第九話 殺してやる
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食事を済ませた帰り道。飯屋に入る前よりも人の往来が減り、衛兵の姿が目立ち始めた。
ああ、そう言えば、衛兵のアーベルトさんが宿が決まったら知らせてくれと言っていたっけな。
冒険者ギルドに加入することも併せて、今の内に報告をしておくことにしよう。
「恐れ入ります。衛兵のアーベルトさんは、何処の詰所にいらっしゃるかご存知ありませんでしょうか?」
三人組の衛兵に尋ねると彼等は姿勢を正し、まるで大企業の社長や会長を相手にするような緊張感を孕んだ態度で今の時間帯にアーベルトさんがいるであろう場所を教えてくれた。
彼等に一礼して詰所へと足を運ぶ。
暫く進むとリディリアさんが「プッ」と噴き出した。
「蒼一郎さんが凄く丁寧にしていたから、あの人たち緊張しちゃってましたよ!
多分、蒼一郎さんのことを何処かの貴族だって勘違いしたんじゃないんですか?」
また笑われてしまったけど、彼等が胡桃さんのことを怪訝そうな目で見ていたから仕方が無い。
人の身体に犬の耳と尻尾が生えた胡桃さんは『半獣』と呼ばれることがある。
ライカンスロープだの、半獣だのが何なのかは知らないが、彼等の反応から察するに被差別種族のようなものだと思われる。
トーヴァーさんからも貴族と勘違いされた挙句、『半獣を連れ歩くのが趣味のアナーキスト』なんて言われた。
極力、馬鹿丁寧に振舞っておけば向こうの方が勝手に性質の悪い貴族と勘違いしてくれる。
つまり余計なトラブルを避けることが出来るというわけだ。
現実世界だってそれは同じだ。相手が余程の社会不適合の大馬鹿者でも無い限り、馬鹿丁寧に振舞っていれば、相手を過度に緊張させて面倒ごとを有耶無耶にすることが出来る、ときもある。
出来ないときもあるが。
まあ、何にせよ横柄でいるより丁寧でいた方が得することの方が多いのだ。
「自分が貴族だなんて節穴ですねぇ」
事細かに聞かせるのも無粋でしかない。取り敢えず、肩を竦めてお道化て見せる。
程無くして、衛兵団の詰所に辿り着き、中に入るとすぐにアーベルトさんと会えた。
残念なことに馬鹿丁寧に振舞っても、一般の衛兵たちのように恐れ慄いてくれなかった。
「そうか、魔人に対抗するために冒険者ギルドに、か」
復活した魔人を皆殺しにする。遥か彼方にも続く遠路のような目的を達成するための第一歩。
その為にも帝国中の全組織に関われる冒険者ギルドは都合が良い。
現状、彼には此方の思惑全てを語る必要はないが、臨むように自分の顔を凝視する彼の表情から察するに大体なことは悟ってくれたと見て良いだろう。
別に構わない。上手く立ち回れば彼が帝国とのパイプ役となってくれることだろう。
カトリエルさんから冒険者ギルドへの紹介状を貰えるのが三日後。トーヴァーさんとの合流も三日後。
そして、この暇な三日間の間にアーベルトさんが依頼を持ってきてくれる筈だ。
後から調べて知ったことだが、この冒険者ギルドって奴は荒事専門の何でも屋なんてヤクザな商売をしておきながら、その内部事情は健全も健全。
クリーン過ぎて思わず裏を疑ってしまう程、クリーンな組織だ。
王族だろうが、貴族だろうが、依頼の正当性を裏付けるための面倒な審査や、長ったらしい調査が行われる等、お役所的な性格が強い。
組織としての機動力だけに限れば、下位互換に相当する戦士ギルドの方が上だ。
自分を使いたければ、フリーの間に声をかけてくる筈だ。
そして、声がかからず仕舞いで三日目の朝が訪れた。
やることが無さ過ぎて胡桃さんと散歩ばかりしていると『半獣を連れた変人』という有難くない称号を頂いてしまった。
商業地区にボールが売っていたので、それを買って胡桃さんとボール遊びをしようと思ったのだが、ここで予想外が起こった。
胡桃さん、まさかのボールを口でキャッチ。
しかも、それを人に見られた。一躍、時の人である。マイナス方向に。
気を取り直して、ソウブルーの大正門前でトーヴァーさんと合流。
無事にリディリアさんを引き渡して依頼は完了、となる筈だったが……
「リディリアに指輪を渡しただと?」
無表情で問いかけるトーヴァーさんの妙な迫力に気圧されそうになる。
怒っているのか、悲しんでいるのか、失望しているのか、感情が全く読めない。
後ろめたさばかりが込み上げてくる。
「深い意味は無いですよ? 護衛の依頼を受けたにも関わらず、自分の用件を優先してもらってばかりだったので、そのお礼として差し上げたに過ぎません」
我ながら言い訳がましい物言いだ。
「そもそもの話としてだ。儂の依頼はリディリアをソウブルーまで無事に連れて行くこと。
到着後の護衛は頼んではおらんはずだが?」
そう言えばそうだった……か? いや、トーヴァーさんの言う通りだ。
ソウブルー到着後については何も言われていない。
ソウブルー到着直後に殺人事件なんて起きたせいで一人で彼女を放り出すのが不安だった。
トーヴァーさんと再会するまでは一緒にいた方が良いと勝手に思って、そういう依頼だったと勘違いを引き起こした。挙句この様だ。
「無償労働するくらいにはリディリアが魅力的に見えたということかね?」
「えーと……」
しどろもどろになりながら一歩後ずさりをすると、トーヴァーさんが二歩踏み込んで声を潜めた。
「リディリアも十八の行き遅れだが、お主も二十過ぎで嫁の来手が無いのだろう? こちらとしては丁度良い縁なのだがね」
トーヴァーさんが『十八の行き遅れ』という言葉を強調するように更に声を潜めたが、十八ならまだまだ子どもの範疇だ。
そして、嫁の来手が無いのは事実だが余計なお世話だ。今時、三十過ぎが初婚だって全然普通だ。
従って自分が結婚を考えるなど早過ぎると言っても過言ではない。
何よりもだ――、
「お客さんのことをそんな目で見ませんよ。素人じゃあるまいし」
――これが全てだ。
ぶん殴られるかも知れないが、はっきりさせておいた方が後腐れが無くて良い。
「何も考えずに指輪を贈った? お主、結婚詐欺師の素質があるのではないかね?」
殴られはしなかったが口撃が飛んできた。現実世界なら名誉棄損で訴えてやるところだ。
「迂闊だったことは認めます」
そんなやり取りをした後、トーヴァーさんの宿を取りに外出していたリディリアさんと胡桃さんが戻って来た。
この数日で随分と仲良くなったものだ。
居心地の悪さから逃れるためカトリエルさんの店に行くことにした。
元から戻り次第、一緒に行くという約束をしていたので、彼女が戻ってきたタイミングは渡りに船。理想的だった。
だが、行き遅れを家族に持つ中高年からは逃げられない。
何故かトーヴァーさんが同行することになった。
『もう依頼は片付いたんだから着いて来るな』
――なんてことが自分に言えるはずも無く、半ば押し切られる形で一同カトリエルさんの店へ。
「いらっしゃい。お望みの物は全て用意出来ているわよ」
三日前の面子に中高年が一人増えてもカトリエルさんは涼しい顔を崩さない。
流れる様な所作でカウンターの上にチョーカー、指輪、紹介状を置いた。
「胡桃ちゃんのチョーカーには半自動展開障壁。戦術級軍用魔術でも一発までなら完全に無効化出来るわ。
リディリアは自動再生。傷は勿論、激しい運動直後の体力回復、病気で落ちた抵抗力の回復にも効力を発揮するわ。
充填している魔力を開放すれば効果を強めたり、他人を癒すことも出来るようになるわね」
自動再生も中々魅力的な効果だ。また宝石が手に入ったら次はそれにしよう。
そうすれば散歩後の体力消耗も軽減される。今の胡桃さんは十五歳の少女だが、本来は十五歳のお婆さん犬だ。
胡桃さんの健康的且つ、活力的な老後に必要不可欠だ。
現実世界に持ち込めるかどうか……、今は考えなくても良いか。
「胡桃さん、付けてあげるから、ちょっとだけ『待て』ね」
「うん!」
尻尾を振って待つ胡桃さんの首にチョーカーを付ける。
良い具合にレッドダイヤが胡桃さんの可愛さを引き出している。
元から赤が似合う子ではあるが、中々の名脇役ぶりを発揮してくれている。
「よし、OK! 胡桃さん可愛いね~!」
「胡桃さん、よく似合ってて可愛いよ!」
「ええ、胡桃ちゃん、可愛いわよ」
口々に胡桃さんを誉めそやす自分達の姿にトーヴァーさんが視線を右往左往させながら、うろたえているが気にしないことにする。
アウェー感が半端ないかも知れないが、無理矢理ついてきた以上、ここはそういう空間なのだと理解してもらうことにする。
「では、次はリディリアさんですね」
「あ、えっと、はい」
リディリアさんの手を取ると彼女は赤面して俯いてしまった。
そして、トーヴァーさんが食い入るように此方を見ている。
しくじった。現実世界なら笑い話で済むが、こちら側では無言で口説いているようなものだ。
それをトーヴァーさんの態度で何となく察してしまった。
条件反射的に「よくお似合いですよ」なんて口走ってしまった。
後で生活習慣の違いだからということで納得してもらうことにしよう。
納得してもらえるかどうかは考えないことにした。
「では、この紹介状は有難く活用させてもらいます」
「ええ。是非そうして頂戴。これから頼りにさせてもらうわね」
リディリアさんが美女、美少女では無いとは言わないが、矢張り、カトリエルさんは別格だ。
飛び切りの美女から頼りにされて男としては「よし! やってやりますか!」と気合いが入るのは当然だ。
取り敢えず、冒険者ギルドに行って登録だけ先に済ませてしまおうと思った矢先のことだった。
腹の底に響くような轟音――、いや、咆哮が外から鳴り響いた。
その声量はカトリエルさんの店の窓ガラスを激しく振動させる程の凄まじいものだった。
「カトリエル!」
緊迫した声と一緒に男が店の中に飛び込んできた。衛兵のアーベルトさんだ。
「今のは何事かしら?」
逼迫した様子のアーベルトさんとは対照的にカトリエルさんは普段通りに涼しい顔をして口を開いた。
「私の聞き間違えで無ければ魔人ライゼファーが使役するドラゴンの咆哮みたいだったけど」
「そうだ。今、衛兵団が討伐隊を編成している最中だ。お前たちは今すぐ戦士ギルドに避難しろ!」
「蜥蜴程度なら私が出ましょうか?」
王家簒奪を目論む無法者に復活する魔人。
極めつけがドラゴンを相手に臆することなく立ち向かう錬金術師の美女。
いよいよ、自分の夢もファンタジー染みてきた。
魔法が使える宝石を貰っておいて今更かもしれないが。
トーヴァーさんは愕然とした表情を浮かべている。
リディリアさんは不安げな表情でトーヴァーさんに身を寄せている。
カトリエルさんの態度が泰然としているせいか、或いは咆哮に驚いて自分の腕にしがみ付く胡桃さんのお蔭で恐怖心は全く無かった。
「避難しろと言っているんだ。相手は耐魔術装甲を持つスケイルドラゴンだ。
魔術師や錬金術師の出る幕ではない。今回は衛兵団に任せておけ」
「そう。それじゃあお言葉に甘えるわ」
「そうしてくれ。倉澤、お前は……出られそうにないか」
アーベルトさんは自分の腕にしがみ付いて震える胡桃さんを見て、そう言った。
胡桃さんがいなくても出るつもりは無い。ドラゴンと戦えるなんて自分は自惚れてなどいない。
やれる事ならやるが、やれない事をやるつもりは微塵も無い。
「自分では力になれそうにも無いですね。避難中、逃げ遅れている人を見かけたら誘導しておきますよ」
「分かった。そちらは任せる」
飛び込んできた時同様の勢いで飛び出していった。
恐らく、他にも逃げ遅れがいないか確認に行くのだろう。
仕事熱心で何よりである。
「それでは荷物を纏めて避難することにしましょうか」
自分達は手荷物だけしか無いが、カトリエルさんの店の中にある錬金道具の数々をどうやって避難させたら良いものやら。
彼女には随分と世話になったので骨を折るのはやぶさかでない。
「では行きましょうか」
開口一番にそう言ったのは一番準備に手間取りそうなカトリエルさんだった。
彼女の荷物はカウンターの裏にある手提げ袋一つ、中には幾つかの本が入っている。
「荷物はそれだけですか?」
「ええ、商品は持ち出せないように結界を張っておくわ。
持続時間は一時間も満たないけど、スケイルドラゴン一匹くらいなら問題はないでしょう。
念のために調合書だけは一緒に持っていくけど」
彼女はレジの中にある金にさえ見向きもしない。
商品や金は錬金術師らしく、また生み出せば良いと思っているということだろうか。
そう思っているとカトリエルさんは自分の方に振り返り、ウインクをして言った。
「これ、私が書いた世界に二つとない秘伝書なのよ」
自慢の一品ということか。何はともあれ、これで後は逃げ遂せるだけだ。
カトリエルさんの店から外に出ると、多くの人間がギルド地区を目指して駆け出している最中だった。
「逃げ遅れがいないか確認しながら、ぼちぼち行くとしましょうか」
何せソウブルーは螺旋状の長い坂道が延々と続く。
家財道具一式を乗せた荷車を引いて上層にあるギルド地区まで行くのは中々骨が折れるらしく、その歩みは遅々としていて街路は混雑を極める。
身軽な連中が荷車を引く住民たちに罵声を浴びせ、暴力を振るう姿がちらほらと見える。
尤も、そんな不逞な輩は避難誘導を行っている衛兵たちに殴り倒される羽目になる。
拳で殴られるならまだ良い方だ。鉄製の盾や鞘でド突き倒された奴は痙攣したまま立ち上がろうとする気配すら無い。放っておいたら死ぬんじゃないだろうか。
それにも関わらず、衛兵たちはそいつらを助ける素振りも無く、興味を失ったように踵を返し、荷車を引く住人の手助けに戻っていった。
悪人と言うか、秩序を乱す輩には生き辛い土地という印象をより深く感じた。
「あの手の悪漢は放っておくとして、衛兵たちの手が届かない所を回りながら避難しましょうか」
だが、変な気紛れを起こさずに、さっさと避難しておけば良かったとすぐさま後悔することになった。
魔人ライゼファーのスケイルドラゴンが現れたと言っても、ソウブルーは非常に広大な都市だ。
観光バスは無理にしても歩道を整備して観光馬車くらい走らせなければ到底回り切れない程だ。
だから何だかんだでドラゴンが攻めて来たところで自分達の所には来ないだろうと高を括っていた。
そのドラゴンがまさか自分達のいる方に向かって来るなんて思いも寄らなかった。
流星の如く空から落下して来たドラゴンはその巨体から生み出される衝撃で職人地区の建物を粉砕する。
破壊された溶鉱炉が宙を舞い、飴状に溶けた鉄が商業地区に降り注ぎ、火災を引き起こす。
火薬か何かに引火したのだろうか。立て続けに爆発が巻き起こる。
空からは焼けた鉄。地面からは爆炎と共にはじけ飛ぶ煉瓦や木片の弾丸が避難中の住民たちに襲いかかる。
悲鳴と怒号に混じって人が破壊される音が聞こえた。それが更なる混乱と惨事を引き起こす。
ドラゴンはまだ何もしていない。ただ空から職人地区に着地しただけだ。
たったそれだけの事で、これほどの被害を引き起こした。
まるで人間が足元の蟻や虫を気付かずに踏み潰してしまったかのように。
だが、奴は違う。気付かずに人間を踏み潰してしまったのではない。
自らの意思、或いは魔人ライゼファーの意思で惨事を引き起こした。
ならば、あのドラゴンが次にやることは攻撃。更なる惨事を生み出すことだ。
「あれが魔人の眷属、ドラゴン……!」
トーヴァーさんが声を震わせる。アレで下っ端なら、肝心な魔人はどれ程の脅威なのか。
魔人を皆殺しにするなんて身の程を弁えない大言壮語なのかも知れない。今更になってそう思った。
側に胡桃さんが、家族がいてくれたお蔭でどうにか心を折られることなく平静を保っていられる。
「これは流石に避難した方が良さそうですね。戦士ギルドに急ぎましょうか」
「ええ、そうしましょう。見かけによらず冷静なのね、貴方」
そう答えるカトリエルさんにも焦った様子は無い。
アーベルトさんと話をしていた時の事を察するに、多分この人はドラゴンよりも強い。
あのスケイルドラゴンとは相性の問題で倒すことは出来ないようだが、倒せずとも此方が殺されないようにするくらいの力は持っていると見ても良い。
この緊急事態に女性を当てにするのは男として忸怩たるものを覚えずにはいられないが、カトリエルさんの側にいれば危険はあっても最悪は無いはずだ。
それが分かっているだけに冷静さを欠かずにいられる。
「怯えている家族を差し置いて自分が前後不覚になるわけにもいきませんからね」
破壊を巻き起こす巨大なドラゴンの姿に胡桃さんが完全に縮み上がっている。
耳と尻尾が垂れ下がり両手で自分の右腕に強くしがみ付き、ドラゴンを視界に入れたくないと言わんばかりに顔を押し付け、爆音やドラゴンの咆哮が辺りに響き渡る度に身を強張らせ、涙声混じりに荒く呼吸をする。
激しい雷雨の時と全く同じ反応だ。そう思えば幾分か気楽になってきた。
「大丈夫だよ、胡桃さん。俺がずっと一緒にいて守ってあげるから、ちょっとだけ我慢ね」
胡桃さんを抱き締め、耳元で「怖くない、怖くない」と囁き、背中を撫でる。
いつもは母と祖母、三人で胡桃さんを囲んで落ち着くまで励ますところだが、二人ともこっちの世界にはいないので自分一人だけで我慢してもらわなければならない。
「では行きましょうか」
だが、駆け出した自分達を阻むようにドラゴンが立ちはだかる。
その足元を這って逃げる人達のことには全く目もくれない。その人達だけじゃない。
他にも目と鼻の先に人間はいくらでもいるのに、ドラゴンは眼中に無いと言わんばかりに此方を見ていた。
このご都合主義的な不幸は矢張り夢か。
「魔人やドラゴンに狙われる覚えは『まだ』無いのだけれど……まあ良いわ。
少し時間を稼いであげるから貴方達、先に行ってなさい」
そう言って、カトリエルさんが前に出る。
それがドラゴンの癇に障ったのか、一際殺気の篭もった咆哮を轟かせる。
それを合図にリディリアさんとトーヴァーさんを逃げるように促そうとした瞬間のことだった。
胡桃さんがしがみ付いていた右腕が急に軽くなる。
一目散に駆け出す胡桃さん。よりにもよって向かった先はドラゴンのいる方。
胡桃さんの喧嘩っ早さが最悪の方向に災いした。
「胡桃ちゃんっ!?」
初めてリディリアさんが表情を崩した。
焦燥感に満ちた表情で手を伸ばすが、それを器用に潜り抜けて一目散にドラゴンへと向かっていく。
「行くな、胡桃! 戻れッ!」
鋭く命令しながら駆け出すが駄目だ。理不尽に対する恐怖と怒りで完全に我を失っている。
ドラゴンの五メートル手前という所で漸く立ち止まり、及び腰で咆え始めた。
「なんなんだよお前! 消えろ、バカっ!」
百五十センチ程度の細い身体をした少女が咆えても、全高十メートルほどもある巨大なドラゴンが脅威を感じるはずもない。
ドラゴンは両翼の翼を広げ、その巨体を更に大きく見せ付けて威嚇する。
「消えろ! いなくなれ!」
威嚇しても怯えて逃げ出すどころか、声を裏返してでも必死に咆える姿が癪に障ったのかドラゴンの口腔に紅蓮の炎が収束されていく。
――ヤバい。
絶対にアレはヤバい。
走れ。
ペースを上げろ。
間に合え。
間に合わせろ。
ドラゴンが焔を咥えた鎌首をもたげる。
「止めろ……!! 止めやがれ、テメェ!! 胡桃、逃げろッ!!」
足をもつれさせながらも一歩でも前に。
一メートルでも先に。
一秒でも早く。
進め進め進め進め進め進め進め進め進め進め進め進め進め進め進め。
家族を守れ。
ドラゴンがその鎌首を鉄槌を振り落とすが如く、地面に叩き付け口腔から業火を吐き出した。
成す術も無く、胡桃が炎の渦に呑み込まれる。悲鳴の一つさえ聞こえない。
間に合わなかった。
助けられなかった。
誰よりも、何よりも大切な家族を守れなかった。
頭の中が視界が真っ白になる。
呼気が冷たく寒い。
身体を流れる血液が冷却されたかのようだ。
身体が凍ってしまいそうだ。
「呆けない!」
カトリエルさんが鋭く言葉を発する。目の前には未だ紅蓮の焔が渦を巻いている。
そして、その中から勢いよく吐き出される何かが自分の腹に突き刺さる。
業火に呑まれた胡桃さんだった。それも無傷なままの。
「私が刻印した自動展開障壁なら戦術軍用魔術でも一度は完全に防げると言ったでしょう?」
女神がいた。
そして、運が良かった。
リディリアさんの護衛を依頼されたことが切欠でドライセンさんと知り合うことが出来た。
ソウブルーでアーベルトさんとエルフを追ったお蔭で莫大な報酬を得ることが出来た。
ダニエラさんの店でレッドダイヤを買うことが出来た。
カトリエルさんを紹介してもらえたことで胡桃さんの命を守ってもらった。
安心した。
本当に良かった。
安心したら泣けてきた。
安心したら怒りが込み上げてきた。
いつのまにか流れていた涙を拭い、胡桃さんをカトリエルさんに預ける。
「胡桃さん達をお願いします」
「どうするつもり?」
「殺す」
「え?」
問い返す彼女に言葉をかける余裕など、今の俺には無い。
「貴様あああああアアアアアア!! 下等な爬虫類如きがよくも俺の家族に上等くれやがったなァッ!!」
彼女に貰った指輪の力を使い精霊界とこの夢世界を接続する。
武器だ。
武器をよこせ。
あの糞蜥蜴を塵殺する武器を。
未だ渦巻く炎を薙ぎ払い、腐った脳味噌が詰まった頭蓋に精霊剣を叩き落す。
こんなことでは気が納まらない。
この下等な糞蜥蜴は絶対に此処から生かして返さん。
この場で殺す。
絶対に殺す。
縊り殺す。
完殺だ。
「貴様は殺す……!! この場で殺してやる!!」
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