第四話 破談
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朝焼けの空にけたたましいラッパの音が鳴り響く。
窓の外から慌ただしい足音が幾重にも重なり、微睡んでいた蒼一郎の意識が急速に覚醒する。
油断無い足取りで外を覗き込むとエルベダ要塞の住人が緊迫した様子で駆け回り、早口で何事かを叫んでいた。
「兄弟、起きろ!」
嫌な雰囲気を感じた蒼一郎は手早く礼服に着替え、レーベインベルグを背中に差す。
それと同時に、血相を欠いたヴァレントが部屋の中に飛び込んできた。
「何が起きているのですか?」
「巨人だ! 巨人が攻めて来やがった!」
ヴァレントがまくし立てるように叫んだ。
蒼一郎が耳を澄ますと青のルスルプトの加護で強化された聴覚が、防壁に肉を打ち付けるような音に混じって獣じみた叫び声を捉えた。
「防壁が破壊される前に逃げるぞ!」
途切れる事無く響く防壁の破砕音が、あまり悠長にはしていられないことを主張している。
「ちょっと行って、自分が殺してきましょうか?」
堅固な防壁を再建するのも一苦労だろうと、善意から提案する蒼一郎の口調は、あまりにも軽い。
巨人にちょっかいを出して返り討ちにされる冒険者や、巨人のテリトリーに紛れ込んで殺される旅人は後を絶たない。
しかし、巨人は好戦的な性格をしていない。
自らのテリトリーを侵す者しか襲わず、他者のテリトリーを侵すことをしない。
その巨人が積極的に、しかも強固な要塞に攻め入ろうとするなど、前代未聞の異常事態だ。
「言ってる場合か! 馬車も貴族様達を乗せたらすぐに出る! 置いてかれるぞ!」
蒼一郎にしてみれば『真っ先に逃げ出すとは全身に纏った魔術兵装は飾りか、あの馬鹿貴族達は』という話だ。
尤も、ヴァレントにしてみれば『逃げ出す手段があるのに好き好んで脅威に突っ込むなんてアホか』という話だが。
加えて言えば、龍や魔人を斬り殺した蒼一郎の実績を知らないヴァレントが、巨人に立ち向かおうとする命知らずで無謀な愚か者に避難するように促すのは当然の事と言えた。
蒼一郎はヴァレントの善良さを好ましく思ったが、だからと言ってその好意に甘え切るわけにはいかなかった。
「しかし、それでは貴方達やエルベダ要塞の人達は?」
「要塞警備の衛兵が討伐準備を進めている! 衛兵たちが戦っている間に俺たちは地下に避難する! 蒼一郎さん、アンタは馬車で要塞から逃げるんだ! 次のサマーダム大学行きの馬車が来るのは早くても明後日だ! 巨人の襲撃を怖れて運行が十日以上も止まるかも知れない! ネフェルトを口説けないくらい大層な仕事があるんだろ!?」
「巨人は要塞の常駐戦力で対処出来る脅威ですか?」
今の蒼一郎にとって優先すべき存在は胡桃だ。
とは言え、人の命が関わっている以上、此処で戦うという選択肢を簡単に切り捨てる事は出来なかった。
「当然!」
蒼一郎の不安とは余所に、ヴァレントが自信満々といった様子で胸を叩く。
――エルベダ要塞の戦力でどうにかなる相手なら自分が首を突っ込むべきでは無いのかも知れない。
本能と理性が『本当にこれで良いのか』と後ろ髪を引かれる思いで馬車の待つ停留場へ向かう。
そこではトリエンナ家の御曹司、アルキスが要塞の住人達に縋り付かれていた。
「お願いします! せめて、この子をネフェルトを一緒に連れて行ってやって下さい!」
そう言っているのは昨晩、ネフェルトに執拗なセクハラ発言を繰り返していた中年達だった。
その後ろではネフェルトが困ったように狼狽えている。
「しつこいぞ、平民共! 命が惜しければ地下の避難所に逃げ込めば良かろう!」
御曹司は縋り付く中年男性の頬を剣の鞘で殴り付けた。
殴られた男性は口から歯と血を吐き出して地面に蹲る。
――無慈悲な男だ。
蒼一郎は不快感を露わにする。
しかし、帝国の価値観では命を奪わないだけ、まだ慈悲深い男だと言える。
「これは一体、何の騒ぎですか?」
「フン、要塞に住む平民を馬車に乗せろと言って来たのだ。平民風情が厚かましい」
蒼一郎の責めるような物言いと視線に、トリエンナ家の御曹司は忌々しげに吐き捨てる。
本来なら無礼討ちだが、彼は蒼一郎のことを外国の田舎貴族だと思い込んでいる。
家格の分からない外国の貴族を平民と同じように扱うわけにもいかなかったのである。
だが、殴り倒され、口から血を流す中年男性は尚も立ち上がる。殺されるかも知れないというのにだ。
「ですが、このネフェルトは貴方様の婚約者なのです! どうかこの娘も一緒に……」
要塞と言っても人口規模は千人前後と、ベイルダーやフォーレストと大差は無く、住民全員が知り合いと言っても過言では無い。
特に若者が少ないエルベダ要塞では子供が生まれたら住民全員が子育てに協力するのが常となっている。
そして昨晩、ネフェルトにセクハラ発言を繰り返していた中年連中にとって彼女は我が子も同然で、無礼討ちにされようと、ネフェルトさえ無事ならそれで良いとさえ思っている。
トリエンナ家の当主から輿入れの話を受けて三年、こんな事が切欠であろうともネフェルトが嫁入り出来るのであれば、彼等にとって自分の命など安い物だった。
「婚約者……? 何の話だ?」
「……え?」
忌々し気に表情を歪めていたアルキス・トリエンナが無表情に言った。
その表情に悪意は無く、本当に何の話をしているのか分からないといった様子だった。
御曹司の態度に誰もが絶句し、ネフェルトは茫然と声を漏らした。
「我が身可愛さで吐いた嘘にしては、度を越しているぞ、娘」
誰もが戸惑っている中、トリエンナの御曹司は猜疑と嫌悪に満ちた眼でネフェルトを貫いた。
――成る程、田舎娘にしては容姿端麗、その上、男に好かれそうな身体をしている。大方、その身体を使って味方を作ったのだろう。
権謀術数の張り巡らされた貴族の世界に慣れ過ぎた若者は、ネフェルトの悪意によるものだと断定した。
「お待ち下さい。三年前、ご当主様より四人目、もしくは五人目の妻として娶りたい旨を伝えられたのです。その場に居合わせたのはわたくし共だけでは御座いません。証人もいます。何もご存知で無いのですか?」
吹き荒れる殺気の波を察知した中年女性は、泡食って矢継ぎ早に言葉をまくし立てる。
「御父上からだと……? 三年前……、ああ、成る程。そういうことか」
「お心当たりが?」
「我がトリエンナ家の当主は十人の妻を娶らねばならないのだ。三年前と言えば、私にトリエンナ家の後継たる自覚が足りず、妻が三人しかいなかった。そこで御父上は頭数を揃えさせようと躍起になっていたのだ。無論、私の知らぬ縁談も数多くあった」
高貴な血にとって婚姻は政治だ。他家との関係を強化し、後継者を作ることこそが大本命だ。
――頭数、か。気に食わん言い方だ。この場で殴り倒して、土下座させて、彼女と結婚するように説得するのが丸く収まりそうだな。
蒼一郎は、そんな有り得もしないことを思い浮かべた。
「娘よ」
「は、はい」
トリエンナ家の御曹司が身に纏った殺気を霧散させて、申し訳無さそうな表情を浮かべた。
「私はトリエンナ家にとって価値のある妻を既に十人取り込んでいる。次期当主としての条件は満たしており、名前すら知らぬ平民のお前を娶る理由がこの私には無い。お前達が働いた無礼は不問とする。早急に巨人が防壁を破る前に地下へと避難せよ」
御曹司は踵を返し、「我等も脱出するぞ」と蒼一郎に声をかける。
その表情は何処と無く、得意気であった。
――これ程、寛大な沙汰をラーフェン家には出せまい
彼の内心にあるのは自らの寛大さと器の大きさを誇る、自尊であった。
当然、蒼一郎にしてみれば彼の思惑など理解出来る筈もない。
――平民を虐げる姿を見せ付けて、何を得意気になっているのやら
最低でも一発は殴ってやらねば気が済まないくらいの不快感を覚えていた。
だが、ヴァレントは拳を握り締めたまま歯を食いしばって耐え、ネフェルトも俯いたままだ。
此処で自分が暴れても、すっきりするのは自分だけで何の問題の解決にもなりはしないのだ。
――自分に出来ることは何も無い、か
このまま馬車に乗り込むのは嫌だったが何も言うべき事が思い付かない。
こうして逡巡している間にも巨人がエルベダ要塞の中に入り込もうとしている以上、彼女達を地下の避難所に逃げるように促す事しか出来はしない。
「あんまりじゃありませんか? この娘は三年も貴方様が迎えに来る日を待ち続けていたのですよ?」
逡巡する蒼一郎を余所に、異論を放ったのは中年の女性だった。
だが、トリエンナ家の御曹司は振り向く事無く、足を止める事無く、一言だけ放った。
「許せ」
御曹司にしてみれば業腹だったが、これも実父と次期当主の己が不手際が招いた事だという自覚があった。
――この調子ではトリエンナ家の当主となった日、最初にする仕事は先代の後始末になりそうだ。
練習みたいなものだ。そう思えばこそ、この程度の雑事に怒りを滾らせるのも馬鹿馬鹿しい話だった。
「お騒がせして申し訳ございませんでした。どうかご無事で」
御曹司の言葉にいち早く反応したのはネフェルトだった。
無感情な声で深々と頭を下げる姿はあまりにも傷ましい。
太陽の光が遮られ、彼女の身体に凝縮した嫌な物が纏わり付いて包み込んで腐食させていく。
そんな不吉なモノを蒼一郎は幻視した。
この錯覚の正体を気付ける程、蒼一郎は加護を受けた自らの身体を使いこなせていない。
だが、彼女を包み込んでいく嫌な物を取り除こうと直感的に近付いた瞬間の事だった。
そして、この錯覚の正体に気付いた。
それは――、他者から他者へと向けられる殺気だ。
頭上から世界を轟かすような声が聞こえた。
咆哮の主はネフェルトが立っていた地面を砕き、瓦礫の山を築いた。
突然の出来事に人々は慄き、馬車に繋がれた馬達が恐れを声にして嘶かせた。
「コイツは……!」
先程までネフェルトが立っていた場所には髑髏の顔をした異形がいた。
老木のように太い剛腕に、鋼鉄の鎧で出来ているかのような分厚く、強靭さを思わせる胸部。
大きく膨れ上がった腹部、腕や胸にそぐわない細長く貧弱な足をした猫背の化け物。
全長十メートル程の巨人であった。
巨人の右腕には、ネフェルトが鷲掴みにされて、ぐったりとしている。
「早く馬車に乗れ! 倉澤蒼一郎殿!」
馬車の中からそれまで大人しくしていたアドルフ・ラーフェンが吠える。
だが、迷いを断たれた蒼一郎を阻むことの出来る言葉では無い。
「自分は此処で巨人を抑えます。あの跳躍力では抑えに回る者がいなくては逃げ延びるのは難しい。そして、この場でそれが出来るのは自分だけです。ですから先に行って下さい」
蒼一郎は貴族達には一目もくれずに人々の間をかき分け、巨人の前へと歩を進める。
自分が戦う事で救われる命があるというのに、放置して逃げ出すこと自体が元より業腹だった。
何より、馬鹿貴族の都合で三年の歳月を無駄にさせられた挙句、一方的に破談させられた日の内に殺されてしまう不幸を認める事も受け入れる事も出来そうになかった。
アドルフ・ラーフェンが何か喚ていたが、馬車の御者だって命は惜しかったのだろう。
貴族達の乗り込みと済むと同時にさっさと逃げ出してしまった。
――好都合だ。そのまま何処かへ消えて去ってしまえば良い。
「さて五月蠅いのもいなくなったことですし、後は化け物を殺して大団円といきましょうか」
「駄目だ。兄弟! 俺達も逃げるんだ! ネフェルトはもう……!」
歯を剥き、好戦的な笑みを浮かべる蒼一郎とは対象的に、ヴァレントは諦め切った表情を浮かべる。
だが、その泣き言は蒼一郎の拳骨で中断させられた。
「家族のことを簡単に諦めるものじゃありませんよ。そして……!」
上体を沈め、右足を軸に地面を蹴り飛ばし巨人に肉薄する。
身長百九十に届くか届かない程度の蒼一郎と、十メートルの巨人とではリーチが違い過ぎる。
蒼一郎が距離を詰めなくてはならないのに対し、巨人は棒立ちしたまま腕を振り回すだけで迎撃を繰り出せる。
左腕を旋回させ、所謂、駄々っ子パンチの要領で拳を蒼一郎に叩き付けるが、其処に姿は無く、振り落とされた拳の左斜め前の地面を蹴る。
打撃を潜り抜けるのは容易いが、古木のような剛腕の一撃は易々と地面を爆音と共に陥没させた。
地面の破片が散弾となって飛翔し、蒼一郎の左肩に石片が深々と突き刺さった。
――腕は、まだ繋がっている……だったら!!
未だ地面に埋没する凹凸の激しい巨人の左腕に指をかけ、その巨体に飛び乗る。
「こんな結末が認められるか!!」
ネフェルトが拘束されている右腕へと飛び移るついでに、精霊兵器を巨人の体内に直接召喚。左腕を破壊し、右手首の腱を切断する。
彼女の身体に絡み付く巨人の指が解け、頭から落ちるネフェルトを宙空で抱き止め、着地と同時に後方に飛び退き安全圏まで離脱する。
彼女の胸元に耳を当てると確かに心音が聞こえた。
――呼吸も問題無く行えている。醜い化け物に拉致されかけたショックで気を失っているだけだ。
これで一安心出来ると思うと、女性らしい柔らかい身体に、思わず微睡んでしまいそうな温もりと、女性特有の甘い香りに酔わされそうになる。
――あのトリエンナの若造こんなに良い子を袖にするなんて信じられないド阿呆だな
首を振って彼女の色香を霧散させていると巨人が吠える。
この化け物には一応、痛覚らしき物は存在する。
苦悶に悶える巨人の隙を突いて蒼一郎はヴァレントの元へと跳躍する。
「ネフェルトは気を失っているだけだ! この娘を早く安全な場所へ連れて行って下さい!」
「兄弟は!?」
「物のついでです。此処でこの化け物を殺しますよ。生かしておいても碌なことにならないでしょうからね」
巨人から欠落した左腕が煙と音を立てて融解し、五股槍に似た形状を変化する。
切断面からは、ゴボリと生々しい音と共に新しい腕が生えた。
ある意味で魔人じみた生命力の高さに蒼一郎は鼻を鳴らす。
「大した生命力ですが、これで心置きなく殺せる」
蒼一郎は、ヴァレント達がいる方向とは反対側へと走りながら、精霊弓を召喚。
背後を振り返りながら、魔力弾を掃射して巨人の意識を自分だけに向けさせる。
屈強な見た目の上半身とは正反対の貧相な外見の下半身が機敏に回転して迫って来る様は、出来の悪いコントのようでもあり、ホラーでもあった。
レーベインベルグを振り抜き、不気味な風切り音と共に振り落とされる槍に剣閃を放つ。
――膂力の差は歴然だ。
鍔迫り合いなぞ挑もうものなら、一撃で全身の骨をバラバラに砕かれるであろう事は想像に易い。
だが、蒼一郎は確信する。
――レーベインベルグなら、巨人の槍撃を首ごと獲れる。
巨人の胎内に精霊剣を直接召喚し、その掌に巨人の肉体が粉砕されていく際に生じる振動を受け、その強度を感覚的正確に把握しているからこその確信だ。
浅く、そして鋭く吐き出される呼吸と共に剣閃を放って飛翔する。
「シィ―――――――ッ!!」
両者の得物が接触するのは刹那にも満たず、擦過音すら無い。
霞を斬るかのような手応えの無さであったが、蒼一郎は確実に巨人の槍を引き裂き、その首を刎ねた。
巨人と背中合わせで飛翔する蒼一郎は、レーベインベルグに組み込まれた爆撃の術式を発動させ、その反動で宙空で体勢を反転させる。
頭部を失った首の断面からは筋線維が触手のように蠢き、再結合を始めようとしていた。
「再生などさせるかよ……!!」
レーベインベルグを上段に構え、斬撃を振り落とし、巨人の首を縦一文字に引き裂く。
頭を潰しても首を失った肉体から再生の気配が途切れようとはしない。
――頭が駄目なら心臓だ。
巨人の首を叩き割った斬撃の勢いを殺すことなく、鎧のような胸部に斬撃を吸い込ませ、引き裂いていく。
蒼一郎が着地すると共に、巨人が肉体を再生させながら全身を回転させて蒼一郎に迫る。
あの巨体と膂力から放たれる一撃に技など不要だ。
適当に放たれた一撃でも頑強な建造物が粉砕されていく。人間の身体など尚更だ。
直撃どころか掠めただけでも命を落としかねない脅威が、再生と破壊を繰り返しながら蒼一郎に迫る。
「度が過ぎるんじゃありませんか、化け物」
皮肉るように吐き捨て姿勢を低く保ち、巨人の両足の間に向かって飛び込む。
相変わらず、巨人の一撃で破壊された瓦礫が身体を貫いていくが、立ち止まろうものなら一瞬のうちにあの巨腕に磨り潰されて殺されることになる。
血を流すのが当たり前になりつつある日常に蒼一郎はうすら寒いものを感じながらも、その戦意が些かも薄れることは無かった。
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