3 すくいとりすくわれる
差し込む光で目が覚めた。
寝付きは悪い方なのだが昨夜は思いのほかすんなりと眠りについたらしい。・・・それもそうか、なにせ身体すら置き換わったらしいのだから。疲労が溜まっていたのだろう。
時計の数字はもう覚えた。7時に朝食の約束だ。今は6時半。ここは時間の概念も同じなのだ。混乱しなくていい。さて、洗濯物を引き上げるついでに鏡くらい見てこよう。枕元に置いた服を着てベッドから降りつっかけを履く。サンダルはタタラの部屋だ。
タタラはもう起きているらしい。籠に僕の服が入っていた。洗面所の鏡の前には髭剃り、もといシェーバーが置いてあった。大概の電化製品は動力を変えて存在してそうだ。だが自分がエネルギー源であるならばあまり使うと倒れないか?
しゅっと引き戸の開く音がした。
[おはよう。よく寝れたか?]
[ああ。おはよう。髭剃り使わせてもらったよ。]
[おう。スッキリしたな。ほら、これ忘れものだ。じゃ、飯行くぜ。]
サンダルを受け取り洗濯済みの服を回収して外に出る。東に面した廊下は部屋よりも明るかった。カーテンもないから真夏はひどく暑いんじゃなかろうか。道中、本日の疑問を聞いてみた。
[省エネ化が進んでるからな。よっぽど体調悪くない限り平気だと思うが。あと洗濯機とかの大物は中に魔力を溜めるトコがあるんだよ。ボタンに触れる度にも少しずつ吸われるがひと月に1回はまとめて補充してる。冷凍庫が切れると悲惨だぜ。まっ、警告はでるし、そう忘れはしねえがな。]
あれも充電式なのか。電線的な物はないんだね。コードレスなのはすっきりしていい。エネルギー源はすべからく魔力なのかな。まあ自身がエネルギー源たりうる世界じゃそうなるか。
今朝は米と刺身だった。醤油もあればわさびもあった。食にストレスがなくて何よりだ。厨房には猫耳がいる。夜は魚カレーだね。
トレイを持って屋上庭園に上がる。昨晩も広いと感じてはいたが、まさか屋上総てが緑化されているとは思わなかった。季節は日本にいた時と同じくらいだろうか。程ほどに暖かい。花壇では今が旬とばかりに花が咲き乱れている。分かるものでいえば薔薇っぽいものが多いようだがあまり香らず、食事の邪魔にならない。
[ここは俺みたいな獣人も多いからな。食事メインの場所に強いのは植えてねえんだよ。鼻で楽しみたいなら下の庭に行けばいい。]
[いや、このくらいが丁度いい。あまり強いのは苦手なんだ。]
[ははっ。じゃあ婦女子の香水も駄目かもな。今はフローラルブームだぜ。まあ嗜むのは主に貴族の白だがな。]
[そりゃキツそうだね。混ざるとなあ。]
[まあ比較的同系統でまとまるからな。遠くで嗅ぐ分には花束に思えなくもない。側には寄りたかねえがな。]
[縁も無さそうな世界だね。]
[一昔前ならあの部屋から出てきた奴に群がっていたもんだがねぇ。]
[勇者か。]
[そうそ。勇者と呼ばれようが無理やり連れてこられたんだ。反発もある。何とかしてこっちに情をもってもらおうとしたんだろうよ。]
[嫌な時代だったんだね。]
[今も結構最低なままだがな。それでも救済処置が設けられた分、前進してると思いたいね。]
戦争に駆り出されるよりはマシだね。だがどうせならもっと前に落ちてきたかった。意味を見いだす前であれば。求められる前であれば、この感傷すらなかっただろうに。
僕の面倒を見てくれるのは助かるが、武官の仕事はどうするのかと聞けば、アースの後見人になると半年は休職できると返ってきた。
[昨日のうちに手続きは終えた。まあ訓練には顔出すがな。落ちてきたばかりのアースはそれこそ右も左もわからんだろ。半年みっちり常識詰め込んで、バイトでもなんでも社会に出すんだよ。その後は仕事しながらになるが、かなり融通効かせてもらえるんだ。ま、この辺は職種によるがな。]
[半年か。10年保証の割には急ぐね。]
[なんせのんびりしすぎるとアースが引きこもり終身保証コースになりやすくてな。それは予算的にもアース自身の為にもよくない。アースに何も非はないが、多少尻叩くことにしてんだ。生きるのは自身の意思と力であるべきだからな。]
[アースは皆大人なのか?]
[勇者の時代は全盛期といえる肉体がきたがな、アースは幼児から老人まで問答無用だぜ。幼ければ自分の子として面倒見れる奴が後見につく。他は同じだ。まあご老体では終身保証がほとんどだが、それも本人が選んだ結果だよ。]
食事を終え自室に戻りつつ、王宮の構造を教えてくれる。
[中心部は王族のエリアだ。いくら開けた王宮とはいえあそこの警護は堅いんだよ。部外者は捕まるからな。うっかり入らねえでくれ。]
[入れたら警備の方を見直したほうがいいだろうよ。]
[くくっ。まあそう言うな。能力次第では可能なこともある。だからこその注意だ。不法侵入は切り捨てられても文句は言えん。]
[覚えておく。]
中心の王族エリアを囲む塀のような建物の前半分が普通の武官と文官用、後ろ半分が来賓や王族つき用で高級仕様、左右にある離れの私が落ちた方は学者が詰めていて、反対は魔導師、連絡通路の私が見ていなかった側が訓練場だそうだ。
自室があるのは武官エリアで、ホールを挟んで学者棟側が文官エリアになるが住むのに制約はなく、武官と文官のルームシェアもあるという。
[同じ職種の方がリズムも合いやすいから希望がなきゃそうなるが、住む場所は自由だよ。離れに住むのもいるしな。居室とは別に仮眠室もある。そっちは家持ちが使うね。あと武官と文官には寮もあるんだ。新人は3年間そこに入るのが義務だ。基本教育と適性検査も兼ねてるからな。魔導師と学者に寮制はないが、一般適正試験の応募資格が宮仕えであることなんで、推薦でもない限り入り口は同じだ。]
[つまり王宮に職を求めるならいずれ入寮しないとならないわけか。]
[そうだ。個人募集のバイトであれば入寮は不要だから、ヌルはまずそうして稼げばいい。正直ヌルの歳で1から王宮文官の道を歩むのは難しい。現実的には街に仕事を求めるか、バイトで直接気に入られて推薦をもぎ取るかだ。]
[ヘッドハンティングされるほどの能力はないかな。どこの世界も再就職は厳しいね。・・・選ばなきゃあるんだろう?]
[ああ。まあアースは保証もあるからいざとなったら王宮に泣きつけ。怪しい宗教に頼るよりはいい。]
[宗教は信じるものじゃない。大半は馬鹿げていて、いくつかはよいシステムで、古ければ興味深い物語だ。]
[ほう。気が合いそうだな。アースは異端だ。宗教によっていいように解釈されている。関わらんほうが賢明だ。]
[それはまた・・・面白そうだね。]
[当事者なんだぜ?やめておけ。アース召喚に関わる気はないんだろ?]
[その通りだよ。私は傍観者がいい。]
自室に戻る。今朝まではタタラが施錠していたので魔法かと思っていたが、指輪がキーだった。食事の際に"部屋の権利譲渡しといたぜ"と言われたのだ。かざせばカチっと解錠された。まあ、魔法であることには違いないか。実感がわかないだけで。地味に魔法を感じるのは抜けないってところだ。この指輪、親指にはめてあるのだが外れない。サイズが自動でぴったりにあった。風呂で外そうとしたがびくともしなかった。大事なものだから当然だとタタラは言うが、ゲームにあった呪いのアイテムはきっとこんな感じだろうと思う。
朝食が魚だったので歯を磨きにいくとタタラもいた。鏡の前もふたり並べる程度には広いのだがタタラがでかい。僕も180近いんだが200はあるんじゃないかな。軽く口をすすぎ歯ブラシを取って少し下がる。4人くらいがすれ違える広い通路に面して片側が台所で反対側が洗面所、トイレ、風呂と並ぶ。洗面所は扉もないので元より通路で磨いているのだ。特に退いた気もなかったのだが、声をかけられた。
(悪りぃな。もう終わるから。)
(・・・今、喋っていたか?)気になるがやたら泡立つ磨き粉で聞き返せない。
(ああ、やっぱ念話できるんだな。)
(念?)またはっきり聞こえた。
がらがらとタタラが口をすすぐ。
[(声に出さずに喋るんだよ。)]
(・・・少し、音が違ってる、のか?)会話が成り立っているからには、僕の聞きたいことも聞こえているようだ。
[(そうだろうな。俺は日本語を話せるが上手ではない。そも細かいニュアンスはどう表現するかわからない。所々は日本語ですらなかったんだ。頼門と話す時もこうして念をのせていたんだよ。ヌルは細かい説明も理解していたから、聞こえてるんじゃねえかとは思ってたんだ。)]
・・・ぶくぶくと口をすすぐ。タタラが上手に話していたのではなく、念が言葉を補完していたのか。音がほぼ日本語だった事で脳が誤認したのか、全く違和感を感じなかった。念とは何だ?確か習得できれば語学は楽だと言っていた。これが念なら言語が違っても意志疎通ができるということだ。それは楽だろう。
[私も念を使っている?]
[(いや。さっきだけだ。今初めて俺が念と声帯の両方で喋っていると理解したんだろう?わかれば後は早い。すでに送ってこれたんだ。念話はすぐに使いこなせるさ。)]
[・・・意識して聞くと気づかなかったのが不思議なほど二重音声だね。]
[(念話は音じゃない。思念そのものだ。思念の受信と音の受信をわけろ。アースにはこの感覚はなかっただろ?だから脳が間違える。まずはそれに慣れろ。俺との会話を分けて認識できるようになったら語学を始める。あせる必要はない。念が使えるのはかなりのアドバンテージなんだ。アースは比較的使えることが多いんだが全てじゃない。)]
[全ての人が使えるわけではない?]
[(人で使えるのは魔術師くらいだ。獣人は使えると思っていい。一部の魔物もつかう。念話はできる奴からすればなぜできないか分からず、できない奴にはさっぱりわからない。そんな適正がものを言う分野なんだよ。まあ、魔術師に言わせれば努力すればできるってなるんだがな。)]
[わからない者が理解するのはかなり難しいということか。]
[(そういうことだ。まあなぁ、獣人が人に教えるのを嫌がるってのもある。勝手に覚えた分は仕方ないがあえて広めるものでもないと考えている奴の方が多い。歴史的に言えば念話は獣人のアドバンテージだった。会話が人に聞こえないのは有利だろう?それを解析して理解したのが魔術師だ。話が筒抜けと気付けず瓦解したのは苦い教訓だねぇ。)]
[獣人と戦争していたのか。]
[(白はよく他の領域を侵したからな。大きくやりあってたのは黒とだがね、小競り合いは多かった。今はそれをやめたんで賑わってる。何だかんだ都会は魅力的なんだよ。)]
[ここは都会なのか・・・私からすれば随分自然が多いと思うのだけど。]
[(アースはそんなに自然が無いのか?頼門はあまり向こうの事を話したがらなかったからな。)]
[地球には人しか知的生物がいないからかもね。獣人のように抵抗する者がいなかった。魔物もいない。自然は容赦なく人工物に置き換わったよ。もちろんあるところには残っているけど、都会と呼ばれるエリアは・・・(コンクリートジャングルだ。)]
[(お。やっぱできる奴はすんなり使うんだよなぁ。・・・そんなところに住んでたんじゃヌルの自然の認識はかなり甘そうだ。希望も自然のそばにってことだしカリキュラムにフィールドも入れような。俺の故郷くらいひとりで往復できねぇようなら見知らぬ土地の単独行動は自殺行為だぜ。ま、身の程を知る意味でも行くのはいいと思うからな。)]
[怖いねえ。足手まといが過ぎてタタラが危険な時は捨てていっていい。これは私の我が儘だからね。この希望、後見人がタタラじゃなかったら叶わなかったんじゃないか?]
[(まあな。後見によっては難しい。だがこれも縁だ。俺は騎士で獣人だ。守るのもフィールドも得意だからな、連れていってやるよ。それに足手まといと決まったわけでもない。少なくとも念が使えるんだ。タイプこそ不明だが魔法の適正は高い筈だぜ。)]
[期待せずに楽しみにしとくよ。案外念話で使いきったかもしれないしね。]
[(ははっ。それでもいいじゃねぇか。マイナスじゃなかったんだ。随分マシだぜ。)]
いつまでも洗面前で話すのも何なので緑色の茶を淹れて自室に移動した。どうもアースにはマイナス能力があるケースもあるらしい。例えばどうしても肉が食べれないとか。地球では食べれたし、調べたら全く消化しない事がわかったが肉から取れる栄養素が不要になったわけではない。別の形であれば栄養素は吸収可能だった為"肉を消化しない能力"と認定されたそうだ。それってただの"異世界肉アレルギー"じゃないのかな。いや、消化しないんだから病気かな。
窓際の席に腰掛けると、タタラは納戸から椅子を引っ張り出してきた。・・・壁と一体化しすぎていてそこに納戸があることに気付いていなかった。勝手知ったるは元主ゆえに当然なのだが、現主なのに知らないのはいただけない。他にもあるんだろうか。あとで探してみよう。
[(悪りぃが本格的にフィールドに行くのはちっと先になる。1年以上先かもしれない。そのつもりで気長にいてくれ。忘れたわけじゃねえってこと、覚えててくれると助かるよ。)]
[ああ。私もいきなり死にたいわけじゃないから。]
[(ヌル希望の生き方だとハンターかレンジャーに所属するのがいいと思う。あれは簡単な依頼もあるから副業でやってる奴も多いんだ。どちらでも末端の依頼は大差ない。俺もハンターをやってる。故郷帰るついでに依頼をこなしたりしてるぜ。小遣い稼ぎと街の保安、それに王宮に入らない情報も多く集まる場所だからな。登録にちと金かかるが身分証にもなるから損はない。特に街を出て旅するのならあった方がいい。というか気ままに旅するんじゃ定職は難しい。バイトを都度探すより依頼を受ける方が楽だ。現時点でヌル向きの依頼もひとつあるしな。安いが。)]
[・・・念関係か?]
[(ああ。念話と共用語が使えればできる。依頼は少ないんだがな、獣人ならできるがやりたがらないから余ってる。通訳だよ。)]
[未来の選択肢は多いにこしたことはない。後見のいるうちに登録できれば助かるね。タタラがハンターなら私もそちらでいい。その方が勝手がわかるんだろう?]
[(ああ。まあヌルは上位の依頼を受けることはないだろうしな。一応、上位に上がればレンジャーに移籍することも可能だから、とりあえずハンターで頼む。それなら俺が指導役になれるからな。)]
[指導役なんてあるのか。面倒見いいんだね。]
[(これがあるから登録に金かかるんだがな。指導役も依頼で募集するから。)]
[なるほど。]
[(ギルドとしてもいきなり死なれるのは後味が悪いんで最初に試験的な依頼を出すんだよ。その成果と指導役の評価でランクを決める。・・・大丈夫だ、どんなに低くても1にはなれる。通訳はできるから。)]
[まあ、通訳だしね。ありがとう、少し未来図がみえたよ。目下は常識を、言葉を覚え、私にできる魔法を知る。次にバイトで軍資金を貯めながらフィールドで生きる術を学びギルドに所属する。タタラから見て及第点に至れば一人立ち。そんな感じだね。]
[(ざっくりだがな。未来の選択肢とは言ったがヌルの希望だとほぼこれだけなんだよ。行商人のように旅する職は無知の大人がなれるものじゃないんだ。あとは定職について、休暇に依頼を受けたりフィールドに出て自然を満喫するくらいだな。まあ次点としちゃそれでもヌルはいいんだろ?)]
[ああ。その可能性の方が高いだろうけどね、現時点では夢は大きく持っておくよ。]
[(だな。くくっ、本当にヌルは運がいい。俺がいたからな。これほど適任も他にいないぜ。俺もやり易くて助かるね。)]
[希望の道にあう後見でよかったよ。]
湯のみを持てば少し冷めてしまったようだった。まあ飲みやすいくらいか。淹れてきた茶を口に含む。瞬間、思わず絶句した。
(これ・・・。)
[(うははっ。やっぱ茶だと思ってたか。てっちゃんだよそれ。)]
[てっちゃんって鳥じゃないのか?サンドイッチに入ってた家畜だろう?]
[(てっちゃんはどちらかといえば植物だ。)]
[・・・あの柑橘っぽい野菜の方だったのか。]
あれはレモン風味の蒸し鶏サンドだった。だがこの茶擬きの味は・・・というか感覚は。
[(旨いだろ。それ特選の買ってきたんだ。)]
[酒、だよね?]
[(ああ。酔うだろう?だが酒よりもっといいもんなんだ。ま、通称"酒"でいっしょくただけどな。アルコールと違って身体を壊さない。その上かなりの栄養食だ。まあ一部の貴族にはデメリットにもなってるが、フィールドに出るときにこれほどありがたいもんもねえのよ。酔いつぶれちゃ駄目だがな。旨いし体も温まり魔力体力ともに回復する薬酒だ。)]
[それは悪いことしたな、止めてくれればよかったのに。]
[(いや反応見たかったしな。酒に強いか知っておくのも大事だ。)]
[このくらいなら問題ない。昨日の酒より弱いだろう?・・・あの野菜、酒の風味などなかったように記憶しているが。]
[(この葉はてっちゃん本体のだ。あの野菜は種が発芽した草。くくっ、こればっかりは見た方がはやいな。会うのを楽しみにしとくといい。)]
[・・・異世界なんだと、初めて食で実感したよ。]
[(くくっ、頼門もやったんだ。日本茶に似てるんだろ。あいつは下戸でな。ひっくり返ったんでかなり焦ったぜ。)]
確信犯か。詫びるのではなかったな。まあ、酒と思って飲めば普通に旨いだけだ。茶葉から酒か・・・。違和感しかない。てっちゃん、どんな植物なんだろうね。言い方からすると動きそうなんだが。バジリスクからトレントに脳内イメージを訂正しておこう。
[(まあそんな目で見るなって。真面目な話、それが苦手ならフィールドにもってく荷物も変えなきゃなんだ。な、大事だろ?・・・んじゃ本題に戻るな。)]
[・・・おかわりもらってくるね。幸いな事にとても気に入ったよ。]
[(え、ちと、それ高けぇんだってっ。)]
後ろで響く声は気にせず大きめの茶漉し付きポットに茶っぱを放り込み湯を入れてきた。急須に残ってた葉もまだでそうだったから入れた。熱いのも旨い。飲んでも身体に悪影響はないが、高カロリーなんだったか。昼食と思えばいいかな。残ったら冷やしておけばいい。
[(うはぁ、豪勢に淹れたなぁ。・・・悪かったよ。俺にもくれ。)]
[はい。悪戯は程ほどにね。この茶っぱは捨てるの?]
持ってきた湯のみにタタラの分を注いで渡す。
[(いや、食べる。夜食に作るよ。それで勘弁な。)]
[ふふ。別に怒っちゃいないよ。ただ悪さしたら謝らないとね。]
[(うぐ。厳しいなぁ。正論なんだが。)]
[いや、普通でしょ。]
普通だよね。厳しくもなんともない。彼女もよく駄々をこねてたけども。
[(で、だ。まず最初にすることがある。これを目につけて刻印を隠すんだ。)]
[コンタクト・・?]
[(ん?)]
[ああ、(コンタクトレンズ。眼球に直接のせる視力矯正器具のこと。)]
[(視力は矯正しないが使い方は同じだな。)]
[(念話って便利な自動翻訳だよね。全員使えれば語学いらなかったのに。)]
音と違うというアドバイスが的確だったのだろう。イメージの世界だがチャンネルが分かれたように別物として認識できたおかげで使い方は何となく分かった。なので僕も同時に喋ることにした。その方が確実に意志疎通できる。無言でも念話は可能だが、何を発信して何が自分だけで思考している事なのか分からなくなりそうだ。うっかり要らない事まで発信してしまいそうなのでもう少し慣れてからにしようと思う。
・・・ふふ。地球にもあれば彼女は喜んだろうにね。耳が少々弱かったからよく空耳っていた。それもまた、楽しかったのだけど。
[(くくっ、そう言うな。共用語があるだけいいだろ。暗語ってのもあるんだぜ。こっちは種族ごとの言葉だ。)]
[(ああ、そうだよね、言語がひとつなわけないか。それじゃ獣人には念しかないことになるものね。共用語って要は人の暗語ってこと?)]
[(そうだ。暗語を広めたい種族はあまりいないんだが、白は広めたがった。戦争時からずっとそうだ。捕囚された奴らは漏れなく覚えて帰ってきたぜ。公表するに何の抵抗もない他所の言語で、かつ知ってる者が多かった。なんで自然と他種族と話す際に使うようになってな。ま、利害の一致ってやつだ。)]
[(人って、世界が変わってもそう変わらなそうだね。ああ、たまに白って言ってるの、人のことでいいんだよね。)]
[(おっと、言ってなかったな。その通りだ。あと黒も一応人だ。)]
[(また微妙な表現だね・・・。)]
[(住む土地の影響なんだろうが随分面白い文化を築いている。ま、この辺は地理を含めて後で教えるから。)]
頼門の書には戦争としかなかったからね。誰と誰が、どう終結したのか、そういったことは一切なかった。語りかけるようだったのは最初のページだけだ。
"いつかきたる同郷の君へ。この世界は不可思議だ。元の暮らしを忘れ、導かれるままにこの世界の者として生きられるなら、それが幸せだ。自分にはそれができなかった。尽力してくれる友人には心から申し訳なく思う。アースと呼ばれる我らは戦争被害者だ。身勝手な理屈で幸せを壊したこの世界が憎い。君もそうではないか?だが救おうと伸ばされる手に罪はない。願わくば、自分がとれなかったその手を掴んでくれることを。"
あとはひたすら帰るための試みと考察、痛む心の吐露だった。僕が手記から得られた情報は少ない。ただ、少なくともタタラは信用してよいのだと知った。この世界を許さない男が書き残したのは、自分の代わりに彼に救われて欲しいという身勝手な願いだ。
[(アースだと分からない方がいいってことかな。変な宗教もあるようだし。)]
[(刻印の事は周知されているからな。突発的犯罪の抑止にはなる。だがアースかどうかは行動をよく観察すれば大体わかるものだ。)]
[(まあギルドで通訳ばかり受けてたらバレそうだよね。)]
[(アースに念話使えるのが多いってのは公表されてはいないがな。上位ランクは情報通だ。知っているのも多いだろう。別にバレるのは構わねえんだ。この国ではアースを見つけたら保護し王宮に連れてくるようにって触れが出ててな、隠すのは再保護防止の為だ。)]
[(懸賞金でもかかってる?)]
[(・・・報奨は出る。)]
[(こんな指輪で管理しているんだ、再保護はすぐバレるだろうにね。)]
[(多くを保護するための施策だ。殆どが善意だ。だが国外や辺境では中途半端に報奨の事だけ誇張されて伝わっている事もあってな。過去に無理やり連れ戻された事例があった。ま、そんな事故を避ける為のものだな。あからさまにアースだと誇示しないよう隠してもらっているんだ。)]
程度の低い犯罪や話の通じない輩に絡まれるのを防ぐための自衛手段って事か。コンタクトひとつで厄介ごとが減るなら楽なものだ。何の術だか鏡のようになった窓ガラスを見つつ、受け取った液体に浸かる円状の膜を眼球にのせれば模様は全く見えなくなった。
[(それはヌルの色に合わせてあるが、別の色も発注可能だ。)]
[(完全にカラコンだね。視力矯正はないの?)]
[(見えないなら目そのものを矯正するからな。)]
[(すごいね。どんな手術?)]
[(自分でやるんだ。魔力操作で視力を増強するだけだぜ。元が悪いなら常時発動する形なんで慣れないと疲れるかもな。これも後で教える。)]
魔法世界だなあ。こっちで眼鏡はないのかと聞けばアクセサリーとしてはあるらしい。一応、視力矯正の眼鏡もコンタクトもあるが需要の少ない魔道具なのでオーダーメイドで値が張るとの事。この眼鏡は大事にしよう。常に魔力操作なんて聞くからに疲れそうだ。
目の偽装が終わると街に行こうと誘われた。
[(まだ何の常識もないに等しいがいいのか?)]
[(ヌルは急に駆け出したり恐慌状態になったりはしなさそうだからな。大体何も見ずに知識だけ叩き込んだって忘れないか?まずは良くも悪くも百聞は一見にしかずだろ。)]
[(何となく、街の様子を見れるのは市の時かと思ってたよ。)]
[(最初はそのつもりだったがな。早めてもいいと判断したんだ。まあ条件はある。人通りの多い街中では絶対にそばを離れないでくれ。それこそ恋人のようにな。)]
[(人ひとり分はあけたいね。)]
[(くくっ。まぁそれでいい。)]
正直王宮缶詰を覚悟していたのでこの申し出は素直に嬉しかった。お酒おかわりするんじゃなかったかな。そう酔ってはいないから大丈夫と思うけど、朝から、それも知らない土地で出かける前に飲むなんて普段しない。まあこれ回復薬的なものらしいしね、おいしいし。
くいっと注いだ分は飲み干して、残りはピッチャーに、茶っぱは蓋付き陶器に移し替えて冷蔵庫へ。夜食も楽しみにしておこう。