第二十五話 監獄
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オライオン戦死――、戦場と化したソウブルーに戦報が舞い込み、氷の団は戦意を喪失。
第二次オライオン抗争の終結まで後僅かであるかのように見えたこのタイミングで、倉澤蒼一郎がソウブルー衛兵団に逮捕され、地下監獄に収監された。
罪状は貴族への殺人未遂並びに、殺人教唆罪である。
『なんてこった……』
蒼一郎が逮捕されたことを知り、バーグリフと、アーベルトは茫然と、そして愕然と声を揃えた。
確かにトリエンナ家をはじめとする反帝国派の貴族を始末しろと命じていたが、一体どこの世界に『この混乱に乗じて反帝国派の貴族を一網打尽にしますので、協力をお願いします』などと暗部に関わりの無い真っ当な衛兵に声をかける暗殺者が一体どこにいるのか。
あまりの非常識さにバーグリフは蒼一郎が罠にはめられたことを疑った。
だが、よくよく考えるまでも無く、あの男が非常識であることは今に始まったことでは無い。
バーグリフよりも少しだけ付き合いの深いアーベルトは、蒼一郎が己の非常識さを疑いもせずに報告された通りのことを仕出かしたのだと悟った。
何せ神を畏れないどころか、平然と自然体で唾を吐いておきながら、自分が清廉潔白な常識人だと信じて疑わないような男だ。
一見すると異常者が常識人の皮を被っているようにも見えるが、あの男は自分が異常であることなど微塵にも思っておらず、ともすれば傲慢にも見える程、己が真っ当であることを信じて疑わないことを知っている。
――いい加減、外国人であることが口実にならんことを理解させねばならんかも知れんな。
そう思うと同時に、こうも思った。
――まあ無理だろうがな。
そんな諦めにも似た境地でアーベルトは地下監獄に向かった。
「なんてこった……」
奇しくも、逮捕された蒼一郎が漏らした言葉は、バーグリフ、アーベルトと同じものだった。
反帝国派の貴族とは言え、女子供の命を取ることも無い。
そして、無差別に命を奪いそうなメアリの監視を頼みたかっただけだった。
だが、失言に気付いた時は既に遅く、有名人であるが故に逃げ出すことも出来ず、あえなく御用となった。
尤も、今の蒼一郎はソウブルーの偉大なる指導者バーグリフの懐刀で、パートタイムではあるもののソウブルーの最奥を立ち位置とする暗部でもある。
蒼一郎が監獄送りにされて一番困るのは彼等の側だ。
それを理解しているからこそ、格子越しに現れたアーベルトに、さも当然であるかのような態度で会釈した。
「そろそろ帝国の常識を覚えてくれても良い頃合いだと思うのだがな?」
「大量殺戮の暗殺者に常識を求めないでくださいよ。ま、そんなどうでも良いことよりも――」
「常識を身に付ける気は無い、か。バーグリフ様や私が不在にしていたら、貴様は此処から出られなくなっていたのかも知れんのだぞ」
「ところで洗脳、という術式をご存知ですか?」
聞き慣れつつあるアーベルトの苦言を聞き流して強制的に話題を変え、返事も待たずに言葉を続ける。
悪びれるどころか、収監されて尚、自分は未だ仕事中で職務に忠実な人間なのだと言わんばかりの態度に、アーベルトは諦めたように溜息を吐く。
「今から三千年前、帝国の宮廷魔術師が魔人を殲滅する為に開発した術式だそうです。この術式で最強の魔人オズヴェルドを操り、魔人達を同士討ちさせて壊滅寸前まで追い込んだとか。生き残った魔人達は洗脳を恐れて地下に潜伏し、帝国の内部に入り込むと洗脳に関わる資料や、関係者の始末に数百年の時を要したとか。詳しくは、アルキス・トリエンナがオライオンに提供した魔人に改竄される前の帝国記をご覧ください」
話題の強引な転換にアーベルトは無言で応じるしか無かった。
そんな術式が存在し、魔人を追い込んだという歴史的な事実があったことを彼は知らなかった。
聞く者が聞けば一笑に付していたかも知れないが、氷の団の戦力に魔人ヴァルバラが組み込まれていることを看破したのは他でもないアーベルトだ。
不可解な魔人の参戦にも一応の説明が付く。
しかも態々ご丁寧に、歴史的な価値が非常に高い、高過ぎる物証まで用意されている。
「歴史的にも貴重な遺失魔術の存在を秘匿、独占していたということか。アルキス・トリエンナを生かしておく理由がまた一つ減ったな」
倉澤蒼一郎が投獄されるという間抜けな幕引きではあったが、成果は決して小さいものではない。
幾つかの魔術をトリエンナ家が独占し、氷の団を支援していた確かな証拠となる記録は、使い方次第ではトリエンナ家どころか親戚筋を含めて、それこそトリエンナ家と犬猿の仲にある帝国派の大巨頭ラーフェン家ごと根切りに出来る程のものだ。
その気になればソウブルーの貴族を支配下に置き、ソウブルーに完全なる支配をもたらすことさえ可能だ。
生憎と倉澤蒼一郎も、アーベルトも、何よりバーグリフが支配に価値を感じることは無かったが。
何はともあれ、帝国は武によって成り立つ国だ。
歴史の真実を秘匿し、魔人という全人類共通の脅威との関係性を逆転させる程の秘術を独占していたとしても、それが勝者の為すことなら何ら問題は無い。
先帝が暗殺されて以来、帝国は分裂しつつあり、大陸の大半を統一する以前の、群雄割拠の時代に戻りつつある。
帝位を簒奪したとしても、魔人という絶対的な脅威をあらゆる戦力で殲滅し、武力を背景に分裂しかかった帝国に再び強固さを取り戻すことが出来れば、それは反逆では無く、未来永劫に語り継がれる英雄の行いとなる。
それが勝者によって計画され、勝者によって実行され、勝者によって作られた結末であるのならば。
如何なる正当性も、崇高な理念も、穢れなき思想も、誰の目から見てもそれが正しいことであっても、それが敗者の主張ならそこに正義は無い。
権力や体勢に反抗する者が反逆なのでは無い。敗北する者が反逆者だ。
正当な理屈も、崇高な理念も、敗者が口にすればたちどころに虚偽と欺瞞となり、与えられるのは死だけだ。
そういった帝国の価値観に照らし合わせるなら、帝国の頂点に立つ身でありながら、オライオンに暗殺されたハルロンティ・アーリーバードは悪と言われて然るべき存在だ。
その上、先帝を暗殺したことで帝位に就く権利を有したオライオンは、その責務から逃げ出し、卑劣の王の二つ名で呼ばれるようになった。
卑劣の中の卑劣に暗殺されたハルロンティ・アーリーバードは、後の歴史で暗愚の王であると、その名を貶められることは火を見るよりも明らかだ。
先帝の無念はさて置き、既にオライオンの命は亡く、氷の団は乱を起こす大義名分を失った。
帝国を支配すること無く、帝国各地を襲撃するオライオンの争乱に、正当性は無く反乱であることが証明された。
そして、敗者――、不穏分子に、トリエンナ家は保有する要塞を明け渡し、更には遺失魔術の存在をひた隠しにして、氷の団に横流しに近い形で洗脳を提供したことは最早、帝国の安全保障を揺るがしかねない存在であると言っても過言では無い。
そういう筋書きでアルキス・トリエンナを排除する。
反逆組織である氷の団を支援していただけでは無く、空席となったままの帝位に就く者を擁立出来ない反帝国派は今回の一件で大きく力を失うことになるだろう。
尤も、帝国派は帝国派で、ハルロンティ・アーリーバードの血脈から誰を次代の皇帝に据えるか意見が分かれており、派としての力を弱らせつつあった。
「次の議会で両派閥のパワーバランスを安定させるには十分な成果だ」
戦争は政治の手段とはよく言ったもので、結局のところ先帝の暗殺を端に発した争乱は、パワーバランスが崩れつつある議会の均衡を取り戻すために、バーグリフによって利用されたに過ぎなかった。
大陸統一して以来、帝国には戦争らしい戦争が無くなった。久方ぶりの戦争を愉しむため、オライオンに一時の猶予をくれてやったが、所詮は帝位から逃げ出した小者だった。
これ以上、好き勝手を許して支配者の座から引き摺り下ろされるのも面白くない。
蒼一郎にとってはどうでも良い話だが、これが幕引きの真実である。
「しかし、貴様は素直に功だけを稼げないのか?」
再び苦言が始まる。そんな気配を漂わせながら、アーベルトは牢の鍵を開け、扉を解き放つ。
「取り敢えず出ろ。ソウブルーきっての大英雄が収監されるなど醜聞でしか無いからな」
「あのー……、この件、カトリエルには?」
「醜聞でしか無い――、と言ったぞ?」
気まずそうにアーベルトから視線を逸らす。
この男にとって醜聞も、乱の真実も、トリエンナ家の進退も、ソウブルー議会も、何もかもが取るに足らない。
だが、この件がカトリエルの耳に入ることだけは例外だ。
第一次オライオン抗争後、カトリエルに「俺の側にいろ」と言った矢先に長期の留守。
そして、今回も「すぐに迎えに行く」と言っておきながらの監獄送り。
毎回毎回、カトリエルとの約束を、状況が邪魔しに来る。
果たして己は、此処まで要領の悪い人間だっただろうかと自問自答したくなるが、そんなことよりもカトリエルに愛想を尽かされては大事だ。
愛想を尽かされるかどうかはさて置き、この胸の内に広がる焦燥感と危機感を解消する方が先だ。
「お心遣いに感謝します。それで暗殺の件は?」
解消する方が先だ――。
分かっているが仕事も疎かに出来ない。
ややワーカーホリック気味な日本人の悲しい習性が蒼一郎の口を勝手に開かせていた。
「当然、継続だ」
氷の団を支援した中心人物の暗殺。下手人は兎も角、誰が命じたかなど誰の目にも明らかだ。
だからこそ重要なメッセージとして、多くの反逆者の心に恐怖を刻み付けることになる。
そういった意味では、神をも畏れない蒼一郎に貴族の暗殺を依頼するのは、他の者に任せるよりも安心感が違う。
それにこう見えて、どのような行為であっても仕事というバイアスをかけてやれば、期待以上の成果を叩き出すのがこの男の性質であることをアーベルトは見抜いていた。
――常識が無さ過ぎるせいで、稀に意味の分からぬ失態に繋げることも多々あるが。
「了解です。……しかし、女子供の命を奪うのはどうにも気が咎めますね」
こういうところだ。
「貴様は何か勘違いをしているようだが、何もトリエンナ家や反帝国派を根絶やしにしてしまえと言っているわけでは無い」
「え?」
「帝国派は先帝が遺した現体制の維持と、先帝の後継者の帝位継承を支持する派閥だ。それに対し、反帝国派はオライオンのような武によって帝位簒奪者を支持し、時代に応じて変革を是とする……ある意味で帝国らしい派閥だ」
「どちらが正しいというものでは無く、両派閥の正当性や役割はその時の状況や人によって異なるというわけですか」
「そうだ。しかし、空位となったままの帝位をいつまでも放置していられないのも事実だ。とは言え、帝位の重責に耐え切れなかったオライオンに継承させるわけにもいかん」
「反帝国派の傀儡になるのが目に見えていますからね。挙句、魔人なんぞの如何わしい生き物を招き寄せた」
「帝国が力を尊ぶとは言え、制御出来ぬ力を力とは認められん。だから、反帝国派……いや、オライオン派の貴族を始末する必要があった。アルキス・トリエンナは殺せ。だが、トリエンナ家という器自体は帝国に必要なものだ」
「承りました。トリエンナ家は妻を五人だか十人だか娶って漸く当主として認められるそうですね」
「らしいな。それがどうかしたのか?」
「いえ、彼の家族は随分悲しむことになるだろうな、と」
「今更だな」
「ええ、今更です」
「今までお前が殺して来た者達にも親、兄弟、恋人、友人、伴侶、子、孫、様々な関係者がいただろう。理由がなんであれ一度戦いが始まれば、そこにあるのは命の奪い合いだけだ。貴様が奪わなければ、貴様が奪われ、後に遺された者は嘆き、悲しむ。結局、泣く者が変わるだけだ」
――何もかもが今更だ。
今回の抗争で何百人殺しただろうか。
改めて己の行いを言葉にされて小さくないが、決して大きくも無い衝撃を受けた。
何より、犯した罪に対する衝撃が然程大きくないことこそが衝撃だった。
「全くですね。アルキス・トリエンナは一両日中に始末します。では、自分はこれで」
「だが、倉澤。アルキス・トリエンナを始末する際、目撃者がいたなら老若男女、身分に関わらず全て消せ。必要以上の殺戮を厭うなら、決して見つからないようにすることだ」
ほんの数十分程度とは言え、収監されるという貴重な経験を余計に積んだ蒼一郎は、アーベルトと別れ、カトリエルが待つ八雷神教会へと向かった。
その足取りは軽く、漸く日常へと戻れることに開放感と喜びを感じていることが見て取れた。
無防備過ぎる背を、アーベルトは安堵した様子で見送った。
大きな戦いが終わった後、日常に戻れない兵士の数は決して少なくない。
蒼一郎は、今日この日だけで千人近い亜人を斬り殺し、或いは焼き殺している。
重いストレスに晒され、立ち上がることすら出来なくなる兵士もいるくらいだ。
しかも、ルカビアンが支配していた文明的な時代ならまだしも、今の帝国にはそうした兵士達のためのカウンセラーはいない。
自分で金をやりくりする歳になる頃には既に一人前の人斬りになっていたアーベルトは、心の病に苦しみ日常にも戦場に戻れない兵士を何度も、何人も見て来た。
人間、亜人、獣人、男、女、青年、中年、老人。人種も年齢も性別も何もかもが様々だ。
恐らく、今日も何人かの衛兵が使い物にならなくなることが目に見えている。
前線で多くの敵を殺した衛兵か、それとも後方で敵味方、兵士民間人の区別無く死体を清掃している新兵か。
新人でもベテランでも、心の病が訪れるのはいつだって唐突だ。
アーベルトは提出された改竄前の帝国記を弄びながら、改めて蒼一郎の背に目を向け、安堵する。
決して命は等価値では無く、命には高価な命に無価値な命、玉石混交であることを知る、その足取りは、ある種の傲慢さを湛えていた。
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