第七話 続・ベルカンダンプ鉱山の陰謀
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あんまりだ。
――いいや、幸運だ。
散々だ。
――素晴らしきことだ。
何で私がこんな目に遭わなきゃならない。
――望んだが故に。
何がなんでも理不尽過ぎる。
――理不尽の担い手となるのだ。
私のした事はそんなに罪深いことなのか?
――いいや、偉業だ。
ダークエルフの青年ガンドリオは坑道の中を一心不乱に走り続けながら自問自答する。
――正確には自問他答だが。
ガンドリオの嘆きに答える声は、彼自身の声ではない。
耳を塞ぎたくなるような悍ましい声だが、それは出来ない。
何故ならその声は、彼が敬愛して止まぬ邪神、ガエルの声だからだ。
第三者にとっては悍ましい声で、彼にとっても悍ましい声だが、同時に福音でもある。
時折よろめき鋭い壁面に身体を打ち付ける。
自前の法衣が破れ、二の腕に亀裂が走り、鮮血が弾け飛ぶ。
傷口に手を当てたくなるがそれは出来ない。
何故なら、彼の両腕には邪神ガエルのメイスが赤子のように抱き締められているからだ。
「わた、私、私は! 私はただ八雷神に復讐したかっただけなのに――っ!」
――その願い、叶うだろう。
「このメイスで八雷神の司祭六百六拾六人を撲殺するなんて……! 私一人の力では……」
魔法で六百六拾六人を殺すなら決して不可能な事では無いという自負がガンドリオにはあった。
今は、ダークエルフなどと区分されているが、邪神信仰を祖とする種族というだけの理由で帝国が勝手に付けた名前だ。
本来、帝国がダークエルフと呼ぶ存在こそが真なるエルフであり、それ以外は混血の隷属種に過ぎない。
八雷神に憎悪を抱いているが、帝国民に対する恨みもそれに比肩する。
だが、加護の性質以外は普通のエルフと大差は無い。
「しか、しかも、次の満月までになんて……できっこない!」
月に魔力満ちる時、月は強烈な輝きを放ち、この星に魔力の雨が降る。
邪神ガエルは六百六拾六人の八雷神信仰の加護を己がメイスに吸わせ、それを媒介にして月の膨大な魔力を増幅させることで、物質界への復活を目論んだ。
邪神ガエルはガンドリオの願い、要求を曲解する事無く、その全てを叶える腹積もりでいる。
ガエルは信者が捧げた供物に応じた加護を与えることで信仰心を集め、力を蓄えてきた旧き神だ。
その一点に限れば、八雷神などよりも誠実な神と言える。
しかし――
――供物も無く、我がメイスに触れたのだ。出来ぬとは言わせぬ。
何処で間違えてしまったのか。ガンドリオは邪神ガエルとの触れ方、神との接し方を誤ってしまった。
そもそも、ベルカンタンプ鉱山の地下深くに封印されたメイスを発掘する事は邪神ガエルを復活させる方法では無く、復活に至る一要因でしか無かった。
「何故、こんな過ちを……!」
錯乱した頭では最早、思い出すことも出来ない。
しかし、邪神ガエルは超越種としての傲慢さと同時に、神としての寛容さを持ち合わせていた。
定命種の汚い手で神器に触れた罰は、これまでにガンドリオが集めた信者の命を全て捧げることで一先ずの猶予を与えてやった。
邪神ガエルはガンドリオの処遇に『我ながら甘い』と得意気に自嘲し、己が復活に必要な条件を提示したのである。
尤も、ガンドリオにとっては死刑宣告を突き付けられたも同然だ。
その上――、
「ますたー! こっち!」
半獣の小娘――、胡桃の叫び声が坑道内に響き渡る。
そして、それに呼応するかの如く、魔力の弾丸が嵐の如く吹き荒れる。
「……………………」
人間が――、蒼一郎がガンドリオと遭遇するなり無言で襲いかかってきたのだ。
ガンドリオとて侵入者や目撃者は問答無用で殺すつもりでいたし、そのつもりで手勢も連れて来ていた。
だが、彼にはある一点の自覚が欠けていた。
問答無用で殺すという発想に至るのであれば、彼の敵もまた問答無用で殺しに来るという自覚がだ。
蒼一郎は坑道に突入する前にこう言葉を残している。
『自分が思い付いたということは、当然、他人も思い付いているということだ』
たったその一点の自覚が両者の命運を明確なものとした。
命を刈り取る死神、倉澤蒼一郎――。
命を刈り取られる仔羊、ガンドリオ――。
だが、蒼一郎の持つ死神の鎌は、ガンドリオにとっては脆弱極まりない物だった。
初手こそ不意を打たれたが、何の事は無い。蒼一郎の攻撃は精霊弓から放たれる魔力弾だ。
ダークエルフに生来備わる耐魔術の身体は生半可な魔術では易々と貫けるものではない。
「この真なる唯一無二のエルフに魔術戦を挑むとは愚かな!」
ただの雑魚だと侮ったが、その考えも一瞬で改めさせられることになった。
蒼一郎の放つ魔力弾はガンドリオのみならず、彼が進む通路や天井、無差別な破壊を巻き起こした。
壁が倒れ、天井が崩落する。ガンドリオはブレイクダンスさながらの足さばきで魔法陣を描き、別の空間へと逃げ込む。
事無きを得たと思った矢先、胡桃が追跡者となって執拗にガンドリオを追いかけ回し、見つかる度に通路を破壊し、ガンドリオを生き埋めにしようとしてくる。
これがもうかれこれ五回も続いている。
蒼一郎の襲撃に遭う度に出口から引き離され、坑道の奥深くに追いやられていく。
「窮地だ」
それを自覚すると無性に涙が溢れ出てきて止まらなかった。
一刻も早く、この場から脱出し、八雷神の司祭達をこのメイスで撲殺しなければならない。
――死神が待ち構えておるぞ
邪神ガエルが喜色に孕んだ警告を発する。明らかに楽しんでいる。
蒼一郎が知れば『まるで悪質なエンターテイメントを楽しむ低俗な現代人みたいだな』と吐き捨てているところだ。
そして、仮に邪神ガエルが知れば、それを『是』と認めて笑っていたことだろう。
――別にどちらでも構わぬことなのだからな。
ガンドリオがこの窮地を脱し、復活の献身を働こうとも、道半ばで倒れようとも。
邪神ガエルとて八雷神に思う所が無いわけでは無い。
八雷神の信徒の血と月の力を借りて顕現が成れば、八雷神の内、半数は打ち倒せる自信があった。
八雷神はかつて大罪を犯した罪で今の神格まで零落し、罰としてこの世界に縛り付けられている。
更に、この世界に存在する神を殺すことが出来ないという制約を背負っている。
つまり、己が敗北が零落に繋がらないことを邪神ガエルは知っている。
敗北した所で今の状態に戻るだけだ。邪神ガエルに集った信仰が些かも揺らぐことはない。
寧ろ、復活に成功した方が、結果的に八雷神の信仰に楔を打ち込む事になる。
その結果として、信仰をより多く集めることが出来る。
復活した方が邪神ガエルの得になる事の方が多い。
だが、ガンドリオが追い詰められていく姿を眺めるのも一興だった。
神は人が思う程、全知全能でも善良な存在でも無い。
超越種であるという自覚が定命種の軽視に繋がっているのも事実だ。
だが、永劫の時を持つ超越種であるが故の大らかさもある。
そして、その大らかさは倉澤蒼一郎によるガンドリオの処刑劇の観賞に発展していた。
邪神ガエルは蒼一郎の接近に気付いていたが、手遅れになる直前まで沈黙した。
――死神が待ち構えておるぞ
そして、邪神ガエルは警告を発する声に笑いが含まないように平静を保ち、静かにガンドリオの脳裏に呟いた。
「ひぃっ!? 痛い……痛いっ!!」
物陰から弧を描く閃光が走り抜け、鮮血が肉片と共に飛び散る。
腰を抜かして尻を抜かすガンドリオの表情は蒼一郎でさえも『悪いことをしてしまったかも……』と追撃を躊躇う程だった。
酷く情けなく、涙と鼻水、涎でぐしゃぐしゃになっている。
自らの力を誇示する傲慢なダークエルフ。
仲間に呪いを施し、裏切り者を容赦しない冷酷なダークエルフ。
邪神の復活を目論む狂気のダークエルフ。
ドワーフの仲間たちを襲う凶悪なダークエルフ。
その正体が、耳たぶを斬り落とされて地面に蹲り錯乱するこの男だ。
「人違い……ってことは無いよな。流石に……」
――クフッ……フフフフフフフフフフ! フハハハハハハハハ! ハァーハッハッハッハッハッハッハッハ!
坑道内に不気味な哄笑が轟いた。
頭の中に直接響き渡るような不快感を感じ、蒼一郎が改めてレーベインベルグを構える。
側に控えていた胡桃とエーヴィアが怯えたように身を寄せ合い、カトリエルとリリネットが眉根を顰めて身構える。
「この感覚……」
蒼一郎は青のルスルプトと対話した時の感覚に似ていることを思い出し、警戒心を強めていく。
このタイミングで現れる神など十中八九、邪神ガエルしかいない。蒼一郎は確信を抱くなり、全周囲に意識と視線を飛ばす。
ガンドリオの足元にガエルのメイスが転がり落ちていることに気付き、その警戒心が急上昇する。
邪神ガエルの復活条件を正確に知らない蒼一郎にとってはそれだけで警戒するに値する。
――興を削いだか? 異教の者達よ。
神の問いかけに無言の殺意で応えるが、まるで意に介していない。
小さな子供の悪戯を温かく見守る老人のような温厚さすらあった。逆に言えば蒼一郎の殺意など児戯でしかないという侮蔑であった。
――黙っているつもりだったのだが、我が信徒の不甲斐なさに嗤いを堪えることが出来なかったのだ
邪神ガエルはまだまだ笑い足りないらしく、含み笑いを隠す事無く震える声を蒼一郎達の脳裏に叩き付ける。
――最早、この時代での復活は不可能となった
邪神ガエルの声色に明らかな怒りが篭もっていく。
蒼一郎達以上に、ガンドリオは恐怖に打ち震え、地べたに這い蹲る。
「申し訳ございませぬ! 申し訳ございませぬ!」
そう言って彼は地面に額を何度も打ち付ける。
その視線が向かう先にはガエルのメイスがあった。
――我が至宝を地に落とし、敵の血では無く穢れた道化の血を吸わせた。それだけは断じて許せぬ!!
「どうか! どうか!」
――道化よ、我が至宝を手に取るのだ
「は、ははっ……!」
地面を這いながらガエルのメイスを恭しく手に取るガンドリオ。阻止しようと思えば簡単に出来た。
だが、彼の姿があまりにも無様で蒼一郎どころか、当事者であるはずのリリネットでさえも手出しをする事が出来ず、その姿を見守ってしまった。
――これ以上の後退は許さぬ。その者らと戦え。我がメイスの穢れを、闘いと敵の血で洗い流すのだ
「は、は?」
――戦わぬか? ならば汝の魂は極楽にも奈落にも行けず輪廻の外から永劫の闇を彷徨うことになろう。
「この場で死して来世に望みを託すか、それとも永劫の闇を彷徨うか。二つに一つ……そう仰られるのですか!?」
――如何にも。道化よ。戦え。その者は青のルスルプトの加護を持つ。その者の血なら穢れが落ちる。
最早、何処にも逃げられない。ガンドリオは震える手でガエルのメイスを構える。
「リリネット」
「なんだい、倉澤の旦那」
蒼一郎が歯車のような凹凸が幾つも生えた異形のメイスを構えるガンドリオから眼を逸らした。
あからさまに見せ付けられた隙。そんな物に乗せられる程、ガンドリオは愚かな男では無い。
ここまで追い詰められていなければ。
狂乱気味の絶叫と共にガンドリオが蒼一郎に襲いかり、その頭蓋にメイスを力任せに振り落とす。
蒼一郎はレーベインベルグから手を離し、軽いステップで肉薄するとメイスを握り締めるガンドリオの右腕を絡め取り、足を払って体勢の崩れた上体に二度三度と、立て続けに膝蹴りを突き刺し、あばらを全て砕く。
更に絡め取った右腕を基点にして壁面に叩き付ける。関節を極められ、抵抗どころか体勢を変える事すら出来ずに顔面をしたたかに打ち付け。
その後頭部に蒼一郎の肘鉄が撃ち込まれ、再び壁に顔面を突っ込ませる。
跳ね返った顔面は鼻骨と頬骨が潰れ、折れた前歯がガンドリオの唇をズタズタに引き裂いた。
膝裏に放たれた蹴りが、ガンドリオの体勢を大きく崩して、後頭部を勢い良く地面に叩き付ける。
意識を失ったところを、無防備な腹部に踵を叩き落され、口から血塊を吐いて意識を強制的に覚醒させられる。
自らの血で溺れそうになり、酸素を求めて足掻くが一本残らず折れたあばらが呼吸を困難なものにして再び意識を失いかける。
「この男をソウブルーに連行し、尋問します。申し訳ありませんが、この地のドワーフの皆さんにお渡しすることは出来ません」
襲い掛かって来たのでつい半殺しにしてしまったが、リリネットにやらせるべきだった。
これではドワーフ達の溜飲が下がらないのでは――と今になって思い至り、蒼一郎が気まずそうに頭を掻く。
「ああ、良いよ良いよ」
リリネットは笑って済ませる。
勿論、思う所が無いわけでは無い。このままガンドリオを殺してやろうという欲求もある。
だが、それ以上に、あれ程の力を見せ付けた蒼一郎がばつの悪そうな表情を浮かべている。
まるで悪戯をして怒られることを恐れる子供のような態度に毒気を抜かれてしまった。
可愛らしいと、そう思ってしまったのだ。
一度、そう思ってしまっては意識を戦闘状態に切り替えるのは難しいものがあった。
「旦那があたい等のために戻ってきてくれて、戦ってくれたのは分かってるから」
照れ臭そうにリリネットが笑みを浮かべ、蒼一郎は安堵の表情でほっと一息吐いた。
――異教の戦士よ。我がメイスを手に取れ。座興の褒美を進ぜよう。
まだ邪神ガエルが残っていた。晴れやかな雰囲気が一気に剣呑な空気に支配される。
蒼一郎は白けた表情で鼻を鳴らし、指でメイスを汚物のように摘まんで宙に放り投げる。
宙を舞うメイス目がけて三条の剣閃を火花を走らせ分断する。ガエルの声と気配が消えて無くなった。
「何様のつもりだ。神如きが人間を惑わせるなどと思い上がるな」
「いや、神様だから」
「よく神の甘言を振り払えたわね」
リリネットと、カトリエルが呆れたような、感心したような口ぶりで言葉を漏らす。
倉澤蒼一郎にしてみれば、こうだ。
「こんな物があるから、事件が起きた。人の手に余るなら破壊してしまった方が良い」
だが、邪教徒が信仰と共に生贄を捧げ続ける限り、邪神ガエルは加護を与え続ける。
ガエルのメイスもいつかは再生を果たし、邪教徒達は復活のために奔走する事になる。
「この残骸はサマーダム大学あたりに研究資料として寄与しておけば彼等に対する大きな貸しになるわね」
カトリエルの言葉に満場一致する。
ドワーフとて、こんな騒動の原因になった物など手元に置きたくはない。
この残骸を冒険者ギルドや、八雷神教会、ソウブルー要塞に寄与するという手もある。
だが、こんな物を近場に置いていては今度は何に巻き込まれるか分かったものでは無い。
遠く離れたサマーダム大学に押し付けるのが最善だ。
「さて、後は地上に出るだけですが……」
蒼一郎がうんざりとした表情で呟く。
「周囲の地形が大分、変わっちゃいましたね……胡桃さん、出口分かる?」
「うーん……」
ガンドリオを追い詰め、退路を塞ぐために坑道の内部を随分と破壊してしまった。
それは同時に、蒼一郎達の帰り道を塞いだことを意味する。
流石の胡桃も嗅覚で退路を探すのは難しいらしく、エーヴィアと顔を見合わせて困り顔を浮かべる。
「その場のノリで適当に破壊するからよ」
怒っているのか、呆れているのか、それともただの事実を口にしただけなのか。
カトリエルが無表情で無感情に呟き、蒼一郎が肩を落とす。
「ま、まあまあ……あたいにとっちゃ一応は自宅みたいなモンだし、多分、何とかなるから……」
「すいません。何とかお願いします」
リリネットは小さくなる蒼一郎の肩をぽんと叩いて、その背を押す。
外の光を目指して、一同は崩落した坑道の中を歩き始めるのであった。
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