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第十四話 内戦

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


Copyright © 2017-2019 芥川一刀 All Rights Reserved. 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 夜明け前、ソウブルーのスラム街方面の外壁に二メートル程の亀裂が走った。

 鈍い打撃音が響き、外壁が打ち崩され、成人男性が潜り抜けられるくらいの裂け目から一体のレッドオークが侵入した。

 同刻、岸壁から猛禽の血を引く獣人、バードマンが上空を旋回しながらソウブルー内部へと侵入した。

 空からだけでは無い。海岸線の向こう側、サハギンの一群が水中から密やかにソウブルーの港を目指す。

 ソウブルーの大正門から1キロ程離れた位置にある森林には武装した亜人、獣人が結集しつつあった。


 そんなあからさまな場所を見逃すバーグリフでは無く、森林の中心には監視塔が設けられている。

 だが、肝心な監視者の半数は、ソウブルーに攻め込む馬鹿などいる筈が無いと高を括り、その監視は杜撰を極めた。

 残りの半数は氷の団に買収され、或いは内通者によって監視塔は正常に機能していなかった。

 そして、決起を迎えた今日この日、怠惰な監視者達は睡眠中に永眠した。

 氷の団の前線基地となった監視塔で、獣人達は帝国の新たなる皇帝、オライオンの到着を待った。

 着々と侵攻の準備が進む中、既に交戦が始まっているエリアもあった。


 港湾警備部隊――。


 輸送船や漁船が出入りする港とは別の、ソウブルー海軍が配置されている軍港だ。


「こちら港湾警備隊! 正体不明の戦闘集団と交戦中! 敵は兵装使いだ! 至急応援を請う!」


 軍用魔術である念話を使い応援を要請する警備隊の小隊長が、全身を刃の様なもので切り刻まれ肉片と化す。

 それをなした氷の団のリザードマンは爪に付着した血糊を振り払い、内部への侵入を目指す。


「応援要請を出した南西地区の第三警備小隊と、通信魔術のリンクが切断された!至急出撃――……!?」


 念話を受け取った別の港湾警備部隊が迎撃に出ようとするが詰所が激しく揺れ出す。

 詰所の下は海面だ。海底から何かが来る。その瞬間、彼等の視界は真っ赤に染まっていた。

 槍のような鋭利な先端物で足元から身体を貫かれた仲間の姿に、どのような惨状が身に降りかかったのかを理解して彼等は一人残さず絶命した。

 床の建材が圧し折れ、中から人が這い出て来た。

 それは全身をオレンジのタキシードを身に纏い、顔面の左半分から魔人ガエルの巨腕を生やしていた。

 サマーダム大学で蒼一郎と激闘を繰り広げ、無事に逃げ遂せた魔人グァルプである。


「氷の団に恩義があるわけでは無い。しかし、恨みも無い。彼等がソウブルーを魔都に変貌させる手伝いを、この私がしても何の問題も無いという事だ。愚かな定命の者。お前たち如きが戯れずとも、いずれはこの手で劇的に殲滅してやろうというものを」


 グァルプの支援を受けているとも知らず、侵入に成功した多くの部隊が監視塔に攻撃開始の合図を送る。

 それと同じタイミングで、氷の団による襲撃を報せる念話がソウブルー要塞全域に届いた。

 バーグリフは即座にソウブルーの全区画の衛兵団、騎士団に迎撃命令を下す。

 夜明け前の完全な奇襲攻撃にソウブルー軍は初動で遅れを取り、オライオンは的確にその隙を突く。

 隠形術によって伏せられていた氷の団の投石器が一斉に攻撃を開始。

 放たれた岩石がソウブルーの各エリアに一方的に撃ち込まれ、ソウブルーの軍事施設を正確に撃滅していく。


「糞が! 中途半端な反逆者風情が! 散開して投石を迎撃するぞ!」


 衛兵団に所属するの魔術師たちが各々に小隊、或いは中隊を独自に編成し、投石の迎撃を開始する。

 雨霰と降り注ぐ岩石の大半を粉々にして被害の拡大を食い止めるが、幾つかの岩石が術に撃ち抜かれる前にその形を変え、彼等の予測する落下速度と落下地点を狂わせる。

 形を変えた岩石には手があり、足があり、そして頭があった。


「ストーントロールだ!! 敵は投石器でストーントロールを直接乗り込ませようとしている!! 何が何でも迎撃しろ!」


 念話で報告する魔術師が着地したストーントロールに押し倒され、そのまま頭部を磨り潰された。

 更に首の無い遺体を盾にして後続の弓兵へと突っ込むが、彼は躊躇うことなく爆裂矢に持ち替え、事切れた仲間ごとストーントロールの爆殺を狙う。


 しかし、その背後から迫るオーガに右腕ごと弓を破壊される。

 よろめきながら後退する弓兵を先んじて潜入していたレッドオークが背後から錆びた剣で貫ぬき、取りこぼした爆裂矢を後続の弓兵に投げつけ爆殺する。


 統制の取れていない衛兵団を次々に殺害し、ソウブルーに潜入していく氷の団の背後に海上衛兵団の艦船が迫りつつあった。


「あの数と船の性能、氷の団の先鋒では太刀打ち出来ぬな」


 今の所、奇襲に成功した氷の団が優勢だが、それも時間の問題だ。

 数、装備、質に勝る衛兵団の方が体制を立て直すまでに氷の団が何処まで押し込めるかが、戦況の鍵を握る。

 そして、グァルプが想定していたよりも衛兵団の切り返しが早い。氷の団の圧倒的敗北も時間の問題だ。


「折角の闘争の火種を消してしまうのは勿体無い」

 

 戦火と鮮血が広がるソウブルーを散歩していた魔人グァルプが、余裕のある態度で肩を竦める。

 グァルプの顔が裂け、その中から首の長い龍が飛び出し、海上衛兵団が乗る船を急襲する。

 衛兵たちの身体に巻き付いて全身の骨を砕く。或いは逆立てた鱗で全身をバラバラに引き裂き、船上に屍山血河の雨を降らせた。


「これで混沌は続く。それにしても卑劣の王と呼ばれている割に情けない。所詮は一反乱勢力でしか無いか」


 とは言え、前線で時間稼ぎの孤軍奮闘を繰り広げる衛兵にとっては地獄のような戦場だ。

 そして、投石器で岩石と共にストーントロールを撃ち込まれ、苦戦する衛兵たちに更なる凶報が舞い込む。


「バードマンが空から攻めてきたぞ! 弓兵と魔術師たちは迎撃しろ!」


「手が足りん! 兵装使いは来ていないのか!?」


「こんな時に冒険者や戦士共は何をしているんだ!!」


 狂乱気味に衛兵たちの怒号が飛び交う。彼等が期待する八雷神教会、ギルドは基本的に中立組織だ。

 自発的に事態の収拾にあたろうとする者も決してゼロでは無いが、無報酬で動く程、己の価値を安く見積もってはいない。

 何より、この戦いはソウブルーの主に相応しい者はバーグリフか、それともオライオンか。それを決める通過儀礼でもある。

 現に氷の団はこれだけの攻撃を仕掛けておきながら、民間人の住宅やギルドに攻撃は仕掛けていない。

 あくまで狙いはソウブルーの衛兵団。軍事施設。そして、ソウブルーの最上層にある要塞の陥落だ。

 オライオンもまた民間人、民間施設、教会、ギルドへの攻撃の禁止を厳命している。

 それを守るだけで敵を大幅に減らすことが出来る。

 

「冷酷無比な氷の団。卑劣の王オライオンともあろうものが、行儀の良い闘争を繰り広げるものだ。これでは興ざめだな。一つ、危機感というものを思い起こさせてやろう。双方共にな」

 

 魔人グァルプの両肩が裂け、それぞれ一本ずつ触手が伸びる。その先端には巨大な単眼が生えていた。

 眼球が煌めき、市街地に向かって閃光が伸び、景観を引き裂く残光から爆炎が吹き上がる。

 人も、建物も、氷の団も、衛兵も何もかもが無差別に引き裂かれ、焼き払われていく。


「誰がやった!? 私は虐殺など求めていない!! この戦いは帝国の支配体制を変える聖戦なのだぞ!!」


 炎上する市街地を目の当たりにした卑劣の王、オライオンが怒鳴り声を張り上げる。

 こんな無差別攻撃をする者が衛兵団にいる筈が無い。

 これだけの事を仕出かすだけの力を持つ者は氷の団にはいない。

 だが、実行に移すとしたらオライオンと氷の団だけだ。

 だから、卑劣の王オライオンは叫んだ。己の配下にこれをやった者がいると。

 彼等は未だに知らない。魔人グァルプの暗躍を。魔人の協力な支援を受けていることを。


「これで冒険者、魔術師、盗賊、聖堂騎士、戦士も座視できまい。これで誰も彼も後に引けなくなった。更なる阿鼻叫喚となるだろう」


 魔人グァルプは満足気に緩やかな坂道を登り始めた。


「状況が変だ! 帝国の雑魚共を一気に片付けろ!」


 オライオンは叫ぶ。市街地に被害を出した以上、ギルドも黙ってはいない。

 支配者交代の儀式も今や大量虐殺を伴う戦争と形を変えてしまった。

 一刻も早く、ソウブルー要塞を陥落させてこの戦いを終わらせなくてはならない。

 氷の団の殆どは焦燥感に駆り立てられるオライオンの考えをよく理解出来ていなかった。

 だが、彼の言う『帝国の雑魚共』というフレーズを大いに気に入り、戦意を高揚させる。


「我等が皇帝のご命令だ!! 帝国の雑魚共を皆殺しにしろォ!!」


 氷の団は、加速と摩擦の術式をブーツに付与し、弾丸の如き疾走で地面を滑り、爆弾や火炎瓶を衛兵目がけてばら撒く。

 燃え広がる爆炎に狼狽える衛兵をボウガンで狙い撃ち、盾を構えさせた所を爆裂の術式が組み込まれた斧を叩き付け、防御の上から両腕の骨を砕く。

 更に水平に薙ぎ払った斧を顔面に打ち付け、もがき苦しむ衛兵を取り囲み四方八方から矢を撃ち込み、仕上げとばかりに背中から刃を突き入れ、心臓を貫き、次の獲物に向かっていく。


「逆賊共め……! 一網打尽に叩き伏せてやる!」


 その一方で体勢を立て直した衛兵団の中隊が氷の団を密かに包囲。

 言葉を発する事無く一斉砲撃の合図を送ろうとした瞬間、オライオンの指先から熱線が放たれ、その包囲網を切断する。

 その一方的な戦闘能力を誇る事無く、オライオンは移動を再開する。

 彼は己が果敢に戦うべきは要塞に辿り着いてからだと理解している。

 今は氷の団の士気を高揚させ、それを阻止する者を殺していくだけで良い。

 市街地の攻撃という想定外のトラブルこそあったが、氷の団が果敢に戦う姿に抑え付けた戦意が止めどなく高揚していくのを感じ、バーグリフの首を獲るのを今か今かと待ち詫びる己の刃を撫でつけ、侵攻の手を進めた。


   ※   ※   ※


 氷の団の急襲に対応出来ず、一方的に食い破られていく衛兵団だったが、逆に氷の団が一方的に殲滅されるエリアもあった。

 それを成しているのは、たった一人の衛兵だった。


 帝国衛兵団ソウブルー地方統括軍団長アーベルト。

 彼は複数の小隊を編成し、全エリアに衛兵団を放つと、自らを一個師団であると定義する。

 向かう先は一般の衛兵では太刀打ちのしようが無い大部隊が進軍する付近。


 侵攻する部隊を見つけるなり死角に回り込み、氷の団の一人に魔力の弾丸を撃ち込む。

 銃型の魔術兵装から放たれた魔力の弾丸は術者の意思で、その形状を自在に操ることが出来る。

 極限まで薄く引き伸ばされた魔力弾は如何なる刃よりも鋭く、頑丈なトロールの装甲さえも深々と切り裂いて体内に潜り込み、一気に膨張してその巨体を爆散させた。


 一方的な侵攻が氷の団の尖兵に慢心を生み出し、慢心が消えた彼等の心に残った物は恐怖だった。

 恐怖が彼等の身体を拘束するが、アーベルトの前で隙を見せる事は死を意味する。


 トロールが爆散すると共に宙を舞うアーベルトの拳銃から四発の弾丸が放たれ、それぞれがオーク、ゴブリン、ストーントロール、エルフの頭部を正確に貫き爆散させる。


 アーベルトの存在に気付いたレッドオークがボウガンを連射させるが、マントを翻して矢弾を弾き返し、撃ち殺したオークが持っていた斧を投擲する。

 人間の膂力から放たれたとは思えない、凶悪な風切り音と共に高速旋回する斧がレッドオークの片腕を弾き飛ばす。


「恐るべき強敵だ――!」


 痛みに支配されている場合では無い。レッドオークは呼吸することすら忘れて物陰へと飛び込み、ホルスターの中から毒塗のナイフを取り出し、顔を覗かせ絶句する。


「で、出鱈目だ!!」


 アーベルトはその体躯からは想像もつかない膂力でトロールの顔面を片腕で鷲掴んで巨大な盾にする。

 それだけでも驚嘆することだが、自身の倍近くもあるデッドウエイトを片手にしておきながら疾走する速度には些かの翳りも無く、飛翔するナイフを全て防ぎ切り、その巨体の脇から魔力弾を連射する。


 全身を穴だらけにされたレッドオークを庇うようにオーガが躍り出た。

 ボウガンを連射しつつレッドオークの剣をもぎ取り、アーベルトに肉迫するが、投げ付けられたトロールの遺体に潰される。

 間を置かずして這い出たオーガの視界に逆手に構えた長剣から二条の剣閃が飛び込んだ。


 新手のサハギンが物陰から物陰へと移動しながらボウガンを連射する。

 隙間のような僅かな時間で加速の術式を構築し、一定の間合いの維持に努めるが、同じ加速の術式でも術者としての格が段違いだ。

 一定の距離を保ち、地面を滑るように走るサハギンが瞬きをした瞬間、ゼロ距離まで肉薄したアーベルトに両腕を掴み取られ、同時に繰り出された膝蹴りが腹に突き刺さる。

 背後の壁ごと臓器を完全に破壊されて身体中の穴という穴から鮮血吹き出し絶命した。


 戦闘音に気付いた氷の団の新手が集まり、矢玉と魔力弾がアーベルトに殺到する。

 高く跳躍して下手糞な一斉射撃を回避。これ見よがしに宙で身を翻すと好機とばかりに抜刀した二体のオーガが加速を使って空を駆けた。


 面白い程簡単に釣れたオーガに向かって再加速し、すれ違いざまに斬撃を走らせ胴体を泣き別れにして、もう一体のオーガの額には魔力弾を撃ち込み頭部を粉砕する。


「速い奴がいるな……」


 迫りつつある敵に感づいた瞬間、アーベルトの背中が爆炎に煽られ、空中で体勢を崩す。

 人間の男が飛翔術による急加速で距離を詰め、鋭く剣閃を放つ。

 身を捩って避けようとするが、身体制御のままならない空中での奇襲がアーベルトの肩口を抉る。


「阿呆が」


 襲撃者は満足気に口の端を吊り上げるが、薄皮を一枚だけ裂いた程度。ただのかすり傷だ。

 何の痛痒も見せずに男の頭蓋に斬撃を振り落とし、背後に迫るエルフの首を掴み取って急降下し、地面に叩き付け頭部を粉砕する。

 周囲一帯の氷の団は始末したと判断したアーベルトは更なる戦場を目指して飛翔する。


   ※   ※   ※


 魔人グァルプの攻撃を受け炎上する市街地を、エーヴィアがピンクブロンドのポニーテールを靡かせ走り抜ける。

 卑劣の王オライオン率いる氷の団が襲撃した時、彼女は冒険者ギルドで依頼を吟味している最中だった。


 オライオンの目的は自らが帝国の皇帝に取って代わる事だ。

 彼は、いずれ己の民となる民間人や非戦闘地域へ攻撃、略奪しない事を八雷神に誓うと明言していた。

 ソウブルーの各ギルド及び、八雷神教会はこの内戦に中立を表明した。

 しかし、誓いは破られた。市街地に戦術規模の魔術攻撃が行われた。


 実際に行ったのは彼等では無く、市街地への攻撃は、オライオンや氷の団幹部にとっても寝耳に水だった。

 未だグァルプの暗躍に気付いている者はおらず、オライオンですら氷の団の一部が暴走したことによって引き起こされたと、断定に近い疑いを持った。

 彼等ですらこうなのだ。ソウブルーにいる誰もがオライオンに疑念を抱いた。

 そして、エーヴィアはギルドを飛び出し、市街地へと走った。

 彼女の母親はスラム街から一般居住区に移り住んでいる。

 今度こそ母に穏やかな日々を送ってもらえる。そう思った矢先に内戦の始まりだ。


「何で私達だけがこんな目に……!」


 市街地が炎に包まれ、焼け落ちる瓦礫に押し潰される人が助けを求めて呻き声をあげる。

 子供が泣き叫ぶ声が聞こえる。人が焼ける死臭が漂う。

 彼女はそれら全てに目を伏せ、耳を閉じ、母がいる筈の自宅へとひた走る。

 助けを呼ぶ声に応えることは出来るが、それよりもまずは自分の家族、自分の母の無事が最優先だった。


「略奪禁止。家の中に籠っているのは非戦闘員だから襲っちゃいけない」


「家の外に出て来たってことは戦闘員。つまり何したって良いって事だよなぁ」


 脅威は火災や軍用魔術による直接的な被害だけでは無い。

 市街地への攻撃が行われたことで状況の変化を悟った亜人が闘争本能と嗜虐心を満たすためだけに、市街地の攻撃から避難する人々に襲いかかっていた。

 その毒牙が母に迫っているかも知れない。尚更、人助けなどしている場合では無かった。

 エーヴィアは足を止めること無く、太もものホルダーから短刀を引き抜き、氷の団の悪漢とすれ違い様に頸動脈に刃を走らせ、鮮血を吹き出すオブジェを背にして駆け抜ける。


――私にはこれが精一杯。救助は親切な人にまかせよう……。


 結果を言えば、母親を優先した事は彼女にとって最善の結果を生んだ。

 自宅の前で、まき割り用の手斧を片手に人間の中年男性――リディリアの叔父、トーヴァーが氷の団の悪漢を相手に孤軍奮闘している。

 左腕は折れて垂れ下がり、右の瞼と唇の端は紫色に晴れ上がり、大腿部には生々しい鮮血が流れ、地面を濡らしていた。

 それにも関わらず逃げ出さないのは彼の背に三十を過ぎたばかりの女性が、エーヴィアの母が足を瓦礫に挟まれて身動きの取れない状態でいたからだ。


「いい加減に尻尾巻いて逃げ出たらどうなんだオッサン?」


「歳考えろよ? 白馬の王子様って年齢じゃねぇだろ?」


 トーヴァーの攻撃を軽く避けて、ゲラゲラと下品な笑い声をあげて小突き返し、鮮血の流れる太腿に親指をねじ込む。

 

「のぼせ上がるな、ガキが!」 


 痛みを怒りに変えて横薙ぎに斧を振り抜くが、歯垢で黄ばんだ歯牙で刃を噛み砕かれる。


「ヒャハっ! 死ねよ、白馬のオッサン!」


 誰が敵で誰が味方かを判断するには十分過ぎるやり取りだった。

 疾走するエーヴィアから足音が、呼吸音が、ありとあらゆる音が消え、吹く風が流れるように背後から悪漢に詰め寄り、口を開く事無く背後から急所に刃をすっと刺し入れ、そして捻って殺す。

 扉を観音開きにするように悪漢二人の死体を左右に押し退け、呆気に取られるトーヴァーに向かって勢いよく頭を下げる。


「お母さんを守ってくれて、ありがとうございました!!」


「礼は良い。それよりも君のお母さんが足を挟まれて身動きが出来ないでいる。少し手伝ってくれ」


 トーヴァー自身が負った傷は決して浅い物では無い。

 これまでの人生で流血を伴う揉め事は何度かあったが、ここまでの傷を負ったのは生涯初だ。

 それでも、へこたれる気にはなれなかった。寧ろ、身体の奥から力が漲って来る気すらした。

 流行病で失った子が生きていれば、エーヴィアと同じ年の頃だ。

 そして、自身の妻が亡くなったのも、エーヴィアの母親と同じ年の頃だ。

 もしも妻子が生きていて今の状況に直面したとしたら。

 そう考えたらこの程度の傷など在って無いようなものだった。

 それに男たる者、幾つになっても身を挺して女子供を救うという状況は、心が熱く滾るものなのだ。

 

「本当にありがとうございます」 


 瓦礫からの脱出に成功したエーヴィアの母親が折り目正しく頭を下げる。トーヴァーは照れたように顔を背けた。

 つい照れ隠しで目線を逸らしてしまったが、勿体ないことをしてしまったと内心で後悔しながら彼女達に背を向ける。


「ここは危険だ。職人地区へ避難すると良い。あそこはお人好しも多い。匿ってくれる者もいるだろう」


「貴方はどちらへ?」


「儂か? そうだな。他にも救助出来そうな者がいるかも知れない。適当に助けて回るとしよう」


「危険です。それにお怪我も酷いようです。私達と一緒に避難しては頂けませんか?」


 エーヴィアの母親に手を取られ、トーヴァーはしどろもどろになりながら、言葉を探そうとするが、何と言って良いか上手く言葉を紡ぐことが出来ず「うむぅ……」と困ったように唸る。


「あら、貴方達……」


 そんな彼女達に声をかけたのは白衣を纏った金髪の錬金術師、カトリエルだった。

 エーヴィアとトーヴァーが声を揃えて彼女の名前を呼んで、同じタイミングで知り合いだったのかとお互いに尋ねた。


「コントかしら?」


「そうでは無い。お前さん、こんな所で何を?」


「配達帰りよ。普段はリディリアに任せているのだけれど今は出張中だものね。そちらの女性とは初めてよね?」


 非常事態にも関わらず、リディリアは人形のような表情で無感情に呟いた。

 まるでこの状況など気にも留めていないような態度で、狼狽している自分達の反応が間違えているのではと錯覚する程、泰然としている。


「あ、私のお母さんです! こちらの男性に危ないところを助けてもらったんです! あの、リディリアさんともお知り合いなんですか?」


「知り合いも何も、あの子は儂の姪だ。そして、カトリエルはリディリアの雇い主にして師匠。ま、奇妙な縁ではあるな」


「自己紹介も良いけれど私の工房に行きましょうか」


――そういう空気を作っておきながら、という突っ込みをするのは間違っているのだろうか。


 トーヴァーは釈然としない気分になるが、カトリエルは気にした風でも無く、踵を返した。


「トーヴァーさんもそうだけどエーヴィアのお母様も右足の傷が酷いわ。知り合いの家族が傷付いている姿を放置する気にはなれないの。付き合ってもらうわよ」


 有難い申し出ではあるが有無を言わせない迫力のある態度に、エーヴィア達は及び腰になりながらカトリエルの後に続いた。

 来た道を戻りながらエーヴィアは気まずそうに辺りを見回す。

 この辺りには瓦礫に挟まれて身動きが取れずにいる人達がいたはずだ。


――いない。記憶違いじゃない筈だけど……。


「どうかしたのかしら?」


 視線を彷徨わせているとカトリエルに声をかけられ、エーヴィアは後ろめたそうに俯いた。


「いえ、その……人の気配がしないなって……?」


 エーヴィアは誤魔化すように呟きながら疑問に思った。

 この辺一帯から人の気配も無ければ悲鳴も聞こえない。


「ああ、来る途中、救助の真似事をしていたのよ」


「お前さん、配達ってのは口実で最初から人命救助に来たのではないのかね?」


 トーヴァーがからかうように含み笑い混じりに尋ねるが、彼女は顔を背けて、ただ一言、「偶然よ」とだけ返した。

 魔人グァルプが市街地への攻撃を行った際、彼女が現地にいたのは偶然だ。

 リディリアとエーヴィアの二人からは居住区に家を建てたという話は聞いていた。

 二人とは知らない仲では無いし、トーヴァーとは面識もある。

 一人で避難する気にもなれず、無事を確認しようと崩壊する居住区を歩き回ることにしてみたが、思いの外、要救助者が多かった。

 目についた者や、エーヴィアが救助を諦めた者など、片っ端から首を突っ込んだ結果、手持ちの薬と魔力のほとんどを使いきってしまった。

 お陰で本命の救助者を見付けた時には事が済んだ後。

 まともな応急措置をすることも出来ず、燃え盛る居住区から脱出する方を優先すべき状況になってしまった。


――こういう時はあの人を見習うべきかも知れないわね。


 蒼一郎がいれば、まず間違いなく二人の救出を最優先にして、その後、救える命があれば救うという選択を迷わずに選んでいたいたはずだ。

 傍目からはそれを読み取ることは決して出来はしないが、そんな後悔を抱く程度には、彼女もまた不慣れな状況に、精神的に追い詰められていた。


「哀れな子羊達を救い、ご満悦かね?」


 高圧的な態度と共にシルクハットとタキシードの男が彼女達の道を阻む。

 この大惨事にも関わらず、泰然とした振る舞いで、衣服には煤汚れ一つ無く、吹き上がる火の粉が彼の身を巻き込む前に塵一つ残さずかき消えた。

 トーヴァーでさえもが目の前にいる男の異常性に気付いた。


「お初目にかかる。私の名はグァルプ。ルカビアンの十九魔人が一人、魔人グァルプと言った方が分かりやすいかな?」


 トーヴァー達があからさまに驚愕してみせるが、カトリエルにしてみれば矢張り、という感想を抱く。

 彼女の類い希なる魔力探査能力が、目の前の男からライゼファー以上の魔力を察知していた。

 先の宣告を破棄するかのような、戦術級魔術による民間人攻撃。

 それが魔人の暗躍によるものであれば不思議な事ではない。


「身に覚えがあるかどうかは知らないが、君の身柄と魂を頂きに来た。今はまだ殺しはしない。是非、全力で抵抗し、そして絶望してくれたまえ」


 彼女に残された魔力と薬品は残り僅か。その上、魔人の狙いは自分自身。

 カトリエルは溜め息を一つ吐いて、一歩前に進んだ。


「カトリエルさん!?」


 エーヴィアがいきり立って止めようとするが、不要と言わんばかりに左手で彼女の接近を阻んで更に一歩前に出る。


「貴女は二人を連れて私の工房に避難なさい。治療に必要な薬品を好きなように使って頂戴。私と魔人が戦えば、常人ならその余波だけで命を落とす事になりかねないわよ?」


 淡々とした口ぶりで言葉を紡ぐカトリエルの手首から針のように細いサーベルを引き抜き、薄ら笑いを浮かべるグァルプの前に立つ。


「誰の許可を得て、この場から去ろうと言うのかね?」


「いいえ、通してもらうわよ」


 冷たい声を漏らして自らの首筋に刃を這わせ薄皮を切り、一筋の鮮血が流れ落ちる。


「お前の望みは私の身柄でしょう? この子達を逃さないと言うのならお前の願いは永劫に叶わないことになる」


「フッ……そんな事が出来るのかね?」


「何故、出来ないと思っているのかしら」


 刃がカトリエルの柔肌に更に深く入り込み、流れ出る血液の量が増えていく。


「フフフ……、少しからかっただけだ。魔人とて有象無象の数匹程度を見逃すだけの慈悲は持ち合わせている。そこな有象無象が失せた後、その強靭な心を念入りに圧し折って連れて行くことにしよう」


「さ、行きなさい」


 そして、カトリエルは小声で呟いた。


「これだけの破壊が起これば、その内、重装の衛兵も来るはずよ。それまで時間を稼げば良いだけだもの。心配はいらないわ」


 エーヴィア達に振り返ったカトリエルが首筋から夥しい鮮血を流し、カトリエルがふわりと柔らかい笑みを浮かべる。


「分かりました……、応援を連れてすぐに戻ります!」


 そして、エーヴィア達は市街地からの脱出を開始した。


「それでは、そろそろ始めるとしよう。その僅かな魔力で何が出来るか見せてくれ。この私が、この手で、君から恥辱を浮かべる力さえも奪ってみせよう」


 嗜虐の笑みを浮かべるグァルプの身体が大きく膨張し、その身を包むタキシードがはじけ飛ぶ。

 露わになった腹部には輝きを放つ眼球が不気味に蠢いた。


「ヤンクロットの眼……、サマーダム大学に封印されていた筈だけれど」


 カトリエルが鋭く冷たい声を放つ。

 異形と化したグァルプの口と思われる器官が笑みを浮かべるように吊り上がった。


「博識だな。我が能力はこの手で殺した者の魂を複製し、擬態、分身として使役する能力だ。サマーダム大学の関係者のことごとくを殺し尽くし、我が傀儡とすれば封印の解除など容易い事。ああ、そうか。これはお前の恩師か。この身で複製した魂が反応しているぞ。身を案じていると」


 グァルプの肉体が裂け、その裂け目からゴドウェン・ゼリマノフ学長を始めとするサマーダム大学の研究者達が生えた。

 そして、口腔部から這い出る拳によって、学長たちの擬態が無慈悲に叩き潰されていく。


「そう」


 無慈悲な人形劇を目の当たりにして無感情に吐き捨てる。

 まるで興味が無いと言わんばかりの無表情だ。明らかに白けているのが分かる。

 期待した通りの反応が返って来ないことにグァルプは白けたように嘆息してみせる。


「強がりのつもりかね? 恩師を無残に殺され、怒り、悲しみ、慟哭し、呪いを吐いて挑みかかっても良いのだぞ?」


「我が師ともあろう者が不甲斐ない。この程度の臆病者如きに」


 強がりなどでは無い。カトリエルの態度はグァルプに対する怒り以上に、師に対する失望の方が遥かに勝っている。グァルプはそう確信を持った。

 だが、それ以上に引っかかったのが彼女の口から出た『臆病者』という言葉だった。


「サマーダム大学で会ったのでしょう? 倉澤蒼一郎と。そして、今のままでは勝てないと悟り逃げ出した」


「何……?」


 癇に障る名前と物言いに、グァルプの尊大な仮面が剥がれた。

 確信を抱くカトリエルの視線は、ただの虚仮脅しだと超越種たる魔人を冷たく蔑んでいた。


「矢張り、あの人と会ったのね。良いわ、大体の事は分かった。思ったよりも絶望的な状況では無いようね」


「何だ……何を言っている? 何を理解したつもりでいる! 人間!」


「焦りもするでしょうね。あの人と会ったのならお前は逃げる以外で生存できる道は無いものね。そして、お前が全力で逃げ帰った以上、彼はお前を追わざるを得ない。追い詰め殺さなければと」


「っ!?」


 魔人グァルプが倉澤蒼一郎とに抱いた印象は殺意と暴威だ。

 力も無ければ業も無い。それにも関わらず、殺意だけは色濃く、濃密に研ぎ澄まされている。

 不足するありとあらゆる力を、その濃厚な殺意で補って尚有り余る始末で、その有り方、傲慢さは寧ろ、神や、英雄の側に近い。そういう人種だ。

 グァルプの言葉で倉澤蒼一郎という有象無象を一言で表現するとしたらこうだ。


「殺戮者!」


 蒼一郎を挑発するかのように尊大な態度で『貴様から全力で逃げる』と冗談めかして言い放ったが、その言葉に偽りは無い。

 恐怖したのは事実で、全力で逃げたのも事実だ。無論、あの状況でも倉澤蒼一郎を殺すことは出来たはずだった。


――奴はライゼファーを殺した。傀儡と化していたとは言え、ガエルも殺した。


 あの時のグァルプの脳裏にあったのは、歯車が空転するかのような偶然が重なり、我が身が砕かれるというビジョンだった。

 勝てるという確証が、確信が持てなかったが故の逃避だった。


「何者だ……、あの殺戮者は! そして貴様は!」


 グァルプの身体に幾つもの裂け目が現れ、弾丸の様な触手が放たれる。

 自らの本心を暴かれた焦りを振り切るような反射的な行動だった。


――まだ殺してはならない!!


 咄嗟に触手の軌道を変えようとするが、反射的に放たれた触手はカトリエルの全身を貫き、勢い余った触手は彼女の背後で燃え盛る建物を粉砕する。

 しかし、その瞬間、カトリエルの残骸が朧気に霞み、地面から雷光が走り抜け、グァルプの巨体に襲いかかり、体表面を炭化、壊死させていく。


「ッ!?」


「今の魔力ではこの程度で精一杯、ね」


 首筋から血を流すカトリエルが興ざめした表情でグァルプの眼前に降り立つ。

 自傷した首以外、彼女には傷一つ付いていないどころか、錬金術師の白衣に綻び一つ付いていない。


「私の心を折ると言ったわね? だったら急いだ方が良いわね。お前が手間取れば手間取る程、あの人が近付いて来るわよ。私の婚約者がお前の命を奪いに」


 泰然とした態度に無感情な声と感情の無い顔。だが、それも彼女が見せる精一杯の虚勢でしか無かった。

 魔力の尽きる寸前というある意味、満身創痍の状況にも関わらず、何が楽しくて単身、魔人と相対しなくてはならないのか。

 自問自答したくなるくらいだった。一応だが、決して分の悪い戦いでは無いとは言えだ。


――分は悪くないわね。


 グァルプが市街地を攻撃してから随分、時間が経つ。

 そろそろ、魔術兵装を針鼠のように武装した重装衛兵団の鎮圧部隊が現れても良い頃だ。

 半分はエーヴィアに脱出を促すための方便だったが、半分は事実なのだ。

 それだけでは無い。居住地への攻撃が行われた以上、ギルドの介入は確実だ。

 何より、この臆病者の魔人が態々口を滑らせた。倉澤蒼一郎から逃れてきたと。

 今頃、蒼一郎はグァルプを逃がした事に苛立ち、ソウブルーへの帰還を急いでいる事だろう。

 もしかしたら、もうすぐ其処まで来ているかも知れない。

 

――そして、まだ希望はある……と言ったところかしらね。


「有象無象の虫けら風情が!」


 焦燥感をひた隠しにする人間と、焦燥感を露わにする魔人。対象的な両者の戦いが始まった。

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