19 道
近いと言われた店は緑化公園を見渡せる一等地にあった。そこそこ・・・30分くらいは歩いたと感じるんだがこの程度は近いと表現されるらしい。王宮から仕立て屋に行くのも自転車かバイクが欲しくなる程度には遠かった。公園の入り口前には乗合馬車が停まっており乗降も多かったが、あの馬車を見たのは今日が初めてだったから本数は少ないのかもしれない。
半環の主要道路から逸れたことでまた少し幅員減少したが、まんま公園通りと名付けられていたあの道は華やかなタイルと花壇で歩車分離されており、センターラインこそないものの車道も乗合馬車がすれ違える程度の幅があった。道中他の車道との交差点もあってしっかり整備されている。それなのに信号機も横断歩道もないのが違和感を引き起こす原因のひとつだろう。
そうひっきりなしにくるわけではないので皆適当に横断しているが、歩くのは歩道というルールは遵守されており、横断は車道の流れを妨げないように行われていた。とはいえ、歩くのが遅くタイミングがとれないケースもあると思うのだが、信号機は大通りでしか見かけていない。まあ、あそこは中央分離帯もある2車線道路だから流石に必要だったと思われる。
西はロータリーを抜ければ程なくして歩車の境界は曖昧になっていた。それでも角付きが選んだ道は恐らく西側の主要道路であり、ここと同じくらいの道幅はあったと思うがたまに建物が張り出して狭くなるし、同等の広さの道との交差点は北の大通りまでなかった記憶がある。区画整理が進んでいないのは住居が多すぎるからかもしれない。歴史が古いのは西なのかもしれないね。あの公園も更地になってしまったからこそというから、単に戦時の被害が少ないエリアだったのかもしれないが。
"防衛主体の黒はちょっかい出されながらも長らくこっちに渡ってはこなかったんだが、流石に鬱陶しかったのか、終戦間際には遠征してきてたんだよ。それまでも個人単位では様子見に来てたりはしてたんだが、あん時は外門破られちまってな。"
見てきたように言うと思えば現場に駆り出されていたそうで、さらに言えば復興も手伝ったそうだ。公園に植えられた木々の一部はタタラの手による植樹らしい。ここ2階席テラスからはシンボルかつ慰霊碑だという立派な噴水がみえる。リズミカルに水の動きを変える様は正にデートスポットに相応しく夜にはライトアップも行われるそうだ。ずいぶんと賑やかな慰霊だね。
ぎゅっと詰まるように店が並んだ仕立て屋の通りとは違って、公園周りには小ぎれいなアパートメントが多くみえる。店もあるようだがここと同じでゆとりのある広さだ。公衆浴場などのサービス店もクリーンで落ち着ける広さがあり、家族連れにも人気らしい。木々で見えないが公園の向こう側には学校もあるそうだ。
するりと心地良い風が通り抜ける。
木の温もりを前面に出しているこのレストランは石造りの多いこの町では異質だった。ほぼ満席ではあるが、運よく入れ替えに座れたこの席は周りとの間隔も空いていて雑踏に疲れた心身を癒してくれる。出された水にはレモンが浮き洒落た感じで、公園前ではあるがファミリー層というよりは大人向けな雰囲気のある店だ。カップルもいるがゆっくり読書をしつつ、書き物をしつつといった風情の1人客も多い。昼過ぎとはいえ込み合う時間にそれが許されるだけの数字がメニューには書かれていた。
料理を待ちつつ貰った請求書をみる。店主の見せてくれた走り書きのメモでは読めなかったが、これは何となく読める。郷土の服を依頼したせいで商品名がほぼひらがなだけなせいもあるが。靴下や靴の部分には横並びで金額が書かれているが、ひらがなの横は2行書かれている。これは布代と仕立て代かな。ざっと計算して合算はあっている。ただ、割り引かれている感じはない。
「(布代はすでに値引き価格になってるって書いてあんぜ。)」
(この行?んー、3・・・パーセントってことはないか、3割引きなのか。)
「(そそ。仕立ての方も大抵は多めにみてるからオーダーの場合最後引かれることが多いんだがな、そこをチップとしてあげちまうと喜ばれるぜ。まあ、出来上がり見て決めりゃいい。やらねえと駄目ってもんじゃねえから。今回のは特に外套や手拭がお任せな分適当なんで詳細は最後に出すってなってるしな。もしかすると上乗せになるかもしれねえし。)」
ちなみに俺が購入した浴衣生地は半額だと得意顔だがあれは派手で人を選ぶ柄だったから売れ残ってたんだろう。それも元値が高かったせいで僕の布と同じ値段だった。というよりもよくよく解読したら均一価格セールだった。どうりで同じ数字が並んでいると思った。僕のはたまたま3割引き位になっていて、その旨がメモ書きされていたようだ。
チップ社会ではなかったから多く払う感覚が掴めないが、基本的にはあげる必要はないという。タタラのように誰しもが知る高所得者は比較的よく渡すようだが、渡さなかったからといって常識外れになることはないと聞き安心した。
「(さっきの例で言えば、値引き分をチップとするのは労いと応援の意味だな。想定より良い物だった、という場合もある。さらに上乗せで与えるのはよく考えた方がいい。額によっちゃ贔屓にするという意味合いに取られることもあるからな。俺みたいのがやると後援についたかのようにとられることがある。御用達とか書かれちゃ面倒だろ?中には単に釣りはいらねえってタイプも居るんで、まあその辺は店側のモラルにもよるんだが商魂逞しいだけで終わらず他で買うとネチネチ文句いう店もあるんだよ。)」
(それって専属契約として受け取られてるんじゃないの?オーダーの服はいつもうちで作ってくれるみたいな、暗黙の了解というか・・・そういう風潮だったりしないか?)
「(貴族にゃあるがなあ。爵位もねえ単なる獣人だぜ?軍用の仕入れじゃねえんだから勘弁してほしい。気に入りゃまた頼むかもしれねえがひとつに決めるなんてルールは面倒だ。好きに買わせてくれ。)」
(単なる隊長様ってあんまりいないと思う。)
「(そりゃ個人についた冠であって家についてるわけじゃねえだろうが。ただ、そうだな、急いでほしい時や特に期待してる時なんかは全額前払いかつ上乗せで渡すな。やる気出してもらいたいだろ?)」
ウェイトレスが器用に皿を持ってやってきたので請求書をしまう。4人掛けのテーブルに所狭しと皿が並べられる。ここのは創作メニューが多くてどれもうまいんだと大食らいがスモールサイズを沢山頼んだせいだ。見目にもこだわった料理達がぺろりと平らげられてしまうであろう未来に切なささえ覚える。流行りのインスタには興味もないし、料理は食べられてこそだと思うから目で味わい終わればそれでいいのだとは思うが・・・何かの作品かのようなこだわりぶりに旅の思い出にとカメラを手に奮闘していた彼女を思い出した。
ふふ。これも"美味しそうっ、美味しいっ、写真撮り忘れたっ"と言うんだろうね。
(パトロンたる資金さえあるなら個人に専属ってのもありだと思うけどねえ。)
「(重たいのは嫌なんだよ。その時々で応援したくなるこたあるがな。大体ヌルの後援だけで手一杯だ。)」
(私のは後見でしょうが。)
「(ははっ、違いねえ。だがな、アース云々抜きで投資してやってもいいと思ってるぜ?大事なうちの文官様だ。まずは食え。肉も脂肪も足りてねえよ。)」
(中年太りはしてるよ。)
「(それは訓練でなくなるから平気だ。気にせず食え。)」
フォークに串刺されてなお色鮮やかな野菜と肉が交互に挟まったひと品が口元に迫りくる。これをひと口でいけと。スモールサイズではあるがひと口サイズではないだろう。差し出された食事はスルーさせてもらい、同じ品がまだ載っている皿を引き寄せナイフで切り分けて口に運ぶ。すぐにでも嚥下してしまいたい程度には空腹だったが、あえてゆっくりと咀嚼した。うん、美味しいね。
(しっかり食べているのは知ってるでしょ。燃費が悪いだけだよ。)
「(くくっ、ノリ悪いなあ。こんくらい頬張れや。)」
(入るだけで噛めないと思う。せっかくのお勧めだ、味わって食べようよ。)
「(ま、そうだな。で、どうよ。うまいだろ?ここのはバランスがいいんだ。肉料理だって野菜がちゃんと入る。サラダにも肉か魚が入るんだぜ。)」
(アンチョビサラダにポテトサラダ・・・というかもうこれ肉じゃがじゃない?)
冷えた透明な器に盛られているのは2色だ。片方はよく知るポテトサラダでハムや玉ねぎとマヨネーズ風味であえてある。茶色い方は肉多めで汁は無いが温めて食べたい味がした。
各皿野菜がしっかり入ってはいたが、動物性たんぱく質もしっかり入っている為、全体的にはたんぱく質過多なんじゃなかろうか。お腹が苦しい。とどめとばかりにサービスですとジェラードが運ばれてきた時はご遠慮しようかと思ったが、小ぶりなスプーン3つに盛られたまさにひと口サイズだったから別腹としていただけた。流石に肉はのっていなかったがピスタチオとミルク、苺の3種だったからバランスはいいのだろう。メニュー考える人は凄いよね。
何らかの薬効がありそうな独特の茶をいただきつつ、腹を休める。少し消化しないと動きたくない。
(ふぅ・・・これじゃ紅茶シフォンはまた今度だねえ。)
「(受取りの時に行くか。ちっと時間ずらしてよ、そうすりゃのんびり食える。あそこはここと違って狭かったしな。甘味はゆったり楽しみたいんだよ。ごちゃっと入り乱れて飲み食いするのは好きなんだが、話もしない輩がすぐ隣にいるってのは落ち着かねえんだわ。)」
(それは分かる。パーソナルスペースは大事だよね。)
近かろうがシャットアウトすればいいだけだが、いないに越したことはない。ちょっとした工夫で快適にしてあることも多い部分だが、どうにもできない容積が残念な店はある。テーブル席であっても間隔が狭く横歩きしないと席に着けなかったりした。周囲の客との相性が悪いといくら美味しくても台無しだ。
近いからこそ見知らぬ他人と話に花が咲くこともある。僕自身はそうして話を聞くのは好きな方だが、彼女は苦手だった。デート中ではそもそも話かけられることも少ないし、結婚してからはもう彼女としか出かけていなかったから実のところ最近は楽しい。異世界という事を差し置いても新鮮な感覚がある。
ルームシェアも久しぶりで、新たに友人ができるのも久しぶりだ。"後見"という仕事ではあるものの、プライベートを共にする相手というのは友人と呼んでいいだろう。ラルとグラもただの知り合いだと言ったら怒りそうだ。こういうのを独身時代に戻ったと言うのだろうか。根無し草な軽い身は気が楽だ。
軽すぎて無くしても一向に構わない。
・・・あの子はちゃんと生活できているのかな。ほっとくと食事も作らないからなあ。ああ、実家が側だからそっちに移ったかな?
「(この後公園でも回るか?)」
(どちらかと言えば公衆浴場が気になるけど折角なら着替え持っていきたいしなあ。)
「(風呂好きか。なら今度西の温泉街も行くかね。)」
(西って角付きの言ってた隣町?温泉もあるの?)
「(おう。温泉を中心に栄えてる場所なんだよ。)」
(いいね。)
「(どうせなら泊りたいよな。それも連泊で遊ぶのがいい。うーん・・・スケジュールどうだったか・・・)」
(私の世話はおいといて、タタラにとっては久々の長期休暇になるの?)
「(ああ。・・・ん?いや、ちゃんと申請すれば連休はとれるぜ?そんな働きづめってわけじゃねえよ?戦時でもないしな。有事の際は呼んでもらえばいいだけだ。とはいっても心配だしな、日程は調整しないと・・・)」
(いつでもいいよ。呼ばれてもウザったいし、時期をみて羽根伸ばしにいこう。)
「(・・・なんか俺の為になってねえか?)」
(そう?気のせいじゃない?)
気持ちの良い天気に満たされた腹。ふわぁと欠伸がでる。下を見れば並んでいるのが見えて、午睡にこのスペースを使うのは少々気が引けた。本格的に眠くなる前にと席を立つ。
(お手洗いどこ?)
「(下だ。もういいのか?)」
(動けるくらいにはこなれたよ。ぼーっとしてると寝そうだ。)
「(ははっ。この時期は気持ちいいからなあ。よし、じゃ会計しとく。外で待ってるわ。)」
すっと伝票を手にタタラも立つ。ここの伝票は紙ではなくカードのようなものだった。デジタル化が進んでいるようだ。そういえば牧場ではいつ会計してたのだろうか。伝票らしい伝票を見た記憶がない。予約だったような雰囲気もあったが、角付は思い立ってついてきたように思う。まあ、いいか。
階段を降りそこ進めばあるぜと指さされた奥に向かう。ここも座るタイプだった。もしかしたら小便器はないのかもしれない。用を足すと飲み込まれて見えなくなるのだが、流れないというのは違和感がある。まだ牧場のぼっとんタイプのほうが馴染みがある気がする。どちらも消化吸収型と思うが、生き物なのだから更なる排出物があるだろうにそれはどうしてるんだろうか。
排出物があるなら油こしスライムはどこにだしていたのだろう。やはり油の中だろうか。そもそも油も食べてしまうのではないだろうか。魔物のなせる業なのか、人による品種改良の成果なのか。てっちゃんはステンレスを食べないそうだから、スライムも用途に合わせて嗜好性をコントロールしているのかもしれない。
異世界の謎に思いをはせつつ、御不浄を出てタタラと合流し目的地へと向かう。
今回の外出目的は果たしたし、もともと僕はノープランだ。聞かれたところでプランを立てる程の情報もない。ただ歩いているだけで脳にも筋肉にも十分刺激的なので、右も左も理解するべく引き続きタタラに連れ回してもらう事にした。つまり公園プランだ。
ただ、帰りは乗合馬車に乗ってみたいとリクエストしておいた。"隊長さん"としては若干嫌そうであったが、たまには、と了承してもらい、現在公園入口の時刻表を確認中だ。想像通り本数は少なくて1時間に1便で寝静まるような時間帯は0だった。
「(これな、タダなんだよ。国の事業だから。なんであんま本数ないんだ。路線決まってる分目的地によっちゃ遠回りだが無料で時間が決まってるのは便利っちゃ便利っつぅんで増発は検討されてるんだが。)」
(路線馬車は一般的じゃないのか。それじゃ馬車移動は個人所有でなければチャーターなの?)
「(んー、乗合馬車自体はあるぜ。もうちっと小型の箱が多いが、馬車の目的地までの道中に適当に乗り降りしていくんだよ。緑の旗出してるんだが・・・ああ、いたぜ、ほらあれだ。)」
(幌馬車かあ。)
「(荷物輸送の隙間に乗ることも多い。ついでに運ぶってスタンスなんで安いのが売りだな。荷に余裕あるときは旗が出る。)」
(つどどこ行きか聞くのは面倒だね。)
「(ルーチンワークな馬車もあるから、知ってるやつには路線馬車と同じだし、移動が多い時間にはギルドが手配したでかい幌が走るしな。まあ暮らしていく分にゃそう不便はない程度に乗り合えるようになってるようだぜ。)」
(他人事だね。)
「(俺らはあんま使わねえからな。)」
だだだだっと目の前の車道を複数の尾が遠ざかっていく。公園から出てきた女性も子を背にのせふわりとしたスカートをつまんで軽やかに走り去った。
(体力の差って如何ともしがたいよね。)
ここで言う歩道とは歩く為の道なのだ。馬車より早く走るなら歩道は使われない。だからこの道を車道と呼ぶのは少し違うのだろう。
獣人が皆が皆走っているわけではない。人を含めれば歩いている方が多い。だが人ですら逞しく走る。転移陣もあるにはあるが予め結ばれた地点でしか飛べない上に使うには許可が必要だそうで、一般的ではないそうだ。
僕が訪れた異世界は魔法世界でありながら"目的地が遠いなら走ればいいのよ"と書いてあった。