第十話 埋伏
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倉澤蒼一郎がオライオン派としてトリエンナ家に接触している頃。
魔人零は目の前の光景に驚愕で顔を歪ませていた。
「コレは……どういう事だ。何が、起こっていると言うのだ……?」
道すがら力を得た魔人零は、氷の団に自身を戦力として売り込むことに成功した。
主力のオライオン四天王にも勝るとも劣らない優れた武術と魔術を兼ね備えた零を、オライオンは心からの歓迎を以って持て成した。
「ほう、コレが何か分かっているような物言いだな。零よ」
他者を見下すが如く超然とした態度を取り続けていた零が、人目も憚らずに驚愕の声を漏らしている。
その有様に卑劣の王オライオンは、得意気な声色で零の背に声を投げかける。
「オライオン様……はっ。コレは……」
両者は改めて、コレと称する物に目を向ける。
十代前半くらい少女が零の眼前で、目をうつろにして佇んでいた。
鎖骨まで伸びた緩やかなウェーブがかったライトブラウンの髪。その隙間から飛び出す尖った耳。
六千年前から付き合いのあるよく知った顔だ。
一見するとエルフ種のように見えるが、そうでは無い。
ルカビアンを永久不滅の存在とする技法の一つ蘇生法。
超文明と栄華を誇ったルカビアンとて、最初から蘇生法を完全なものとして実用化したわけでは無く、幾つかの不具合を有していた。
その不具合の中でも最もよくある症例が肉体化の奇形化だ。
「エルフでは無い。ルカビアンの十九魔人の一人、魔人ヴァルバラ」
しかし、初めて出会った頃から変わらぬ溌剌とした無邪気さは見る影も無く、焦点の合わぬ虚ろな瞳を揺らして佇んでいた。
「流石は零。博識だな」
「魔人ヴァルバラの身に一体、何が?」
呻くように零が言葉を漏らす。
驚愕と動揺を隠せない零に気を良くしたオライオンが笑みを浮かべる。
厳密には湧き上がる怒りを押し留めようと必死になっているだけだが。
――人間如きが、ルカビアンを操るとは何たる不敬か……!
ルカビアンを捨て、人間に成り下がり、いずれは魔人への報復を果たすことを誓いはしたものの、長年染み付いた価値観が容易く消えることはなかった。
「フッ……ソウブルーが嘗て対魔人要塞と呼ばれていたこと知っているか?」
――当然、だな。
オライオンの物言いに道化じみた愚かさを感じ、どうにか怒りを抑え込むことに成功した零は頷く。
「最近になってバーグリフがその歴史的事実を知ったらしく、地下迷宮の調査に着手したのだ。当然、その調査員の中には我等の同胞も潜入している。そして、これはその成果だ」
オライオンは見せ付けるようにして、煌びやかな塗装が施された鎖を巻き付けた左腕を掲げる。
零にはグァルプであった頃の知識、知能は殆ど残されておらず、記憶も徐々に霞がかり、抜け落ちつつある。
地殻変動前後の事は殆ど覚えていないが、愚鈍と化した頭でさえ忘れられない物も決して少なくない。
その一つがオライオンの鎖。その節々に埋め込まれた宝石に刻まれたルーンであった。
――忌まわしき魔術、洗脳のルーンを刻んだ魔術兵装か! あの時は、オズヴェルドが操られ、危うく全滅させられるところだった……!
帝国が刻んで来た四千五百年の歴史の中で魔人が人間に敗北し、全滅させられたことは一度や二度では無い。
その殆どは戯れのようなもので、決定的な敗北を叩き付けられたことは無い。
――だが、三千年程前に一度だけ例外があった。
魔力が込められた宝石にルーンを刻み、術者自身の魔力の消耗と詠唱を必要としない魔術の発動装置、魔術兵装の実用化が帝国で始まったばかりの頃だ。
戦術級、封印指定級といった区分や規制も無く、寧ろ、現代よりも悪辣で性質の悪い魔術兵装が数多く存在していた時代でもある。
だが、所詮はヒトモドキの作ったガラクタだ。
当然、彼等ルカビアンが警戒などする筈もなく、魔術に対して無警戒に無防備を晒していた。
結果、最強の魔人、オズヴェルドが洗脳の制御下に置かれ、トゥーダス・アザリンをはじめとする上位の魔人が全滅した。
グァルプはオズヴェルドとの直接戦闘を避け、洗脳の術者を殺害することに成功する。
オズヴェルドに正気を取り戻させる頃には、稼働可能な魔人はグァルプの他に、ガエル、バエル、ティアメス、下位の魔人が四人だけとなっていた。
――ティアメスは魔術師として帝国に潜り込み、五百年の時をかけて洗脳の知識を完全に遺失させた。そして、私達は大陸全土に散らばった洗脳のルーンを探し出し、その全てを破壊した。そのつもりだったが……
ヒトモドキに後れを取っただけでは無く、事後処理に本気で取り組ませられた。屈辱以外の何物でも無かった。
だが、だからこそ、洗脳の脅威はグァルプの心に、零となった今でも、未だ色褪せる事無く残っている。
――あの時、封印状態にあったヴァルバラはオズヴェルドが操られていた事も、洗脳の存在も知らない。故に抵抗する間も無く、心を操られたか。
零は内心でほくそ笑む。
――この状況は私にとって非常に好都合だ。洗脳の魔術兵装が手に入ればヴァルバラは意のまま。自由を奪ったままヴァルバラを殺して我が力とする……! この身にルカビアンの力を取り戻すことが出来る!
そして、この状況は零に何よりのアドバンテージを与えた。
――私は洗脳の存在を知らないルカビアンが他にもいることを知っている……!!
魔人ハーティア。
魔人ルーフリード。
魔人ドルガーノ。
洗脳が猛威を振るった当時、稼働中では無かった下位の魔人達だ。
洗脳の力を自在に操ることが出来るようになれば、ヴァルバラに加え、この三人は赤子の手をひねるも同然に殺して力を奪うことが出来る。
それだけの力があれば、他の下位の魔人は洗脳抜きでも確実に食えるようになる。
下位の魔人を全て取り込めば、ヴィヴィアナ以上の上位の魔人さえも凌駕する。
――洗脳の遺失が不完全であった事を知るルカビアンはいない。この好機にヴィヴィアナの力を奪い取ることが出来れば……!
虚ろげなヴァルバラに向ける零の双眸に仄暗い欲望の火が灯る。
「クフッ……」
「楽しそうだな、零」
「楽しいですとも。しかし、まだまだ戦力と、闘争が足りませんな」
「魔人を引き入れて尚、不足と言うか。ならば、お前に打って付けの任務がある。受けてみる気はあるか?」
「伺いましょう」
「大陸の最北端にあるトレスドアに向かい、反体制派組織を懐柔してもらいたい」
「トレスドア……先帝の死去後、人種差別が著しく激化した鉱山都市の一つですな」
ルカビアンにとって帝国の人種差別など愚か極まりない話だ。
この星で人間を自称している種の正体は、ルカビアンが人工的に作り出した奉仕種族オウラノだ。
初期型の蘇生法の不具合で肉体が変異し、身体障碍者扱いされたルカビアンの因子をオウラノに組み込み、繁殖能力を低下させる代わりに長命等の高性能化を図ったのが現代の亜人種、獣人種の祖だ。
近年は神の加護の強度が増加傾向にあり、人類種の性能差は埋まりつつあるが、どちらにせよルカビアンの無聊を慰めるためだけに生み出された創造物であることに変わりは無い。
繁殖能力以外に取り柄の無い旧型の人工生命体が人間を自称し、数に物を言わせて新型を弾圧。
自らの権利を主張しているに過ぎない。
その姿は嘗て、権力を欲しいままにしていたルカビアンの愚かな老人達を思い出させ、零に侮蔑の笑みを浮かべさせた。
「トレスドアには戦力と闘争がある。決起までの間、精々楽しんでくると良い」
「ご照覧あれ」
ルカビアンの肉体を捨て、グァルプの名を捨て、零と名乗るようになって三ヶ月以上が過ぎた。
グァルプだった頃は氷の都からトレスドアまで、飛行術式を使えば二日もあれば辿り着くことが出来た。
だが、今の肉体では、片道だけでも馬車を乗り継ぎ十五日を要する。
零はこの不便さが嫌いでは無かった。
まともに歩くことさえ困難な浮浪者の肉体から再開して、今では氷の団の実力者。
進歩への確かな手応えを感じられる喜びを味わったのは実に六千年ぶりだ。
遅々とした歩みだが、それでも愉快に感じられた。
完全なる死を避けるために自棄を起こしてヒトモドキの身体を使うことになってしまったが、零は弱者となり地べたを這う今が嫌いでは無い。
トゥーダス・アザリンへの報復。
倉澤蒼一郎との決着。
この不自由さと脆弱さの向こう側に目指すべき未来が待っている。
非現実的では無いとは言え、未来や希望に縋る様は、あまりにも無様だ。
だからこそ、弱者たる己にはこの無様さが似合っている。
自虐では無い。自然にそれをあるがままに受け入れただけだ。それが不思議と零を愉快な気分にさせた。
だが――、
――醜悪。
トレスドアに到着した零が真っ先に向かったのは、支配者のアルスディヤがいる地下要塞だった。
謁見の間には亜人の子供の中身を繰り抜いて作った悪趣味な燭台が壁に連なり、目、鼻、口から煌々とした明かりを放っている。
その上、真っ白なクロスが敷かれたテーブルの中央には、亜人の赤子の頭蓋を切り開いて作った花瓶が鎮座し、悍ましい食虫植物が触手のような橙色の蔓を身体中の穴という穴から生やしていた。
更に、よく見回すと調度品の類も複数の骨を繋ぎ合わせて造られているようだった。骨の出所も亜人や獣人の類だろう。
芸術性は感じられない。狂気も感じられない。
この空間の意図は、この場に現れる者全てを威圧し、戦慄させることだ。
それに勘付いた零は、下らない空間だと一笑に臥すと、失望と嫌悪を隠す事無く溜息を吐いて頭を垂れた。
「お初にお目に掛かる。トレスドアの偉大なる支配者アルスディヤ。私は氷の団に所属する将の一人、零。御目通りが叶い恐悦至極に存じる」
帝国流の礼儀作法は以前に取り込んだ衛兵達の知識で完全に学び取っている。
だが、零の仕草や立ち振る舞いはお仕着せの様なものでしか無く、謁見の間に居る者全てを苛立たせた。
素直過ぎる反応に零は、隠す事無く嘲弄染みた笑みを浮かべる。
「氷の団? 欺瞞に満ちた反帝国の扇動者か。たった一人で我が前に現れるとは舐められたものだ」
侮蔑と恫喝の入り混じった眼で零を睨み付けるが、所詮はヒトモドキの大将だ。
並大抵の者なら畏れを抱く眼だったが、零の心には何も届かず、何も響かない。
単純な戦闘能力で言えば、今の零ではアルスディヤに成す術無く敗北を喫することになる。
それ自体は屈辱的な事実として自覚せざるを得なかったが、この男が何をしようとも零に情動を与えることは出来ないことに変わりは無い。
その時点で、零にとってアルスディヤという男は何処にでもいるヒトモドキでしか無い。
「お互い、暇では無いでしょうから無駄な前置きは省略させて頂く」
零は涼しい顔をしたまま言葉を続ける。
「トレスドア地方に潜伏している亜人と獣人。我が方で殺傷及び、回収しても問題の無い集落をお教え願いたい」
「何?」
「………………………………」
数多くの亜人、獣人を擁する氷の団。
その使者の発言とは思えず、反射的に問い返すアルスディヤ。
氷の団が亜人や獣人を保護するなら分かる。よく聞く話だ。
――しかし、殺傷とは?
だが、零は黙したままアルスディヤの返答を待つ。
二度は言わない。慇懃だが、無礼と取れる程の傲岸さに謁見の間に剣呑な空気が色濃くなる。
トレスドアの家臣らの殺気が最高潮に達する直前にアルスディヤがクツクツと嗤い出す。
「先のソウブルー襲撃ではバーグリフに煮え湯をたらふく飲まされたと見える。兵隊が必要か。だが、アレ等亜人は害虫であると共に益虫でもある。ただでくれてやるわけにはいかん」
「承知した」
「何?」
間髪入れずに踵を返す零にアルスディヤは中腰になって立ち上がる。
此処から如何にして対価を引き出すか、漸く本題に入る筈が容易く、梯子を外された。
問いかけに対する答えは無く、既に興味を失った零は一定の速度を保ったまま黙々と出口へと下がっていく。
そもそも、交渉のためにこの場に現れたのでは無い。
オライオンもアルスディヤに会えと命じていない。接触するなとも命じていなかったが。
零がこの場に現れたのは単に――
「興味本位で来てみたが……思った以上に下らない時間だった」
歩みを止めずに口の中で呟く。別に聞かせてやっても良かったが得る物が何も無い。
本来の目的を果たすために行動を再開する。
「下らない時間に、辛気臭い集落。せめて味方となる者くらいは期待したいところだが」
トレスドアは標高の高い鉱山の中腹を切り開いて作られた都市だ。
太陽との位置関係の都合上、極端に日照が少なく晴天時でも常に薄暗い。
街中は人間ばかりで、極稀にドワーフの姿を見かけるが、猫背で俯き道の隅を歩いている。
帝国でも随一の排他的な都市と言われているだけあって獣人や亜人の姿は無い。
今頃、坑道に押し込められて強制労働を強いられていることだろう。
だからと言って人間達が横柄に横暴に振舞っているのかと言えば、ドワーフ同様に辛気臭い顔をして周囲を警戒するよう様子で、特に若い女はフードを深く被り早足気味だ。
差別的と言うよりは拒絶的な雰囲気だ。
それも悪意からの拒絶では無く、恐怖を由来としているようだった。
「道理だな」
目と鼻の先で街娘が慰み者にしようと不埒な考えをした男達――よりによって衛兵達に襲われ、地面に引きずり倒されていた。
誰もがその光景に見て見ぬ振りをしてその場から去ろうとしているが、手持ち無沙汰にしていた衛兵達に引き留められ、フードをはぎ取られる。
フードの下には老婆の顔があり、若い女を期待していた衛兵達は激昂して老婆を斬り捨てた。
「無知は無知、無能は無能なりに最低限の秩序と規律、法というものが存在していると思っていたが違ったようだ。どうやら我は帝国の一都市では無く、醜悪な豚が支配する畜生以下の国に迷い込んでしまったらしい」
乱暴狼藉を働く衛兵達の愚鈍な頭でも理解出来るように、大きな声で、はっきりと、子供に絵本を読み聞かせるような、ゆっくりとしたテンポで零は言葉を紡いだ。
「なんだ、お前は?」
「貴様の死だ」
そう言って右腕を盗賊の腕に変性させ、疾風の如き早業で衛兵の右眼を人差し指で、左眼を中指で貫き、親指で前歯を圧し折って顔面を掴み取る。
衛兵が悲鳴を上げるより前に右腕を戦士の腕で衛兵の顔面に侵入した三本の指を釣り針のように食い込ませる。
衛兵の顔面を完全に固定すると今度は右腕を魔術師の腕に変性させ、埋没した指先から炎を呼び、肉体の内側から衛兵を炭化させる。
「遅い、な」
成す術無く一方的に炭化した衛兵は当然のこと、自分自身にも向けて放った言葉だ。
倉澤蒼一郎の直接召喚を応用した技だが、反論の余地が無い程、不完全極まりない技だ。
この程度の芸当を繰り出すためだけに道すがら殺した盗賊、戦士、魔術師の能力を使わなくてはならない。
三度の変性と奇襲から炎を呼ぶまで要した時間は約三秒。
倉澤蒼一郎なら手を触れて、精霊兵器を体内に直接召喚し、人体を破裂させるまでに〇.一秒も必要としない。
この差こそが現在の零と蒼一郎の差だ。
暴虐の限りを尽くしていた衛兵とは言え、人が一人炭化する程の熱量で焼き尽くされ、眼、鼻、口から炎を漏らして絶命する姿に誰もが悲鳴をあげ、混乱に陥る。
人間が灼ける悪臭に嘔吐しながら町民が蜘蛛の子を散らしたように逃げ惑う。
不完全な技なりに視覚的な効果は絶大だ。
倉澤蒼一郎やトゥーダス・アザリンに、同じような光景を見せたらどうなるだろうか?
――無意味だな。感情を動かす暇があったら殺す。そういう奴等だ。
零がいずれ殺したいと思っている者達には何一つとして通用しないであろうことを確信し、嘆息する。
――矢張り、不完全な技だ。
「まあ良い……、性能競争と興じようでは無いか」
炭化し崩れていく衛兵から剣を奪い取り、肉体をソウブルー地方の衛兵に変性させる。
あくまで一地方の衛兵の肉体だ。ソウブルー要塞のエリート衛兵の肉体では無い。
「く、来るな!! 化け物ォ!!」
衛兵達は覆い被さっていた女を無理矢理立たせて零の方に突き飛ばし、地面に転がした剣を構えようと慌てふためいた。
本来ならトレスドア要塞の衛兵に太刀打ち出来る性能では無いが、この体たらくならば、それなりにいい勝負が出来そうだと零は考えた。
「女、邪魔だ」
突き飛ばされた女を逆袈裟に斬り上げ、脇腹から肩口にかけて両断し、切断面から溢れ出す鮮血が衛兵達の視界を塞ぐ。
仲間が無残な殺され方をした矢先にこれだ。パニックに陥った衛兵達が手足を滑らせて地面に転がる。
「な、なんなんだ貴様は!?」
トチ狂った正義漢気取りかと思えば、顔色一つ変えずに襲われていた女まで殺した零の行動が理解出来ず、衛兵の一人が吠える。
「理解が及ばないのか?」
零は愉快そうに笑みを浮かべる。
「別にその女を見捨てて街中を散策し続けても良かった。物語の騎士のように、その女を颯爽と救っても良かった。つまるところ……気分だ」
「気分……だと?」
「そうだな。弱者を虐げる貴様達の無様な姿が不快だから殺すことにした。だが、それと同時にこの女を殺すことは何の矛盾も無い。別にこの女を救いたくて首を突っ込んだのでは無いのだからな」
戻らない視界がもどかしく、手の届く範囲にあった石などを零に投げつけるが、当たりそうで当たらない。
投げても投げても当たらないのに、濃密な死の気配だけは零が靴音を響かせる度に濃厚になっていく。
「く、来るな……! 来るな来るな来るな! だ、誰かコイツを殺せ! 殺してくれ!」
「他人を救いたい気分では無いが、貴様らのような醜悪な輩は殺したい。そういう気分だ。死ね」
地方衛兵と要塞衛兵、真面にやり合えば零に勝ち目は無かった筈だ。
先帝ハルロンティ・アーリーバードの死は、帝国の各都市に確実な腐敗をもたらしている。
少なくとも、治安維持と防備を司る衛兵がこの様だ。帝国が崩壊するのも時間の問題と言えた。
一方的に衛兵を斬殺、次は何処へ足を運ぶか思案していると今更になってから衛兵の集団が向こう側から走って来るのが見えた。
「数は十二、か。今の我では手に負えんだろうな」
業腹だったが、意地の張り時を見誤って命を落とすことになるのも馬鹿馬鹿しい。
だが、生憎とトレスドアには到着したばかり土地勘が全くと言って良い程無い。
「退路を探すのが面倒になって来た。影に飛び移って奇襲すれば十二くらいは殺し切れる……、チッ……以前に取り込んだ戦士の思考か……? 発想がどうにも闘争本能に忠実過ぎる」
逃げ場を探そうとすれば探そうとする程、頭の奥底で『殺した方が早い』と短絡的な選択肢が声高に叫ぶ。
「そこのニーサン! こっちだよ!」
定まらない思考に振り回され、立ち往生していると童女と見紛う程小柄なドワーフの女が鋭く声を発した。
これまでに取り込んだ人間達が主体性の無い輩ばかりだったのか、零は迷う事無くドワーフの女に従う。
ドワーフの女が零を連れ込んだのは鉱物管理組合。その地下倉庫だった。
零が知る由も無いが、亜人獣人差別の著しいトレスドアでも鉱山資源管理に関わる者はドワーフであっても下級貴族に勝るとも劣らない特権を有している。
腐敗の進むトレスドアであろうとも正式な捜査令状抜きで此処に入り込もうとする衛兵はいない。態々捜査令状を用意する程、勤勉な衛兵もいない。
「ここまで逃げれば、もう大丈夫。アンタも災難だったね」
「何故、私を助けた?」
「この街の衛兵ってムカつく奴ばかりだろ? んで、アンタはそのムカつく奴を殺した。アンタがこの街にいる限り、今日みたいなことが何度も起こるに違いない。だったら、アンタを助けておいた方が色々と面白いことになるって思ったのさ」
零にとってみれば、人間、亜人、獣人、ルカビアン以外の人類種は等しく、オウラノだ。
それが今ではルカビアンの真似事をして、大陸の支配者面をしている。
思い上がったかと思えば、差別を受け、死んだ魚のような目をした獣人種、亜人種の辛気臭い面はルカビアン全盛時代、未来を見出せず管理される側に甘んじている若いルカビアンを思い出させた。
――不愉快だが、この女ドワーフは少しばかり毛色が違うようだ。
零はドワーフの女の目を見てそう感じた。
何処までいっても、何をやらせても、ルカビアンの劣化コピーにしかならない。
それでも、魚眼の生者よりは幾分かマシな顔と心をしている。
「お前は我に……いや、世界に何を求めている? どんな偶然で、どんな幸運が転がり込んでくるのを望んでいる?」
この女は何も望んでいない。自分にとって都合の良い幸運と偶然を空想しているだけだ。
だが、それだけでは無い。何かがこの女の瞳には映っていた。
「お前は何を見ている?」
ドワーフの女は無邪気さと徒労感を綯交ぜにしたような笑みを浮かべて口を開いた。
「今よりマシになったトレスドア、かな?」
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