第二話 新しい散歩コース
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花畑を暫く進むと針葉樹が立ち並ぶ林に差し掛かった。
木々の隙間からは、藁ぶき屋根の建物が軒を連ねているのが見えた。
胡桃さんもそれに気が付いたらしく「はじめての場所だねー」という感想に「そうだねー」と同意する。
「どうしたのー?」
建物の方へ行くべきか。それとも別の場所に行くべきか。
迷いつつも建物の方へと近付いていくと、胡桃さんが足を止めずに振り返って、首を傾げる。
その口振りは、自分の迷いを見透かしているかのようだった。
夢とは言え、人間が胡桃さんの仕草を完全再現するのは素直に凄いと認めざるを得ない。
実際に胡桃さんが人間になったらこうなるのだろうと思う。
「なんでも無いよ。行ったことの無い場所だし、あっちの方に行ってみようか」
「うん!」
知らない場所なだけに胡桃さんは興味津々のようだ。
キョロキョロと景色を見て回ったり、匂いを嗅いでみたり、深呼吸をして、時折、自分の方に振り向く。
目が合い、笑みを浮かべると胡桃さんも笑顔を浮かべて、建物の方へと向かって歩き出す。
普段からそうだが、散歩のルートは基本的に胡桃さん任せだ。
行きたければ行けば良いし、戻りたくなれば戻れば良いのだ。
建物の方に近付いて行くと簡素な木の柵に囲われていた。高さはガードレールくらい。
獣避けとしての役割は果たしていないので、多分、所有している土地の権利を主張するための物なんだろう。
柵沿いに歩いていくと鳥居のような形をした木製の門を見つけた。
天辺には輪切りにした丸太の看板がぶら下がっている。何と書いてあるか読めそうで読めなかった。
ま、夢だしそんなものだろう。
メールを受け取る夢を見たときなんか、大抵は意味不明な怪文書になっているものだ。
態々足を止めてまで、解読したいとも思わなかったので無視して門を通り抜ける。
しばらく進むと煉瓦で舗装された道に突き当たった。
石造りの井戸の前で立ち話をしていた何人かの女性が、此方に気付くなり眉根を顰めて警戒心を顕わにした。
排他的な田舎の有象無象共め。流石は自分の夢の登場人物だ。
しかし、どうしたものだろうか。
いや、別に有象無象のことなど知ったことでは無い。どうもしなくて良いか。
そう結論付けると「半獣……随分とアナーキーな趣味をした御仁だな」と背後から声をかけられた。
「そんなに珍しく見えますか?」
そう答えながら振り返ると中年の男性が、興味半分、警戒半分といった様子で此方を窺っていた。
男性の警戒心に気付いたのか、それとも自分の不快感を感じ取ったのか。
胡桃さんが喉を低く鳴らして、その中年に近付こうとした。
身内には甘えん坊だが、それ以外に対しては血の気が多く、喧嘩っ早いのも胡桃さんの特徴だ。
「大丈夫だよ。胡桃さん」
耳元で宥めながら、胡桃さんが男性に襲い掛からないように腰に腕を回す。
さっさと別の場所に移った方が良いかもしれない。
「ああ、すまない。悪気があったわけじゃないんだ。裸足の子どもを連れ歩くなんて氷の都の奴隷商か、貴族だけだからな」
成る程。それが警戒されている理由か。と言っても夢の中の話だし別にどうだって良い。
「着ている物の生地は上等だが、装飾が地味過ぎる上に武装もしていない。貴族では無いのだろう?」
彼の問いに頷くと「貴族で無いなら別の地方から来た商売人……の割には身軽な恰好だ。家格は低いが財力はある家の者では無いのかね?」と問いかけてくる。
その態度は確信めいていて、問いかけと言うよりは確認を取っているような態度だった。
「で、その推理の結果がアナーキストってわけですか」
馬鹿正直に「現実世界からやってきました」なんて言っても意味不明だし、自分が見ている夢とは言え、バカにされるのも癪に障る。肩を竦めて言葉を濁す。
「ふむ、それでこの村、フォーレストには何用かね?」
「ただの通りすがりですよ。そこの花畑で散歩していたら、建物が見えたので来てみただけです」
「そうかね。貴族でも無ければ、商人でも無い。そんな暢気な性格で軍人、無頼というのも違う。高等遊民の類かね?」
相変わらず、此方を推し量るような目で見てくる。
胡桃さんの神経を逆撫でにするタイプの視線だ。
胡桃さんがこの男性に襲いかかりかねないので、そろそろ立ち去った方が良いかも知れない。
と言うか現在進行形で、男性に襲いかかろうと自分の腕の中でもがいている最中だ。
「何処から来たのか知らんが、何のしがらみも無い立場なら、中央の城塞都市ソウブルーに行くべきだな」
「理由を伺っても?」
「戦争だよ」
唐突にも程がある。逆に笑いが込み上げてきて、思わず吹き出しそうになる。
どんな夢を見ているんだ、自分は。
「ジエネルで魔人が復活した噂は聞いているだろう?」
知らねーよ、バカ。
戦争の次は魔人? ファンタジーかよ。一々、人を笑わせようとするな――、と相手を小馬鹿にした表情と乱暴な言葉が表に出そうになるが、それを何とか自制して聞く姿勢を保つ。
「真偽の程は定かでは無いが、ジエネルが廃墟となったのは事実でな。先帝ハルロンティ・アーリバートが勇者の楽園クラビス・ヴァスカイルに召されて間もない。帝国の盤石な支配体制も長く続くことはないだろう」
聞いても分からないような固有名詞が幾つか出てきたが、別にどうでも良い。
折角の変な夢だ。見たことの無い景色を眺めるためにも、それらしい物がある方向へと進めば良いのだ。
そういった意味では、ソウブルーという目的地が見つかったのは僥倖だ。
「帝国が揺れているのは分かりましたが、何故ソウブルーを目指すべきだと?」
「ここは先帝を討った卑劣の王オライオンが支配する氷の都に近いからだ」
先程、この男性の口から『氷の都の奴隷商』という言葉が出てきたことを思い出す。
このまま此処にいたら、ろくでもないことに巻き込まれそうだ。
普段見ている夢でもネガティブなことを思えば、その通りのことが起きてしまう。
そして、いつものパターンとでも言わんばかりに老人が続けた言葉は、矢張り、ろくでもないことだった。
「魔人復活の噂はさて置き、ジエネルを滅ぼしたのはオライオンである可能性が高い。帝国の打倒を目指しているオライオンには強固な支持者がいるが、それと同じだけ敵対者もいる。つまり、奴自体が争乱の火種とも言える。早かれ遅かれ、此処にもオライオンを信奉する武装集団『氷の団』が服従か、死を迫って来ることだろう。どちらを選ぶにせよ戦う相手が変わるだけだ。魔人復活の噂が真実だとしたら、そこに魔人という勢力が加わることになるのだ。軍事力のあるソウブルーに身を移せば生き延びられる可能性もあるだろう」
気の毒な話だ。この夢の世界を作った張本人は自分だが。
心の中で「変な夢を見てすんませんでした」と謝罪しておく。
「次の目的はソウブルーか。それじゃあ行こうか。胡桃さん」
「はーい、ますたー!」
五分にも満たない時間だが、胡桃さんにとっては長く退屈な『待て』の時間だったらしく、漸く進むことが出来ると上機嫌に勢いよく尻尾を振った。
「ソウブルーへの道のりは分かるのかね?」
さっぱりだ。
「それに路銀は?」
黒の長財布がケツポケットに入っているが所詮は夢の中。
中身が自分の記憶と一致しているかは別の話だ。ついでに日本円が使えるかどうかもだ。
「良かったらだが、儂の姪っ子をソウブルーに連れて行っては貰えんだろうか? 報酬として路銀と食料。それから武器も渡そう」
「ごめんね、胡桃さん、もうちょっとだけ『待て』ね?」
「はーい……」
フェイント気味な『待て』の継続に胡桃さんの尻尾が垂れる。
可哀想で胸が痛むが、そんな胡桃さんもまた可愛い。可愛いが可哀想なのでさっさと話を済ませよう。
「それで、その姪っ子さんは出発出来る状態なのですか?」
「リディリア! 来なさい!」
先程、井戸の前で自分を警戒していた少女の一人が渋々といった様子で小走りで駆け寄ってきた。
「どうしたの叔父さん」
「先にソウブルーへ向かってくれないか? この人達も同行しても構わないと言ってくれている」
男性の提案にリディリアと呼ばれた少女がぎょっとした表情を浮かべる。
当然の反応だ。現実だったら軽く事案になる。だが、分かっていても傷付く。
「この人達は貴族では無いよ。安心しなさい」
客観的に見て、安心できる材料がない。
だが、この人達にとって、自分が犬耳と尻尾を付けた裸足の女の子を連れ歩く変質者というのは大した問題では無いらしい。
それよりも貴族か否か、ということの方が重要なようで、リディリアと呼ばれた少女から警戒心が薄れたのを感じた。
一応は見ず知らずの人間なのだから、それで警戒心を解くのも如何なものかと思うが。
尤も、ソウブルーに辿り着く前に、この夢が醒めてしまうかも知れないのだ。
自分が口を挟むことでも無いので、事の成り行きに身を任せることにした。
「彼は……」
男性は自分のことを紹介しようとして言葉を言い淀む。自己紹介もまだなのだから当然だ。
「散歩が趣味のアナーキスト、で良いのかね?」
「散歩が趣味なのは間違いありませんが、アナーキストかどうかは審議の必要があるかと……。自分は姓を倉澤、名を蒼一朗、こっちは家族の胡桃です。貴族ではありませんのでご安心を」
自分の口から名前が出たことで胡桃さんが反応を示すが、呼ばれたわけではないと分かると再び待ての姿勢に戻る。
人間化して頭の良さに磨きがかかっている胡桃さんでも、まだまだ自己紹介は難しい。
そもそもリディリアさん達に友好的とは言えない目で観察している真っ最中だ。
元々、甘えた声で尻尾を振るのは家族や一部の親戚や友人だけだ。
それ以外には牙を剥き出し、低い声で恫喝するといった具合の典型的な日本犬の性格だったので気にしないことにした。
「ジエネルを攻め落としたのが何者であれ、ここが巻き込まれるのも時間の問題かも知れない。儂らが出発の準備を終えるまで、もう暫く時間がかかる。お前はこの人達と先にソウブルーに向かいなさい」
「そういうことなら先に行くけど、あんまり縁起の悪いことを言わないでよ? 私の家族は叔父さんしか残っていないんだから。それともお父さんって呼べば慎重になってくれる?」
「ああ分かった。分かったよ、リディリア。すぐに儂も合流する。必ずだ」
悪戯っぽくからかう少女の物言いに、男性は困ったように薄くなりかかっている頭をかく。
何の脈絡も無く、唐突なことが起こるのが夢だ。
次の瞬間、この男性が死んでしまうなんて後味の悪い展開にならなければ良いが。
「それじゃ、叔父さん。ソウブルーで会いましょ」
自分が警戒するまでも無く、特に変なことは起こらず、リディリアさんが自分たちの散歩、もとい旅に同行することになった。
リディリアさんが支度をしている間、報酬として受け取った装備の中に女性物の着替えを見つけた。
胡桃さんにハーネスの上から着せていたカッターシャツを脱がし、赤のホットパンツと茶色のサンダルを履かせた。
露出が多過ぎる気もするが、スカートを履かせても一分も経たない内に脱ぎ出したので自分が諦めた。
胡桃さんが犬の時からひらひらした格好をするのを嫌っていたので当然の結果とも言える。
サンダルもお気に召さないみたいで若干の抵抗を受けた。
脱ぎ方が分からないらしく観念したようだが、「これ、いやー……」と不満を訴えてきた。
これも予想出来ていた反応だ。
だが、夢とは言え、人間になってしまったものは仕方がない。
「可愛い格好をして胡桃さんは偉いねー」と胡桃さんの不満を無視して干し肉を差し出す。
手で受け取らず、自分の手に直接顔を近付けて干し肉を咀嚼する胡桃さん。
飲み込んだタイミングを見計らって「よーしよしよし!」と頭や背中、首回りを撫でながら派手に褒める。
「ますたー、うれしい?」
「勿論だよ。可愛い胡桃さんがもっと可愛くなるからね」
「それなら、がんばる」
胡桃さんは可愛らしい表情のまま鼻息荒く意気込み、ほんの少しばかりの不満を滲ませて頷いた。
夢の中とは言え、人化してしまった胡桃さんを全裸&裸足で人前に出す勇気は無い。
リディリアさんと合流し、花畑とは反対の方向にあるフォーレスト西門を潜り抜けると、整備されていない土の道が長く伸びていた。
左右には草原が広がり、草を咀嚼する数頭の牛の傍らには草を刈る牛飼いがいた。
のどかで平和な光景だ。
魔人だの卑劣の王だのと下らない連中の下らない出来事を、まるで気にも留めない穏やかさがそこにあった。
時折、穏やかに流れる気持ちの良い風が胡桃さんの目を緩めさせるの姿を見ていると、この夢の世界で起こっている事件全てがどうでも良くなった。
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