第四話 夢ではないかも知れない
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日没後の空は、自分の知るものとは大きく異なるものだった。
流石は夢の世界とでも言うべきか。大粒の宝石のような強い輝きを放つ星々の海。
クレーターの一つ一つが視認出来、落ちてくるのではと不安を抱く程に近い月。
それらを感心して眺めていると荷馬車はベイルダーというフォーレストよりも小さな村で停車した。
日没後は危険ということもあり、一晩をここで過ごして翌朝、移動を再開。リディリアさん曰く、何も無ければ明日の日没前にはソウブルーに到着するそうだ。
「旅行者向けの宿屋がありますから、そこで食事にしましょう」
リディリアさんの提案に従い、彼女の後を追う。飛び石のような簡素な石畳の道を歩く。
ガードレールのような木製の柵に囲われているところはフォーレストと同じだが、雑草や草花が無秩序に生えていて、住居の壁は虫食いだらけで、その隙間からは明かりが小さく漏れている。
貧しいのか、それとも大雑把なのか。別に興味は無かったが、それを彼女に尋ねてみた。
「林業が盛んな村で質の良い木材が特徴なんですけど、それは全て商売用。自分たちが使うのは売り物にならない物っていうくらい、自分たちのことに無頓着なんですよ」
「詳しいんですね。以前はこちらに?」
「ええ。前はベイルダーで働いていたんですけど、こんなんでしょう? だから一か月くらいでジエネルに移ったんですよ。あっちは氷の都が近いから衛兵や帝国兵も多くて治安が良かったし、帝国の人がいるから村の割には洗練されてたから」
リディリアさんの話を聞きながら暫く道を進むと「あそこですよ」と、彼女が指をさす。
「卵要塞……?」
流石は夢。なんっつーネーミングセンスだ。
いや、自分の夢である以上、自分の潜在的なセンスとも言う。自分のセンスの無さに泣きそうになる。
「たまご?」
卵という単語に胡桃さんが反応する。
「卵だねー」
「胡桃さん、卵が好きなの?」
「ええ。栄養価が高いので意識して食べさせていたら、好物になってしまって」
中学時代の調理実習で卵焼きを担当することになったので自宅で練習して、出来上がった物を胡桃さんに処理してもらっていた。
毎日食べさせることが良くないことや、生の卵白は消化に悪いが、加熱し過ぎた卵白は更に消化が悪いということを知ったのは後になってからだ。
それは兎も角、卵焼きは自分が胡桃さんに作ってあげた初めての料理で、思い出の品でもある。
今でも自分がキッチンに立ったり、卵を手に取ると催促するのが常だった。
そう考えてみれば夢の中で胡桃さんと一緒にいく店の名前に「卵」とついているのは特に変な話では無いのかも知れない。「要塞」の部分は知らん。
宿泊カウンターで部屋を二つ借りた。
自分と胡桃さんが泊まる二人部屋と、リディリアさんが泊まる1人部屋だ。
三人一部屋を借りても良かったが、それだと多分、胡桃さんが眠れない。
ただでさえ知らない人が密集している荷馬車の中に詰め込まれて長時間の移動を強いられたのだ。
寝る時まで他人と一緒では胡桃さんのストレスも尋常では無いことになる。
一応、彼女の護衛として雇われているので、あまり離れるのは良くないが所詮は夢だし大目に見てもらうことにしよう。
給仕の女の子に食事の注文をしようとして――疑問が出てきた。
今の胡桃さんの身体を人間として扱うべきか、それとも犬として扱うべきか。
更に言えば、生肉を食べさせても大丈夫なのか?
今の胡桃さんの身体に必要な摂取カロリーは?
塩分の下限と上限は?
日本犬だから日本人と同じ食性?
それとも犬と同じ雑食性肉食動物扱い?
まあ夢で良かったと思っておこう。
夢なのだから自分と同じ物を食べさせても問題はないと結論付けて、胡桃さんに雑穀野菜の卵粥と、ミートオムレツを注文する。
リディリアさんは白身魚のソテーと蜂蜜酒を注文した。
器に直接、口を突っ込んで食べるんじゃないかと少し冷や冷やしたけど、器用に食器を使って食べている。
自分たちが食事をする姿を観察して食器の使い方を覚えていたんだろう。
考えてみれば頭の良い子だから特別なことでも何でもない。
空腹を感じているので、そろそろ目覚めが近いのかも知れない。
夢の中で食事をしても意味は無いが、気は紛れるかも知れないと思って注文した赤ワインで喉の渇きを潤しながら、キジのローストを摘まんでいると胡桃さんが満面の笑みでスプーンを差し出す。
スプーンにはミートオムレツが乗っている。
「ますたー、あーん」
「あーん」
「おいしい?」
「ありがとう、おいしいよ」と言うと、胡桃さんが嬉しそうに尻尾を振った。
「いちどやってみたかったの!」
普段は自分を含めた倉澤家の人間が胡桃さんにやっていることだが、人間の身体になった今だからこそということか。本当に頭の良い子だ。
良い事をしたご褒美と言うわけではないけど、キジのローストを同じように胡桃さんに食べさせる。
普段とやっていることは全く同じだというのに、胡桃さんが人間というだけでバカップルのように見えてくるから不思議なものだ。
リディリアさんからの視線が若干冷たいが、気にしないことにした。
「綺麗な姉ちゃん二人も並べて、高い酒飲んで、良い身分じゃねぇか、兄ちゃんよぉ?」
地元の人間だろうか。上半身裸の屈強そうな男が汗臭い悪臭を振り撒きながら、自分に絡んできた。
そいつの仲間らしい奴等が、此方のテーブルを取り囲むように立って、ニヤニヤと厭らしい笑みを浮かべている。
折角の楽しい夢が台無しだ。夢でも現実でも空気の読めない奴はいるものだ。
ボンクラ四人組をどう処分しようか悩んでいると半裸の男が「嬢ちゃん、ちょっと付き合えよ」とよりにもよって胡桃にさん手を伸ばしやがった。
しかし、流石は人嫌いと言うべきか、胡桃さんは「触るなッ!!」と今までとは裏腹に、まるで別人のように低く鋭い声を店内に響かせて、男の手を力強く跳ね除けた。
うん、いつもの胡桃さんだ。
しかも、笑えることに胡桃さんがフォークを手にしたまま力任せに跳ね除けたものだから、フォークが半裸男の手に深々と突き刺さり、「うぉぉぉ」とうめき声をあげている。バカめ。
半裸男が血の滴る拳を振り上げ、「この糞アマッ!」とでも言いたかったようだが、ここから先は飼い主の出番だ。
半裸の男が台詞の半分も言い終わらない内に、その額を酒瓶で叩き割る。
特別高価な酒と言うわけでは無いが、底辺にとっては勿体ない程の高い酒だ。
またとない機会だし、精々味わってもらうとしよう。
そして、ここは現実では無く、夢。
つまりだ。やり過ぎて殺してしまったとしても別に何の問題ないということだ。
粉々に砕け散ったガラス片と共に、地面に膝から崩れ落ちる半裸男。その額からは砂を吐く貝のように鮮血が飛んだ。
他の客が勢いよく口笛を吹き、「良いぞ! 兄ちゃんやっちまえ!」と歓声が上がる。
流石は夢。現実世界の店の中でこんなことを仕出かしたら、粛々と通報されるのがオチだ。
観客の声に応えて、というわけでは無いが、踏み込んだ右足を軸に一回転。
回し蹴りを半裸男の割れた額に叩き込む。
綺麗に入った蹴りの衝撃に、半裸男は勢いよく後頭部を床にぶつけてニ十センチ程バウンドした。
余程娯楽に飢えていたのだろうか、派手な倒れ方に更なる歓声が沸き上がる。
「立てよデブ! やられっぱなしかよ!」
「兄ちゃん! そのデブ、ぶっ殺せ!」
よくもまあ安全な所から好き勝手に言うもんだ。
それにこの半裸、脳震盪を起こしているので反撃どころか立ち上がることすら出来やしないはずだ。
なので、噴水のように鮮血を噴き出す額に二度、三度と執拗に踵を振り落とし、更に血飛沫を飛ばす。
こいつのお仲間は手を貸すどころか、茫然とした表情で突っ立ってこっちを見ているだけだった。
当然と言えば当然だ。四人組だからと言って一対四で喧嘩が成立することは意外と稀だ。
一人を徹底的にやっておけば、残りの奴は棒立ちのまま何も出来なくなることの方が多い。
それでも一人も向かって来ないあたり、思ったよりも結束は薄そうだ。ついでに喧嘩慣れもしていない。
だが、こいつ等が一斉に立ち向かって来たら絶対に太刀打ちできない。
自分とて喧嘩が強いわけでも、慣れているわけでも無いのだ。
だから、今のうちに取れる対策は全て取らなければならない。
誰も動かない内に、半裸男に馬乗りになって顔面を殴打する。
半裸男が泣こうが、喚こうが、顔面が変形しようが、折れた歯が飛び散ろうが、失禁しようが殴る拳を止めずに只管殴り続ける。
それまで歓声を上げていた客からどよめき声があがり、その中には「おいヤバくねぇか? あのデブ、本当に殺されるんじゃないのか?」とか「衛兵呼んだ方が良いんじゃねぇか?」なんて無責任な言葉も混じり出した。
そいつがさっきまで「殺せ」と叫んでいたのを自分は聞き逃していない。
取り敢えず、ここまでやっておけば、こいつ等も自分達に関わろうとはしないだろう。
それに胡桃さんが自分の背中にしがみ付いて「ますたー、けんかはだめだよー?」と何時も調子で言っているので、ここで手打ちだ。
本当なら、こいつ等が侘びを入れるまで一人残らず、殴り続ける予定だったけど、まあ良いか。
拳を止め半裸男から離れ、「胡桃さん、ごめんね」と謝る。
胡桃さんは他人が嫌いで喧嘩っ早いが、争いや乱暴自体は嫌っている。
家族同士で口論をしている時など背中に飛び付いて、口論を有耶無耶にさせることなどよくあることだった。
胡桃さんを席に促し、彼女の目が離れた隙に半裸男の脇腹に爪先を突き刺した。
リディリアさんに見られてしまったが、ご愛敬ということで舌を出す。
「お前ら、其処のソレを持って帰れ。目障りだから消えろ」
自分たちが座っているテーブルを取り囲んだまま、ぼさっと突っ立っている半裸男の仲間に顎で促す。
男達は慌てて半裸男を抱えて、自分に頭を下げて出口まで進んで振り返った。
「覚えていやがれっ!」
多分、そう言いたかったのだろう。台詞の半分程で額が爆ぜた。自分が投擲した酒瓶が炸裂したのだ。
奇跡的ともいうタイミングで酒瓶が直撃したのが少しだけ笑えたが、家族の団欒を邪魔するなど言語道断だ。
多分死ぬか、酷い後遺症に悩まされるかも知れないが自業自得である。出来れば、そのまま死ね。
余計なケチが付いてしまったが、食事を終えて部屋に戻ると胡桃さんが「もうおへやの中だから、これとってー?」と衣服を摘まみ上げる。
普段は散歩から戻ったらハーネスを脱がしてあげるのが常で、室内では何も付けていないのが普通だ。
年頃の娘さんの服を脱がせて全裸にする。倫理的にどうだろうと思ったが家族だし問題ないという結論にいたった。姉や母が全裸でいたところで別に何とも思わないのと同じだ。
それに他人の目に触れる状態でもない。
「良いよ。今日一日、よく頑張ったね。偉いよ」
胡桃さんの頭や背中を撫でながらハーネスを外し、ホットパンツとサンダルを脱がせる。
やましいことをしていると言うよりも、介護をしているような気分だった。
生まれたままの姿になると「きょうは、もうおやすみ?」と首をかしげる胡桃さん。
テレビも無ければ携帯も無い。娯楽と言える娯楽は無いので、後は休むだけだ。
次に目を覚ます時は現実世界のベッドの上で胡桃さんは自分の足か、腕を枕にしていびきをかいていることだろう。
最後にケチが付いてしまったが中々面白い夢だった。
少し勿体ない気もするけれど、そろそろ犬の姿の胡桃さんが恋しいので、このまま眠って――いや、目覚めることにしよう。
「そうだね。そろそろ寝ようか」
自分も服を脱ぎ捨て、ベッドの上に座る。
「胡桃さん、足と腕、どっちが良い?」と尋ねると胡桃さんは自分の手を取り、「こっち」と言って尻尾を振った。
「うん、おいで」
ベッドの上に寝転がり、胡桃さんを腕の中に抱き入れる。
胡桃さんが人化して一番良かったことは、抱っこしても抜け毛の始末を心配しなくても良いことだろうか。
そんなことを思いながら、いつものように胡桃さんを撫でて寝かしつけていく内に自分の意識も闇に落ちた。
「ますたー、じかんだよー、おきてー」
午前七時半。いつもの起床時間だ。時計を見なくても分かる。
胡桃さんは頭が良いので必ず決まった時間に自分を起こしに来てくれる。
そして、八時に近付けば近づく程、その起こし方が乱暴になっていく。
生憎と犬なので土日祝日の概念は持ち合わせておらず休日に惰眠を貪るということが出来ないのが珠に瑕だが、胡桃さんのお蔭で寝坊知らずの遅刻知らずだ。
「ますたーってばー」
まず胡桃さんの起こし方として最初にすることは、首筋に鼻先を突っ込むことだ。
特に濡れた鼻は冬になると凄まじく冷え切っていて、目覚ましとしては非常に効果的だ。
「まふたー?」
次に耳を舐められる。非常にくすぐったく悲鳴と一緒に笑いも出て来る。
犬の習性として飼い主が喜んだことをいつまでも覚えていて、それを繰り返すというものがある。
厄介なことに自分が笑っている姿を、喜んでいると認識した胡桃さんの耳舐め攻撃は、かなり執拗だ。
目覚まし自体は凄く助かっているし良いことなので、叱るどころか褒めざるを得ない。
当然、褒められたらそれが嬉しくて、その行動が常態化する。
結果として胡桃さんの耳舐め攻撃の執拗さは留まることを知らない。
そして、それでも起きなければ――
「ますたー!」
「あいたっ!?」
実力行使。犬パンチが眉間に飛んでくる。
目を覚ますと稲穂のような小麦色の髪から、柴犬のような三角の耳を生やした白い睫毛の美少女が、全裸で自分の顔を笑顔でのぞき込んでいた。
「ますたー、おはよー」
「お、おお……胡桃さん、おはよう?」
胡桃さんが、人間の女の子に変身して、知らない世界を散歩するという楽しい夢を見た。
そして、その夢からは醒めた。起こされて、起きた。その筈だ。
「ますたー、おはよー!」
勢いよく頭を下げる胡桃さん。いつも通りだ。
「胡桃さん、起こしてくれてありがとうねー」
いつも通り、胡桃さんに礼を言いながら抱っこする。
いつも通りのサイクルを一通りこなす。何の違和感もない。
違和感がないことに、自分が焦っていることを自覚した。
昨晩の出来事も、今の出来事も、全て、全て夢の筈だ。
それだと言うのに、それが全て鮮明に思い出せるくせに、胡桃さんの犬の姿が、家を出る以前の記憶が霞みがかって思い出すことが出来ない。まるで夢であるかのように。
現実が夢で、夢が現実で、そんな風に思えてしまう。
元から自分はこの世界の住人であるかのように。
地球という星が架空の存在であるかのように。
「ますたー? どうしたの?」
「なんでもないよ。さ、朝ごはんにしようか」
「うん!」
夢では無い、かも知れない。
気になることは多々あるが胡桃さんがいる以上、戸惑っている場合では無い。
その内、眼も覚めるだろう。
覚める、はずだ。
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