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第六話 ソウブルー殺人事件

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


Copyright © 2017 芥川一刀 All Rights Reserved. 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 散歩をしていたら何処かの知らない国に辿り着いていた。

  

 その上、愛犬の胡桃さんが人間の女の子になっていた。


 夢だ。


 夢のはずだ。


 夢だというのにも関わらず、腹は減る。睡魔だって襲って来る。


 もしかしたら夢じゃないかも知れない。


 いやいや、夢だろう。


 でも、夢じゃないと過程して行動しよう。一応。


 中学時代にナイスバディなブロンド美女が全裸で自分を誘う。そんな素晴らしい夢を見たことがある。


 その時、自分は脱童貞のチャンスだと思うと同時にこうも思った。


 ――ヤバい。コンドームとか持ってねぇ。


 そして、目を覚まして勿体ないことをしたと後悔する。


 ああいや、そういうのは別にどうでも良いんだ。重要なことじゃない。


 重要なのは夢の中であっても、それまでの人生で培ってきた常識や知識を元に危機回避に務めることは決しておかしな思考では無いし、突飛な行動でも無いのだ。


 だから、自分がリディリアさんにこんなことを言ったとしても決して変なことではない。


「冒険者ギルドか、武装商隊とは言いましたが、やっぱり危険ですよね?」


 彼女が意外そうな様子で目を丸くして、こちらを見ている。心外だ。


 改めて考えてみる。


 まずは帝国衛兵団。間違いなく危険だ。魔人だと卑劣の王だの何だの言っているから尚更だ。


 次にサマーダム大学。現実世界の大学と同じ研究機関と思って良いはずだ。


 となると八雷神教会は出家するようなものか。


 武装商隊は商社みたいなものだろう。多分、一番真っ当な気がする。


 戦士ギルドと冒険者ギルド。違いがよく分からないが取り敢えず、4Kということにしておこう。


 最後に魔術師ギルドど盗賊ギルド。特に盗賊だ。現実世界で言うところの極道、ヤクザ、マフィアかも知れない。


 いや、職業選択の一つとして数えられているということは良くてフロント企業、最悪半グレ。うん、どっちも最悪だ。


 一日に二時間から三時間程度、胡桃さんと散歩を楽しむゆとりがあって、明日の生活に不安を抱えなくて良い程度の、最低限の金さえあればそれで良い。


 命の危機に陥るのは勿論、怪我をするのも長時間労働も御免蒙る。


「蒼一郎さんって雰囲気の割に血の気が多いし、冒険者ギルドとか武装商隊って向いてそうですけどね。帝国衛兵団とかも」


 やっぱり、荒事メインか。


「ソウブルーに八雷神教会や、冒険者ギルドがあるから後で案内しますよ。

 加入するかどうかは別にして雰囲気くらいは分かるだろうから」


「助かります」


 舗装された道を馬車が軋む音を響かせ、回転する車輪が不協和音を奏でる。

 それにも関わらず、馬車を引く馬たちは『カッポカッポ』と少し間抜けな蹄のリズムを刻んだ。


「ますたー、あれなにー?」


 胡桃さんが指をさした方向に目を向けると草原が途切れた先に、とんがり屋根に白壁の家があった。


 多分、キャベツ畑だ。その向こう側に見えるのは長ネギだろうか? 家の裏の方には麦が並び立っている。


 風に揺られる小麦色の稲穂をバックにそそり立つ三角屋根の家は童話的で妙に目を引く。

 機械的な物や電信柱が無いから尚更だ。


「農園だねー。胡桃さんの好きな物を作ってる所だよ」


「たまご?」


「ううん。パンとかお婆ちゃんの麦ご飯とか」


「わぁー……!」


 胡桃さんにとって祖母は生活の中心とも言える存在だ。


 祖母は人当りは良いが人付き合いの悪い人で、買い物以外で自宅の敷地から外に出ることが滅多にない。

 日中は胡桃さんを連れて庭仕事をしているか、リビングで胡桃さんを甘やかしているかのどちらかだ。


 胡桃さんは興味津々といった様子で農園を眺めているが、祖母に会えなくて寂しくないだろうかと少しだけ不安になる。


「ラーフェン家の所有するカーラ農園ですね。トリエンナ家とのことが無かったら、あそこで働くことも考えたんですけど……」


 リディリアさんが物惜しげにカーラ農園を見つめている。


「その、ラーフェン家とトリエンナ家? その両家が何か?」


 問いかけるとリディリアさんが手招きをする。多分、大きな声では話せないことなんだろう。

 胡桃さんを抱いたままリディリアさんの方に身を寄せると彼女は声を潜めた。


「ソウブルーの貴族ですよ。帝国派のラーフェン家と反帝国派のトリエンナ家で対立しているんですよ。

 それも結構激しいみたいで、庶民を巻き込むのもお構いなしに死人を出してるとか」


 帝国派と、反帝国派。面倒くさいな、貴族。フォーレストで警戒された理由がよく分かる。


「詳しいんですね」


「トーヴァー叔父さんに聞いたんですよ。どうしてもってとき以外、絶対に関わるなって。

 あっちなら良いかも知れませんね」


 そう言ってリディリアさんが指差した方を目を向けると窓の付いていない赤煉瓦の立派な建物があった。

 その隣には同じく赤煉瓦で建てた高さ三十メートルほどの煙突と思わしき物が屹立している。

 カーラ農園のような童話的な雰囲気は無いが何処と無く歴史を感じさせる雰囲気を醸し出している。


「カトリエル醸造所です。あそこが無くなったら帝国一帯から美味しいお酒が消えて無くなることになりますし、八雷神の一柱、白のアルカリスが訪れる場所でもあるので究極の安全地帯ですね」


 安い神様だと思った。とは言え、帝国一帯から美味い酒が消えて無くなるのは自分も困るので白のアルカリスには精々頑張ってもらうことにしよう。


「あまいにおいがするー」


「ブドウかな?」


「ああ、蜂蜜の匂いですよ。水と蜂蜜を混ぜて放置したら原酒になるでしょう?」


 なるでしょう? と言われても自分は呑み専だ。取りあえず、分かったふりをして頷いておく。


「だから、醸造所って養蜂場も兼ねていることが多いんですよ。って言うか胡桃さん、鼻良いですね」


 胡桃さんは犬だからね――とは言えない。


 ふとトーヴァーさんから半獣を連れたアナーキスト扱いをされたことを思い出した。

 折角なので優れた嗅覚は半獣の特性だと察してもらうことにする。


 カトリエル醸造所を通り過ぎ、暫く街道を進むとソウブルーが見えてきた。

 なだらかな坂道の先にある丘の上を取り囲む巨大な城壁。その堅牢さに相応しい巨大な門。


 例えるなら高校時代の修学旅行で見たシャンゼリゼ通りのエトワール凱旋門だ。

 あれも相当巨大だったが、門と言うよりも古代遺跡の一種だ。


 だが、この巨大門は違う。ソウブルーに入るために作られた唯一の入り口で現役稼働中だ。


 それにしてもこの威容、確かに卑劣の王と呼ばれるオライオンと、その武装組織『氷の団』の猛威から避難するには打って付けの場所だ。素直にそう思えた。


 馬車の乗客たちが感嘆と安堵の声をあげる。


 胡桃さんも口を半開きにして巨大門を見上げていた。


「すっげぇ……」


 思わず自分も言葉を漏らしてしまった。手元にスマホが無いのが非常に悔やまれる。


 門を潜り抜けた後も他の乗客に混ざって巨大門の威容を茫然と眺めているとソウブルーの衛兵たちが得意気な笑みを浮かべて、こちらに手を振っていた。


 とは言え、ソウブルーの巨大門に感動したのも最初だけだ。

 外敵の侵入を防ぐことが目的なのか何なのかは分からないが都市の外周を巡る様に石畳で舗装された坂道が螺旋状に延々と続いている。

 今は頼もしく見えた城壁の更に内側にある高さ五十メートル程の城壁が恨めしい。

 そして、馬車と石畳の相性は最悪で、乗り心地もこれまた最悪でうんざりしてきた。


 何よりうんざりしたのは――。


 ソウブルーは丘の上に築かれた山型の円状要塞都市であると共に、帝国各地を繋ぐ要衝としての役割を持つ。

 特に外周部に位置する観光客向けの商業地区は多くの人と物で溢れ返り、賑わいを見せている。

 そこから内側に進むに連れて、職人地区、ギルド地区、そして、中心部にソウブルー要塞がその威光を放っている。


 疎開組の自分達は商業地区で下ろされ、それぞれに新たな生活を模索し、営んでいく予定だったのだが……


「ソウブルーって日没後に女子供が一人で出歩いても生きて家に帰ることが出来るって言われるくらい治安が良いって聞いたんですけどね……」


 一体全体、それのどこが治安の良さを示す根拠になるのか、非常に謎だが今は横に置いておこう。


 それよりも注目すべきは、商業地区の入り口で馬車の進行を阻むように地面に寝転がる二人の男性だ。

 彼等は大きく目を見開き、自らの腹に突き刺さった短剣を両手で握り締めていた。


 石畳の街路を台無しにするかのように彼等の腹部と、口腔からぶち撒けられた鮮度抜群の血塊が太陽の光に反射して、てらてらと輝きを放っていた。


 実にスプラッタ。死体。他殺体。要は殺人事件である。


 しかも、発生したのは馬車が門を潜り抜ける、ほんの数秒前。間が悪いにも程がある。


 下手人は坊主頭をした色黒のエルフ系の男で、両腕と腹部に返り血を浴びているらしい。


「あれ八雷神教会の司祭ですよ」


「司祭を二人も殺した……?」


 今朝、自分が不信心者だと言ったとき、彼女はそれを心配するかのような態度を取り、八雷神信仰の影響力の強さを感じさせた。

 あの時の彼女の態度を証明するかのように辺り一帯は物々しい雰囲気で、殺気立っているのはソウブルーの兵士たちだけでは無く、同じ馬車に乗っていた疎開組の乗客たちも何処と無く殺気立っている様子だった。


 偶に「浅学の不信心者め」という怨嗟の声が聞こえる。


 多分、『そこの邪魔な死体、早く片付けろよ』とか口走ったら、袋叩きにされて其処に転がっている死体の仲間入りを果たすことになる。


「その、エルフというのは?」


 多分、ゲームとかで有名なアレだと思うけど。


「別の大陸の種族ですよ」


 多分、自分の質問は現実世界で「アメリカ人って何ですか?」と尋ねたのと等しいかも知れない。

 旅は恥のかき捨てとも言うし、世間知らずのお坊ちゃんと見られている節があるので気にしないことにした。


「ただエルフにも色々人種があって人間に友好的な種族や、敵対的な種族と様々なんです。

 ここまであからさまなのは珍しいって言うか、初めて見ましたけど……」


 人間だって同じだ。人種間対立に宗教対立。人と違う。自分と違う。それだけで争いの原因になる。

 同じ国、同じ都道府県、同じ市区町村、平和な法治国家の日本ですら一枚岩になれないのだ。

 夢じゃないかも知れないけれど、暫定自分が見ている夢の世界なら尚更だ。


「じゃあ、犯人は人間に敵対的なエルフ?」


「その中でも邪教の宣教者の可能性はありますね」


「邪教?」


「ええ。生贄を求める神です」


 そう言って、リディリアさんが手招きする。

 さっきの馬車の時と同じで大声では言えない話なのだろうと耳を近付ける。


「生贄を捧げれば確実な恩恵と奇跡を授けてくれる神らしいんですけど……。

 八雷神みたいに信仰を蔑ろにしたり、気紛れと遊び半分で破滅をもたらす不完全な神とは違うなんて豪語するエルフが多いみたいで……」


 ああ、成る程。本当にどうしようもないな。この世界の宗教。

 現実世界と違って本当に神が実在して色々とやらかしている辺りがどうしようもない。

 そして、信者がそれに全力で乗っかるところも含めて、救いようが無い。


「エルフの宣教師からしてみれば、人間を弄ぶ神から開放するための聖戦なのかも知れませんね」


 小声でリディリアさんの耳元で呟くと彼女は頭を抱えた。

 多分、自分の考えが的外れでは無かったからかも知れない。


 とは言え、今回の事件は八雷神教会の信者だから起こった出来事だ。

 つまり、不信心者の自分が狙われる可能性は皆無。胡桃さんも同じだ。犬に信仰は無い。

 自分達を巻き込まない範囲でなら好き勝手に殺し合えば良い。


「ねーねー、ますたー」


 いつもの調子で自分の手を引く胡桃さんは、騒然とした周囲の雰囲気を何処と無く他人事のように感じている様子だった。


事実、他人事だ。


「んー? どうしたの?」


「胡桃さんなら追えるよ?」


「え、マジ?」


「マジだよー」


 そう言って胡桃さんは自分の手を引っ張り、商業区と外を繋ぐ門の蝶番を指さす。


「あのでっぱりに足をかけて、あっちに飛んでった」


 胡桃さんの言うあっちとは門前に立ち並ぶ六本の石柱だ。


 こいつがあるせいで馬車をどかすことが出来ず、被害者の死体が片付けられるまで立ち往生を強いられることになった。


 それは兎も角、確かに身のこなしが軽い奴なら門の蝶番を足場にして石柱の半ば程に飛び移り、ボルダリングやパルクールの要領でよじ登ることが出来そうだ。


「それでね。そこから、あっちに飛び移ったんだよ」


 大きな藁葺き屋根の建物だった。

 藁ぶき屋根なら飛び移っても、多少の音がしても商業区の賑わいがかき消してくれる筈だ。

 逃走経路には最適だ。


「それで犯人は中に入っていった?」


「ううん。そのまま上からあっちに走ってったの」


 胡桃さんの指先を目で追っていくとどうやら下手人は屋根伝いに脱出するのでは無く、職人地区に向かったようだ。


「犯人の狙いはギルド地区の八雷神教会?」


 リディリアさんがハッとしたように声をあげる。


 エルフと人間の宗教対立は自分が思っている以上に根が深いように思えた。

 どちらにせよ、今の自分にはギルド地区どころか職人地区に立ち入る権限さえない。

 胡桃さんの嗅覚を褒めて、この件はおしまい。さっさと一般人に戻ることにしよう。


「そこの三人、今の話は事実か?」


 戻らせてもらえなかった。


 自分達に問いかけてきたのはソウブルーの衛兵だった。


 しかも、他の衛兵たちが茶色の革鎧に鉄板を張り付けているのに対し、その衛兵は太陽の光を煌かせる金属鎧と赤いマントを身に纏い、剣が収納された華美な盾を手にしていた。

 如何にも衛兵たちの上役という風体をしていて、訝しげにこちらを睨み付けていた。


「この子の嗅覚が優れているのは事実ですが、現場を見たわけではありませんので信憑性の程は何とも言えませんね」


 そう言うと衛兵の上役と思しき男は門の方に踵を返し、蝶番に向かって跳躍、そこを足場に石柱に飛び移る。

 重い金属鎧を身に纏い、片腕は盾で塞がっているのにも関わらず、何のこともないように石柱をするりとよじ登り、石柱の天辺を一気に駆け抜け、藁ぶき屋根の上に飛び乗った。

 すると彼はその周囲を見回し、何かを引っ張り出すような仕草をして地面に飛び降り、複雑そうな表情を浮かべて、こちらに向かってきた。


「屋根に司祭たちの返り血と思われる血痕が付着していた。悪いが私に同行してもらう」


「別に犯人のエルフと繋がりはありませんよ。それとも不当逮捕って奴ですか?」


 おちょくって見せるが、ただの虚勢だ。昨晩の酔っ払いや今朝の野盗とは訳が違う。

 リディリアさんの「弱いから悪党に身を落とす」と言っていた意味がよく分かった。


 あの身体能力の冴えからして、多分、今の自分ではこの男には勝てない。そういう雰囲気の持ち主だった。

 そして、仮に勝てたとしても、この男はソウブルーの衛兵だ。

 現実世界の警察に殴りかかるも同然で、逆に自分が悪党の仲間入りを果たす羽目になる。


 とんずらしたとしても、土地勘の全くないソウブルーでは逃げ切れる気がしない。

 となると、自分にヘイトを集めて、適当なところで落としどころを探るしかない。


「ああ、警戒させてすまない。お前たちの発言と能力には一定の信憑性がある。

 犯人の追跡に協力してもらいたい。ただそれだけだ」


 警戒して損した気分だ。まるで自分がビビりみたいじゃないか。


「分かりました。それじゃあ、胡桃さん。追跡がてらお散歩行こうか」


「うん! こっちー!」 


 胡桃さんが力一杯に自分を手を引っ張る。腕がもげそうな程の勢いとテンションだ。


 そう言えば、今日はまだ午前の散歩がまだだった。

 馬車に揺られて見知らぬ景色を眺めるのも良いが、矢張り自分の身体を動かしてナンボだ。

 胡桃さんのペースに合わせてソウブルーの商業地区を駆け出す。


 リディリアさんと衛兵の男が追いかけてくるのを視界の隅で確認して、少しだけ走るペースを上げる。

 すると、胡桃さんが更にペースを上げる。負けじとペースを上げる、まだまだ上げる。おまけに上げる。


 夢の中で何かから逃げる時はやたらと身体が重く、全然前に進まないものだが追いかけるときは逆らしい。

 いつもよりずっと身体が軽く、自分の足で走っているとは思えない程の勢いで景色が流れていく。


 それにも関わらず、足にも体力にも、まだまだ余裕がある。  

 目的も忘れて突っ走った甲斐あって、職人地区には間を置かずして到着した。


 職人地区の門番と衛兵の男が二言、三言、言葉を交わすと「来い」と衛兵の男に声をかけられる。


 職人地区は大きく雰囲気の異なる場所だった。

 高温の熱波を放つ溶鉱炉。火花を散らす据え置き型の砥石。水車を動力にした巨大な切断機。

 屈強な男達に混ざって、女達が皮を鞣し、ハンマーで鉄板を打ち付ける姿もあった。


 商業地区とは別種の熱気と騒々しさ、時折飛び交う怒号と罵声。


 一言で言えばファンタジー版デスマーチだ。


 ただ原始的な装置が稼働する様や物作りの現場というのは、男心と言うか、男の子の心に訴えかけるものがある。


「三人とも私から離れすぎないように」


「分かりました。胡桃さん、次はどこに行けば良いのかな?」


「えっとねー……」


 そう言って、胡桃さんが目を向けたのは路地裏だった。


「廃棄場に逃げたのか?」


 胡桃さんは衛兵の男に返事をすること無く、視線を移動させ、ゆっくりと首を動かしていく。


「あそこー」


 遠目に動く人影があった。

 この位置からでは返り血は見えなかったが、色黒の坊主頭にとんがり耳。特徴は一致している。

 

 何より傾斜の激しい屋根の上を器用に駆け抜ける奴がまともなわけがない。


「矢張り、ギルド地区に肉迫するか」


 惨劇の発生まで後僅か。いずれ必ず職人地区の見学に行こうと心に決めて駆け出す。

 正直、犯人確保の協力は此処までで十分だと思うが、胡桃さんが楽しんでいるようだし、最後まで付き合うことにした。


 いざ胡桃さんに危機が迫ったら、この衛兵の男を盾にすれば良いのだ。

 そして、職人地区を通り抜け、ギルド地区へと足を踏み入れる。


「胡桃さん、次は?」


「あそこー……」


 胡桃さんが不満気に指をさす。


 そこには露出過多な屈強な男女に組み伏せられたエルフの男がいた。


 胡桃さんにしてみれば獲物を横取りされたようなものだが、胡桃さんが危険なことに首を突っ込まずに済んだので一安心だ。


 改めてエルフを組み敷いている男女を見る。


 安心だろうか?


 どちらも筋骨隆々の逞しい身体をしているが、露出過多にも程がある。


 言うなれば、ボディビルダーの男子・女子、それぞれのチャンピオンが、そのままの恰好で試合会場を抜け出し、白昼堂々と露出し、一般人男性に襲いかかる。

 そんな光景が自分達の目の前に広がっている。

 

 とても安心出来ない。


 殺人事件とは方向性の異なる危険性を感じた。


「あれは?」

 

「あの二人は戦士ギルドの者だ。女の方がコレット、男はルトラール」


 別件の犯罪者じゃないのかという意味で問いかけたつもりだったんだが……。

 何はともあれ、戦士ギルドには関わらないことにした。


 部外者を気取り、彼等に背を向け、胡桃さんの前にしゃがみ込む。


「ますたー……」


 手柄を取られてしょげ返っているのか、胡桃さんの尻尾が垂れ下がっていた。


「胡桃さんはすごいねー。一発で犯人の所に追い付いちゃったねー」


「でも、取られちゃったよ?」


 そう言えば、胡桃さんは野良犬だったということもあり、時折、狩りをしてはドヤ顔で戦利品を持ち帰ることがあった。

 自分も胡桃さんから血塗れで事切れた雀を三度、プレゼントしてもらったことがある。

 多分、あの殺人犯も戦利品にするつもりだったのだろう。


 いや、ハゲたエルフの絞殺死体をプレゼントされても困るが。


「どんな奴か、顔を見て見てみたかっただけだから大丈夫だよ。

 それに胡桃さんといっぱい走って楽しかったから満足!」


 垂れ下がった胡桃さんの尻尾が左右に揺れ始める。


「胡桃さんはどうだった?」


「楽しかった!」


「そうかそうか、楽しかったか! よーしよしよしよしよし!」


 人前だが知ったことか。胡桃さんがの髪が乱れるのもお構いなしに頭を撫で回すと、ぶんぶんと尻尾を振り回して飛び付いてきたので、そのまま抱き上げる。


「さーて、昼ご飯でも食べに行こうか」


「うん!」


 胡桃さんを抱きかかえたまま踵を返すと「いや、ちょっと待ってくれ」と衛兵の男に呼び止められた。


 すっかり存在を忘れていた。


「結果的にはあの二人が解決したようなものだが、お前たちはその有用性を証明した。

 これからも手を借りたいのだが、どうだろうか?」 


「まあ犯人の追跡くらいなら……」


 消極的承諾の意を示すと、ルトラールという男が衛兵との間に割って入ってきた。


「待て待て待て! そこの二人、戦士ギルドに入るつもりは無いか?」


「貴方達、商業区から此処まで魔力も使わずに自前の脚力だけで此処まで走ってきたんでしょう?

 なのに息切れ一つしていない。普通はそうなるのにね」


 衛兵からコレットと呼ばれていた女性が自分達の足元を指さす。


 そこには息も絶え絶えになって崩れ落ちかけているリディリアさんがいた。


 すいません、これまた忘れていました。


「走ることが出来る戦士は良い戦士だ。お前は良い戦士になれるぞ」


 ルトラールが力強く頷くが、二メートル以上の身長を持つ上に横幅に至っては自分の二倍以上もある。

 その体躯は筋肉で出来た鎧と言うよりも装甲だ。


 正直、この中に混ざりたくない。


「自分はただの一般人であって、戦士ではありませんし、目指してもいません」


 きっぱりと拒絶の意思を示す。なあなあでなし崩し的に取り込まれては堪ったものでは無い。


 呆気に取られる戦士ギルドの二人を無視して、胡桃さんを左腕で抱え直し、座り込んだままのリディリアさんに右手を伸ばす。


「立てますか?」


「な、何とか……」


 リディリアさんを立たせて戦士ギルドの二人に背を向ける。


「捜査協力の報酬として謝礼が出るそうなので贅沢でもしましょうか」


「と、取り敢えず、水……冷たい水が欲しい、かも」


「だったら、この近くに帝国兵団の食堂がある。そこでなら休憩も出来るだろう」


 衛兵の提案は渡りに船だった。

 今のリディリアさんに「じゃあ、商業地区まで下って行きましょうか」と言うのは些か以上に酷と言うものだ。


「だったら戦士ギルドの食堂に来い! 帝国衛兵団の食堂よりも近いぞ!」


「冷たい水だけじゃないわ。戦士ギルドは衛兵団のように厳しい規律で縛ったりなんかしない。

 だから、冷えたワインにビールだって飲み放題よ」


 これ幸いとルトラールとコレットが勧誘して来る。諦めの悪い連中だ。


「では行きましょうか」


 戦士ギルドの二人をいない者と扱って衛兵に先導を促す。

 これだけ取り付く島を与えなければ纏わり付かれることも無いだろう。


「俺達は諦めないからなーっ!」


 これからも纏わりついてくる気満々らしい。


 だったら、ギルド地区に近付かないでおこう。


「そもそも、彼等の執拗さは何なんですか? 本当に、ただの人ですよ。自分」


 そう尋ねると衛兵の男は苦笑しながら言った。


「戦士ギルドの加入は魔法が使えない武人にとって最後にして最大の栄誉と言われているからな。

 素気無く断られることに慣れていないと言うことだ。却って興味を引いてしまったというところだろうな」


 殺人事件の解決に巻き込まれた挙句、珍妙な輩に好かれるというおまけ付き。

 ソウブルーに到着してまだ一時間も経っていない。それにも関わらず、この有様だ。

 これから始まるソウブルーでの新生活に期待など抱けようはずも無かった。

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Copyright © 2017 芥川一刀 All Rights Reserved. 


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