに癒される。
「(ああ、それこのプランに付くお土産だから。持って帰ってね。)」
ぬいぐるみについたタグには何か書かれていて、それを見たタタラがより一層渋い顔になる。
「(やっぱ無料にしろ。)」
「(えー。ま、いいよ。ヌルを歓迎してサービスとしようか。行き先は牧場だったよね。)」
「(ああ。頼んだ。)」
かたかたと馬車が動き出す。馬車を見た人々が笑っているからこの車はこう男ふたり、それも中年が乗るものではないんだろう。笑われているのは自分らだがむしろ価値観が同じでほっとした。このお土産、彼女が好きそうなんだよね、持って帰りたかった。本当、これが帰れない旅でなかったらよかったのにね。夢なら。笑って聞いてくれただろうに。目を閉じて。ゆっくりと開く。変わらない景色にうっすらと笑いが込み上げる。・・・未練か。存外自分には執着するものがあったのだと、認めざるを得ない。
ねぇ、君は今、幸せですか?