第五話 身の振り方
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借りた部屋の鍵を返しにカウンターに行くと宿屋の主人が「兄ちゃん、ソウブルーに行くのかい」と尋ねてきたので「ええ、定住するかどうかは分かりませんが、そのつもりです」と答えた。
すると宿屋の主人は「お節介かも知れんが」と前置きしてこう言った。
「ソウブルーに近付く程、衛兵の数が増える。
昨日みたいな行き過ぎを起こせば被害者も加害者もまとめて牢獄行きだ。
バカな連中に絡まれたくなかったら、お坊ちゃんみたいな恰好は止めるんだな」
「そんなにお坊ちゃんみたいな恰好に見えます?」
量販店で買った間に合わせの安物だ。
女性の意見を聞いてみようとリディリアさんに言葉を投げかけてみる。
「二人とも見るからに良い生地を使っていますからね。
それに胡桃さんの相手をしている時の蒼一郎さんは甘そうと言うか喧嘩が弱そうに見えます。
正直、カモですね。実際に手を出したらご覧の有様ですけど」
リディリアさんは昨日のことを思い出してか、皮肉めいた笑みを浮かべて肩を竦める。
それは兎も角、動物に声をかける時に子供っぽい喋り方になるのは古今東西共通だと思う。
赤ちゃん言葉じゃないだけまだマシだと思って欲しい。
「何処かで服を買わないといけないか」
「まあ、服屋なんてソウブルーまで行かなきゃないんだけどな」
「そうですか。ソウブルーに着いたら服屋に直行して大人しくしていますよ」
「そうすると良い。妹のダニエラが服を売っているから、俺の名前を出せ。
ドライセンからの紹介だと伝えれば多少は安くしてくれるだろう」
「成る程、そういうことですか」
「兄ちゃんが昨日の連中を逃がしちまったせいで、迷惑賃の回収が出来なかったんだ。
だから、せめて妹の店で金を落としていけ。良いな? ダニエラの店だからな?」
「はいはい。ダニエラさんの服屋さんですね。分かりましたよ」
「次来る時は暴れても良いから迷惑賃を回収して俺に払えよ」というドライセンさんの問題発言を背に馬車の発着場へと向かう。
※ ※ ※
ベイルダーの入り口で馬車の出発を待つ。生垣に腰を下ろす蒼一郎さんの膝の上には昨日と同様、胡桃さんが座っている。
今日も懲りずに声をかけると胡桃さんが初めて返事をしてくれた。
「胡桃さん、フルーツ食べる?」
「うん」
どうせ無視されるし、受け取ってくれない。
分かっているけど、条件反射半分、社交辞令半分。
そう思っていると胡桃さんが返事をしてくれた上に、私の手からフルーツを受け取ってくれたことに感動を覚えた。少し泣きそうだ。
「ますたー、リディリアさんからもらったー」
「ちゃんとお礼を言うんだよ?」
「リディリアさん、ありがとー!」
「どういたしまして♪」
今まで胡桃さんが私を無視しても、蒼一郎さんがそれを咎めるような素振りは一切見せなかった。
それなのに今日は胡桃さんにお礼を言うように促したのは意外だった。
「たべてもいい?」
「うん、全部食べても良いからね」
蒼一郎さんがそう言うと胡桃さんは大きく口を開けてフルーツにかぶりついた。
私が意外そうな顔をしていたのに気付いたらしく、夢中になって食べる胡桃さんを尻目に蒼一郎さんは「自分以外は敵。胡桃さんにはそんな時代がありました。その時の名残で、この子には敵かそうで無いかを判断するまで人一倍の時間が必要なんですよ」と申し訳無さそうに言った。
多分、彼女の耳と尻尾に関係しているのだろう。
彼等とはソウブルーまでの付き合いで、そこから深く、長い付き合いになるかどうかは分からないので、そこまで踏み込むつもりは無い。
蒼一郎さんを「マスター」と呼ぶ以上、何かしらの主従関係があるのかも知れないけど、蒼一朗さんは胡桃「さん」と敬称を付け、家族と呼んでいる。
多分、金持ち特有の面倒な何かを背負っているんだと思う。
ただの田舎娘には関係無い話なので、今は胡桃さんに返事をしてもらえた喜びを浸る。
「すいません。この子に愛想良くしなさいなんて躾をしたら、相手の善意や悪意も分からないまま、犯罪者だろうと誰彼構わず愛想良くしてしまう。その辺りの匙加減が自分にはどうにも」
実際に言葉にしてもらうと納得がいった。
「此処から出たかったら通行料として金貨百枚出せ」
特にこういう手合いが出て来るとより分かり易くなる。
野盗だ。揃いも揃って同じ台詞。
サマーダム大学の図書館で追剥専用台詞集でも借りて勉強したのだろうかと思う程だ。
結局のところ胡桃さんにとって家族以外の人間は、ただの女でしかない私だろうと、このまるでどうしようもない野盗も、みんな同じように見えているということらしい。
そこで害があるか無いかを判断するのに時間が必要。難儀な子だと思う。
それはさて置き、問題は野盗だ。
ボロボロになっているって言っても、帝国兵の鎧兜、盾、メイスで武装している。
昨晩の酔っ払いを相手にするのとはわけが違う。
だけど、今すぐベイルダーの中に逃げ込んで応援を呼べば大丈夫。
だと言うのに、蒼一朗さんは半笑いでこう言った。
「今は金が無い。ソウブルーの自宅まで取りに来てくれないか?」
完全に野盗を馬鹿にしている。
「殺されてぇのか、このクソガキ!」
逆上した追剥の怒号に反応した胡桃さんが素早く立ち上がり、臨戦態勢で低く鋭い声で咆える。
意外な相手の叫び声に肩を震わせてメイスを取りこぼす追剥。
すぐさまメイスを拾い上げた蒼一郎さんが追剥の顔面を殴り付けた。
鮮血に混ざってトウモロコシの粒みたいな形をした白い物が噴き出す。折れた歯だ。
この人に関わらなければ、身包みを剝がされた挙句、顔面がぐちゃぐちゃになった間抜けな歯抜け死体にならずに済んだのに。
来世では平穏無事な日々を過ごす事の出来る真面目な人になりますようにと八雷神に祈りを捧げる。
「追剥って儲かっているようで儲かっていないんですね」
逆に野盗の身包みを剥いだ蒼一郎さんが「しけていやがる」と悪態を吐く。
昨晩もそうだったけど胡桃さんと接している時は甘いマスクをしたお坊ちゃんという雰囲気をしているのに、荒事になると別の何かが乗り移ったかのように暴力的で荒々しい顔付きになる。
どちらが本性なのやら。
一応、護衛ということになっているから頼もしいと思っておくことにする。
「儲かっているようなら追剥なんてやってませんよ」
「そうなんですか? 悪党って強いから悪党をやれると思っていたのですが……。
胡桃さんの声に驚いて武器と一緒に命を落とす阿呆が何で悪党やっているのやら」
「弱くて阿呆だから悪党やってるんですよ」
「自分の知っている悪党像と正反対です」
蒼一郎さんは私の答えに納得がいっていない様子で首を傾げる。
さっきまでの暴力的な顔付きは鳴りを潜めて、難解な課題に取り組む子供のような表情が浮かんでいる。
こういうところはやっぱり、お坊ちゃんらしい。
お互い死体の前で雑談を楽しむ趣味は無いので馬車に移動してから話の続きを始めた。
「良いですか? 強い人なら帝国衛兵団、冒険者ギルド。
賢い人ならサマーダム大学、八雷神教会、魔術師ギルド。
儲かっている人なら盗賊ギルドに武装商隊。
能力や才能に応じて、力、権力、財力を持つ組織が後ろ盾になってくれるんです。
強さも賢さも財力も才能もコネも伝統も無い。だから小悪党に成り下がるしかないんですよ」
「成る程。悪党をやるよりも真っ当にやる方が力を得られる。
帝国の社会はそういう風に出来ているということですか」
「そういうことです。蒼一郎さんは知らない場所を探して歩き回るのが好きなんですよね?」
彼は箱入りで育ったのだろうか?
小川のせせらぎに耳を澄ませ、鬱陶しく飛び回る蛍なんかに驚き、夜空に浮かぶ星の海に感動を覚え、月の地表がはっきり見えると驚愕を露わにする。
彼にとって珍しい物と陳腐な物の線引きが私には分からなかった。
「だったら冒険者ギルドか、武装商隊。後は八雷神教会が向いているかも知れませんね。
どちらも世界中を旅して回る組織ですし」
彼の価値観は分からないけれど、それが一番手っ取り早い。
野盗を恐れるどころか躊躇うことなく命を奪い、その後も平然としていられるなら冒険者や武装商人に適していると思う。
「教会は兎も角、冒険者ギルドと武装商隊は検討してみます。金もありませんし」
「意外ですね」
「着ている服のせいで金持っているように見られますけど、今の手持ちは全てトーヴァーさんに用立ててもらったものです」
「いえ、お金のことじゃなくて……確かに意外ではありましたけど、教会を省いたのが意外に思ったんです。
教会なら蒼一郎さんが好きな歴史や文化の勉強も出来ますよ?」
態度が変わったのは胡桃さんだけじゃない。蒼一郎さんも同じだ。昨日と違って、話が弾んでいる。
昨日、まともに会話が成り立った話題が歴史と文化の話だった。
生憎と私に学や教養が無いせいで、その話題を続けることが出来なかったけど。
「あまり信心深くない……と言うか、不信心なもので信仰とか宗教って苦手なんですよ」
蒼一郎さんは悪びれずに言った。
世間知らずと言うか、怖いもの知らずと言うか、怖い事を言う人だと思った。
何でも正直に言えば良いというものではない。馬車の出発前で人が集まってなくって良かった。
「あんまり大きな声では言えませんけど、ちょっと感覚ずれてますからね。八雷神って」
遠回し過ぎる言い方かも知れないけれど、彼は自分の発言に問題があったことを察したみたいで、ばつの悪そうな表情を浮かべた。
これで迂闊に不信心などと口にすることも無くなるんじゃないかと思う。
身を砕かれるような不幸を味わったことを理由に信仰の一切を捨てる人は決して少なくない。
中途半端な獣化から進むことも戻ることも出来ず、他者を拒絶し、白痴のような胡桃さんを過保護にする蒼一郎さんを見ていると信仰心が無い理由も何となく分かる気がする。
それに八雷神の神々がまともとは言い難い性格をしているのも事実。
八雷神の一柱、赤のウァカロルが「我々は信仰が無くては存在を維持出来ぬ下級神とは違う」と聖誕祭の日に信者を斬り捨て、その死体を焼き払ったことは記憶に新しい。
だけど人智を遥かに越えた力を加護として人々に与えてくれるからこそ信仰が産まれた。
まともな性格では無いからこそ、彼等は時に遊び半分、冗談半分で人々に力や奇跡を与えてくれる。
救われた人もいれば破滅した人もいる。奇跡を目の当たりにしてたことがある人だって少なくない。
それが結果的に信仰を生み出すことになる。
信仰を否定することは彼等に授けられた奇跡を否定することになり、余計な争いやトラブルの原因になる。
「冒険者ギルドと武装商隊。自分のスタンスに合う方に所属させてもらうことにします」
普段ならここで会話が止まるのが常だったのに、この日に限って蒼一郎さんは私に言葉を投げかけた。
「ソウブルーに着いたら、リディリアさんはどうされるのですか?」
旅が始まって以来、彼が私自身に対する質問をしたのはこれが初めてのことだった。
軟化する彼の態度に嬉しく思ってるけど、ソウブルーに着いてからどうするかは全く考えてなかった。
残念ながら彼のように旅や歴史に心を躍らせるだけの好奇心も無ければ、冒険心も無い。
酔っ払いや追剥を徹底的に始末できるだけの武力も無い。
宿屋で吟遊詩人が出来るほど楽器の扱いに長けているわけでも無い。
これは困った。無い無い尽くしだ。
「多分ですけど、宿屋でウエイトレスをやるか、店で売り子をやることになるかと思います。
トーヴァー叔父さんの伝手で良い仕事があれば、そっちをやるかと思いますけど」
「では、トーヴァーさんと合流するまでの間、仕事探しがてら一緒にソウブルーを見て回りましょうか。
ソウブルーの治安が良いとは言え、護衛として雇われている身ですから」
これでトーヴァー叔父さんと合流するまで寂しい思いをせずに済みそう。
寂しい思いをせずに済んだけど、馬車の出発直前になると昨日同様、胡桃さんは蒼一郎さんの膝の上に座って甘えている姿を見せる。
可愛いと思う反面、婚活しようかな……とある種の寂しさと焦りを感じた。
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