第十九話 混乱
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「この辺一帯から逃げ遅れた人はいないようですね」
迫り来る氷の団を一網打尽に屠り、周囲は静寂に包まれ、蒼一郎は安堵する。
他の氷の団の戦闘員も別ルート、異なる方角から、空から、地下からソウブルー要塞を目指している頃合いだ。
そうで無ければ、要塞の中で未だに手をこまねいているかだ。
だが、間抜け共が建て直すのも時間の問題だ。
敵の進軍が止まった今だからこそ、安全に避難させることが出来る。
そう考えた蒼一郎はヴィルストに向き直った。
「三人とも冒険者ギルドに避難を。ヴィルスト、君に龍装甲を預けます。彼女たちを先導しなさい」
「はい! 承知しました!」
ヴィルストの英雄願望と、師に対する憧憬は蒼一郎が思っている以上のものだった。
だから、敢えて龍装甲を預けると言う選択を選んだ。
レーベインベルグに次ぐ、破邪の龍殺しを象徴する第二の魔術兵装、龍装甲。
それを自らの意志で徒弟に預けることの意味は蒼一郎が思っている以上に重い。
ヴィルストは己の願望やら何やらを全て横に置き、師の言葉を全うすることに全力を注ぐことを決意する。
「倉澤の旦那はどうするんだい?」
しかし、蒼一郎の顔は何処と無く浮かない。
リリネットが尋ねると彼女に横顔を向けたまま、胡桃が走り去った方角を不安げに見つめていた。
「胡桃さんとカトリエルの足ならとっくに合流出来ている頃合いなのですが……、二人の気配を全く感じられない。ちょっと探しに行ってきます」
「倉澤蒼一郎殿、もし私達が先に合流出来た場合、カトリエル師と胡桃殿に伝言はありますか?」
「無事な顔が見たい。工房か教会に避難しておいてくれ、と」
蒼一郎の弱気な横顔に口を挟まずにはいられず、ブリジットが声をかける。
彼女の問いかけに対する蒼一郎の返答は親から逸れた小さな子供のようで、彼女の知る破邪の龍殺し、倉澤蒼一郎のものとは思えない程、心細さを感じさせた。
十五を目前に控えた子どもの彼女には蒼一郎に何と声をかけて良いか分からず、ただその背を見送ることしか出来なかった。
そして、蒼一郎にはもう一つの懸念があった。
――前線から引き離されているな……。
蒼一郎に与えられた役割はオライオン一味が潜んでいると思われる要塞の攻略だ。
要塞に向かって進軍を開始して既に二時間近くが経過しているにも関わらず、ソウブルーに引き返している有様だ。
――ま、メアリなら大丈夫だろう。
不安はあったが、同行者に選ばれたメアリは冒険者としても、武人としても蒼一郎よりも遥かに格上だ。
氷の団が一筋縄でいかない相手とは言え、メアリが後れを取るような相手では無い筈だ。
それはメアリに対するある種の信頼でもあった。
――胡桃さんと別れたのはこの辺か。で、道を無視して一直線、か。
「おーい! 龍殺しー! さっき、お前んとこの娘っ子が血相欠いて帰ってきたんだが、何かあったのか?」
胡桃と一緒に生活した十五年の歳月から、愛犬の行動と思考を完全にトレースして道を戻っていくと、ソウブルーの衛兵から声をかけられた。
――この戦時中に何を暢気な!
結局、ソウブルーの外壁まで引き返す羽目になった。
蒼一郎に声をかけて来た衛兵は、まるで深酒したかのような胡乱気な瞳を左右に揺らし、武器を足元に放り出して壁に寄りかかっていた。
負傷している様子は無く、ただサボっているだけにしか見えない程の体たらくだった。
「重傷者です。自分の生徒が氷の団に襲われました」
「なんだって? それは大変じゃないか! ……えーと、あれ? 何が大変なんだ?」
胡乱に揺れる瞳に生気が蘇ったのも一瞬、再び呆けたように瞳を揺らして尻もちをついて座り込んだ。
「えぇ……? この戦時中に何を悠長な!」
「戦時中? どことどこが? ああ、いや、氷の団か。氷の団ってのは何だったっけ……ま、いいか」
「いいか……って……、何か妙だな……」
此処まで来て、漸く、衛兵の精神状態が普通では無い可能性を考え、首をかしげる。
「蒼一郎様!」
「エーヴィア……!?」
聞き慣れた声に対し、反射的に振り返り、視界の中に飛び込んできた光景に蒼一郎が絶句する。
エーヴィアは老若男女、人非人に関わらず、多くの者を荒縄で縛り上げている最中だった。
拘束されて転がっている者の中には氷の団と思わしき亜人や、戦士ギルドの者も含まれていた。
「エーヴィア、彼等は? 敵味方関係無さそうだけど」
「操られてしまった人です」
「操られてしまった……?」
蒼一郎は怪訝そうに眉根を顰める。
確かに有効的な手段ではある。敵味方無差別に影響を及ぼすことを無視すれば、だが。
「ソウブルー全体に人の心を洗脳するような術式がかけられているみたいです。少しでも魔力があれば通用しないみたいですけど」
矢張り、考えが足りていない。人間にとっては魔力の有無や大小は個人差だ。
しかし、亜人種、獣人種の中には魔力との親和性が極めて低く、魔力を持たない種族もいる。
数多くの亜人、獣人を保有する氷の団にとって、魔力量が耐性に繋がる大規模術式を使うのは腑に落ちなかった。
「その術式の効果は?」
「人によって様々なのですが、倦怠感、虚脱感。その他に……」
「他に?」
「その本能に忠実になると言うか……、ドワーフなら無差別な喧嘩とか、中には男性が女性に……」
「カトリエルを呼びに胡桃さんを迎えに出したのですが、様子を見に来たのは正解だったか……?」
多少なりとも抱えていた不安が霧散したのは事実だ。
胡桃がソウブルーに帰還する姿は衛兵からも目撃されている。
カトリエルの側にいるのなら何ら問題は無い。
「い、急いで工房に戻りましょう!!」
だが、あからさまに焦りを見せたのはエーヴィアだった。
狂乱したかのように蒼一郎の手を力強く掴んだ。
「エーヴィア?」
「カトリエルさんは、ソウブルー、いえ、帝国の中でも五指に入る美人錬金術師なんですよ!? 貴族様達から輿入れの話なんて山ほど来ていて当たり前なんです! それに妬みや下衆な欲望だって!!」
蒼一郎は、その光景を上手く想像することが出来なかった。
カトリエルは魔人ライゼファーの攻撃を読み切り、凌ぐことさえ出来る。
術式の影響で理性を失った輩に、彼女が遅れを取ることは、まず有り得ないと言っていい。
それは事実だが、蒼一郎の思考が中断させられたのは別の理由だ。
基本的には他人に対し、温厚に人当りの良い顔を浮かべる癖が付いているが、身内に危害を与える者に対しては瞬間湯沸かし器のように怒りを沸騰させるような男だ。
それ故に――。
「エーヴィア」
「は、はい?」
「着いてきてください。工房まで戻ります」
「蒼一郎様が仰って頂ければ、どこにでも!!」
「感謝します。万が一のとき、自分では殺さないように加減をするのが難しいですから」
蒼一郎は凶相を浮かべて踵を返し、足早にカトリエルの錬金工房へと進んだ。
エーヴィアは頼られて喜ぶべきか、いざというときに蒼一郎を止めねばならないことを嘆くべきか、頼られた理由が理由なだけに複雑そうな顔をして、蒼一郎の後に続いた。
道中で何度か氷の団と遭遇することになったが、明確な怒りと殺意の篭もった眼光に誰もが道を開けた。
下手に突けば凄惨な殺され方をする。そう思わずにはいられない程の迫力があった。
数多くの敵がソウブルーに侵入していたが、蒼一郎は誰一人として相手にせず、氷の団もまた蒼一郎に関わろうとさえしなかった。
尤も、蒼一郎が通り過ぎて安堵しているところを正気を保ったままの衛兵や、冒険者達に始末されることになったが。
何はともあれ、蒼一郎とエーヴィアは、然程間を置かずして工房へと辿り着くことが出来た。
工房を目にした蒼一郎は漸く、怒りを収め、エーヴィアは安堵の溜息を吐く。
とは言え、決して良い状況とは言えない光景が広がっていた。
工房は年齢性別、種族に関わらず、数多くの者の者に囲まれていた。
だが、不可視の結界に阻まれ、正気を失った者達は工房の中に入り込むことは出来ず、結界をこじあけようと手足をばたつかせていた。
魔術的、あるいは膨大な質量による攻撃で無くては破壊は困難を極める。
少なくとも、雑な大規模術式程度で正気と思考を失った者達に破壊出来る代物ではない。
「ゾンビに襲われたらホームセンターに駆けこんで、水と食糧、それから武器を調達するのが基本なんだが……。こうもゾンビが多くては、流石にどうしようもありませんか」
「蒼一郎様、あの人たち、戦士ギルドの人たちですよ!」
「あー……」だの、「うー……」だのと口から呻き声を漏らして、工房の周りを徘徊する人々達。
まるでゾンビ映画のワンシーンだと、蒼一郎が冗談めかして肩を竦めていると、エーヴィアが指をさして警告を発した。
「術に対する耐性が皆無で非常に高い戦闘能力を誇るギルド員、ですか。成る程。これは存外に厄介な奴等が敵に回ったようだ」
「蒼一郎様、いかがなさいますか?」
「決まってますよ。身内を傷つけようとする輩は誰であろうと許せない性質なんですよ」
物言いに反し、蒼一郎には余裕が無かった。
戦士が冒険者の下位互換扱いされているのは魔力が無く、魔術や魔術兵装を操ることが出来ないからだ。
だが、彼等は不足しているが故に、身体能力や戦闘能力は高く、決して冒険者に引けを取るものではない。
――本当に殺す以外に止める手立てが無いかも知れない。
だが、身内では無いにしても知った顔を殺すことに関しては、流石の蒼一郎にも凄まじい抵抗感を覚えていた。
――いっそのこと、怒りに任せて何も考えずに殺してしまおうか。
そんな考えが鎌首をもたげる程度には。
自分の中でも結論が出せないでいると、戦士の一人が蒼一郎の前に向き直った。
三メートルを越える巨体の持ち主で、巨人に最低限の知性と理性を与えたような男だった。
名をルトラールと言う。
「お、おー……、龍殺しぃ……。お前、どうやってカトリエルを落としたんだ? 俺は、ずーっとカトリエルを口説こうとして何年も通い詰めたってのに、前触れも無く横から現れて、何事も無かったかのようにかっさらっていった……。どいつもこいつも不思議に思っている。なあ、どうやって落としたんだ?」
「ルトラール。こんな状況で出て来る言葉はそんな下世話なことだけか? 戦士ギルドの主力ともあろう者が、こんな下らない術式で良い様にされて、情けないとは思わないのか? 少しは恥ってものを知れよ」
無駄だと知りつつ声をかけると、ルトラールは巨体を揺るがせて悩む。
上手く思考することが出来ないことに苛立っているようにも見えた。
「あー……、あ? ああ……。あー……、何だろうな。今は少しいい気分だ。この結界を壊して、中からカトリエルを引きずり出して、俺の女にする。うん、そうする。俺の子を孕ませたら、きっといい気分だ。いい気分だと思うんだ……」
「カトリエル!! そのまま結界を維持していろ!! 今すぐに、この莫迦共を膾斬りにして助け出してやる!!」
「私も、胡桃ちゃんも無事よ。かすり傷一つ付いていないわ。けれど、貴方の生徒は?」
「気遣ってくれて有難う。君の優秀な後輩がどうにかしてくれた。けれど……」
「カ、カトリエル!! カトリエルカトリエルカトリエルカトリエルカトリエルカトリエルカトリエルーーーーーっ!!」
工房の中からカトリエルの声が響いた。
だが、二人の無事を知って安堵するよりも先に、呻き声が歓喜の絶叫とも、獣の咆哮とも言えぬ奇声に変わり、エーヴィアがびくりと肩を震わせ、蒼一郎の心臓を驚愕で跳ね上げた。
全員では無いにしても多くの者がカトリエルの名を連呼した。
ルトラールのように色欲に塗れた者もいれば、嫉妬に狂い殺気立った女もいる。
「君の可憐な声は莫迦共には刺激が強過ぎる。すぐに蹴散らすから少し大人しくしていてくれると助かる」
取り敢えずの不安は解消された。
驚愕で早鐘を打つ心臓を落ち着かせ、鞘を付けたままのレーベインベルグを構えようとして――。
「貴方がいるなら何も問題は無いでしょう?」
「ますたー、がんばってねー!!」
次の瞬間、蒼一郎とエーヴィアは鼓膜が破れそうになる程の絶叫に襲われた。
「私の声よりも胡桃ちゃんの声の方が愚物たちを興奮させているようね」
「殺すか」
帝国において亜人は差別や迫害を受ける傾向にある。
その中でも獣人は特に扱いが悪く、更に半獣ともなれば人権など皆無と言っても良い。
だが、表立って胡桃を害そうとする者はいない。
八雷神教会の司祭達も胡桃の対応には気を遣い、ドワーフ達からは好意的に受け入れられている。
ソウブルーを代表する錬金術師カトリエルの工房に住み、破邪の龍殺しの庇護下にある。
これらの事実は人間や貴族達だけでは無く、同じ被差別種族の獣人や半獣人からも嫉妬から来る反発を招いていた。
愛犬のことを口汚く罵る言葉を聞いて、この男が冷静でいられるはずも無い。
凶相を浮かべて、幽鬼のような足取りでゆらりと前に出る。
平民も貴族も関係無く、一緒くたに皆殺しにしようとしている。エーヴィアの眼にも明らかだった。
「だ、ダメですよ、蒼一郎様!! 殺さないように納めるために、このわたしに声をかけて下さったんでしょう!?」
――殺してやる。
蒼一郎は殺意を濃密に凝縮させた。レーベインベルグを鞘から抜こうとする手をエーヴィアに取られた。
薄い胸元で己の手を包み込んで必死に訴えかける彼女の言葉に気を取り直すと。軽く被りを振って言った。
「あ、ああ……そうだ。そうだった……じゃあ、エーヴィア――」
「く、く、く、くるみ、孕め、俺の子、孕め」
――あ、これは無理だ。
エーヴィアは反射的に思った。
そして、巻き込まれるかも知れないと思って、蒼一郎から手を離し、二歩ほど後退り、更に三歩下がった。
「もう良い。全員死ね。運が良くて力があれば死なずに済む。死ななかったら念入りに殺してやる」
――これ、どうしよう……。
どうしようもない。エーヴィアは深い溜息と共に肩を落とした。
――どうか死人が出ませんように……は無理だろうから、せめて人から見られずに済みますように……!!
彼女に出来ることと言えば、蒼一郎が反逆罪で投獄されないことを祈ることだけだった。
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Copyright © 2017-2019 芥川一刀 All Rights Reserved.
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