第十一話 食人鬼
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ソウブルー要塞の円卓で二人の男が向き合っていた。
「なあ、我が従僕よ、魔人を一体始末して来てはくれんか?」
「まだ呆けるには早過ぎると思われますが、我が主」
要塞の主バーグリフの珍妙な命令を衛兵団長アーベルトが無慈悲に切り捨てた。
主に対する言葉としてはあまりにも無体な言葉が心からの物であることを証明するかのように、その精悍な顔付きを象徴する双眸からは『呆けてんのかテメェ』と言わんばかりの態度が顕れていた。
「しかしだな、今代は魔人の動きがあまりにも活発過ぎるとは思わんか?」
「その分、討ち取られる数も尋常ではありませんが」
「討ち取った者が正規兵では無いというのは問題では無いか?」
「魔人に効果的な打撃を与えたのが流れ者と反逆者。そして裏切った魔人ですからな。敵の敵は味方と言うほど単純にはいきませんか」
倉澤蒼一郎が撃破した魔人はライゼファー、ガエル、グァルプ、トリスガスト。
絶無の零も蒼一郎と同様、単騎でドルガーノ、ルーフリードを討ち滅ぼした。
オライオンは撃破数こそ無いものの、ヴァルバラを操り配下としている。
それに引き換え、帝国側の戦績はジエネルをトゥーダス・アザリンに滅ぼされ、つい先日も氷の都をバエルに滅ぼされ、ホライムーン要塞がフィラビオの手によって陥落させられ、ホライムーン地方が機能不全に陥った。
バーグリフが面白くないと感じても当然のことだと言えた。
「しかし、倉澤がトルトーネ要塞伯として爵位を得ることは確定しているのでしょう? ならば奴を帝国騎士、身内と呼んでも問題はないかと」
話は済んだと言わんばかりにアーベルトは踵を返す。
新たに現れた魔人によって滅ぼされた氷の都があるアンドウン地方とホライムーン地方はソウブルー地方と境界線を有する地域で、二体の魔人によってソウブルー要塞が襲撃される虞は十分に考えられ、アーベルトはその対応に忙殺されていた。
この際、魔人自体は問題では無い。
対魔人戦のエキスパートたる倉澤蒼一郎に対応させれば良い。
疫病神に愛されているような男だ。命じるまでも無く、魔人の方から勝手に擦り寄ってくるのは目に見えている。
後は勝手に斬り殺すか、焼き殺すか、適切に対応するであろうことは想像に易い。
問題はホライムーン地方と、アンドウン地方から流れて来る避難民の増大と、魔人に襲われた後の復興事業と治安の回復。
空白地帯と化したホライムーン地方全域が遊牧民や邪教徒の手に落ちるのも時間の問題だ。
事実上の占領状態にあったアンドウン地方も、氷の団という支配者がいなくなったことで今まで以上の混乱が起こることは確実だ。
通常なら、その後始末を首都レーンベルグの軍と議会が受け持つことになるのだが、トレスドアの解放と再調整で手数が足りていない。
足りない分はソウブルー要塞にお鉢が回って来るであろうことは確定している。
それは帝国の主要都市の中でも、特に軍事力の優れた両地方が手薄になることを意味しており、新たな戦火の呼び水となる。
――面倒だ。大変だ。厄介だ。
普段のアーベルトはバーグリフに従順で忠実だが、これから肉体的にも精神的にも気苦労の絶えない状況が立て続けに起こることが確定している状況にあり、心をささくれ立たせ、普段では考えられない程の無礼さを露わにするのも無理の無い話であった。
「とは言うがな、アーベルトよ」
呼び止められたら、無視するわけにはいかないのが従僕の辛いところだ。
飼い犬に手を噛まれ微妙に弱腰な態度のバーグリフの声にアーベルトは溜息を小さく吐いて振り返る。
「二体の魔人が帝国に牙を剥いているのは事実で、これ以上の静観が更なる被害を産むのは決定的なのだ。特に氷の都を壊滅させたバエルは序列十二位、つまりは下位の魔人だ。だが、お前もあの時の空を見ただろう?」
断末魔のルーフリードが魔人達にもたらした絶無の零の正体がグァルプで、しかも未だ健在であるという情報は、魔人達を激情に突き動かした。
中でも特にそれが顕著に顕れていたのがグァルプに弟を殺されたバエルだった。
魔人は人間相手に本気で戦うことはしない。
公然の事実として語り継がれてきたことが、事実だと証明するかのような有様だった。
下位の魔人の一撃が引き起こしたとは到底思えぬ被害が起こったのだ。
氷の都全域を、住人諸共マグマの海へと変えた天を貫く炎の渦。
それがソウブルー要塞のテラスからでも確認出来た。
弟の敵討ちに燃えるバエルが氷の団の将、絶無の零としてのグァルプの立場を鑑み、帰る場所となっているであろう氷の都を焼き払ったであろうことは想像に易い。
バエルが次に狙うであろう値は、零を英雄視するトレスドア要塞か、二度の侵攻に失敗したソウブルー要塞。
心の拠り所を奪うか、矜持を嘲うか、魔人が何を考えているかは定かでない。
いずれにせよ、絶大な脅威が、帝国を巻き添えにしようとしている。
「だから迎え撃つのではなく、此方から攻め入るとお考えですか」
「その通りだ。封印指定級の魔術兵装で武装した一個師団をぶつけるのが対魔人戦闘のセオリーだが……」
バーグリフは天を貫く炎の渦を思い出せているのだろう。
その光景を見た者としては余りにも似つかわしくない程に、その笑みを浮かべる瞳は爛々と輝いており、とっておきの玩具、もしくは御馳走を目の前にした子どものようだった。
「ご懸念の通り無駄に死者を出すだけかと。で、私に出ろと?」
投げやり気味な物言いのアーベルトにバーグリフはニヤ付いた笑みを浮かべたまま頷く。
パーティ前日に浮かれる子供のような態度だった。
「そうだ。懐刀では無く、我が右腕で殴り倒したいのだよ。出来るか、我が右腕たる従僕」
魔人バエルを一刻も早く始末しなくてはならないのは事実で、懐から刀を抜いて刺すよりも右ストレートで殴った方が早いのもこれまた事実だった。
「やれるとは申しませんが、成し遂げましょう。当然幾つかの装備の封印を解いて頂く必要が御座いますが」
「良かろう。必要な装備は全て持ち出せ。そして、魔人バエルを討て」
「承知」
単独で魔人を討伐したという功績などはどうでも良かったが、こうなった主は何を言っても聞きはしない。
足手纏いを供に付けられ、貧相な装備を渡される前に少しでもまともな環境を自力で整えるしかない。
従僕に対し、自殺しろと言わんばかりの無茶振りだったが、これくらいの方が張り合いもある。
『あれが魔術的な手法によって引き起こされたのであれば原初の火で焼き殺します。魔術が無ければ身体能力と戦闘能力が優れているだけの普通の化け物ですから、斬り殺すのは難しくないかと思います』
ソウブルー要塞を出発する前に、主の懐刀たる倉澤蒼一郎に声をかけたら、そんな答えが返って来た。
これが単騎で魔人に戦いを挑み、撃破し、生還し続けてきた男の台詞である。
――何の参考にもならんな。
予想以上に役に立たない意見に、アーベルトは嘆息と共に馬を走らせる。
マグマの海と化した氷の都の近くに行きたがる馬車は無い。
アーベルトとて愛馬をそんな所へ走らせる気は起きなかった。
恐らく途中で死なせるか、放すことになると考え、馬屋で金貨千枚を支払って黒鹿毛を調達した。
まずはバエルがいたとされる氷の都に向かう。
奴がソウブルー要塞の襲撃を企てるとしたら途中で鉢合わせになる可能性がある。
それが人里離れた場所だとしたら――
「人里離れた場所で奴と遭遇することになれば……周囲を巻き込む心配が無くて楽なのだが」
エルベダ要塞を通り過ぎ、ムンセイスの村がある岸壁の下を通り抜け、アンドウン地方とソウブルー地方を縫うように駆け抜ける。
街道と言うよりは行き交う人々の足で自然に切り開かれた道に辿り着いたのは、沈んだ日が再び登ろうとする頃になってからのことだった。
本来ならば森林によって月の光さえ遮られた夜道を進むのは自殺行為でしか無いが、アーベルトにとって暗闇は障害にはならず、何より黒鹿毛の働きが想定を遥かに上回ったが故の強行軍だった。
無理に急ぐ必要は無かったが、三、四日程度なら不眠不休でも脳と身体の動きを阻害すること無く行動出来る。
休憩を挟むのは、まず氷の都にいないであろうバエルの足取りを探ってからでも遅くはないと考えた。
尤も、手がかりとなる情報を持つであろう人物も、痕跡も残っていないことも確信していたが。
「もう少しくらいは、楽が出来ると思っていたのだがな」
思ったよりも人は逞しく出来ているらしく、アーベルトが氷の都の跡地に辿り着くと、僅かに生き残った人々がマグマ溜まりの側に集落を作っていた。
常冬の厳しい寒さが吹きすさぶる氷の都であったが、マグマの海が広がり積雪が溶け出し、一時は水没しかかるものの、結果的に生存者たちは大量の生活水と燃料に悩まされることの無い火種を手に入れていた。
瓦礫を組み合わせて作ったと思しき獣革を屋根にした簡易住居も、平均気温マイナス十二度のこの地ではまともに寒さを凌げるようなものでは無かったが、マグマの海の影響で体感温度は二十四度まで上昇しており、寧ろ快適であると言えた。
そして、肝心な食糧だが、重ね重ねヒトという生き物は逞しく出来ていた。
簡易住居の前に設置された巨大な回転式肉焼き機には、四肢を切断され、口腔から肛門までを貫かれた豚がこんがりと炙られていた。
「豚肉、牛肉、鶏肉、馬肉と来て最後に魚か。随分と御立派な食糧事情のようだな」
豚――、厳密にはオーク、ミノタウロス、ハーピー、ケンタウロス、セイレーン。
獣人達が差別の果てに、文字通りの食い物にされているのを目の当たりにして、アーベルトは無感情に鼻を鳴らす。
その皮肉めいた台詞が簡易住居の中にいる人々の耳に届くかどうか、またどう思われるかなど全く気にも留めない。
寒々しい声に真っ先に反応を示したのが黒鹿毛で、中からぞろぞろと人が姿を見せた。
人種は人間が八割で残りがエルフだった。
年齢と性別に関わらず、髪が殆どが抜け落ち簾のような有様で耳や鼻は腐れ落ち、瞼が溶け、充血した眼球が前面に迫り出されている。口から洩れる呼吸は獣のように荒い。
「食人は魔力の影響を受け難いトロールやドワーフ以外の人種には不向きなのだが、氷の団に支配されていた土地ではそんな当たり前の知識すら無いか」
大方、内包魔力の多いハーピーやセイレーン辺りの肉を食って拒絶反応が出たのだろう。
まともな思考能力は残っておらず、原始的な欲求に忠実な魔物、グールの身体に作り替えられている。
口元や首回りに付けた食いカスや脂、下半身から垂らした体液を拭うことも、それらに不快感をもよおすことも無い。
ただ口を半開きにしたまま丸い双眸をギョロ付かせてアーベルトの姿を眺めていた。
口から出て来る言葉は、意味を成さない呻き声のようなものだけだった。
最早、ヒトという存在から完全に逸脱している。
グール化しつつある肉体や精神を正常な状態に戻す術なら幾つか存在するが、完全にグールとなった者を治療する手段は確立されていない。
この場に腕の良い錬金術師か、凄腕の魔術師でもいれば、引き渡して治療法の研究モルモット程度には役立たせることも出来るだろうが、生憎とこの場にはおらず、先を急ぐ身だ。
アーベルトは些か乱雑な手口に打って出ることにした。
「散れ」
アーベルトは鞘の半ば程まで抜かれた剣を納刀し、鍔鳴りを響かせた。
恐らく抜刀されたであろう剣が、再び鞘に納められる直前までの動きを、グールの愚鈍な頭では認識することが出来ず、目の前の肉――、人が、アーベルトが何をして、自身が何をされたのかをまるで理解することが出来なかった。
正常な者であったとしてもそれを知覚出来なかった筈だ。
彼等の全身に走る糸のような無数の傷が、不安定な馬上から繰り出された神速の一太刀による剣圧のみで付けられたものであるなどと。
アーベルトの剣を完全に見切れる者など、帝国全土でも五人にも満たないのだから当然だ。
細切れになった肉体が重力に従って滑り落ち、公園の砂山程度の大きさの血肉の山になった事すら、理解出来ないまま絶命した。
絶技と評するに相応しい一撃を放ったアーベルトの表情は勝ち誇るどころか、ネガティブな物が浮かび上がっていた。
彼の優れた視覚能力が見つけなくて良い物を認識してしまったからだ。
深々と溜息を吐いて黒鹿毛から降りて彼等の簡易住居の中を遮る暖簾を破り捨て、中に視線を向ける。
「控え目に言っても最悪だな」
言葉を口にしてもそれに反応を示す者はいない。
ただの独り言のしかならないのは分かっていたが、それを口にせずにはいられなかった。
グールに食われながら犯され、肉の半分を失って絶命した生存者たちの亡骸が折り重なっていた。
毒牙にかかったのは女だけでは無い。男も子供も老人も果てにはグールさえもが犯され、食われ、殺されていた。
あまりにも異様で猟奇的な光景は、魔物に襲われたと言うより邪教徒の怪しげな魔宴にも似た凄惨さがあった。
――恐らく、他の簡易住居も同じような有様なのだろうな。
すえた臭いと淀んだ魔力に顔をしかめ、アーベルトは中へと歩を進める。
進む先は比較的損壊のマシな女の遺体だ。
頸部に線が走り女の首がごとりと音を立てると同時に、下腹部から黒みがかり粘り気のある血液が床に広がり、アーベルトの靴裏を汚すが、気にも留めずに視線を動かし女の遺体を探しては同じように処理を施していく。
基本的にアンデッド発生のメカニズムが定かになっていないが、中には明確になっている個体も存在する。それが魔女だ。
魔力に適性のある女性に悲惨な死を与え、魂を肉体に縛り付け、淀んだ魔力と瘴気の中に放り込んでおけば三日程度で魔女の出来上がりだ。
魔女と契約することが出来れば絶大な魔力を得られると言われているが、恐らくはただの噂だ。
魔術的な攻撃を無差別に仕掛けるという特徴こそあるものの、口から出て来るのは言葉の意味を成さない声の羅列で、本能的な破壊衝動に忠実な醜い化け物でしかない。
何より最悪なのが、グール化した生存者たちのいるこの地は魔女が発生するには最適な環境だということだ。
先を急がなくてはならない状況だと言うのに、何の手がかりも無く、後々の脅威の芽を潰すために、こんな気の滅入ることに手を取られることになり、アーベルトは辟易した様子で溜め息を吐いた。
――気付いてしまった以上、放置するというわけにもいかんからな……
黙々と、そして苛々しながら死体を処理し、遺体に紛れて機を伺っているかも知れない魔女に警戒しながら神経をすり減らす。
最終的には何もかもが面倒臭くなり、簡易住居を掌底の一撃で吹き飛ばし、マグマの海に叩き落し、一件、また一件と順番に住居諸共火葬した。
まるで火付強盗にでもなったみたいな不快な気分を味わいながら最後の一軒に足を向ける。
「面倒、だな。まとめて破壊するか」
中に入ることはせず簡易住居の裏側に回り、壁面に掌を当てる。
打ち込もうと瞬間、違和感が脳裏を過った。掌を通して生者の魔力を感知した。
「誰か、いるのか?」
躊躇いがちに問いかけるアーベルトの声には若干の緊張が混ざっていた。
中から感じる魔力の密度が桁違いに高い。それにも関わらず、この建物に触れるまでそれに気付くことが出来なかったからだ。
サマーダム大学出身のハイエルフ以上の魔力であるにも関わらずだ。
中から何かが身動きをする音とくぐもった声が僅かに反響するのが聞こえた。若い女の声だ。
溌剌とした生気に満ち溢れた魔力から察するに、魔女である可能性は皆無だ。
寧ろ――、
猿轡を噛まされ、目隠しをされ、手足を縛られた銀髪の女が床に転がされていた。
身に付けている白いローブには清流を思わせる水色の刺繍は、繊維状になった魔法金属によって施されており、高位の魔術師であることをアーベルトに予想させた。
何故、高位の魔術師が生贄のような扱いを受けているのかアーベルトには思い付きもしなかったが、魔人バエルとは関係の無い、この地の、卑劣の王オライオンに支配された結果起こったトラブルなのだろうと想像を中断する。
「ソウブルー衛兵団団長のアーベルトだ」
言いながら、女の猿轡を外し、目隠しを外す。
女は泣くでも喚くでも無く、強張らせた身体を緩め、ただ呆然とアンバーブラウンの瞳で黙々と手足の戒めを切り裂くアーベルトの姿を写し出していた。
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