第十二話 災禍
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「糞ッ! 糞ッ! 糞ッ! 糞糞糞糞糞ォッッ! 何なんだよ!? 何だってんだよ!! 今年は厄年か!?」
街道をひた走る男――ドバイコブが涙を流しながら罵声を吐き散らかす。
今年はとにかく、最悪だった。
十年以上前から想い続けていた幼馴染のリストリスが新年早々、ソウブルーの南にある商業都市ホライムーンに居を構える大商人の長男の元に嫁いで行った。
ただ想っていただけで特に親しいわけでも無く、好かれるために何かをしていたわけでは無いが。
それからというものの――、特に何もなかった。
何も無かったが最悪だ。何か知らないがとにかく最悪なのだ。
ドバイコブの住むトルトーネ街は、サマーダム大学とソウブルーを結ぶ街道の中心に位置する、ソウブルーの衛星都市である。
とは言え、街長が自称しているだけに過ぎず、交通の便が非常に悪く、街の外からやって来る客の九割九分は、サマーダム大学行きの馬車に乗り継ぐ乗客くらいのものだ。
その中でも平民出身の、取り分け学業以外の事は何もして来なかったような若者達を口八丁手八丁で小金を落とさせるのはお手の物で、それが彼の主な収入源となっていた。
決して善良ではないが極めて悪辣という程でも無い。何処にでもよくいるチンケな小物だ。
そんなドバイコブの日常が好ましくない客人の出現によって崩れ去った。
帝国派の大巨頭と呼ばれる大貴族、アドルフ・ラーフェンと、その取り巻き達だ。
別に暴力を振るわれたわけではない。増税を要求されたわけでも無い。
家の中に押し入られたり、街の女を無理矢理手籠めにされる等、暴虐の限りを尽くされたわけでも無い。
ただ、彼等の経路の都合上、トルトーネ街の前の休憩地点がムンセイスという薄ら寒い寒村があっただけだ。
亡霊達の襲撃という数少ない名物を無理矢理体験させられ、怒り心頭で街の人々を酷く落ち着かない気分にさせた。ただそれだけだ。
それも昨朝、アドルフ・ラーフェンを乗せた馬車を見送るまでの苦悩だった。
馬車の御者から「次の便の客は、いつも通りのお坊ちゃん達だから安心してくれ」の一言で、すこぶる身が軽くなった気分がした。
普段通り、サマーダム大学行きの馬車が発った日は丸一日ゆっくり休み、次の馬車の到着に備えて客人を迎える準備をしながら、どうやって金を毟り取るか算段を立てている最中の事だった。
轟――と、突風が吹き荒れる様な大きな音が耳朶を叩いた。
次の瞬間、視界の端から端を巨大な炎の塊が駆け抜けていった。
その炎の塊は質量を持っているのか、その進行上にある物全てを吹き飛ばしていく。
地面に敷設された煉瓦も、住居も、外敵を阻む防壁も、家畜も、当然人も、何もかもを逆さにして空高くへと舞い上げた。
炎に弾き飛ばされ、挽肉状に吹き飛ばされた人は恐怖や死を自覚する事無く、苦しまずに逝けただけまだ幸福だったかも知れない。
最悪なのは吹き飛ばされた家の中にいる人達だ。
天地が何度も逆さになり、その度に家具と一緒に天井や床に叩き付けられ身体中の骨という骨を砕かれた挙句、外へと放り出されるなり全身から発火し、焼かれる苦痛を落下して死ぬ直前まで受けさせられたのだから。
「に、逃げろ! こ、こんなの冗談じゃねぇ! 俺は逃げるからな!!」
誰かの耳に届いているかどうかさえも定かでは無かったがドバイコブは言い訳がましい悲鳴と共に逃げ出した。
誰かを助けようなどという発想は全く思い浮かばなかった。発火して空から降り注ぐのは人だけでは無い。
木材も、石材も、家畜も、空に巻き上げられた物、その全てが死に果てながら火を纏う鉄の雨となってトルトーネ街を貫き、砕き、焼き払っていく。
立ち止まっていては――否、立ち止まらずとも燃え盛る鉄の雨に全身を撃ち砕かれて次々に人が死んでいく。
女も、子供も、老人も、怪我人も、病人も、恩人も、友人も、何もかもを自分を取り巻く全てに目もくれず、耳を塞いで我先に逃げ出した。
彼に限った話では無い。誰も彼もが我先に逃げ出した。親を置き、妻を置き、夫を置き、子を置き、身一つで逃げ出した。
その殆どが逃げている最中に発火するか、鉄の雨に撃たれ、助けを求め、悲鳴を上げ、恨み言を漏らす暇も無く死んでいった。
「あり得ない! 有り得ない有り得ない有り得ない! こんな事、こんな事があってたまるか!!」
幸か不幸か命を落とさずに済んだドバイコブは見た。
紅蓮の炎が燃え盛り、トルトーネ街を黒煙の立ち込める地獄に変えた諸悪の根源、その姿を。
黒光りする金属質の骨を網の目状に重ね合わせた異形の巨体。
吟遊詩人達の唄の中にだけ登場する絶対的脅威――、真紅の双眸を持つドラゴンが巨大な剣のような翼を広げ、雷鳴の如く咆哮を轟かせる威容を。
堅牢な筈の監視塔が、ただの棒きれのように見える。それ程の体躯を誇るドラゴンが適当に動き回るだけで街が壊滅的に破壊されていく。
我先に逃げた筈にも関わらず、圧倒的な歩幅のせいでいつまで経っても逃げ切れない。
それどころか差を縮めるように追いかけ回されている。そんな錯覚さえ覚えた。
「っひィ!!」
堪り兼ねて後ろを振り返って後悔した。ドラゴンの真紅に輝く双眸と視線がぶつかった。
家が、人が、家畜が、生まれ育ったトルトーネ街が灰と瓦礫、炎に包まれ地獄と成り代わった。
郷愁の念は無い。そんな余裕を持ち合わせていない。
此処は生まれ育った故郷では無く地獄で、ドラゴンは命を刈り取りに来た地獄の使者にしか見えなかった。
親や隣人を犠牲にしてでもこの地獄から逃げ出したかった。
そして、信じられない光景が目の前に広がった。
「な、何だ……ありゃあ……?」
逃げることしか頭に無かったドバイコブの足が止まった。
何処からともなく飛来する折れた尖塔。それがドラゴンの頭部を無音で貫いた。
脅威を具現化したとも言うべき、ドラゴンの巨体が傾いでいく。
異様な光景を茫然と眺め、己の正気を疑った。
尖塔が飛んで来たと思われる方向へと視線を移すと、右腕から紫電を放つ少女が鋭い目付きでドラゴンを睨み付けていた。
その背後には建造物の残骸が浮遊している。魔術を使って砲弾よろしく射出してドラゴンを攻撃したであろうことはドバイコブにも理解出来た。
「お、おい! アンタ! 助けてくれ!」
一見すると十代前半の子供だったが、鎖骨まで緩やかに伸びたライトブラウンの髪の隙間から飛び出す尖った耳は、彼女がエルフ種であり、見た目通りの年齢では無いことを示していた。
――実年齢が幾つかは分からないがアレ程の魔術の使い手なら間違いなく年上だ。だったら縋り付くのは恥では無い。
そういう考えを持った上での要求だったが、少女は笑顔で首を横に振った。
「ゴメーン! フツーにムリー! アイツに見落とされてるウチに逃げたほーが良いよー!」
外見年齢通りの無邪気そうな声を張り上げて手を振ると、少女は周囲の残骸を魔力で補強して辺り一面に掃射する。
その殆どはドラゴンに突き刺さったが、幾つかはドラゴンの甲殻に弾かれ、流れ弾がドバイコブの方にも飛翔し、爆ぜた建材に殴り付けられる。
「ひ、ひぃっ!?」
「巻き込まれちゃうよー! アイツ、見た目の割にケッコー強いんだからー! おじちゃん、早く逃げてねー!」
すると少女の言葉に呼応するかのようにドラゴンが全身に突き刺さった建造物の残骸を弾き飛ばし、トルトーネ街を更に破壊していく。
貫かれた筈のドラゴンの巨体は素人目でも異常な速度で再生し、咆哮と共に吐き出された紅蓮の炎がエルフの少女を舐め取った。
――炎の中に飲み込まれた!!
そう理解するなり、ドバイコブは思い出したかのように逃走を再開した。
ドラゴンは追って来なかった。少女が言った通り、未だ見落とされている。
存在規模が、生命力が、魔力が、脅威度が、ドバイコブを構成する全ての要素が、ドラゴンにとって矮小過ぎて、注力しなくては気付けない程卑小であり、ドラゴンにはドバイコブを注視する理由は何一つとして存在しない。
だから、彼はどうにか街から脱出する事に成功した。
街道を走り続けること数分。暢気にトルトーネ街へ続く街道を走る馬車の姿を見つけた。
ソウブルーから来たサマーダム大学行きの馬車だという事は、到着時刻から逆算してすぐに気が付いた。
藁にも縋る思いで馬車の方へと近付く。
「頼む! 乗せてくれ! 金なら幾らでも出す!」
サマーダム大学に進学するような平民の坊やなんて、その殆どが勉強しかして来なかったような世間知らず。
自分が正義の魔術師になると信じて疑わないような奴等だ。見苦しくお願いすれば助けてくれる事など分かり切っていた。
尤も、無様な真似を取り繕わずともドバイコブの顔は、涙と鼻水、涎に失禁で十分見苦しく無様な有様に成り果てている。その事に気付かない程、彼は無様な形相を浮かべていた。
「アンタ、その有様……大丈夫か? トルトーネ街の住民だよな? 街は一体、どうしたんだ? 氷の団の襲撃か? それとも大火事か?」
ドバイコブの姿を一目見て、尋常では無いことに気付いた御者が矢継ぎ早に質問を投げかける。御者はただ冷静なだけだったが、ドバイコブにはそれが悠長な物に感じて、癇に障った。
――いっそ殴り付けて大人しくさせてやろうか。それとも馬だけ奪って何処かへとおさらばしてやろうか。
まだまだドラゴンの脅威から逃れられたとは言い難い。
その焦りがドバイコブの思考を剣呑な物へと変えていく。
「どうかしましたか?」
凶行に走ろうとする身体が本能的に止まった。
黒い礼服に身を包み、黒髪、黒目をした長身の優男――、倉澤蒼一郎が馬車の幌から身を乗り出して静かに問いかける姿にドバイコブの意気が一気に消沈した。
左腕に装着された銀色の籠手。
背中に差された華美な長剣。
右手の中指に付けた指輪。
決して少なくない魔術兵装を装備している。
相当な手練れ――サマーダム大学の研究者の中でも軍用魔術に長けた兵役上がりの、上級魔術師と同じ雰囲気を纏っている事に気付いたからだ。
「ド、ドラゴンだ! ドラゴンに襲われた! トルトーネ街はもう終わりだ!」
蒼一郎は眉根を顰める。
――ドラゴンだって……? ライゼファーは俺が殺したのに何故……?
魔人ライゼファーはドラゴンの支配者だ。
その能力はドラゴンの使役、復活、召喚等、ドラゴンに関わる物が多く、ドラゴンが増えるのはライゼファー復活の兆しと言われる程、ドラゴンに関わりの深い魔人だ。
だが、そのライゼファーも蒼一郎の手により核を破壊され、完全に消滅した。
二度と復活することは無く、ドラゴンの被害に悩まされることも無くなった筈だった。
――新たに増えたのでは無いとすれば……、元からこの世界に存在していたか、自然発生したドラゴンか。
「ソウブルー要塞に沈んでいるドラゴンよりも大きい奴だ! 早く逃げないと! すぐに追いつかれちまう!」
「サーペントドラゴンよりも大きなドラゴンですか……。分かりました。ちょっと行って殺して来ますね」
臆面も無く言って退ける蒼一郎にドバイコブと御者が目を剥いて絶句する。
幌の中からトーマ・カナリウムが「流石は倉澤蒼一郎殿!」とはしゃいだように声をあげる。
「正気か!? ドラゴンだぞ!? 凄腕の魔術師だってドラゴンの炎に飲み込まれちまったんだぞ!?」
世間知らずな若者達がはしゃぐ声で気を持ち直したドバイコブが声を荒げるが、蒼一朗は「まあまあ……何とかしますから」と馬車から飛び降りた。
ドバイコブにしてみれば明らかに常軌を逸しているとしか思えなかったが、蒼一郎にしてみれば愛犬の胡桃の身の安全を確保するために始めた戦いだ。
突拍子の無いどころか、これがこの男の平常運転である。
――ライゼファーが死ねば、ドラゴンの脅威は完全に無くなると思い違いをしていたが、此処でドラゴンと遭遇出来たのは運が良かった。勘違いを正せた上に、街を一つ壊滅させる程巨大なドラゴンを此処で殺せる。この場であのクソ蜥蜴を殺せば、胡桃さんの安全にも繋がる。見逃してやる理由は一つも無いな。
既に蒼一郎の思考には目の前にいるドバイコブの事など除外されていた。
「馬の体力的にはサマーダム大学まで直行出来ますよね?」
「え? ああ……はい。ムンセイスの村の疲れトルトーネ街で癒してもらうのが目的です。今から一目散にサマーダム大学を目指せば日没前後には到着するかと思います」
「では、このままサマーダム大学に行って下さい。戦士ギルドのルトラールという大男がいるかと思いますので、『難民の救助に手を貸せ』と伝えて頂けると助かります」
――他に生き残りがいるかどうかは分かりませんが。
生き残りが居なかったとしても、あの大男が無駄な手間を取らされるだけのことで、どういう結果になったとしても蒼一郎に悪影響を及ぼすことはない。
返事を待たずに蒼一郎は砂煙を立てて街道を爆走する。
ドバイコブが十数分かけて走り抜いた道程も蒼一郎の足なら数十秒にまで短縮することが出来る。
トルトーネ街を襲ったドラゴンを斬り殺し、街道沿いに走れば、やっと胡桃と再会出来る。
そう思えば、否が応でも身体の奥底から力が込み上げて来るのを感じ、口の端を緩ませた。
「馬より早くないか……? 何者なんだ、あの男は……」
「彼こそが当代の龍殺し、倉澤蒼一郎殿だ。こうも力の差を見せ付けられては妬む気にもならないな。同じ男として、ただただ羨ましいばかりだ。さあ、乗るんだ」
得意気な顔をしたトーマ・カナリウムの答えを聞いて、ドバイコブは短絡を起こさなかった自分の直感を誇った。
仮に馬を奪って逃げだしたとしても、あの瞬足からは逃れられる気がしなかった。
しかも、当代の龍殺しとだけあって、巨大なドラゴンがいると聞いて「ちょっと行って殺して来ますね」などと言って退けるような、おかしな精神性の持ち主だ。
きっと追い詰められ、最後には首を斬り落とされていた事だろう。
ドバイコブは身震いしながら、馬車の中に逃げ込むのであった。
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