第一話 対話
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夢を見ていた。
愛犬が人になって人間と同じ言葉を喋って意志の疎通が出来る。愛犬家にとっては夢にまで見た夢だ。
夢を見ていた。
ただ愛犬と知らない世界で散歩がしたかった。たったそれだけのことが怖い魔人のせいで適わなかった夢だ。
夢を見ていた。
愛犬に危害を加えるドラゴンを殺す夢だ。
夢を見ていた。
婚約者が出来る夢だ。
夢を見ていた。
魔人を殺す夢だ。
夢を見ていた――その筈だ。
「此処は……何処だ……?」
目を覚ますと年季の入ったガーデンテーブルの前に座らされていた。
よりにもよって、あの世界の礼服――、ゴシック調だかV系だかのコスプレ衣装で。
周囲は霧に包まれた森だ。足元は芝生が生えている。ただし色は灰色だ。
テーブルの上には食い物と飲み物が置いてあり、日本語で『ご自由にお召し上がりください♪』と書かれたプラカードが置いてある。
――ふざけているのか。
見た目は美味そうだが周囲の雰囲気が胡散臭くて、目の前の飲食物も胡散臭く見えてくる。
「本当に何なんだ、この夢は」
カトリエルは言った。次に目を覚ます時は元通りだと。
此処は何処だ。現実か、夢か、それともまた別の夢か。
「こんな形で呼び立ててすまないね。倉澤蒼一郎君」
そう言って現れたのはワインレッドのスーツに身を包む老紳士然とした男性だった。
「意識はハッキリとしているかね? 身体は?」
言われてみると妙に現実味のある夢だった。
現実や、胡桃さんが喋る夢と同じように五感が働いている。
「自分をご存知のようですが貴方は?」
「青のルスルプト。八雷神の一柱だよ。今日は君の夢を借りてこの場を設けさせてもらった」
八雷神――、帝国の主神として崇められ、ライゼファーの言葉を信じるなら魔人を含めた全ての生命に加護を与える存在だ。
「自分の夢……、だったらあの世界は現実?」
青のルスルプトは上品に笑って首を横に振る。
「君が夢世界と認識するハウレアルの世界は現実に存在する世界だ。夢という境界の曖昧な世界を介して、君はこの世界に呼ばれたのだ。だがしかし、君にとっては夢だ。君の本体は君が現実と認識している世界で未だ眠りについたままだ。この神域も、ハウレアルも、君の本体にとってはたった一晩の夢に過ぎない。だが、改めて言おう。君が夢と認識する世界は確かに実在する現実だ」
「全てを理解したとは言いません。しかし、そういうものなのだと納得しておきます」
「そうしたまえ」
「それで……、自分をこの場にお招き頂いたのは、それをお話下さるためですか?」
「それもある。まずは君の身に起きていることの全てが夢では無く、現実でもある事を認識してもらう必要があった。幸いにも既に君は、これまでの状況を現実であることを受け入れつつあった。お陰で話も随分と早くなる」
「自分はこの世界に呼ばれたと仰いましたね? この状況は何者かの意思が働いているのですか?」
青のルスルプトが頷いた。厳かでありながら、その表情は見る者を安堵させる好好爺のものだった。
「だが、どうか安心して欲しい。その者の名と目的を私の力では語ることが出来ず、君の力では認識することすら出来ない。しかし、決して君達を害する存在では無い」
「悪意ある行いでは無いという事ですか?」
「その通りだ。間接的ではあるが君達の味方ともいうべき存在だ。彼女はある目的のために君をこの世界に縛り付けている」
「縛り付ける? 自分の味方だと言うのに物々しい仰りようですね」
「しかし、それが事実だ。目的が達せられるまで彼女は君を現実に解放することはないだろう。その目的が達せられるのは明日かも知れないし、一年後か十年後か、或いは死の直前かも知れない」
「まだ生きている内から二度目の人生を歩む……なんてことは勘弁願いたいですね。この世界で八十歳を迎えて、元の世界に戻って二十代の身体に八十歳の心なんて……いや、得かも知れませんが」
「安心したまえと言うべきか、それとも残念だがと言うべきか――……、受け取り方は君次第だが、そうはならない」
「それが夢でもあると仰った理由ですか?」
「よく理解してくれた。君が現実に戻った時、君はハウレアルの出来事を夢と認識することになる。普段君が見る夢と同じように、幾つかは忘れずにいられるかも知れないが、殆どのことは忘れ、君は元の日常に戻ることになるだろう」
「忘れてしまうのか……普通の夢のように。しかし、それならば自分をハウレアルに縛り付ける意味は無いのではありませんか?」
「彼女は確信しているようだ。例え全てを忘れることになったとしても、君がこの世界に在ること自体に意義があるのだと。今はまだ分からないかも知れないが、いずれその時は来る。必ずだ。そして、君は彼女の真意を知ることになるだろう」
「分かりました。それも一先ず、納得しておくことにします。そして、ハウレアルが現実であると認識した上で、あの世界と向き合ってみます」
「そうすると良い。そろそろ君の目覚めが近い。手短に済ませよう」
霞がかった世界が徐々に色づき始めている。
木々がさんざめく音に混ざって生活音のような雑音が聞こえてくる。
確かに目覚めが近いようだ。
「今の君には神の加護が無い。目が覚めたら八雷神教会に行きなさい。私の加護を与えよう。他の八雷神の加護を受けても構わないが黒のレスタイトに加護を求めるのは止めたまえ。そして、彼に関わってはならない。君と彼の相性は絶望的に最悪だ」
「自分に加護、ですか」
「君は神のことを太古の人間が空想によって生み出した、人間に都合の良い道具、支配装置だと思っている。そして、都合の良い時だけ神に縋りつき加護を受けるのが心苦しく、見苦しく、無様だと思っている」
――その通りだ。
「気にしない事だ。神が人間の道具であるという君の言うことも事実の一端だ。君が私に敬意を示してくれているのも私が青のルスルプトだからでは無い。私の姿が老人だから、そうしてくれているのだろう?」
――それも正解だ。
青のルスルプトが子供なら子供のように扱っただろうし、青年なら友人に接するように扱った。
美人だったら緊張していたかも知れない。
彼が臆病者なら怯えさせないように友好的に振舞ったかも知れない。
横柄で乱暴なら一戦交える覚悟で罵倒していたかも知れないし、適当に煽ててさっさと話を切り上げたかも知れない。
「神としてでは無く一個人として扱ってくれて、とても懐かしい気持ちになった。実に良い気分だ。君と話が出来てとても楽しかった。君に加護を与えるのはその礼だと思ってくれれば良い」
「分かりました。信仰するかどうかは別として、いずれお力を借りに伺います」
「それで良い。さらばだ。我等の親愛なる宿敵よ」
青のルスルプトが最後に言った言葉は聞こえなかった。
「ますたー、起きて!」と叫ぶ胡桃さんの犬パンチが自分の眉間に炸裂したからだ。
「ますたー、おきた?」
目を開けると馬乗りになった胡桃さんが今にも二発目を叩き込もうと拳を持ち上げている最中だった。
胡桃さんの姿は女の子のまま、天井は剥き出しになった格子状の梁。
――夢の続き……
いや、異世界ハウレアル。大陸の八割を支配する帝国。帝国第二の城塞都市、ソウブルー。
その職人地区にある錬金術師カトリエルの店舗兼、工房兼、自宅。
その二階にある自分と胡桃さんの部屋にあるベッドの上。これが今の自分の現実だ。
「うん、おはよう。胡桃さん」
取りあえず、誤射が怖いので胡桃さんの手を取り、胸元に引き寄せて、ひたすら頭を撫で回す。
「起こしてくれてありがとうねー」
胡桃さんの髪がぐちゃぐちゃに乱れていくが、そんな事を気にする子じゃない。
けらけら笑いながら頭を手に押し付けて、もっと撫でろとせがんで尻尾をばたつかせる。
「胡桃ちゃんがはしゃいでいる声が聞こえると思ったらもう目覚めていたのね」
開け放たれた扉からカトリエルが顔を出す。
「やあ、おはよう。あれからどれくらいの時間が?」
「ほぼ丸一日といったところかしらね。まさか普通に起きるとは思わなかったけれど。身体に違和感はないかしら?」
胡桃さんの頭を撫で回す手を一度止めて身体を起こしてみる。
酔っぱらったような感覚も無ければ、貧血のような感覚も無い。
視覚――さっきから見えている。問題無い。
聴覚――当然聞こえている。問題無い。
嗅覚――胡桃さんから太陽みたいな香りがする。問題ない。
触覚――胡桃さんの暖かくて柔らかい感触がする。問題ない。
味覚――当たり前だが口の中は無味。まあ問題無い。
上半身は問題なく動く。
下半身は――、胡桃さんを抱き上げて立ち上がってみる。右膝を曲げて腿を持ち上げ、左足一本で爪先立ちをしてみる。いつも通りスムーズに動く。何の違和感も無い。
「ああ、大丈夫だよ。何処も調子は悪くない」
「そう。それなら良かったわ。そうそう、叙勲式だけど……」
「勘弁してくれ。また何かに襲われそうだ」
「昨日の今日よ? 貴方と私で散々壊してしまったのだから当面は見合わせということになったわ」
式典会場は彼女と魔人ライゼファーが壊したのが大半で自分はあまり破壊には関わっていない筈だが……。
釈然としないが態々反論するのもみみっちい。「それもそうか」と返しておく。
ベッドの脇に血のように真っ赤な拵えの鞘に入ったレーベインベルグが立てかけてあった。
偶然に偶然が重なって自分の物になったが、何か一つだけでも掛け違えがあれば手に入らないどころか、命を落としていたかも知れない。
自分には神の加護が与えられていない。それがライゼファーの興味を引いてしまった。
龍を殺す殺さないに関わらず、何もしていなくても、この世界に存在するだけで奴は自分の前に現れていた。
もしもレーベインベルグが無かったら今頃、自分はどうなっていたのか? 想像するだけで怖気が走る。
「スケイルドラゴンに加えてドラゴン二体に魔人一体。結果としては上々ね」
カトリエルが満足気に頷いてみせる。確かに出来過ぎなくらい上々な結果と言える。
「だけど、また魔人の興味を引いたら面倒だ。今日は八雷神教会に行って加護を受けに行ってくるよ」
何の心構えも無ければ準備も無い状態で魔人との戦いに放り込まれるのは勘弁だ。
自分達の目的は魔人を殲滅する方法を探ることであって、この手で魔人を殺すというのはまた別の話だ。
「あの魔人が言っていたわね。貴方は神の加護が無いって」
「どうやら、青のルスルプトが自分に加護を与えてくれるらしい」
「どういうことかしら?」
「さっきまで夢の中で青のルスルプトと話をしていてね。非常に話しやすい老紳士だったよ」
冗談めかした言い方をして突っ込みを待っているとカトリエルは絶句したような表情をしている。
「龍を殺して、魔人を殺して、神に選ばれるなんて貴方の運命、まるで変化球ね」
「自分の望みは平穏なんだけれどね。彼の口ぶりではまだまだ変化球が飛んできそうだ。まあ、話の続きは教会から戻ってからにするよ。自分が何処から現れたのかってことと合わせてね」
「そう。だったら貴方の帰りを楽しみに待っているわ」
彼女は何処と無く嬉しそうに静かな表情を浮かべた。
自分の謎の一つ、出自。それを漸く明かすことが出来る。自分でも笑えてくる程、晴れやかな気分だった。
彼女の笑顔があまりにも綺麗だったからだろうか。それとも隠し事を一つ無くせるからだろうか。
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Copyright © 2017-2019 芥川一刀 All Rights Reserved.
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