第十七話 仮腹の儀
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蒼一郎の視界に映る空間が斬撃で引き裂かれ、刃の軌跡が閃光となって走り抜ける。
伸びる剣閃はいつまで経っても、何処まで伸びても、途切れず、消えることも無い。
本当に空間を引き裂いているのではと錯覚する程の妙技だった。
しかし、魔人がどれだけ斬撃の軌跡を重ねようとも、互いの距離を埋める程の物では無い。
「ただの人間でしかない貴様に! この児戯が! 避けられるか!?」
勝ち誇る声と共に魔人が絶えない斬撃の軌跡に踏み込み、その刹那、蒼一郎の視界が切り替わる。
魔人との彼我の距離は変わっていない。だが、見える景色は大きく異なっていた。
――奴と立ち位置が入れ替わっている!?
立ち位置が変わったのは彼等だけでは無い。
グァルプが構築した途切れる事の無い斬撃の軌跡が蒼一郎の眼前に迫りつつある。
闘霊脳によって加速する思考能力が一秒の世界を引き延ばす。
拡張された視覚が迫る斬撃を捉え、強化された知覚能力が反射的に術式の構成情報を読み解き、その正体を捉える。
――空間座標に刻み込まれた斬撃を保存し、任意のタイミングで再現する、保管の魔術。そして、自身と、視界内に存在する対象と位置を入れ替える、転換の魔術……!
闘霊脳が無ければ、何が起こったか分からないまま全身を切り刻まれて死んでいた。
だが、コンマの差で術式の正体と斬撃を見切る事に成功した。
如意自在に飛翔する蒼一郎の剣閃が、保管の術によって発動した斬撃を弾き返す。
――消えた……!? 小賢しい……!!
斬撃の罠から逃れた蒼一郎の視界からグァルプの姿が消え、その聴覚が風切り音を捉える。
それと同時に勘と経験が死を警告し、弾かれたように前方に踏み込んだ瞬間、背中に灼熱感が走る。
闘霊脳が自動的に痛覚を遮断するが、それでも皮膚が裂けていく感覚は残っている。
――背中を斬られた。背骨を損傷したが、既に修復は始まっている。致命的では無い。
首だけを動かして背後を見ると刃を斬り上げるグァルプの姿と、背後に纏わり付く半透明に輝く桃色の蝶。
術者の魔力によって作られた使い魔、魔術生命体。この使い魔を介して蒼一郎の背後に回り込んだのである。
気付けば蝶の使い魔が周囲を埋め尽くすように舞っていた。
これでグァルプは予備動作を必要とする事無く、痕跡を残す事無く、蒼一郎への接近と離脱が可能となった事を意味する。
「絶体絶命だな。倉澤蒼一郎!」
使い魔を介して瞬間移動を繰り返すグァルプが勝ち誇るように哄笑を漏らし、その姿をかき消した。
だが――、
蒼一郎は迷いを抱く事無く、背後に斬撃を繰り出す。
レーベインベルグの刃がグァルプの肩口から食い込む。耐魔術結界で編み込まれた衣服や肉体の中に何の抵抗も無く心臓部に向かって滑り落ち、原初の火が爆ぜた。
構築した魔術に綻びが生じ、使い魔たちがガラスが割れるような破砕音を立てて砕け散っていく。
「な、にィ…………ッ!?」
爆炎に弾き飛ばされ、グァルプの表情が驚愕で歪むが、蒼一郎に言わせてみれば当然の結果だ。
闘霊脳に頼るまでも無い。背後に張り付けられたグァルプの使い魔たち。
ならば姿の消えたグァルプが現れるのは背後。
目で見える位置は目で警戒して、見えない位置は耳と感覚、そして直感で警戒していれば良い。
――不意を打ったつもりで、無防備を晒している莫迦を斬り殺すだけ……簡単な仕事だ。
それを態々口にしてやる程親切な男では無い。蒼一郎はグァルプの感覚と呼吸を完全に記憶した。
最早、闘霊脳が失われたとしてもグァルプの不意打ちは一切通用しない。
言われずともそれを察したグァルプは保管と転換の魔術を捨て、新たな業を引き出す。
紫電が迸る雷球が次々に生まれてグァルプの周囲を漂う。闘霊脳が警告を発する。
――神馬の蹄を最大出力で発動させても尚、あの雷球の方が早い。たかが十数メートル程度の超至近距離からでは、術式が発動してから回避に転じても遅過ぎる。
魔人の行動、思考パターンを解析して回避・迎撃コースの提示を提案すると同時に、高度な演算に闘霊脳が魔力の補充を求めて悲鳴をあげるが、蒼一郎に魔力の余裕などない。
――回避と迎撃に不要な強化と演算を遮断……! 一秒でも長く闘霊脳の稼働時間を引き延ばす……!
響く鳴動と共に降り注ぐ雷の球を斬撃で破壊する。
魔力によって構成されているなら、霊体さえも切り裂くレーベインベルグに切れない道理は無い。
そして、攻撃術式として雷の光速という性質を再現しているのなら、魔人が放つ雷球には出鱈目な量の魔力が注ぎ込まれている。
――無駄撃ちさせれば、然しもの魔人も消耗は免れない筈……!
雷球五つと間髪置かずに放たれた五条の雷光、地を走る雷撃を全て引き裂き、地面を踏み抜く。
轟音と共に隆起した岩石を砲弾よろしく蹴り飛ばすが、グァルプの周囲に展開された雷球に粉砕される。
――攻防一体の雷撃術式……! その一撃一撃が必殺の威力……! ふざけた輩が……!
だが、勝ち筋は未だ途切れていない。幸いにもグァルプはこの術を使いこなせていない。
光速で飛翔する雷撃を操る術式。もっと悪辣にやれば一瞬で消し炭に出来る筈だ。
それにも関わらず、魔人が操る雷撃は蒼一郎の肝を冷やす以上の事は出来ていないのが証拠だ。
確信してしまえばどうということは無い。
恐れるに足りずと隆起する地面を盾にしてグァルプの周囲を飛び移りながら、その距離を詰めていく。
グァルプの雷球が隆起した地面を周囲の建造物ごと真っ平らに潰していく。
「糞がッ………………!!」
音速の壁を越えて駆け抜ける蒼一郎の身体が、光速の飛翔物の認識と予測する蒼一郎の脳が、それらを支える魔術兵装がもう限界だと悲鳴を上げ、徐々に限界を超えた反動が身体を蝕んでいく。
自由に動かなくなっていく身体に悪態を吐いて、尚身体を無理矢理動かす。
しかし、そこに苦痛も恐怖も無かった。魔術兵装による脳機能の拡張によるものでは無い。
そもそもの始まりは愛犬、胡桃の身の安全のために始めた戦いだった。
しかし、サマーダム大学の惨劇に憤りを覚えた後、ソウブルーへ帰還するといつの間にか大切に想うようになっていた人間が殺されようしていた。
元より魔人に対しては殺意しか無かった。
その殺意は留まる事無く、色濃く、重厚に渦巻いていく。
止めどなく溢れ出る怒りがその殺意を更に力強く覚醒させ、痛みも、恐れも全て喰らい尽していく。
「殺戮者が!!」
魔人グァルプが倉澤蒼一郎をそう呼ぶ理由がこれだ。
本人に自覚があるかどうかは定かでは無いが、一度殺すと決めたら意識、無意識に関わらず蒼一郎の思考は魔人を、いや、敵を殺すことだけに割かれている。
恐怖も苦痛も余計な作用でしか無いと無自覚の内に遮断する程の精神制御能力を持ち得ながら、業も技術も無い。
つい最近、突然に大きな力を手にしたかのような歪さだ。
戦い慣れていないにも関わらず、覚悟と殺意だけは超一流。
サマーダム大学で感じた倉澤蒼一郎の人物評を改めて強く認識させられる。
回転翼の様に旋回し、小規模な竜巻と化したレーベインベルグを回避しながら、グァルプは思考を中断する。
レーベインベルグが龍等の幻想種さえも斬り殺せる剣とは言え、魔人の骨肉を断つのが精一杯。
命を斬る極致には遠く及ばない。魔人の弱点ともいうべき核を露出させ、破壊するには根源の火クラスの破壊術で外殻を完全に破壊しなくてはならない。
蒼一郎がどれ程の斬撃を繰り出そうとも、グァルプを苛立たせる以上の効果は生まれない。
「だが――――」
だからこそ思考を中断させられる。
脅威だからでは無い。その意図が理解出来ないからだ。
これで蒼一郎がレーベインベルグを投擲したのは二回目。
「根源の炎を刀身に纏わせて投擲すれば、確かに根源の炎による遠隔攻撃自体は可能だが、出力は段違いに落ちる」
――何よりもこの男と戦う上で最も警戒すべき事はゼロ距離。
「龍どころか魔人が相手でも、一度でも対象をその刃で貫かれたら最後、ゼロ距離から根源の炎を、自らの意識が昏倒する寸前まで絶えず撃ち込んで来る。術式の反動で我が身が灼かれようと、どれ程の反撃があろうとも、相手が死ぬまでその攻撃の手を緩めることは決して無い」
――この男は気付いていないのだろうか。この戦闘能力では根源の火に頼らざるを得ないという事に。
「遠隔操作の投擲術式! 根源の火抜きでよくやるものだな!」
気付いていないとすれば、頼みの綱ともいうべきレーベインベルグから簡単に手を離せるのも頷ける。
――――だが、目の前の殺戮者は其処まで愚鈍であるだろうか?
倉澤蒼一郎が魔人と交戦するのは三度目。
そして、ライゼファーを殺し、傀儡と化したとは言え、ガエルも殺した。
いずれも決め手となったのは根源の火だ。
レーベインベルグに根源の火を召喚する機能が備わっているからこそ、この男は魔人と戦う事が出来る。
それに気付いていないはずが無い。使い手が人間なら尚更だ。
――――それとも思い上がっているのか?
「貴様が俺を誘導したのはサマーダム大学の魔術兵装保管エリア。監視者も術式も全て貴様が破壊してくれたお蔭で、何の障害も無く、レーベインベルグ級の魔術兵装を幾つも持ち出せた。今となってはレーベインベルグに依存する必要も無い!」
「矢張り、思い上がりか」
魔人の声色に失望が滲む。
――弱者として強者に挑むという自覚が完全に失われている。サマーダム大学で戦った時よりも装備は充実しているかも知れないが、それが却ってこの人間の脅威度を落とすことになっている。
背後から迫る竜巻と化したレーベインベルグを見向きもせずに避け、間髪入れずに雷撃を放つ。
蒼一朗は光速で迫り来る雷光に向かって踏み込み、その身を貫こうとする刹那、斬撃で魔人の術式を霧散させ、更に音速の踏み込みで距離を詰める。
思い上がった殺戮者を迎撃せんとグァルプは近接戦闘術式に切り替えるが、魔人の予測よりも一瞬早く、一歩手前で蒼一郎が足を止める。
ほんの僅か早く放たれた迎撃の近接術式が空を切り、振り抜いて無防備を晒すグァルプ。
時間にしてみればコンマ数桁にも満たない在って無いような隙だ。
だが、音速の世界で戦いを繰り広げる、この男達にとってそれは、あまりにも致命的過ぎた。
蒼一郎の凶相が、眼光が、死ね――――と言う。
頭部に刃を食い込ませ、根源の火が爆ぜる直前、蒼一郎の腹を蹴り飛ばし、グァルプは爆炎から逃れるが、爆炎の衝撃で身体が宙に浮き、地面に叩き付けられる。
直撃を受ける事を思えば無傷みたいなものだ。
破壊された身体を再構築して立ち上がる。蒼一郎は既に追撃の体勢に入っている。
「死ね……!」
音速の壁を越えて駆け抜ける両足が強化装甲が放つ翠緑の魔力光に包まれ、飛来する投擲剣ごとグァルプの顎を蹴り砕き、追撃の飛び蹴りが突き刺さる。
グァルプの予測がことごとく外される。原初の火を召喚しないかと思えば、召喚し――、召喚するかと思えば、召喚しない。
蹴り飛ばされる身体を無理矢理捩り、蒼一郎の姿を視認する。
追撃する絶好のチャンスにも関わらず、蒼一郎の足は翠緑の輝きを放ち、浅く身を沈めていた。
跳躍の予備動作から魔力の残光を背にした蒼一郎が、再び飛び蹴りを叩き込む。
「死ね……!!」
防ぎきれない。そして、防ぐ必要も無い。
背骨が蹴り砕かれる音がグァルプの体内に鳴り響くが、地面に叩き付けられる前に再構築を終えることが出来る程度の損傷だ。
「死ねえええええええええええええええええええええッ!!」
レーベインベルグを逆手に持ち替え、握り拳を作った右手に強化装甲が翠緑の魔力光が迸る。
神馬の蹄のギアを更にもう一段上昇させ、超音速の踏み込みから放たれる剛拳が魔人の肉体を貫く。
轟く爆音――――、十数棟の家屋を巻き添えにしてグァルプが殴り飛ばされる。
両者の戦いに巻き添えになった市街地も気付けば火の手はかき消され、残り僅かとなった建物もついに倒壊した。
真っ平らになった廃墟の中心でグァルプがふわりと宙に浮かび、桃色の光を放つ半透明の蝶が一斉に舞い始める。
「また懲りずに瞬間移動でも始める気か……?」
警戒を強めつつ、蝶の群れに飛び込む。瞬間移動される前に使い魔共を斬り潰してしまえば良い。
だが、レーベインベルグに触れた瞬間、使い魔が渦を巻きながらその形状を変え、一気に収縮し、爆炎が広がる。
爆炎に触れた使い魔達が連鎖的に爆発を起こし、市街地跡を爆炎で埋め尽くすが、超音速の投擲術から放たれる精霊剣が爆炎を切り裂き、グァルプを掠め、蒼一郎を死に至らしめていないことを証明する。
晴れる爆炎の中から現れたのはヘドロの様な粘性を持つ巨体の魔人グァルプの本体。
そして、全身から霧状の汗と湯気を立ち昇らせる蒼一郎である。
全身に装着した魔術兵装の数々によって発揮された、人間の限界を遥かに越える機動力と膂力の代償が一気に蒼一郎の身体を蝕んでいく。
地面に突き刺したレーベインベルグに寄りかかり、片膝を付いて咳き込むようにゼイゼイと荒く早い呼吸を繰り替える。
「幕切れか」
終わってみれば呆気ない。種族としての格が違い過ぎる。当然と言えば当然の結果だ。
ライゼファーはドラゴンがいなければ何も出来ない子供だ。
ガエルは自分自身の使役が不慣れであったが故の敗北だ。
この二人に関しては、薄氷を踏みつつもこの男が勝利したとしても不思議では無い。
封印指定級の魔術兵装を針鼠の様に武装したとしても、たった一人の人間が魔人に叶う筈が無い。
――だが………………
魔人は思う。間違いなく最強の敵であったことは認めるべきだと。
たった一人の魔人を滅ぼすために、レーベインベルグにも匹敵、或いはそれ以上の性能を持つ封印指定級の魔術兵装を装備した重装部隊を派遣するのが常套手段だ。
勝った事もあれば負けた事もある。
楽勝、辛勝、惨敗――――、結果は様々だったが、たった一人の人間に此処まで追い詰められたのは、本当に初めてのことだった。
――この場で殺すのが惜しい。この私が、人間などに惜しいなどと……
そんな寂寞の念を抱くが、一度は魔人に撤退を選択させた男だ。
情けをかけ、容赦をしようものなら次に殺されるのは己だ。
この危機感を一笑に臥して斬り捨てることなど出来はしなかった。
「何を……、勝ち誇って……いやがる……、化け物如きが……ッ!!」
五感の一部が機能していない。四肢を操ることが出来ない。呼吸が上手くできない。
視界が赤く明滅する程の頭痛に苛まれ、視界幾つかが黒く欠けている。
「まだ……、身体は……、動く! この程度の反動で……俺を……打ち負かしたつもりかァァァァァァァァァァァァッ!!」
蒼一朗は咆哮と共に、崩れ落ちた身体を無理矢理立ち上がらせ、地面に埋まったレーベインベルグを引き抜き、全魔術兵装を紫電と共に強制稼働させる。
口腔から血塊が吐き出されるが、死んでいないのなら問題は無と言わんばかりに、力づくで呼吸を整え、切っ先をグァルプに突き付ける。
「人間も随分と進化したものだ。だが、人間には魔人の身を砕くことは出来ん!!」
魔人が上機嫌に叫ぶ。忌々しい事この上無い。この敵は未だ倒れる事を良しとしない。
仮に勝利を収めたとしても、その後に続く生涯は後遺症に悩まされ続ける事になるかも知れないというのに。
それすらも考慮に値すらしないとでも言いたげな振る舞いが愉快で不愉快だった。
不快な害虫でしかない筈の人間が眩しい存在のようにも感じた。
ある種の敬意さえ感じた。
だからこそ、この手で殺したいと思った。
肯定と否定。同じ魔人にさえ、これほどの感情を抱いたのはいつだっただろうか。
他の魔人たちが聞いたら嗤うかも知れないが、まるで己の限界に挑むような気分だった。
だからこそ奪い取った業では無く、本体に備わる本来の能力で殺してみたいと思ってしまった。
この気持ちも時間が経てば変わるだろう。奪い取った業もまた己だと。
支離滅裂な思考の中で己の全てで以って、この男を倉澤蒼一郎の命を切望する。
「悪足掻きをしているとでも思っているようだがな……生憎、殺す気満々だ。改めて宣言してやる。貴様は、此処でこの手で殺してやるッ!!」
触手が銃弾豪雨の如く放たれ、降り注ぐ連撃の向こう側、グァルプの本体のみを見据える。
稼働限界を超える魔術兵装が発する警告を全て遮断。残る魔力を全てを注ぎ込んで超音速の踏み込みからレーベインベルグを投擲する。
魔力の残光を後に引き一条の光線が軌跡を描いてグァルプの巨体に深々と突き刺さり、体内に埋没する。
そして、今度こそ蒼一郎の身体が横倒しに崩れ落ちる。
「残念だが、これで終わりだ」
男が最後に繰り出した攻撃はただの虚仮脅しだった。
ただの虚仮脅しとは思えない程の迫力があったが、これ以上は何も出来ないはずだ。
後は己の肉体から放たれる触手によって全身を貫かれて終わる。
「そうだ。貴様が此処で死んで終わりだ」
魔人の聴覚で無ければ聞き取ることの出来ない小さな呟きの後、仰向けになった倉澤蒼一郎が天に向かって腕を伸ばし、握り潰すように手を閉じた。
その瞬間、グァルプは自らの巨体が意図せず脈動するのを感じた。
「光の大洪水、強化装甲、神馬の蹄、闘霊脳、全部、この状況を導き出すまでの下準備だ」
魔人グァルプの巨体が激しく膨張を繰り返し、身体の隙間から炎と黒煙が漏れ出す。
根源の火が爆ぜる。一度や二度ではとどまらない。何度も何度も爆ぜ、グァルプの巨体が飛び散り、徐々にその身体を削り落とし、身体の面積が小さくなるにつれて炎と黒煙は勢いを増していく。
「遠隔制御術式を組み込んだ魔術兵装、射手の右腕。お前達を殺すには原初の火で焼殺するしかないが、魔術兵装の発動は原則として手で持必要がある。白兵戦に固執すれば、まず間違いなくお前は原初の火を警戒する。それでは殺せない可能性がある」
そこで漸く、グァルプは蒼一郎の戦い方があまりにも歪過ぎた理由を理解した。
魔術兵装の数さえ揃えてしまえば、根源の火が無くても魔人を殺せる――――。
そう思っているようと思考を誘導するように戦う必要があった。
根源の火に依存しない戦い方をするために大量の封印指定級魔術兵装という説得力が必要だった。
更にレーベインベルグを投擲すること二回。綱渡りのような暴挙だったが、警戒心を解き、最後の投擲に繋げるために必要なことだった。
「全ては貴様の体内にレーベインベルグを投げ込み、射手の右腕で遠隔機動。そして、殺する下準備に過ぎなかったという事だ。俺の家族に手を出した報いを受けろ化け物……いや、魔人グァルプ!!」
グァルプの体内に埋め込まれたレーベインベルグに内包された魔力が根源の火を喚ぶ。
ついに吹き荒れる爆炎と共にグァルプの外殻が完全に弾け飛び、核が露出する。
最早、立ち上がる力は無い。
それでも蒼一郎の体内に根源の火を召喚出来るだけの魔力と制御する意思が僅かに残っている。
「倒れたまんまで恰好も付かないが、これで終わりだ。死ね、迷わず地獄に堕ちろ」
「ク……クククククククハハハハハハハハハハハハッ!! 実に愉快だ! 良いだろう! 今回は敗けを認めてやろう、倉澤蒼一郎! だが、同時に不愉快でもある! だから、一つ教えておいてやろう! この地には後一体、魔人が存在する! 今から二十五年前に封印から解かれた魔人だ!」
炎上し、焼け落ちていくグァルプの言葉に蒼一郎の動きが止まる。
「魔人の名はハーティア! ライゼファーと血を分けた妹だ!」
命乞いをするための嘘だとは思わなかった。
何故なら、ライゼファーは魔人の気配を感じてソウブルーを訪れたと言っていたからだ。
蒼一郎は地に崩れ落ちたまま、口を億劫そうに口を動かす。
「お前がサマーダム大学で奪ったヤンクロットの眼から得た情報か」
「如何にも! 何故、私が貴様をこの地に呼び出したか分かるか? ハーティアを殺してこの身に取り込み、貴様を確実に殺すためだ! 情けない話だが現在、復活している魔人の中で、今の私が確実に殺せる数少ない魔人なのだからな! だが、ハーティアを殺して我が力に取り込む前にお前が帰還を果たしてしまったせいで、それも成らずだ」
蒼一郎の表情に戦慄が走る。
つまり、それは――――。
「まるで彼女達のどちらかが魔人だと言っているみたいだな」
震える声を漏らす蒼一郎にグァルプは炎の中で満足気に頷く。
「仮腹の儀、という儀式を知っているか? 子宮の中に神の因子を組み込み、人間に従順な神を出産させる為の邪法だ。今から二十年前、何者かが復活した直後のハーティアを赤子の子宮の中に組み込んだそうだ。全く……、お前達人類の中にも面白い事を考える奴がいるものだ」
「今から二十年前……!?」
今から二十年前、あの娘は、エーヴィアは、まだ生まれて来ていない。
だとすると、胎内にハーティアを埋め込まれた人間というのは――――。
「確かカトリエルと呼ばれていたな。お前の婚約者を自称する女だ。精々気を付けることだな。あの女が孕んだ時、生まれて来るのはお前の子では無く、魔人だ」
カトリエルが魔人を殺す事を目的とする理由が分かった。察してしまった。
胎内に埋め込まれた魔人ハーティアを殺さなければ、彼女は恋も出産も出来ない。
当たり前の、ありきたりな幸福を手にするために、戦う事を選ばされたのだと。
「貴様……ッ! 爆ぜろッ!!」
蒼一郎が自らの魔力で呼び出した根源の火に、グァルプの巨体が焼き壊されていく。
「精々気を付けることだな。あの女が孕まずとも心が壊れ、絶望した時、その封印は一気に解除され、ハーティアはその絶望を糧に全盛期の力を持った状態で復活する。魔人が憎ければ、あの女を殺す事だ。殺してもハーティアは復活するが、その復活では力も不完全なままだ。今の半死半生のお前でも殺せる。放っておけば力を加速度的に力を取り戻していくだろうがな。貴様が何を選択するか、次元の彼方から見物させてもらおう。それではさらばだ、倉澤蒼一郎。縁があれば、また会おう」
それが辞世の句だと言わんばかりに哄笑と共にグァルプの身体は完全に崩落し、灼く物が無くなったことで原初の火も虚空の彼方へと消えた。
「……蒼一郎さん」
倒れ伏す蒼一郎の元に、エーヴィアに支えられたカトリエルが現れた。
立ち上がる余力も無く、蒼一郎はひらひらと手を振って、糸が切れた操り人形のように腕を地面に落とした。
「ああ、大変だったんだな」
口にしてみると何とも他人事のようで、思った以上に安っぽい響きだった。
だが、あれこれと言葉を選ぶだけの余裕は欠片も残されていない。
「君にかけられた仮腹の儀は……、まあ、俺がどうにかする」
「本気で言っているのかしら? 貴方の目的を達成するには私を殺すのが一番確実なのよ?」
「君を殺す、か。それは……嫌だな」
朦朧とする意識のまま紡がれる飾り気の無い本心の言葉に、カトリエルは毒気を抜かれたような表情を浮かべて、溜息を吐く。
「凄い言い草ね」
「俺は俺の家族や親しい友人、身内が傷付くのが嫌だ。ほんの少し手を伸ばせば救える人を救わずに無視するのが嫌だ。君を殺せば皆が悲しみ、傷付く事になって後悔する事になる。そうで無くても君を傷付け殺したくない。だからそんな事を言うな」
「そうですよ! それが嫌だから魔人と戦う事を決意したんじゃないんですか!?」
涙を浮かべてエーヴィアが叫ぶ。
「この惨状を見ても同じ事が言える?」
「氷の団とやらがソウブルーを攻めに来て、その混乱に乗じてグァルプが乗り込んできたんだろう? そいつらがやった事と君の事情を結びつけるのは、いささか強引が過ぎるんじゃないかな?」
蒼一郎はこのまま意識を手放して眠りに就きたいという欲求に抗い、疲労感を吐き出すように、深く溜息を吐いて言葉を続けた。
「仮腹の儀なんて訳の分からない呪いも、君が悪意で行った事じゃないだろう? 責められ、排除されるべきは、そんな邪法を使った奴であって、君は罰を受けてはいけない人だ。それで文句を言う馬鹿がいたら俺の前に連れて来い。俺がそいつ等を皆殺しにしてやる」
うわ言のような男の言葉に突き動かされた、女が少女から身を離して幽鬼の様な足取りで歩き出す。
傷付き襤褸屑になった女の後ろ姿に、少女は手を伸ばす事しか出来なかった。
清浄で犯し難い雰囲気が漂い、邪魔をしてはならないと少女は見守ることしか出来なかった。
遅々としか進まない足を動かし、女はやっとの思いで男の傍らに辿り着くと腰を落とした。
「何故?」
必死の思いで男の側に辿り着き、聞きたい事は色々あったが、結局はその一言に集約される。
男は少しだけ拍子抜けした気分にながら言葉を探る。
「傷付いた君の姿を見た時、嫌だと思った。みんなと笑っていて欲しいと思った。だから君は俺の――――」
男は其処まで言葉を紡ぐと息を引き取る様に深く息を吐いて、その意識を手放した。
明滅する視界が女が狼狽えたように縋り付くのを捉えたような気がした。
胸に突き刺さるような言葉が耳朶を叩いたような気がした。
それが夢か現実かも分からない。
男は――――、倉澤蒼一郎は意識を手放し、深い眠りに沈んだ
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