第二十話 洗脳
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「言っても無駄だとは思うが一応警告しておいてやる。今すぐ正気に戻れ、ルトラール。正気を失っていようが、身内に危害を加える奴を殺すことに、俺は躊躇わんぞ」
蒼一郎の恫喝を背に受け、ルトラールは動きを止めた。
恐怖を感じている様子は無く、何かを逡巡するような素振りだった。
そして、寝ぼけたような虚ろな顔で蒼一郎に向き直り、鉄塊のような剣を構えた。
「龍殺し、お前は強い。戦いたい」
『戦士ギルドに所属すれば強敵には事欠かない』
かつて彼が蒼一郎を戦士ギルドに勧誘しようと言い放った誘い文句だ。
人間離れした絶世の美女、カトリエルの肢体にありとあらゆる性的な欲望を叩き付ける事よりも、突如として出現した稀代の英雄、倉澤蒼一郎に対する闘争本能を満たす事を優先した。
それは、かつての誘い文句が人の心を鮮烈に引き付ける言葉であったことを、理性のタガが外れた今、自らの身を以て証明した。
尤も、言われた当人にとっては半日と経たずに忘れた言葉だが。
「私よりも、貴方の方が魅力的に映るみたいね」
工房の中から、ルトラールの心境を察したカトリエルの坦々とした声が漏れた。
「嫉妬のつもりかい? あんまり可愛いところを見せ付けるとコイツ等が余計に盛ってしまいそうだ。それに自分だって散々我慢してるっていうのに……、余計に君のことを抱きたくなるじゃないか」
彼女の胎内に封じられた魔人ハーティアのことが無ければ――。
その程度には理性を働かせて、我慢に我慢を重ねている。
それにも関わらず、正気を失った程度の馬鹿共が、横からかっさらっていく事を、この男が許容できる筈もない。
「だったら、その通過点にすらならない有象無象を払い除けてしまいなさい。貴方に冒険者をしてもらっているのは生活の糧を得る為では無いのだから」
「ああ、生者のままクラビス・ヴァスカイルに至る手段を得て、魔人を打倒する何かを得ることが目的だ。忘れてなんかいないさ。帝国と氷の団の内乱なんて瑣事にかかずらってはいられないって事も理解している」
瞬間湯沸かし器のように頭に血を昇らせては、瞬間冷却器のように怒りの鎮静化させる蒼一郎の様子にエーヴィアは安堵の溜息を吐く。
「それでは蒼一郎様、改めていかがなさいますか?」
「自分がルトラール達、戦士の相手をするので、エーヴィアは他の民間人を頼みます。自分が民間人を相手にすると勢い余って本当に殺してしまいそうだ」
声にならない雄叫びを挙げる者達の後頭部目がけて煉瓦を蹴り飛ばして意識を刈り取り、ルトラールの方へと歩み寄る。
するとカトリエルの結界に足止めを受けていた戦士ギルドの者達が、蒼一郎の殺気に当てられたのだろうか。
左右に揺れる瞳を浮かべたまま思い思いの武器を構え、灯に誘われた蟲のように蒼一郎に殺到した。
「戦士とまともにやり合うのは初めてだが――、普段のお前達なら知っているだろう?」
何処までも鋭く伸びる剣閃が、十重二十重と縦横無尽に走り抜けた。
肉が弾け飛び、骨が粉砕される音を響かせて戦士達が次から次へと地面に崩れ落ちる。
振り抜かれたレーベインベルグには鞘が付いたままだ。
斬り殺してはいない。ただ殴り倒しただけだ。
尤も、大地を叩き割る程の膂力で殴り付けられ、手足はあらぬ方向へと折れ曲がっているが。
「怒りだろうが、魔術だろうが、正気や理性を失うってことは、そのまま弱体化するってことをな。俺とまともに戦いたければ、さっさと立ち直れ。でなければ一方的に殴り倒されるだけだぞ?」
彼等の身を案じて放った言葉、では無い。ただの挑発だ。
理性と正気を失っているとは言え、あからさまに手加減されていることが理解出来ないわけでは無い筈だ。
戦うのが好きだと言うのなら、本能でそれが理解できるだろう、と。
「思ったよりも難しいものだ」
包囲する戦士達を次から次に殴り倒す蒼一郎の姿を、尖塔の上から眺める者、零がポツリと呟いた。
「かつての私は、オズヴェルドを縛った洗脳を完全に遺失させる為に、その全てを理解した。それ故に再現は容易いと思ったが、今の私は洗脳の理解度以前に術式に対する理解力が低すぎる」
本来の肉体と頭脳を失い、今の肉体は氷の都にいた死にかけた物乞いに自らの魂を植え付けた粗悪品だ。
衛兵や魔術師等を取り込み、性能は日々向上の一途を辿るが、超越種ルカビアンであった頃の己と比較をすれば、最下層のヒトモドキも、優秀なヒトモドキも五十歩百歩、団栗の背比べでしかない。
その結果がこれだ。
「所詮、零の性能では、オライオンの洗脳を模倣しても出来上がるのは劣化コピーか」
かつてルカビアンの十九魔人を壊滅寸前に追い込んだ遺失魔術、洗脳。
オライオンは独自のルートで洗脳を復元し、魔人ヴァルバラを意のままに操ることで、その完成度がかつての洗脳と同等であることを示した。
「オライオンが再現した洗脳は完璧だ。しかし、あの術式は諸刃の剣だ。まず第一に、術者一人につき洗脳出来る対象は一人だけで、魔力を一瞬でも途切れさせると洗脳は、たちどころに効力を失ってしまう。第二に、当時稼働していたルカビアンは洗脳の脅威を嫌という程思い知らされ、対策を取っていない者は当時を知らない極少数である事。第三に、洗脳が再び開発された事を知れば、武闘派のルカビアンが全力で帝国を滅ぼしにかかるであろう事。洗脳は魔人に打ち勝つ人類の希望では無い。魔人に慢心を取り除かせ、本気を引き出させるだけの欠陥品だ」
だが、己ならば再解析した洗脳でトゥーダス・アザリン達が体内に組み込んだ対策術式を上回る事が出来る。
何故なら、洗脳の対策なる術式を開発したのが、当時のグァルプだったからだ。
とは言え、人間の肉体と頭脳では、目の前で展開された術式を読み取ることも、理解することも出来ず、過去に己が作った術式さえ思い出すことが出来ないという体たらくだ。
試しにオライオンの洗脳を見様見真似で再現し、更に改良を加えて広域化させてみたものの――。
「私ならば、と思ったが、これは失敗と言わざるを得ないな」
そもそも、広域化以前に零が展開した術式は、洗脳では無い。
効果範囲にいる敵味方を識別することも出来ず、無差別に正気と理性を奪うだけで、意のままに操る事など、その極地は遥か遠い。
その上、魔力を体内、体外から循環させることが出来る者であれば、それが微量であったとしても自覚する事無くレジストすることが可能で、魔力が無くとも売店の片隅に置いてある魔除けレベルの耐魔装備でも無効化出来てしまう。
帝国を支える三大ギルド、冒険者、魔術師、盗賊に所属する為には優先順位は異なる物の、武力、知力、魔力の三つが要求される。
だが、武威知勇を示すことが出来ても、体質的、種族的に魔力が一切宿らない者がいる。
才の偏った者達が最後に行き着く先。それが冒険者ギルドの下位互換組織、戦士ギルドだ。
そういった事情もあり、戦士ギルドの力を大幅に削ぐことは出来たと言えるが、戦士や戦士ギルド自体の優先順位は極めて低く、どうでも良い戦果と言えば、どうでも良い戦果なのだ。
その上、零に絶対の忠誠を誓う個人兵力はドワーフ五百と、トロールが千。いずれも魔力の循環が出来ない種族で、術式の巻き添えにしてしまう。
得ることの出来た戦果は重要度が低く、折角の兵力は持て余す始末だった。
何より、この広域劣化洗脳の致命的な欠点は、効果範囲に比例して魔力の消耗が著しく、その上、凄まじい勢いで魔力が拡散していく様は術者の存在を声高に示しているようなものだ。
「当然、この私に気付くのはお前達だろうな。倉澤蒼一郎!!」
百メートル以上も離れていたが、蒼一郎の射抜くような凶相に視線を射貫かれ、零は狂乱気味に叫んだ。
叫び声に対する返答は無く、蒼一郎が構える精霊弓から魔力弾の掃射が零を襲った。
隙間一つ無い制圧射撃に晒され尖塔が爆散する。周囲に被害が及ぶことなど一切気に留めておらず、明確な敵、脅威であることを認識した徹底的な破壊の中に晒され、零は愉快げに嗤う。
「俺の嫁に何をしていやがる。殺すぞ豚」
舞い上がる建造物の破片を足場に蒼一郎が駆ける――、いや、飛翔する。
零が思考し、逡巡している間に、戦士達は既に全員が四肢を砕かれ、無力化されていた。
別に驚愕する程のことでも無い。この男なら当然だと零は止めどなく溢れる感情を嗤いに変えた。
「随分と腕を上げたじゃあないか。魔術兵装頼りでしか無かった男が!」
「何……!?」
訳知り顔の発言に蒼一郎は口では驚いてみせるものの、思考と殺意は別だと言わんばかりに、澱みの無い機動力で零を間合いの内に捉え、剣閃と共に爆炎を迸らせる。
蒼一郎の斬撃が零の額を斬り裂くまで、後刹那というところで、背中から蝙蝠のような背を生やし、悠々と間合いの外に逃れて、嘲弄染みた視線を向けて口を開く。
「あの女はまだハーティアを産んでいないようだな。精々、大切に守ってやることだ。お前が孕ませずとも、私の術式で正気を失った者達が何かを仕出かすやも知れんぞ?」
「貴様……! 貴様は!!」
カトリエルにかけられた仮腹の儀を知る者は限られている。
儀式の犠牲となった張本人のカトリエル。
その事実を蒼一郎に語った者、すなわち――、
「やっと気づいたか? 冷たい奴だな。友達甲斐の無い奴め。我はルカビアンの十九魔人が一人、魔人グァルプだった存在だ!!」
名乗ると同時に零の身を焼いたのは原初の火の延焼によって生じた業火だった。
眼前に膨張する炎の向こう側から飛翔する蒼一郎の斬撃が零の身体を微塵に刎ね飛ばした。
その切断面からは炎が溢れ出し、零の残骸を炭化させる勢いで大蛇のような炎が渦を巻いた。
「俺が殺したかと思えば死なず、ルカビアンに処刑されてもまだ死なずか!! 貴様が何を思って、この争乱に関わっているか知らんが……今度こそ惑う事無く地獄に堕ちろ!!」
灰となって風に流される零の残骸に向かって恫喝する蒼一郎。
当代において、この男以上に魔人の生態を熟知している者は存在しない。
この男がこの程度で死ぬ程、易い敵では無いと判断をすれば――。
「処刑のことまで知っていたとはな」
灰の中から無傷の零が飛び出し、レーベインベルグを蹴り飛ばして蒼一郎に掴みかかる。
「お蔭で本来の肉体を失い、力、知識、記憶、能力、その全てを失ってしまった。今の私は、我はルカビアンでは無い。全てを失った敗者、魔人零。絶無の零。それが今の私の名だ。以後、見知っておくが良い!」
「絶無の零……! トレスドアを落としたのは貴様か! 零の正体が貴様ならそれも頷ける。だが、本来の能力を失った貴様など路傍の石に過ぎん!! 石なら石らしく、蹴られて彼方へ消えろ!!」
取っ組み合う格好になり、蒼一郎の飛び跳ねるような蹴りが、零の股間に二発三発と叩き込まれていく。
肉が裂ける程の鋭い蹴りに零の身体が浮かび上がる。蒼一郎の両手が零の両手に食い込む。指先が皮膚を突き破り骨をも砕く。圧倒的な膂力で掴まれ、零は逃れることも、距離を離すことも出来ず、一方的に蹴りと叩き込まれる。
――此処は回避でも防御でも無い。
すぐ様、意識を切り替え、零は両腕を魔術師の腕に変性させ、術式を組み込む。
迸る魔力の流れから回避不能の零距離魔術の行使が、零の意図である事を察知する。
「遅い――!!」
零の両腕から幾つもの精霊剣が生え、血風と共に骨肉が弾け飛んだ。
これまでに零が殺し、取り込んだ者達の肉体に変性し、彼等が持つ能力を自在に操る能力。
だが、肉体を変性させてから術式を発動させるまでのタイムラグは、蒼一郎相手には致命的な隙となる。
ましてや――、
「体内への直接召喚……!!」
倉澤蒼一郎はこの技で龍殺しの称号を得、今の地位にいる。
八雷神の加護。戦術級魔術兵装レーベインベルグ。これらはただの後付けでしかない。
零距離に存在する敵に対し、ほぼ反射的に物質の直接召喚を行使出来る蒼一郎と掴み合うことは自殺行為でしかない。
「矢張り、変性のタイムラグがある以上、貴様の方が一手早いか。この脆弱な肉体は結構、気に入っていたのだがな」
蒼一郎が意味が分からないという顔をすると、グァルプは得意気に嗤った。
「弱者は良いぞ、倉澤蒼一郎! どれ程望もうとも! 願いは両手から零れ落ち! 何かを得ることは出来ない! 望みは叶わず! 願いは聞き流され! 常に不足し! 充足を知らず! 踏み躙られることを日常とする! 諦観と欲望の狭間で、自らの命を断つことも出来ず! 足掻き続けることだけが弱者に与えられた唯一の特権だ!」
「何が言いたい!!」
「これからも未来永劫、足掻き続ける為に、弱者の肉体を傷付けられるわけにはいかんのだよ!」
そう言うと血煙を放つ零の両腕から骨と繊維が伸び、再構築された両腕に鋭い刃のような鱗が生えていく。
「ドラゴニアン……! 殺した相手の魂を複製し、複製した魂から肉体、技術、知識を引き出す。魔人グァルプの能力……!! 貴様、仲間に手をかけたのか!?」
「倉澤蒼一郎、お前の殺し損ねを横から頂いただけだよ。何より、貴様に敵対した者に待ち受ける末路は絶対的なる死だ。それ故に、貴様と戦ったという経験を持つ者の魂は非常に貴重だ」
「今更ドラゴニアンの身体を使った程度で俺に勝てるつもりか?」
ドラゴニアンの高い学習能力から形成される戦闘処理能力は非常に厄介だ。
しかし、今の蒼一郎を制限するものは無く、手を焼かせるのが精々で、打倒には遠く及ばない。
零の頭脳が如何に愚かであっても、それが理解出来ない程では無い。
「無理だな」
当然であるかのように即答して、問いかけた。
「だが、倉澤蒼一郎。お前は一体、誰と戦っているつもりだ?」
「何……?」
「言っておくが、ルカビアンの十九魔人の一人、グァルプは同胞の手にかかって死んだ。我は絶無の零。もっと分かり易く言うなら、オライオン四天王の一人、零。それが私だ」
それを合図に街路に亀裂が走り、その中からトロール達が次々に現れた。
「氷の団の幹部として兵を率い、戦術戦略を駆使して、ソウブルーの陥落に尽力するのは当然と言うわけだ」
「貴様……! 氷の団を裏から操って何を企んでいる!?」
一体一体の脅威度はドラゴニアンよりも格段に落ちる。
だが、剣を振るどころか、まともに身動きが取れない程の桁違いの物量に包囲され、零から遠く引き離される。
囲いの外で蒼一郎に背を向け、ゆっくりと歩み出し、問いかけに対し、半身で振り返る。
「操っている? 企んでいる? その言葉は間違えているぞ、倉澤蒼一郎。今の我は正真正銘、氷の団の一幹部だ。操りなどしていない」
――今はまだ、な。
「我が黒幕だと思いたいなら、勝手にそう思っていれば良い。だが、氷の団にとってレーンベルグの主力がトレスドアに向いている今、ソウブルーを攻略する絶好の機会であることを忘れないことだな」
そう言い残して、零は歩みを再開する。
「総員、倉澤蒼一郎に一当てしたら撤退せよ。この男は私を追わずにはいられない。精々無駄死にをしないことだ。別に殺してしまっても構わんが、その時は忘れずに遺体を回収するのだ」
「逃がすか……ッ!!」
「悪いが、またまた逃げ遂せるとしよう。アルキス・トリエンナの簡易要塞で貴様の到着を待つ!!」
トロールの大群に飲み込まれる蒼一郎を尻目に、零は揚々と簡易要塞へ続く道を進んだ。
ただ歩き続けることさえ困難を極めた、この脆弱な肉体も能力を総動員すれば倉澤蒼一郎にぶつかることが出来る。
劣化洗脳の試運転だけのつもりだったが、思わぬ収穫に零は何千年かぶりに手応えと達成感を得た。充足に満ちたその足取りは実に軽やかなものだった。
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