13 喧嘩の基本
うん、想定範囲。もしかしたら後はのんびり話して終り・・・という可能性も考えはしたが、そう甘くはないか。まあ、死んだだけだしな。貴重な体験ではあったけど、あれが訓練だったらそれはそれで嫌だ。死に戻りや不死の物語に準ずるなら死にも慣れるみたいだけどね。
(イエス、サー。何をいたしましょうか。)
「(やる気ねぇなあ。)」
(心外だな。こんなにやる気に満ち溢れてるというのに。)
「(くくっ、言ったな?まぁ、まずは基礎からだ。どんな動きもな、硬い身体じゃできねぇんだよ。ヌルのは全くってほど使われてないから急に動かしてもダメージがでかいだろ。治すのは大変なんでな。そこは慎重にいく。)」
そうして始まったのは柔軟運動だった。脚をのばして座り背中を押される。痛い。そんな曲がらない。無理。喉からは呻きが漏れ、身体が悲鳴を上げている。視界にたったったと軽快に走ってくる黒猫がはいった。近づくほどに楽しそうな顔に変わっていってる気がする。
「(うははっ、かってぇんだなっ。全然前屈なってねぇじゃんっ。それ、本当曲げてる?俺手伝ってやんよ。)」
持っていた箱をその辺にほっぽいて、足裏を合わせ僕の手を掴む。力業で引っ張られたら壊れると、斬られた時以上の恐怖を覚えたが、存外、ゆっくりと負荷をかけてきた。
[ぐ、・・・。]
「(息とめんなよ。にしても本当ガッチガチだな。引っ張ってもそんなもんか。夜と朝もやろうな。)」
「(隊長、ひと通りやってみるんでいいん?)」
「(おう。)」
ついで開脚。まずは自力で。結果、90度に少しおまけした位。ぐぐっとグラチェノーレの脚が更なる開脚を促してきた。裂ける、股が裂ける。・・・が絶妙に耐えられるところで止めてくれる。息を。息を止めないように・・・。すって・・・はいて・・・すって・・・。
「(あっ、グラ、ずるいっ。僕も手伝います。)」
ラルラミュートが背を押しにきた。ふー・・・っと意識して息を吐く。
「(弟分できたのがそんな嬉しいか?)」
「(そりゃあもう。あ、いえ、えっと・・・。)」
「(ははっ、いいじゃねえか。なぁ、ヌル。)」
(・・・かまわ、ない・・・)
「(俺ら最年少なんだけどよ、ヌルっていくつくらい?)」
やっぱり若かったかと納得したのだが、年をつたえるとラルラミュートが予感的中の同い年だった。グラチェノーレは年上だ。年が10離れてるのだが最年少の括りで纏められるほどの誤差らしい。寿命の差って凄いな。感覚が全く違う。
「(じゃ、横も伸ばしましょう。)」
訓練というより体育の授業のようにストレッチが進んでいく。一旦は追い払われてくれていたのだが、グラチェノーレを呼び水にわざわざ側でストレッチを披露する獣人の面々。皆柔らかい。いや、個人差はあるのだが僕ほど酷いのはいない。立ちブリッジから倒立し、ゆっくりと立ち上がる。スローモーションのバク転みたいだ。倒立しながら向きを変えたり脚を開いたり、回したり、伸脚していたかと思えばその脚を回し、蹴りのようになっていたりするがどれもゆっくりとした動きで、一応ストレッチらしい。
「(身体の動きを確認するにもいいんだぜ。ゆっくりってんは結構難しいんだ。勢いがない分しっかり筋肉で支えてやんないとならねえ。だがそれができてこそ、勢いがのった時の効果は倍増する。攻撃の重さがまるで違うんだ。)」
「(そうそう。怪我もしなくなる。勢いだけの攻撃は身体がついていかないこともあるからな。若い頃はよくやるんだよ。)」
「(早く動くのは気持ちいいからな。つい調子にのる。)」
「(大抵それで何とかなっちまうってんも大きいんだが、パワータイプ相手だと軽すぎてあしらわれちまうんだよなあ。)」
「(ま、凌駕するくらい速ければそれでもいいんだが、最低限の筋はないと反作用に負けるんで武器は小型になるな。下手すると針だ。暗殺系にはこのタイプが多いぜ。)」
しかも余裕そうだ。喋りながらやるのは良くないんじゃないだろうか。立ち上がり背を合わせ背負ってもらうといい感じで伸びて気持ちいい。彼女はこれで悲鳴あげてたから僕のほうがましだな。前屈はギリギリつま先に指先が届く分、彼女のほうが柔らかいのかもしれないが、気持ち標準体型より腕が長いと言っていたからどっこいどっこいだろう。
伸ばした状態から戻る度血が巡るようで、くらっとするような倦怠感と共にスッキリした感じもする。後半は屈伸やアキレス腱伸ばしなどひとりでできるものが多かったし、特段変わった運動もなかったが、こんな単純な運動すらしっかりとやったのは何年ぶりかというレベルで、我ながらお粗末な身体だと思う。
「(はい、お疲れ様です。基本はこのくらいです。)」
(ああ、ありがとう。はぁ、結構疲れた・・・。)
「(おっさん達のようなのはもっとこなれてからな?今やったら首折るからやめろよ。)」
(やれる日はこなさそうだけどね。)
「(くくっ、まだ初日なんだ、先が長いのは当然だろう。まあ道のりの長さばかりに目がいくのは萎えるからな。身近な目標をたてようか。)」
「(そうですね。まずは手の平が地につくまで柔軟性を高めましょう。)」
「(そこまでできたら組手やろうぜっ。大丈夫、まだ若けぇんだしっ。)」
(いや、私もおっさんだから。種族的年齢はグラチェノーレよりはるかに上だから。)
「(んー、いいじゃん、そんな細かい事は。最年少トリオで頑張ろうぜっ。打倒おっさんズだ、なっ?)」
「(はいっ、頑張りましょうっ。)」
手を掴まれ、"応ーっ"とふたりと共に上に掲げられた。微笑ましく周りの大人に見守られるが、僕にとって青春はとうの昔に過ぎ去った遺物なのだ。恥ずかしさもあるがまあ、ここはのっておくべき流れだろうな。苦笑いしつつ"おー"と続けばけらけらと楽しそうに笑われた。
「(ウォーミングアップはできたな。それじゃ走るぞ。まずは歩く。それから早めていって最終的にはダッシュだ。まずはどのくらいか見たいから1周な。)」
(了解。)
1階演習場をぐるりと回るコースだと指し示されると周りのおっさんズが"先に行っててるぜ"と駆けだした。彼らにとっては訓練になっているのだろうか。邪魔しているような気がしてならないがまあ自由時間らしいし楽しそうだから気にすまい。
歩き出し、合図で早足に、そして小走り、ジョギング、ランニングと速度をあげていき、ダッシュで戻ってきた。
ゴールテープを切る勢いで走り抜け、"いいフォームしてんじゃねえか"とお褒めの言葉をいただいたが、その当人は僕のダッシュがランニング・・・もしかするとジョギングのスピードだった。軽快に2周目に突入して去っていく。次々と走り過ぎていく獣人に労いと応援をもらいつつ、オーバーランした分をぜえぜえと荒い息のままふらふらと戻る。
「(なかなかいいな。自然に走れてる。くくっ。スタミナは全く無さそうだが。)」
(走らないでいい生活だったしねえ・・・。)
「(ヌル、まだいけるか?もうちっと走ろうぜ。負荷ちょいかけてかねえと体力ってなかなかつかねえから。)」
「(精神的な疲れは肉体よりも早く感じるんですよ。実際はもっと動けるんです。)」
「(俺の出る幕ねえじゃねえか。)」
「(いいじゃん、今日くらい譲れよ。)」
「(かかっ、見ててやる。やってみろ。)」
「(はいっ。)」
そうして古の昔から行われていたであろう全身運動の有酸素運動をみっちり行った。だんだん早く、だんだんと遅く、緩急つけながらも立ち止まることはない。休憩のように話しも、飲み物を提供されたりもするが、その間も歩いている。動いてないと死んでしまうかのように景色は回り続けた。
演習場内でなければ走行距離を実感できそうなものだが、同じところをぐるぐると回っているだけだからだんだんよくわからなくなってくる。飲み物イコール薄めた回復薬のせいか、両サイドからの励ましのせいか、思うよりもずっと長く走れた。ちなみに回復薬はおっさんズからの好意だがどれも不味い。白旗は途中でふっと消えた。だいたい1時間程度で消えるという。逆に言えば1時間も消えないわけで、話のネタにされるらしい。勝ち負けを、というよりも、白旗が出ているということは団体戦が行われたという証なので、どんな試合模様だったかで盛り上がるのだそうだ。
"白旗は気絶すれば自動ででますが自発的にもだせますしね。"
"その場を見てねえと情けねえ旗かはわかんねえしな。"
"でもできたら旗無しで終えたいとは思っています。"
"だな。"
走っている間にスィルが届けられた。どうもカイル老のベルトにひっかかっていたらしい。マントの横から白旗が出ていて気づいたそうだ。そういえば集めた蝙蝠に旗はでてなかったね。
ぱんっと手を叩く音と共に"全速力っ"と号令がかかった。
周囲のおっさんズもラルラミュート、グラチェノーレも風を残して隣から消える。やっぱ早いなと、一足遅くスピードをあげた。身体は重いがずっと慣らしていたせいかちゃんと脚は動いてくれて、疲れているわりにはダッシュできた。
「(よしっ、速度落としつつ歩いて戻れ。つぅか、お前らは従わねえでいいだろうよ。)」
「(いや、習慣って怖いね。)」
「(隊長の声、よく響くんですよ。)」
「(そうそう。条件反射ってやつ。)」
ゆっくりと息を整えながら歩く。こちらに来て以来の違和感が何なのか、今ならよくわかる。変わらず一定の、不自然な脈動。・・・手をあててみても、むしろ、何も感じない。
「(・・・痛えか?ダッシュは負荷かけてるからな。落ち着くまで歩いてろ。)」
(いや、もう平気だ。だが止まると動き出すのが億劫になりそうだよ。)
「(くくっ、じゃ、あえて止まろうか。)」
止まってもそれほど急なダルさは襲ってこなかった。とはいえ、すぐそこにあるクッションが気持ち良さそうだ。吸い込まれてしまいたい。ポルパロッタら野ざらし気絶組は起きたようだが、スィルはまだ目覚めない。居心地の良さに案外本気で寝てしまっているのかもしれない。
「(ヌルさん、結構走れますね。)」
「(途中で脱落することも考慮してたんだけどな。)」
(休み休みだったしね。)
「(それでも想定よりいい感じだぜ。次は軽く戦い方の基本だ。)」
なにかと思えば拳の握り方だった。ラルラミュートとグラチェノーレに関節硬いと言われつつ、それとなく形をつくり、"とりあえずは拳のあてる場所とまっすぐを意識しろ"と拳面を塀にあてた状態をつくられた。ゆっくりと拳を引き戻し、またゆっくりとあてる。反対も同様に繰り返す。
「(ずっとやってりゃ拳はもっとしっかり握れるようになるが、まあ素手に特化してえ訳じゃねえからそこまで気にしなくともいい。だが当てていい場所は知っておけ。てめえで攻撃して折ってちゃ世話ないからな。)」
「(反撃すん時ゃ鼻っ柱折ってやれよっ。)」
「(顔面ってあてにくいですけどね。)」
「(蹴りなら金的な。)」
「(そこもなあ。まあヌル相手なら油断してそうだしあたるかもしれねえが。)」
「(必ずしも急所じゃねえし、武装してたら大概ガードしてあるからやめとけ。)」
「(クリーンヒットさせて撤退まで完璧に決められる時で、他にどうしようもない場合だけだな。)」
「(露骨な急所狙いは敵味方問わず嫌われるし恨まれるぜ。ああ、目潰しもおすすめしない。)」
「("眼"は仕込みがある場合があります。魔力を溜めやすい器官なんですよ。)」
刻印とやらが出てるのも眼だったね。急所は誰しも守るものだから鈍い僕の攻撃があたるとは思えない。だが発案を却下されたグラチェノーレは不満顔だ。・・・僕の為の発言だったのだろうし、少し機嫌をとっておこうか。
(グラチェノーレ、名をなんて呼んでほしい?)
「(ん?)」
(何個か呼ばれ方あるみたいだから。)
「(おお、そうだな、"グラ"がいい。ラルラミュートは"ラル"だかんね、ヌルも2文字だし、トリオで揃えようぜ。)」
(了解、グラ、アドバイスありがとう。)
「("ヌル"、と呼び捨てても?)」
(構わないよ、ラル。同い年だしね。)
すぱっと感情を入れ換えて楽しげにパンチの形を見てくれる。・・・いい子だよね。彼女は一度へそを曲げるとなかなか戻ってこなかった。正論がどうあれ、本人にもどうにもできないようだったのだけど、そこを指摘すると益々戻らないから難しく、かといってほっといたのが良かったともあまり思えない。確かに"まずは認めてほしい"とよく言っていた。認められるかは時々だと思うのだが、そう言うと"第一印象が大事なのと同じで、最初の言葉が上げるものか下げるものかでだいぶ違うんだ"と、もごもごとリクエストしてきていた。
が、何が下げるのか理解できない僕は話題を変えるのだ。だが引きずる彼女は乗ってこない。白黒つかないのが嫌とでも言うように、グレーに混ざるまで時間がかかる。面倒なのにね。それでも僕がいいと頼ってくれた人だから。みてないと危なっかしくて仕方のない人だったから。気になって置いて逝けなかった。
「(蹴りもやっとくか。これも殴るのと同じであてる場所を意識するといい。)」
「(まずは脛をあてるのがいいかと思います。)」
「(踵とか強いけどな。)」
「(身体が柔らかくなんねえと自爆するわな。威力上げるなら回しだろ。)」
(踵落としも回し蹴りも難しいね。)
難しいというよりもできない、無理、と言いたいが、もはや根負けだ。いずれやれる、やれるように鍛えると意志が伝わってくるだけに濁さざるをえなかった。
「(拳造るよりは楽だと思うぜ。こんな感じで・・・腰を回して腕を振り下ろす力もつかってな、膝蹴りのように繰り出しつつ・・・鞭のようにしならせるっ。)」
バシンっとラルのガードにあたる。のんびりと解説つきで最後だけ素早く、それでもなかなかにいい音がした。
「(腹を狙う感じだな。ガードはラルのやったように脚でもいいし、拳で払ってやってもいい。ああ、そも避けれるならそれが1番いいぜ。ガードっても痛えから。)」
「(鍛えが足りないとガードにすらならないです。致命傷を避ける効果くらいでしょうか。)」
「(コツはあんだよ。魔法使うんだ。けどこれも慣れてからだな。)」
「(そっちも追々な。殴り方も蹴り方も知れば防御もやり易い。年齢的に体力はきついだろうが、結局身体で覚えるのが最も時短だ。)」
(ああ。やれるだけ、やるよ。でも・・・そうだね、完璧になれなくとも、外には行く。王宮内で死ぬのは無しでお願いしたい。)
「(・・・わかった。アースもなあ。もっと長けりゃいいのにな。)」
「(短けえんだったな。)」
「(何ででしょうね。白よりも短いなんて。)」
(自分では短いとは思わないのだけど・・・死ぬ頃になっても見知った顔が若いままなんだよね。それは何か変な感じだ。)
「(ちゃんと送ってやっから、安心しろ。)」
「(ちょっと、グラ、縁起でもないこと言わないでよ。)」
(ふふ。看取れたらお願いする。フィールドで野垂れ死ぬ可能性も高いから無理はしないでいいよ。)
「(探します。)」
「(骨は拾ってやる。)」
(・・・ありがとう。)
野晒しで構わない。食い散らかされ時間をかけても土くれになれるならそれでいい。墓など望まない。だが惜しんでくれる者がいるのは、ありがたいと思うよ。例えこの身がアースが故の縁に過ぎないとしても、その時にもそう思ってもらえるような関係になれたなら。
きっと楽しい生であったと胸を張れる。死後も輪廻は信じていないけど、彼女に報告に行きたいね。全うしたよって、そちらはどうでしたか、と。
体幹ぶれぶれを支えてもらい、こんな感じと腰や腕脚を動かしてもらいグラの持つクッションに脛をあてる。硬さゆえに脚も上がりきらず伸びきらずと何とも不恰好ながら両足とも繰り返す。
「(これ身体が柔らかくなってく目安にいいな。)」
「(上達が目に見えてわかりますねっ。)」
前向きな感想に苦笑いで応える。
「(くくっ、そうだな、殴る蹴るは喧嘩の基本だ。次は武器と言いたいところだがもうちょい柔らかくなってからにしよう。)」
引き続き喧嘩の基本を繰り返し行って、最後に軽くストレッチをした。行ったことはないがジムってこんな感じだろうか。専属トレーナーがいるというのは心強いね。このままついていけばいいのだと、赤子の刷り込みのような安心感がある。まあ今現在の状況では"タタラである"ことが絶対の根拠たるのだけど、見知らぬ人でもそうなのかな。
その上同室だから否応なく毎日続けられそうだ。一緒にやってくれる人がいるのはいいよね。彼女僕以上にさぼるし動きたがらないからなあ。それでもトレッキングには付き合ってくれるし、彼女も自然は好きなんだよね。尾瀬で死にかけてたからやっぱり体力もう少し付けた方がいいと思うけど。それはまあ僕もか。
午後の訓練メニューは終了だと言われ、息をつく。が、これで終わりじゃないのだからハードな授業だ。体育の時間の後は机上でのお仕事が待っている。汗臭いから先にシャワー浴びてきていいかと尋ねたら、ふわっと一瞬なにかに包まれたような感覚がして、すっきりした。
「(時短だ。フィールドじゃこんな感じで清潔を保つんだよ。)」
浄化魔法か。そんな便利な魔法がありながらよくお風呂文化が育ったな。もしかしたら湯につかるのは身体を洗うとは全く別の習慣だったのかもしれないね。
執務室に向かおうと歩き始めると、捨て置いた箱を拾い直したグラだけでなく、ラルも、何故かおっさんズの大半もぞろぞろとついてくる。
「(おい、なんでついてくるんだよ。)」
「(いや、仕事風景みておこうかと。)」
「(文官の仕事、あんまり気にしてなかったし。)」
「(ちゃんとできてるか不安だしなあ。)」
「(たまには事務室いかないとどこにあったか忘れそうで。)」
「(新人の歓迎会、するんだろう?)」
「(お前らが騒ぎてぇだけだろうが。ったく、しゃあねえなあ。ヌル、夜は宴会でもいいか?)」
歓迎会。もうすでにされた気がしていたが、確かに3番隊としてはしていない。まあ、夕食がどのような形になっても食べれれば問題ないので頷いておく。宴会費は福利厚生費でいいはずだがその枠はあるのかな。もしかしてこれもおやつ代だろうか・・・結構な額予算があったからなあ。
転移陣は人数制限があるので年少トリオとタタラでまず跳んだ。その後も次々と転移してくる。廃屋のように伽藍洞だった執務室が随分と活気づいている。遅れて更にキリら手に書類を持った組が現れた。スィルもいた。いつの間にやら起きたらしく、人型で服もちゃんと着ている。もしかしなくても全員いるらしい。タタラがため息をついている。演習場に揃う事はあってもここに揃ったのは初めてらしい。それほど僕の赤子オーラは魅力的なのだろうか。まあ仕事しやすいので構わないが。
片っ端から書類を回収していく。詳細は後ほどだが枚数的には不足なさそうだ。
「(・・・ありがとう。たすかる。)」
「(あのなあ。こんなすぐ出せるのなら出しとけよ・・・。)」
「(いや、ここまでくるのが面倒で。)」
「(ヌルが優秀ってことでいいんじゃね?)」
ついでに指輪のデータみておくようにと指示してもらい、3階にあがる。ブーイングが入ったが邪魔になるのでここには年少トリオとタタラのみだ。
「(ふふ。凄いですね。)」
「(構いたがりが多いからな。それにしてもこれほど効果があるとは思わなかった。)」
「(ちゃんと説明してくれたしな。他の奴らも聞いてたんだろ。)」
「(そうだな。大人としてラーチェ以下は嫌だよなあ。)」
「(ちぇっ、ヌルが助かるんなら別にいいけどよ。)」
室内に戻ったが裂けた場所が悪く腹が冷える。何かないかと聞いたら"着替えもどりゃよかったな。うっかりしてた。そうだな、これでも巻いとくか?"とさらしを手渡された。上着を脱いでズボンを腰下に下ろし適当に巻いていく。腹巻も買いたいね。あの伸縮性のあるタイプがこっちにもあるといいんだが。
「(細っせぇなぁ。あばら浮いてんじゃん。)」
(お腹でてきてるしね。細くもないよ。)
「(出てるって程じゃないでしょう。筋肉つけばしっかりしますよ。)」
「(フィールドに行く頃には筋肉の形が分かるようになってると思うぜ。)」
(シックスパックか。楽しみにしとくよ。)
さて、揃った分が合っているか確認してしまおう。言葉の練習をかねて発音しつつ、グラのおやつ談義を楽しむ。グラの請求書は殆ど食べ物だしね。大通りで人気のクッキーは下町のパン屋が卸していて、そこにいけば形悪いのが安く買えるとか。古くなったフルーツを安く大量に仕入れて加工屋に持っていくとドライにしてくれて日持ちするのだとか。市でまとめ買いした異国の魚缶はおやつに認められなかったとか。これにはラルも悲観していたから主食が魚の動物がベースの獣人なのかもしれない。ふたりで分けあったが美味しかったそうだ。
グラの金銭感覚は甘いのかと思っていたが、役所への申請を理解してなかっただけで、実態はやりくり上手の主婦のようだった。やたらまとめ買いしてるのも、ちょっとそれっぽいよね。食べきれなければ駄目だけどちゃんとなくなってるし。
片割れのいない書類が次々にペアになっていくのが楽しい。新たな納品書もでてきた。午前中に仕分けが済んでいた納品書全てに請求書があてがわれたところで"今日はこれで上がりだ"とタタラが言う。
「(定時?)」
「(ああ。きりもいいだろ。お疲れさん。)」
ぐっと伸びをしたらぐーっと鳴った。"ひと切れじゃ少なかったですよね"と笑われる。そんなことないと、美味しかったと礼を言えば、"あれな、こいつの苦手克服メニューなんだよ。体よく押し付けたんだ、礼はいらねえ"とタタラがラルの頭をぐわしっとする。遊ばれるラルは年相応の幼さをみせ、僕よりよっぽど庇護欲を誘うと思う。鶏肉が苦手らしい。なるほど、あれはタタラがつくってたのか。どうりで知った味なわけだ。
「(行こうぜ、キリがごねてる。)」
「(そうだな。)」
そういえば外が少々騒がしい気がするがキリの声は聞こえない。狙い撃ちの念なのだろう。それなりにお仕置きが痛かったらしく涙目のラルを慰めつつ、書類を片付けを戸を開けようとしたら大きな手に目隠しをされた。
「(主役だからな。)」