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黒の外交官  作者: 鮎味
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2 ここにいない君を想う

友人の、頼門の書はオリジナルというだけあって、メモ書きがあったり二重線で消してあったりと纏まりがない。だがタタラが指輪を気にした理由はわかった。彼は心を病んだのだ。愛する妻に、家族に忘れられて。僕もそうなる可能性を危惧したのだろう。


良くできたもので召喚されると地球での自分の存在が抹消されるらしい。初めから存在ごと無かったことになる。人の記憶からは消え、辻褄が合わせられ、合わせられなかった物的証拠は消失するそうだ。それを目の当たりにした彼の特殊能力は"世界渡り"だったが、1日程度でこちらに戻されてしまう上に1度発動するとひと月は体調を崩し、数ヶ月は使えない。それも回を重ねるごとに滞在時間は減り、リチャージ期間は延びているからそのうち戻れなくなるかもしれないと綴られていた。


・・・そうか。僕が無かった事になるなら何も思い残すことはないな。甘ったれな彼女が、安心して頼れる人が見つかるといいが。


窓に目をやればもう夕暮れだった。オレンジに染まる世界。今更ながら開くことに気付いてガシャっと下にスライドさせるとすぅと心地好い風が流れていく。


・・・一緒にいた時間はどうやって辻褄を合わせるのだろう。ひとりで暮らしていた事になるのか。それとも別の誰かといた事になるのだろうか。最早どうでもいい事のはずだが、それでも生きる意味としたものの完全なる喪失は自分に損傷を与えたようで、感傷がわく。意味もなく生き、貪る。命ある限り自然を蝕んでいく。調和した循環から外れたどうしようもない生命体。この世界では、どうなのだろうね。



コッコッ。



本日2度目のノックが響く。軽食はサンドイッチと紅茶だった。味覚的には地球と大差無いようで美味しくいただいた。だが手洗いは水洗ではなくアメーバ式だった。上等な部屋だとスライム式らしい。どうでもいい気がする。ちなみに水道はあって、蛇口を捻れば水が出た。



[開いてるよ。]



1拍おいて、かちゃっとドアが開く。抱えた籠にはサンダルと柔らかそうな布が入っている。ドア横に置いてあるつっかけを履いてタタラが机までやってきた。



[・・・軽食は食べれたようだな。口には合いそうか?]

[ああ。おいしかった。]

[何よりだ。頼門も食には文句つけてこなかったから、そう心配はしていなかったんだが。苦手はあるか?]

[辛味や一部の香辛料が苦手だ。まあ出されたら気合いで飲み込むか逃げるよ。]

[ははっ。食べてみねぇと分からないものもあるしな。残してもいい。餌になるだけだ。あまり無理せずにな。]

[・・・アメーバのか?]

[どっちかといえばてっちゃんの餌だな。]

[ペット・・・?]

[いや、家畜だよ。何でも食べる。サンドイッチにも入ってたぜ。]

[ふうん。まあ破棄されないのはいいな。]

[だろ?優秀な奴なんだよ。くくっ、今度見せてやる。あれはアースにいない生き物だから驚くと思うぜ。とりあえずは食堂だ。着替えたらノックしてくれ。ああ、足裏は拭いとけよ。]



籠と濡れタオルを置いて代わりに空いた皿と半乾き(使用済み)の布巾を持ちタタラは戻っていった。


具にあった肉は鳥のようだった。そんな奇抜なみてくれなんだろうか。・・・バジリスクとか?異世界ならではだな。楽しみにしておこう。


サンダルはひとつだが他は何セットか入っているようだ。同色の布を取り出して各パーツに分ける。丈の長い長袖にゆったりしたズボンにベスト、下着はややタイトなトランクスとタンクトップ。靴下はなし。よく分からないただの布は恐らくベルト的なものだと判断し、最後に腰に巻いた。生地は綿のようで着心地はいい。単色の草木染めのようで、柄もなく、シンプルで素朴な装いだ。


濡れタオルを手に取れば暖かかった。瞼の上にのせてしばし堪能した後、足裏を清拭した。草を編んだようなサンダルだが底面も足首に巻いた縄もチクチクすることなくよく足に馴染む。冷たくなったタオルを持って共有スペースへの扉をノックする。顔を出したタタラに上から下まで眺められ、"問題なさそうだな、じゃ、外で会おう"とタオルを回収された。服の着付けはあっていたようだ。道中見かけた人々とも異なるがこれはどういう衣装なんだろうか。


互いの部屋から外に出て、食堂に向かいがてらに聞いてみる。



[ここにいる奴は殆どが制服だからな。それはデザインとしてはよくあるやつだ。街に出りゃ着てる奴もいる。各地で保護されたのが不定期に預けられるから、極力サイズを選ばない作りのを支給してるんだよ。室内着も兼ねてるからな。柔らかいだろ。]

[節約思考だね。]

[まあな。7セット支給されるから後は適宜洗濯してくれ。]

[洗濯機あったか?]

[風呂にある。あとで教えるな。]



食堂は最上階にあった。位置的にあのホールの上だろう。それなりに広い。厨房のカウンターで注文し、各自席に持っていくスタイルだ。メニューは定食2種に麺類1種、そしてカレー・・・のようなもの。異世界感はゼロだった。



[朝は1種だ。昼は定食か麺の2択。ああ、この指輪をはめといてくれ。これがデータをとって給料から差っ引くから。まあアースは10年タダだがな。自分がいくら消費してるか分かるから稼ぐ目標にしろよ。]

[明朗だね。]

[ホント引くぐらいに細かいぜ。何食うか?]

[A定食で。]



屋上庭園も解放されているそうで折角だから行くことにした。手入れの行き届いた植栽に芝スペース。ベンチやあずまやが多く設置されている。外灯は無いが代わりに光球がふよふよと漂い幻想的だ。地球でない事を改めて思い出していると、ぼふっと光球が沸いた。



[ん?・・・ああ、巡回してるのだけじゃ暗いからな。適正がなくともこのくらいの魔法なら使えると思うぜ。]



近くのあずまやに入りトレイを置く。ボタンに触れるとカバーがしまわれ湯気が立ち上る。移動中にこぼれることなく、冷めることもない。エネルギー源はトレイを持つ人自身、つまり僕だ。体表にある魔力を使ったシステムで、いわゆる家電の多くはそうして稼働するそうだ。



[普通に米で、炒め物で、汁物だね。漬け物まで違和感ない。タタラのは辛いか?]

[くくっ、カレーだったか。似てるらしいな。野菜をペーストになるまで煮込んで更に野菜と肉を投下する、至高のレシピだ。辛い日もあるが基本的にはそう刺激的ではない。ヌルにも食えると思うぜ。たまに魚を放り込みやがる日があって、それはいただけないと思うんだがな。]



厨房に猫耳がいる時は要注意だと言われた。"ジュレッド"と呼ばれるその料理はバリエーション豊かで家庭の味もそれぞれ、料亭では門外不出のレシピになるのだと語る。明日はそれにしよう。



[アースの味に似ているんだろ。不思議だよな。メニューは飽きさせることなく変わるが、大概はどこか知ってるような、違和感のない味だと頼門も言ってたぜ。そうだな、褐色肌がいるときは香辛料キツいからヌルは苦手かもな。]



料理担当がローテーションらしい。苦手な料理の担当は覚えた方がよさそうだ。



[月末は庭で市が開かれるから食材買って自炊することも可能だ。]

[随分開かれた王宮だね。]

[まあ警備は面倒だが軽い祭りのようなものだな。他国の出店もあるし指輪で会計できるから王宮缶詰の奴等にも好評だ。残念ながら終わったばかりなんで次は4週後だ。もともと休みだったしな、俺は顔だすがヌルもいかないか?]

[人混みは苦手なんだが。行くよ。]

[屋台飯もいいもんだぜ。]

[楽しみにしておく。]



それまでに買い物できる程度は言葉を覚えないとね。だが食材もタダか。いや記録はされているから仕事を王宮に求めるなら相応の使い方しないと雇われなさそうだ。給金から引かれるならまだしも税金だろうしね。監視下にあるとも言える。



[・・・市って服飾系もあるんじゃないか?アースによっては無限財布もたせるのは危険そうだが。]



彼女は衣装持ちだった。365日違う装いができそうだった。



[ああ、それは上限決まってるから平気。額は秘密だが普通に暮らしていれば問題ない。・・・ヌルは割りきってくれるから言えるがな、制限があると知られると、勝手に呼んどいてと激昂されるケースも多いんだ。その通りなんだがな。国庫が潰されては本末転倒なんで我慢してもらうしかないのが現状だ。]

[上限に達するとどうなる?]

[オーバー額を払い終えるまでは食堂でしか使えなくなる。後見人はそういう点も含め導くのが役目だ。だから危ないと判断すれば初めから食堂のみに制限して、市では仮払いする事もある。それならコントロールしやすいからな。高額なものが欲しい場合は事前に相談してくれ。分割払いにしとくから。]

[・・・後見人も大変だね。]

[くくっ。気遣いありがとよ。だがこれは立候補制の仕事だ。まあだれも付きたがらない場合は推薦制、要は命令がくるが。それでも手当てはつくんでな、アースが気にすることはない。]

[そうか。]



食事を終え部屋に戻る。自室ではなくタタラの部屋で晩酌だ。階段を降りたところでサンダルを脱ぐ。素足に気持ちいい床面に直接座って寛がせてもらう。



[頼門の手記、最後まで読ませてもらったよ。]

[・・・もう読み終えたのか。早いな。]

[さらっと目を通しただけだからね。結論から言えば聞きたいことはない。生活の上で知りたいことはあるが、過去にもアース召喚にも関わる気はない。能力にも興味はないし、責める気もない。余生をそれとなく過ごせれば満足だ。ただ、生活力が付いたら旅に出たいと思う。知らない世界を見て回る。特に自然に触れる事ができれば嬉しく思うよ。]

[そうか。ヌルは見るからに体力無いからな・・・せめて魔法に適正があるといいんだが。自然ってフィールドの事だろう?あそこは魔の領域だ。自衛できねえとすぐ死ぬぜ。]

[頼門はそこに行ったんだろう?]

[あいつは何だかんだ武の心得があったからな。それに今は森とはいえエルフの厄介になってるぜ。]

[まあ無理は言わないよ。私にできる範囲の自然を感じながら過ごせればいい。]

[わかった。協力する。]



お猪口に徳利。中身は米酒。つまみにはゲソ。ちゃぶ台を挟んで互いに注ぎあう。日本にいた時より和を感じる。



[タタラはあの手記読んだ?]

[いや、文字は教えてくれなかったんでな。読めない。ただ、同郷のアースがくることがあれば、まず渡して欲しいと頼まれたんだ。多少心情も入って読みにくいだろうがと言ってな。]

[そうか。]

[・・・手引き書的なものではなかったのか?]

[少し違うかな。分からないことの方が多いから、そのつもりで教えてほしい。]

[ああ、任せてくれ。]



にさんたわいないを話を交わし、"それじゃ風呂に"となった。湯船もあり、ボタンを押せば適量の湯がたまる仕組みで、シャワーもあるし石鹸もある。シャンプーはないようだ。



[共に入りながら説明できればいいんだが狭いからな。恋人でもねえのにこの距離感はヌルも嫌だろ。]

[そうだね、遠慮しようか。まあ殆ど知るものと変わらないようだから平気だと思う。]

[ひとつ、違うと思うぜ。石鹸は泡立てる必要はない。濡らした身体に滑らせるだけで十分だ。髪もそれでいい。こっちのは手で擦らんでも泡がたつんだよ。]

[楽だね。]

[後は洗濯か。別に洗うか?それとも一緒でいいか?]

[まとめてで構わない。]

[それならそこの蓋開けて洗い物を入れといてくれ。最後に風呂入った方が回そう。使い方は簡単だ。石鹸を・・・このくらい削って入れるんだ。ああ、これは先に入る方の仕事な。身体濡らす前にやるほうがいい。]



かぱっと壁面の蓋をあけ、爪でほんの少し削った石鹸を手布で拭いとり放り込む。



[いつもは脱いだ服ごしに削って服ごと入れちまうんだが。風呂はすぐたまるから洗いながらでいい。あとこれは俺の趣味だが、良かったら使ってくれ。これも濡らす前にな。]



上段の棚にある容器を渡され、開けてみると固形の入浴剤が入っていた。色違いのには別の種類が入っているのだろう。ヒノキのような香りで安らぐ。



[甘えさせてもらう。いい香りだね。]

[それは良かった。疲れも白湯よりゃとれるぜ。風呂からでたらこのボタンな。くくっ。押せば分かるから。最後の時はこっちのボタンも押してくれ。残り湯で洗濯機がまわる。着替えは外の籠に入れておいてもいいが俺なんかは裸のまま自室に戻っちまうな。洗濯は乾燥までやるから朝取り出せばいい。皺が気になる服は部屋のクローゼットに吊るしてボタン押せばとれる。洗えないような外套もそこに入れれば粗方きれいになるが酷く汚れた場合はクリーニングに依頼している・・・そんなところか。]

[なるほど。知るものよりよほど便利だよ。]



自室に洗い物を取りに戻る。召喚時に着ていた浴衣だ。タタラが気にしないのなら着替えは部屋でいい。


浴室が狭いと言うがひとりであれば広いくらいだ。単純にタタラがでかいのだ。教わった通りに服を洗濯機に放り込む。シャワーには温度調整も湯量調整もないがちょうど良い。石造りの湯船からは溶け出した入浴剤の香りが立ち込める。石鹸を滑らすともこっと泡がたった。・・・楽だし楽しい。ざっくり滑らしたあとは泡をのばして洗い終える。髪もキシキシしない。タイミングよくたまった湯に浸かれば温泉のようなとろみで染み入る。やや高めの湯温も好みだ。窓を開ければよい風が入り、眼鏡があれば星空も楽しめただろう。


すっかり満喫してからあがり、含みをもたれたボタンを押す。


ばふんっと空気が押し出されてきたと思えば身体が粗方乾いていた。これは・・・魔法?あの程度の風で乾くわけがない。



[お、あがったか。くくっ、びっくりしたろ?良いとこのだったら完全に乾くんだがな。籠にタオル置いといたからあとは拭いてくれ。籠に戻してあれば一緒に回しちまうし、明日洗ってもいい。]

[凄いね。風呂上がりはしばらく汗が吹き出るからタオルは明日洗うよ。]

[了解。冷蔵庫にある酒は飲んでいい。寝酒にいいぜ。ああ、茶も好きに飲めよ。歯ブラシも置いといたから。・・・髭剃りもいるんだったか。うっかりしてたな。]

[明日でいいよ。ありがとう。]

[ああ。じゃ後は好きに過ごせ。何かあればベッドサイドのベル・・・通信機で俺の部屋と繋がるから。]



そう言い残し入れ替わりにタタラが風呂に入る。歯ブラシは魔化製品じゃなかった。口内もさっぱりさせ、寝酒を分けてもらい自室に入る。


タタラの部屋は和だった。共用スペースへの扉すら引き戸だった。頼門の影響らしい。彼が出ていった際に部屋を譲り受け、更に作り込んだと言っていた。リフォームは可能だが畳は民芸品で値が張るとの事、そう頻繁ではないが市に職人は来るらしいので見かけたら注文することにした。受注製作なだけに残念ながら納品には時間がかかるそうだ。だがやはり自室では靴を脱ぎたい。ちなみに共用スペースも土禁だ。初めは中にスリッパが用意されていたが素足の方が好みなので片づけてある。僕の部屋だけ靴仕様なので月末の市ではとりあえず絨毯を買うことにした。


下着だけ身に付けてスプリングの効いたベッドに腰かけ酒を飲む。



・・・がらりと変わった世界。彼女のいない部屋。



あれこれ世話を焼いてくれる灰色狼。


ルームメイトとはうまくやれそうで、日常生活にもストレスを感じずにすみそうだ。新生活の始まりとしては申し分ない。ぽちっとそれらしいボタンを押せば天井の灯りが消え足元と枕元が灯った。もう1度押せば枕元も消えた。



・・・寝相の悪い相方はいないし、イビキも聞こえないから耳栓もいらない。


手を繋いできては汗ばんできたと離し、冷えればまた繋いできたりと自分勝手に入眠妨害をしておきながら気付くと先に寝ていたあのこはいない。


我が儘な寂しがりはもういない。



まなじりがしみて熱い。


自ら命を絶つのは自然に反するが故に。明日も生きるのだ。

覚えていないであろう君へ

僕は今、知らない世界に来ています。多くの自然が残り、その上で快適なライフラインがしかれているようで、地球よりも環境が良さそうに思います。このような形で意味を失うとは思わず困惑を隠せませんが、以前に戻っただけの事。幸い生活の基盤はあるのでのんびり余生を消化するつもりです。どうか心配は・・・いえ、もう僕は君の中に居ないのでしたね。記憶がどう捏造されているか知る由もないけれど。ただ、君が寂しくなければいいと、願います。

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