第七話 錬金術師
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衛兵の男、アーベルトさんは自分達を帝国兵団の食堂に案内を終えると――、
「私は殺人事件の事後処理があるので、これで失礼させてもらう。
すぐにでも協力を頼むことになるかも知れん。宿が決まったら詰所に連絡してくれ」
そう言って、さっさと立ち去って行った。
「と、取り敢えず、水。水ください。水」
リディリアさんが息も絶え絶えに水をねだる。
カウンターの向こう側から柔らかい雰囲気のする妙齢の女給が微笑を浮かべて現れた。
「はい、ご苦労様です」
彼女の白雪のような透き通った手にはリディリアさんが求めて止まない水があった。
女給から水をもぎ取る様にして受け取って一気に飲み干し、女給が「まだ飲みますよね?」と更に水を差し出すと、次はゆっくりと飲み始めた。
「ありがとうございます。生き返る心地ですよ~」
そう言ってリディリアさんはカウンターの上に崩れ落ちた。
生き返るどころか、そのまま天に召されそうな雰囲気だ。
「お連れ様はいかがなさいます?」
「自分達も水を。それから料理を適当に」
「かしこまりました。すぐにご用意しますね」
女給は自分達に水を差し出すと折り目正しく一礼して奥へ引っ込んで行った。
「それでこれからどうします? ダニエラさんのお店、行ってみます?」
「服、ですか」
「あんまり乗り気じゃないですか?」
「平民らしい恰好をしてトラブルを避けるのが目的だったでしょう?
だけど、アーベルトさんのような衛兵とパイプが出来た時点で自衛は十分かなと。
自分の服より胡桃さんに服を買ってやった方が有意義ですが……」
「やだー!」
胡桃さんが自分の膝の上で駄々を捏ねる。
「と、まあこういうわけでして。肉と卵を買ってやった方が喜んでもらえるし、その方が良いかなと」
とは言え、ダニエラさんの店に行かないわけにもいかない。
彼女の店に行くのはベイルダーの卵要塞で乱闘騒ぎを起こした詫びも兼ねている。
乱闘の原因になった酔っ払い共を放置していたドライセンさんにも非があると思うが。
しかし、ケジメを付けないのも気が咎める。
どうしたものだろうか?
「だったらアクセサリーなんて、どうですか?
宝石入りだったら錬金術師や鍛冶職人に魔術刻印を入れてもらえますし」
リディリアさんの提案で思い出した。
母や祖母が胡桃さんのハーネスにリボンを付けてはしゃいでいる姿だ。
胡桃さんはお散歩グッズでもあるハーネスと首輪だけは身に付けることだけは嫌がらない。
つまり、ハーネスや首輪をアクセサリでデコる分には胡桃さんも苦にしない。
着用感がハーネスと首輪に似ている物もいける。例えば、チョーカーとか。
「リディリアさん。その意見採用! 胡桃さん、ご飯食べたら可愛くなりに行こうか」
「胡桃さんが可愛くなったら、ますたーうれしい?」
「うん、嬉しいな」
「じゃあ、可愛くなるー!」
この調子で服を着ることも良いこと、楽しいことだと覚え込ませてやろう。
その内、ファッションが好きになる日も来るかも知れない。
食事を済ませ、たっぷりと休息を取ってからダニエラさんの店を訪ねると、なんか凄いのがいた。
まず化粧。かつて日本に生息していたガングロギャル、山姥ギャルを彷彿とさせる化粧が顔面に施されている。
だと言うのに服装はと言うと某ゴージャス姉妹が着る様な豪奢なドレス。
更に成人男性の親指大の宝石をあしらった指輪が全ての指にはめられている。
その上、首と手首には輪投げと見紛う程、極太のリングが動く度にジャラジャラと音を立てる。
バブル期にいた趣味の悪い成金親父を出来損ないと、成金セレブギャルの出来損ないが合体事故を起こしたような女性がいた
「そんな襤褸切を纏って、このソウブルーを歩き回れるなんて信じられないセンスね。
でも、この店にある素晴らしい逸品を身に付ければ少しは見れるようになるでしょ」
思わず、手を上げそうになる程の辛辣な言葉だが、彼女の見た目が見た目だ。
この強烈過ぎるキャラクターを相手にどう対応して良いのか酷く迷う。
そして、多分だが、彼女に悪意は無い。
胡桃さんが臨戦態勢に入っていないのが証拠だ。
自分と同じで、口を半開きにしてどうして良いか分からないという顔をしている。
リディリアさんも彼女と出会った瞬間、無表情になった。
だが、いつまでも戸惑ってはいられない。
「この子用に宝石付きのアクセサリーを一つ見繕って頂けますか?
出来れば、チョーカーか首飾りを。予算は金貨千枚」
胡桃さんを自分の前に立たせて、金貨入りの麻袋をカウンターの上に乗せる。
するとダニエラさんは意外そうに片目を吊り上げて「あら」と言葉を漏らした。
「センスが人一倍無い代わりに甲斐性は人一倍と言うわけね。
良いでしょう。この小さなレディにはレッドダイヤモンドがぴったりね」
彼女がカウンターの中から取り出したのは枝葉を象った黒いチョーカーだった。
中心の花弁の部分に彼女の言うレッドダイヤモンドが埋め込まれている。
ハーネスのメインカラーが黒なので赤かピンクの方が良かったんだが……
まあ、胡桃さんには赤が似合うのでレッドダイヤだけでも許容範囲ではある。
「この大きさなら付与出来ない魔術は無いと言っても過言では無いわ」
不思議そうな顔でレッドダイヤのチョーカーを眺める胡桃さん。
これは善し悪しの判断が付いていないときの表情だ。犬だから仕方がない。
「じゃあ、それで」
「商談成立ね。職人地区の錬金術師の紹介状を用意するから少々お待ちになって」
そう言って彼女は店の奥に引っ込み、リディリアさんが声を潜める。
「なんか……強烈ですね、彼女」
「ええ、何と言いますか……凄く強烈ですね。まるで現実味を感じない」
「実はドライセンさんの縁を頼って働かせてもらおうって思ってたんですけど……」
「止めておいた方が賢明でしょう」
「ですよね」
一応、自分は彼女の護衛だ。その護衛対象が、あんなオーナーの店で働くと思うと心にざわつきを覚える。
見ず知らずの自分に護衛を依頼してくれたトーヴァーさんにも申し訳が立たない。
程無くして戻ってきたダニエラさんが戻って来た。
チョーカーと紹介状、それから指輪を受け取る。
「指輪?」
「ええ。金貨千枚を即決する貴方の見事な決断に対しる私からの心付け。
それに兄から安くしてやるとか、そんなことを言われたのではなくって?」
金貨千枚の価値がよく分からないので、何が見事なのかは分からなかった。
それに例のエルフの追跡協力の謝礼として金貨二千枚を貰っている。つまり、泡銭だ。
だが、貰える物なら貰っておくことにした。
「では、遠慮なく。リディリアさん、手を出して貰えます」
「え?」
彼女の手を取り、その素朴な指に貰った指輪をはめる。
「い、良いんですか!?」
「ええ。自分が女物の指輪を持っていても仕方がありません。
それに護衛の自分の要件を優先してもらっています。これくらいのお礼はさせて下さい」
第一、胡桃さんの性格上、間違いなく指輪を付けるのを嫌がる。
決して頂き物をたらい回しにしているわけではない。
それに此処で受け取ってもらえなかったら何処かで現金化する羽目になる。
キャバ嬢じゃあるまいし、その日の内に貰った物を金に換えに行くなんて無体なことはしたくない。
「で、でも、こっちがお金出して護衛を依頼している立場なのにプレゼントなんて、タダ働きさせているみたいで立つ瀬が無いって言うか!」
「これは先程の事件解決の謝礼金から出した物です。リディリアさんにも受け取る権利があると思います。
もし気が咎めるようでしたら、そうですね……今晩の食事はリディリアさんが奢ってください」
「今晩と言わず、明日も明後日も奢りますよ!」
「流石にそれは……トーヴァーさんに見つかったら自分が叱られてしまいます」
「じゃあ、今晩は思いっ切り贅沢しましょうね!」
リディリアさんは右の小指に嵌められた指輪を撫でながら、声を弾ませた。
こうも素直に喜ばれるなら贈って良かった。
正直、昨日知り合ったばかりの娘に指輪なんて我ながらどうかしていると思ったが。
そして、喜ばせる気など更々なかったダニエラさんが満足気に何度も頷いていた。
面白いやら苛つくやらで複雑な気分になるので彼女を無視して、店の外に出る。
取りあえず、昨晩のケジメは付けたので、此処にも彼女にも用は無い。
二度と会いたくないとまでは言わないが、三カ月くらいは会わなくても良いと思う。
昼食時も過ぎて商業地区の混雑は更に加速していく。
「次は職人地区の錬金術師ですね。もしも逸れたりしたら職人地区の入り口で待ち合わせしましょう」
リディリアさんが頷いたのを確認して胡桃さんの手を引き、人波の中へと踏み出す。
ここで一番怖いのが胡桃さんと逸れることだ。
しっかり手を握ると胡桃さんも握る手に力を込めて、にこにこと笑顔を浮かべていた。
人間の姿になっても本当に可愛いなウチの子。
人にぶつからないように避けながら、時折、ぶつかった人に頭を下げて進む。
そして、また一人。故意にぶつかろうとして来たので、それを避けてやり過ごす。
「ますたー、どうしたの?」
自分の歩き方が不自然なことに気付いて胡桃さんが小首を傾げた。
「ううん。なんでもないよー。さっきから間抜けな窃盗犯が四苦八苦してるだけだから」
こういう人ごみの中には大抵スリが紛れ込んでいる。
と言うか、自分をターゲットにして必死になっているスリをあしらっている最中だ。
ソウブルーの外なら顔面粉砕コースだが、ドライセンさん曰く、『被害者も加害者もまとめて牢獄行き』らしい。それに下手人は若い少女だ。手や足を出すのも気が咎める。
取り敢えず、お前の存在と狙いに気付いているぞと態度で示すだけに留めることにした。
すると少女は「ふぇっ!?」と声をあげて、おろおろと狼狽え始める。
とは言え、この程度で諦めるくらいなら最初から盗みに手を染めることも無い。
どうせ、自分以外の、別の歩行者を狙うに決まっている。
この分だと、上手くいかずに痛い目を見るかも知れないが。
「あの子、放っておいて良かったんですか?」
リディリアさんがそう言うが、身内以外がどうなろうと知ったことじゃない。
あの少女が痛い目を見ようと、逆に誰かがあの少女に痛い目を見せられようと、だ。
そこまで面倒見切れないので狼狽する少女を放って職人地区に向かった。
やっぱり、面倒を見ておけば良かったかも知れない。
ダニエラさんに紹介された錬金術師の店に入った瞬間、そう思った。
特別会いたくないと思っていた男が、戦士ギルドのルトラールがいた。
いやがった。
さっきの今だぞ。
あの少女の面倒を見ておけば、ここでこの男と鉢合わせすることも無かっただろうに。
「奇遇だな、疾風の!」
「疾風?」
ルトラールが親し気に声をかけてきた。
疾風と言うのは自分のことを言っているのだろうか?
「疾風の魔術付与を受けたエルフを自前の足で追い付いたのだ。お前に相応しい二つ名だろう?」
「勝手に変な二つ名を付けるのは止めて下さい。
それにあのエルフに追い付いたのは、アーベルトさんやこの娘達も同じです」
と言うか、アーベルトさんに至っては重装だった。多分、軽装だったら彼の方が早い。
「仕方があるまい。我々はお前の名前を知らぬのだ。
だから便宜上、戦士ギルドでは疾風の名で通るようにしている」
「そんなことをしなくても戦士ギルドに入るつもりはありません」
どうすれば改めてもらえるのやら。
強さを誇示する趣味も無ければ、誇示出来る力も持ち合わせていない。
「いい加減にして、ルトラール。彼は私のお客様よ。私の店で私のお客様を困らせないで」
そう言って仲裁に現れたのはウェーブのかかった金髪の女性だった。
彼女がダニエラさんに紹介してもらった錬金術師、カトリエルさんだろうか。
彼女の人形染みた怜悧さを湛えた双眸がルトラールを射抜く。
綺麗という印象を受ける目だが、並大抵の男なら睨まれただけでたじろいでしまいそうだ。
尤も、ルトラールのような愚鈍な男に通用するはずも無い。
奴は聞き分けの無い子どもを相手にするような表情で苦笑して頬をかいた。
ブーメランでしか無いが、それがカトリエルさんの癇に障ったようだ。
「あなたが此処に来たのは窃盗犯の注意喚起でしょう?
それが済んだなら、さっさと余所に消えなさい」
「ふむぅ……仕方あるまい」
溜息交じりだが、強くキツい口調だ。美人であることも相まって、より強い拒絶の意思を感じる。
その上、消えろとまで言われては流石のルトラールも引き下がるしか無いようだ。
「ルトラール」
「どうした疾風の。戦士ギルドに加入する決意が出来たか?」
奴に声をかけると、しょげていた顔が一気に破顔した。ガキか。
「疾風じゃない」
呼び止めた自分が馬鹿だったかも知れない。
「貴方のお名前、聞かせてもらえるかしら?」
再び、カトリエルさんが間に入ってきた。
「姓は倉澤。名を蒼一郎と言います。この子は家族の胡桃。彼女は自分の依頼主のリディリアさんです」
「蒼一郎さんに、胡桃ちゃん。そして、リディリアさん。うん、覚えたわ。
それで蒼一郎さん。何でこの傍迷惑な大男を呼び止めたのかしら」
「おい、傍迷惑って」
事実、傍迷惑なのだから仕方がない。
「ええ。呼び止めたくは無かったのですが……」
「おい、待て」
呼び止めたく無かったのも事実だから仕方がない。
「先ほど窃盗犯の注意喚起と言っていましたよね?」
「そうなのだ、実は「ええ。結構な被害が出ているみたいね」
カトリエルさんがルトラールの言葉を遮る。
横幅三人前の半裸の大男と、美人。話をするなら断然後者だ。
ルトラールを居ない者と扱うことにして、視線を彼女一人だけに向ける。
「此処に来る前、それらしき少女を見かけたので伝えておこうと思いまして。
スリの腕前は素人同然でしたので、違うかも知れませんが」
あのスリにかかり切りになって自分に関わらなくなってくれれば尚良しだ。
それに大事を仕出かす前にルトラールに捕縛された方が幾分かはマシになるはずだ。
返り血を浴びた不審なエルフを取り押さえ、殺さずに捕縛で済ませていた辺り、分別は多分ある。
あの少女もマシになる可能性がある。
ソウブルーの治安も良くなる。
自分もこの男に絡まれずに済む。皆が幸せになって結構なことだ。
「それは「それは何処で見かけたの? 職人地区?」
「おい」
再び、カトリエルさんがルトラールの言葉を遮る。
横幅三人前のだみ声よりも美人の美声を聞いた方が兆倍有意義だ。
引き続き、ルトラールを居ない者として扱うことにした。
「いえ、商業地区です。ダニエラさんの店を出た直後、自分を執拗に狙ってきました」
「そうだったの……、聞いていたんでしょう、ルトラール?
いつまでも突っ立っていないで商業地区の警邏に出たらどうかしら?」
居ない者として扱われたのが余程堪えたのか。
ルトラールは無言で負け惜しみをするような笑みを浮かべて踵を返す。
何と無くだが、その背中が小さく見えた気がした。同情する気は更々ない。
「さ、やっと本題に入れるわね。一応、紹介状を見せてもらっても良いかしら?」
「ええ、勿論」
カトリエルさんが手渡した紹介状に視線を落とし、自然と伏し目がちになる。
そうすると長い睫毛も相まって憂いを帯びた美人に見える。
と言うか、美人は何をしても美人だから素晴らしいと思う。
そんなことを考えていると視線を持ち上げた彼女と目が合った。
眼福である。
「胡桃ちゃんのプレゼントに買ったチョーカーに魔術刻印を施せば良いのね?
希望はあるかしら? 宝石の質が良いから付与出来ない術式は無いと思うけれど」
まず魔術だとか術式が何だか分からない。
現実世界のゲームと同じように考えていいのだろうか?
「逸れてもお互いの位置が分かるような魔術効果ってありますか?」
「それなら生命探査ね。でも、本気? 折角のレッドダイヤが勿体ないわ」
まるで自分の正気を疑うような視線だった。
どうやら自分の要望はレッドダイヤを台無しにするような要求らしい。
「それでしたら危機回避に使えそうなものを」
だったら専門家の知恵を借りてみようと曖昧な注文をしてみる。
「危機回避……転移術、攻撃術、防御術、どれが良いかしら?」
少し考えてみよう。第一に胡桃さんを害する輩は自分が始末するから攻撃術は不要だ。
それに基本的には人嫌いな子だ。
ダニエラさんの店でもそうだったが、ここでも会話には入ってこない。
ただ自分の手を握ったまま耳を澄ませて様子を窺っている。
絶対にあり得ないことだとは無いとは思うが……例えばだ。
カトリエルさんが妙な動きを見せれば、胡桃さんはすぐさま攻撃態勢に移ることだろう。
この子はそれくらい家族以外の人間を疑っている。
但し、胡桃さんは喧嘩っ早い代わりに喧嘩が弱い。と言うか下手だ。
胡桃さんの名誉のために雀を獲ることに関しては天才的だということを此処に明言しておくが、余所の犬や猫に攻撃を仕掛けた結果、返り討ちに遭ったところしか見たことが無い。
だからこそ、魔術というよく知りもしない攻撃手段を与えることが怖くもある。
喧嘩っ早い喧嘩下手に武器を持たせ、勝っても負けても大惨事を起こす未来しか見えない。
そして、それは却って胡桃さんを危機に晒すことに繋がる。却下だ。
「この子が身の危険を感じた際に自動的に自分の側に転移する、というのは?」
だから多分、これが最適解だ。
「十分に可能よ。宝石の質にも見合っているわ。貴女はどうする? 彼から指輪を貰ったのでしょう?」
まるで自分がリディリアさんにプロポーズでもしたかのような言い方だ。
それは彼女も感じたらしく、顔を蒸気させている。実に可愛らしいものである。
「ええっと……どんなのが良いんだろう。仕事探しに有利な魔術効果って……あります?」
魔術効果がまるで就職に有利な資格扱いだ。だが、その必死さは理解出来る。
笑う気なんて起きないし、茶化す気にもなれない。
なれないが、ロマン溢れる魔術が一気に俗っぽく感じたのも事実だ。
ただ自分にとっても他人事では無いので、リディリアさんと共に彼女の回答を待つ。
「貴女さえ良かったら、ここで働く?」
「良いんですかっ!? 錬金術のことも魔術のこともよく知らない素人ですよ!?」
リディリアさんがカウンターから身を乗り出す。
『言質取ったからな! 前言撤回させないからな!』
そんな必死さを感じる食い付きようである。
リディリアさんの豹変っぷりにカトリエルさんが上品に笑みを浮かべる。
「ええ、ソウブルーも人が増えたし、助手が欲しいと思っていたところだったの。
勿論、錬金材料の名前、形状、代表的な効能くらいは覚えてもらうけど」
「覚えます! お願いしますっ! ここで働かせて下さい!」
人間勢いが大事。勢いさえあれば何でも出来る。
そんなことを思わせる就職活動を目の当たりにした。
自分も勢いで立候補してみようかなどと思っていたらカトリエルさんと目が合った。
「貴方の依頼主を取る形になってしまったけれど……」
「いえ、厳密な依頼主は彼女の叔父ですから問題ありませんよ。
何だったら契約満了まで、この店の用心棒でもしましょうか?」
カトリエルさんにお近付きになる良い口実になるし、寧ろ置いてもらいたいくらいだ。
だが、彼女は申し訳無さそうに首を横に振る。
「貴方が此処にいるとルトラールが居座りそうだから遠慮するわ。
危険は減りそうだけど、お客様まで減ってしまったら意味が無いもの」
ああ、クソ。残念だ。残念過ぎる。だが、ご尤もなことだ。
あの横幅三人前、窃盗犯に返り討ちに遭って二、三日くらい寝込めば良いものを。
「契約の満了はいつなのかしら?」
「叔父さんと合流するまでだから多分、後二日か三日くらいだと思います」
「そう。じゃあ、仕事始めは三日後にしましょう」
「はいっ」
「それにしても蒼一郎さんが用心棒をやってるなんて意外ね。
でも、戦士ギルドに勧誘されるくらいだし、見かけに寄らないのかしら」
「蒼一郎さんって、こう見えて実は血の気の多い人なんですよ。護衛としては物凄く頼もしいんですけどね」
一体、自分はどういう風に見られているんだ。いや本当に。
そして、血の気が多いと言われるのは心外だ。
昨日の酔っ払いや今朝の野盗みたいな奴は、一度付け上がらせると際限が無くなる。
だから、面倒なことになる前に犬を棒で打つように躾けてやる必要がある。
尤も、胡桃さんの躾に棒打ちなんてしたことは無いし、その必要性もない。
つまり、あの連中は犬未満の人類最下層汚物と言うわけだ。当然の扱いである。
「大したことはしていません。護衛として適切な対応をしただけですよ」
だから、自分のやり方が過激だと言うのなら、そんな手段を取らせた奴等が悪いのだ。自分は何も悪くない。
「魔術には疎いようだけど、武器も持たずに用心棒が務まるのかしら?」
「そう言えば、昨日は酒瓶で撃退してたし、今朝は相手の武器使ってましたよね」
「身の程を弁えない酔っ払いくらいなら素手と酒瓶だけで十分です。
今朝の相手も貧相な男だったので仰々しい武器は必要ありませんでした。
人の往来が激しいソウブルーで武器の所持は却って余計なトラブルを招きます」
それに何より自分の片腕は胡桃さん用で埋まっている。
余計な手荷物を増やすつもりは無い。
街中で変な連中に絡まれたら、その辺に落ちている煉瓦で顔面を叩き割ってやれば良い。
それを口にすると、また血の気が多いとか色々言われそうなので黙っておく。
「それって妥協じゃないのかしら?」
「妥協ですよね」
「いいえ、慢心です」
「そんな油断と妥協と慢心の蒼一郎さんにお勧めのアイテムがあるのだけれど」
そう言って彼女が取り出したのは銀の指輪だった。
円形のルビー、ひし形のサファイア、楕円形のアメジストが交互に埋め込まれている。
石の加工もそうだが、リングは精巧な編み目状に加工されている。
控え目に言って、非常に高価そうである。
「精霊兵器って、聞いたことはあるかしら?」
「いえ、響きは凄そうですが。リディリアさんはどうですか?」
「ごく普通の村娘に何を期待しているんですか。兵器のことなんてさっぱりですよ」
それもそうか。何となく何でも知ってそうな気がしたが。
「これは失敬」とだけ返しておく。
「異世界の異種族達から魔力を対価にして力を借りる。それが召喚術式。
単純に力や能力だけじゃなくて、物品を貸してくれる種族もいるのよ」
「精霊たちが貸してくれる兵器で精霊兵器、ということですか?」
「ええ、この指輪には三つの精霊兵器を召喚するための術式を組み込んでいるの」
「しかし、精霊兵器ですか。一個人が所有するには過剰過ぎませんか?」
人の言葉を理解出来る胡桃さんと散歩が出来るという折角の楽しい夢に無粋な物が出て来て辟易する。
もしかしたら夢じゃないかも知れないなんて考えが無いわけじゃないが、それにしても過剰戦力だ。
「それなら大丈夫よ。携帯性以外は凡庸その物だから」
「凡庸、ですか」
「ええ。確かに精霊兵器という言葉の響きだけは、凄い物のように感じるかも知れないわね。
でも、物作りなら精霊よりも人間。人間よりもドワーフの方が遥かに上だもの」
「それって、つまり……」
「ええ、商業地区に売っているような普通の剣、弓矢、盾と同性能か少々劣るくらいの武具を召喚出来る指輪ね。
蒼一郎さんの手はいつも塞がっていそうだし、こういう物の方が使い易いんじゃないかしら」
そう言って、カトリエルさんは自分の空いた手を取った。
雪のように白く、透明感のあるほっそりとした綺麗な手で指輪を嵌めて貰った。
相手が美人だからか、それともこんなシチュエーションだからか、妙に気恥ずかしい。
顔が赤くなっていないか、鼻の下が伸びていないか、いやらしい笑みを浮かべていないか不安になる。
「指輪自体に魔力を充填しているから、魔力が少ない人でも念じるだけこの世界と精霊世界を繋ぐことが出来るわ」
「念じる?」
「ええ。指輪に意識を集中して剣、盾、弓、どれでも良いから形をイメージしてみて」
言われた通りにしてみると刃渡り一メートル程の直剣が何の前触れも無く現れた。
彼女の説明では自分が精霊世界に接続して、この剣を取り出したということになるが、その実感が全くない。
「精霊が作ったにしては地味、ですね」
無骨とはまた違う。ただただ地味だ。一目で剣と認識出来るが印象に残らない。そんな剣だった。
「当然ね。好奇心旺盛な精霊が人間やドワーフを真似て作っただけだもの」
「でも、何でこんな物を作ろうと思ったんですか?」
「そうね。貴女にはこれから私の助手になってもらうことだものね。私の研究テーマを教えておくわね」
リディリアさんの問いに彼女は少しだけ得意気な顔をする。
「死した勇者達の国、クラビス・ヴァスカイルと現世の接続よ」
クラビス・ヴァスカイル――昨日、トーヴァーさんが言っていたことを思い出す。
先帝のハルロンティ・アーリーバートが勇者の楽園クラビス・ヴァスカイルに召されて間もない。
確かそう言っていた筈だ。現実世界で言うところのヴァルハラみたいな場所だろうか?
自分の今のこの状況が万が一、夢で無いとしたらだ。
彼女には、いや、錬金術師には二つの異なる世界を繋ぐ技術がある。
死者の世界が本当に実在するのだとしたら、多分彼女の研究は成功する。
既に精霊界という異世界に接続するという前例がある。
自分が知らないだけで他にも数多くの異世界と接続することが出来るかも知れない。
つまる所、彼女のやろうとしている事は既存技術の応用と発展だ。
嫌な予感がした。もしかしたら自分の杞憂かも知れない。自分の考えが的外れなのかもしれない。
だが、異世界が存在するという事実がある。
つまり、自分は――。
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