第十話 寒村の痴女
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ソウブルー地方と、アンドウン地方の境界線上にある岸壁の村ムンセイス。
吹雪の荒れる寒村で観光名所は氷の都とソウブルーを繋ぐ進軍路。名物は氷の団のならず者と亡霊。
何も無い割には重要拠点である事から衛兵の数だけは多い。何も無いから衛兵達もピリピリした雰囲気を纏っている。
――酒場で酒だけ買ってさっさと宿に引っ込んだ方が良いかも知れない。
そう思った矢先のことだった。
「……痴女がいる」
思わず、口が先に動いてしまった。
開口一番、初対面の女性に対していう言葉で無いのは重々承知している。
しかしだ。乳首と股間に前張りを付けただけのほぼ全裸に黒いマントを羽織り、この糞寒い吹雪の中を練り歩く様は紛うこと無き、痴女だ。そうで無ければ変態だ。
申し訳程度の前張りの先端にはルビー、ダイヤ、サファイアが括り付けられていて彼女の変態性を際立たせている。
それぞれに異なる色の輝きを放っていて、其々の宝石に膨大な魔力が蓄えられていることを気取らせた。
――アクセサリーじゃない。魔術兵装だ。
恐らく、血なまぐさいことを生業にしている手合いだと思うが、気配を察知させないどころか、自らの力を誇示するかのように魔力光を放つような痴女なんて絶対にまともじゃない。
ブルネットの長い髪をした美女だったが、股座がいきり立つどころか縮み上がっている。
到底お近付きになりたいとは思えない人種だ。気付かない振りをして、痴女から視線を外した瞬間のことだった。
「……………………!?」
視界の隅で痴女が此方に視線を向けて妖艶な笑みを浮かべていた。と言うか、視線が合った気がする。
「こんにちは。初めまして、で良いのかしら?」
数メートル先にいた筈の痴女が視線を外した先――、目の前にいて血の様に紅い舌で唇をなぞった。悲鳴を上げなかったのは奇跡に近い。
「え、ええ……余所からの人間です。ムンセイスには初めてです」
「へぇ……そうなの」
痴女が媚びた瞳で覗き込んでくる。張りと弾力のある大きなバストが蠱惑的に揺れている。
矢張り妙だ。これ程の美女が全裸も同然で近付いて来たら、理性が『注意しろ、この女は変態だ』と警告を発しても、本能が『是非も無し』と下半身に素直になる。男ならそうなる筈だ。
実も蓋も無い言い方をするなら――ヤバいって分かっていても美人とヤれそうならヤりたい。だって男だもん――である。普段ならば。
遠目で見ても痴女以外の感想が思い浮かばず、間近で見てもその感想が変わることは無かった。
それどころか、自分の本能が理性と結託して警戒しろと注意を促す。
この手の直感には従っておくに越したことは無い。特に殺伐としたこの世界なら尚更だ。
だが、あからさまに警戒されて尚、痴女は妖艶な笑みを絶やすこと無く、視線を指先を自分の身体に彷徨わせる。淫猥な視線と手付きだ。
だが、手の動かし方に思い当たるものがあった。すぐさま痴女から飛び退き、抜刀したレーベインベルグを痴女の喉元に切っ先を突き付ける。
「あら怖い怖い」
「今の指の動かし方、魅了の展開術式ですね。貴女とは何の因縁も無い筈ですが……一応、聞いておきましょうか? お目当てはコレですか」
痴女の首筋に刃を突き付けたままメモリースティックを投げ渡す。
「あら……意外な反応ねぇ。このまま殺されるのかと思ったわぁ」
正直言って悩ましいところだ。このまま殺してしまった方が後腐れなく済みそうなことは確かだが……。
「それの価値が分かる者を簡単に殺してしまうのは勿体ない。もう少し友好的に接触してくれれば悩まずに済んだのですが」
「私にしてみ・れ・ば。流れ者の冒険者が何でこんな高度な物を持っているのか……気になって仕方がないのよねぇ。それに? その価値を正しく理解出来ているかどうかも怪しいものねぇ。だったら、魅了して洗脳して聞き出した方が早いと思わないかしらん?」
「まるで知性の無い獣の発想だ。とても人とは思えない」
「あらあら言ってくれるわねぇ」
痴女の形相が歪に歪む。声色こそ平坦だが随分とご立腹の様子だ。
見た目に反して、お利口さんなのが自慢らしい。
「言いますよ。人は言葉を使って意志を疎通する生き物です。それが出来なければどれだけの叡智を蓄えていようとも獣と同じです。そして、獣の真似事をした結果が御覧の有様という奴です」
「……まあ良いわぁ。それで私に何をして欲しいのかしらぁ?」
「そのメモリースティックを解析出来るデバイスの在処を。中に書き込まれているデータが何なのかを確認したいのです。そして、出来れば製作者と、その居場所も。人類に友好的な存在の手によって作り出されたのなら良し、そうでないなら殺さなくてはなりません」
「私がこれを持ち逃げする、なんてことは考えなくって?」
「それを悪用出来るならして下さっても構いませんよ? メモリースティックはそれ一個だけではありませんし」
そう言って、懐から予備のメモリースティックを取り出して、痴女に見せびらかす。
「そういう事……素質のある者になら性質の善悪を問うつもりは無い、と言いたいわけねぇ」
付け加えて言うなら、悪用出来るだけの知識や技術があるなら、捕縛して監獄に送り込んで情報を引き出せば良いだけのことだ。
持ち逃げされたり、転売されたりする恐れもあるが本命は冒険者ギルド、サマーダム大学、衛兵団だ。
彼女にも一つくれてやったのは駄目で元々、切り口の一つとして持っていても良いと思っただけだ。
「貴方の思惑に乗るのは良いんだけどぉ……。これが何なのか見当は付いているのかしらん? 酷く禍々しい魔力を帯びているようだけどぉ」
「エルベダ要塞を襲撃した三体の巨人、その内の一体の縄張りで発見した物です。恐らくは外科的な手段で巨人を狂わせる物かと」
「巨人を?」
痴女が訝しげに眉根を顰めた。何処と無く浮世離れした痴女が普通の女のような振る舞いをしていることに気分が良くなる。
気分が良いついでに、エルベダ要塞で起こったことを痴女に話してやることにした。
話が進むにつれて、痴女の表情がうんざりしたものへと変わっていく。愉快だ。
「興味本位で声をかけるべきでは無かった、なんてねぇ……。今更、これを返すと言っても聞いてもらえそうにないし、拒否権も無さそうねぇ」
返してくれるならそれで構わないし、拒否権もある。
だが、勝手にそう思い込んでくれるなら好都合だ。肩を竦めて言葉を濁す。好奇心は猫を殺すという奴だ。
「ま、ご協力を頂くからには相応の報酬も出しますよ」
「それで解析結果はどうやって報告したら良いのかしらん?」
ソウブルーにあるカトリエル錬金工房――と言おうとして止めた。
カトリエルや、リディリアさんから軽蔑されそうだし、胡桃さんやエーヴィアの情操教育に悪過ぎる。
アーベルトさんから逮捕されるかも知れないし、ルトラールあたりの阿呆が欲情しかねない等、外聞も悪い。
兎にも角にも、一家の団欒をぶち壊しにされることは想像に易い。
「定期的にムンセイスに立ち寄ります。報告と報酬はその時に。まあ用意出来るのは金だけですが」
「貴方、冒険者なのよねぇ? 暴走した巨人と戦える凄腕の」
痴女が値踏みするかのようなねっとりとした視線を向けて来る。
まるで視線で身体を舐め回されているような気分だ。
「巨人くらいなら殺せますよ。冒険者の知り合いが少ないので、他の冒険者との優劣は知りませんが」
少ないと言うか、親交のある冒険者はエーヴィアしかいない。
冒険者としての立ち振る舞いや心構え的なことを教えてもらうつもりだったが、気付けばよく分からない内にこんなことになっている。
人間、時には勢いも必要だが、勢い任せにし過ぎるとよく分からないことになるものである。
「貴方の自覚の有無はどうだって良いわねぇ。光の届かない世界――、この言葉に聞き覚えは無いかしらん?」
「光の届かない世界?」
「そうよぉ。この世界の何処かに太陽の光が届かない暗闇に包まれた世界があるらしいのよぉ。その世界では魔術とは違う系統の技術が発展しているそうよぉ。太陽の光に頼らなくても光を生み出す力を持っていて、夜でも昼よりも明るく眩しい世界だって言われてるわぁ。貴方がメモリースティックと呼ぶコレも光の届かない世界で作られた物だと思うわぁ」
彼女が言うことを信じるなら、この世界には機械的、技術的な文明が、地球のような文明が存在するということになる。もしかしたら、魔人を、それも上位の魔人を殺すことが出来る力があるかも知れない。巨人を狂わせる技術を持つなんて、とんだ厄ネタだが、その力、切り捨てるにはあまりにも惜しい。
「光の届かない世界にはどうやったら行けるのですか?」
「それを私も知りたいのよぉ。私が貴方に望む報酬は光の届かない世界への行き方、もしくは光の届かない世界の技術で作られた魔術兵装、それに類似する何かの提供よぉ。お願い聞いてもらえるかしらん?」
「ふむ……確認ですが、上位の冒険者なら光の届かない世界の情報を得られる可能性がある、そういうことで良いですね?」
彼女の口ぶりではそういうことになる。だとしたら彼女の求める報酬は自分にとって何の負担にもならない。
Aランク以上の冒険者になればギルドからも多くの特典を得られるようになる。
その特典の一つに光の届かない世界の情報が含まれているとしたら、自分が上の目指す動機がまた一つ増えることになるだけだ。
「そうねぇ。SSランクの冒険者なんて、ちょっとした英雄扱いじゃなぁい? だったら、私が知らないことも知っていても不思議じゃないと思うのよねぇ」
「成る程。別に構いませんよ。貴女の要求を飲みます。どちらにせよ、個人的な都合で上を目指しているところです。そして、自分にとっても光の届かない世界の情報は手に入れておきたいところですし、負担の内にも入りません」
「では、交渉成立ね。それと後学のために聞いておきたいんだけど良いかしらん?」
「何か?」
「魔術防壁を張っていないのに、何で私の魅了にかからないのかしらん? 幻惑術式に耐性のある体質なのかしらぁ?」
「そうですねぇ」
端的に言えば、彼女が自分の好みからかけ離れているからだ。
カトリエルのように貞淑で、ネフェルトさんのように純情で、エーヴィアのように従順で、リディリアさんのように明るく、ローザリアさんのように勤勉で、アナメルさんのようにちょっと抜けた所もあって、リリネットさんのように酒好きで、コルネッタさんのように程良くエロくて、何よりも胡桃さんのように愛らしい。そんな人が自分の好みだ。
何よりもだ――。
「魔人程とは言わないにしてもドラゴンクラスの魔力を蓄えた"人形"に魅了される程、女に不慣れな生き方をしていないんですよ。もう少し人というものを学ぶべきですねぇ。人形遣いさん」
そう言うと痴女が能面のような表情を浮かべると全身を揺らし、ついでに乳を揺らして男の声で哄笑をあげる。
「チッ……男か」
「クハハハ……失礼したなぁ、冒険者。だが、思った以上に使える奴で安心したぞ。魔人程とは言わないにしても、か。まるで魔人と戦ったことがあるような口ぶりじゃあないか」
「続きを聞きたければ場所を変えません? その人形を相手にするのは外聞が悪い。何よりも此処は寒い」
「良いだろう。着いて来るが良い」
「人通りは避けて下さいね。悪評が流れて平気でいられるメンタルをしていないんですよ」
「心配するな。凡愚には我が作品を認識することすら適わんのだからな」
「傍目から見たら自分は独り言ばかり言いながら剣を振り回す痛々しい盆暗か。さっさと案内して下さい。これ以上、醜聞を重ねるのは勘弁して欲しいので」
「凡愚などの言葉に気を取られるようではまだまだ甘いな」
「知ってます? 世界には天才や秀才よりも、貴方が言うとろこの凡愚の方が多く、世界は凡愚という大衆の意志によって動かされているんですよ。一部の天才や秀才が正当性を謳っても、凡愚の意に添わない言葉なら耳を貸してもらえない。凡愚と見下している者の手によって足を引っ張られ、破滅することになる。努々忘れないことです」
「貴様如きに言われるまでも無い。身を以て思い知らされている」
話は終わりらしい。そう言いたげな態度で痴女人形は踵を返して歩き始めた。
――続きは世間知らずな厭世家のご主人様とご対面してからというわけか。
積雪の上に突き刺した丸太の上の敷設された木の床を人形に続いて歩く。
積雪量が多過ぎて、建造物を重ねに重ねなければやっていけないらしい。
――原初の火で雪を溶かしたら感謝してもらえるだろうか?
いや、下手に手を付けたらとんでもない規模の雪崩を起こして大惨事を引き起こしてしまうかも知れない。素人考えで余計なことをするのは止めておこう。
そう思っている内に道を逸れ、山道を歩き、木々を幾つか抜けていくと木造の小屋に辿り着いた。
「其処が貴方の城ですか。態々、人嫌いを気取って人里から離れた場所に小屋を建てて、本命はその地下、か」
「フン……、馬鹿は話が通じなくて面倒だが、話が分かり過ぎるのも面白くないな。驚かせ甲斐が無い」
「不満なら魔人と相対し、殺し合うことです。魔力程度なら、気配を読むよりも簡単になりますよ?」
事実、自分が魔力の流れを読めるようになったのはライゼファーと戦ってからだ。
大気の間を流れる魔力をこの手で掴めてしまえるような、錯覚にも似た肉体的、直観的感覚が身に付いたとすれば、魔人に関わってからのことだ。
「まあ、まかり間違えば死にますからオススメは出来かねますが」
「だろうな。入れ」
中へと入ると如何にも小屋の中といった様相だったが、魔力の流れを見れば一目瞭然だ。
正面の戸棚の裏に内戸がある。それを開けば、地下に繋がる階段がある。さっさとご対面といこうか。
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