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第十一話 婚約(仮)

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


Copyright © 2017-2019 芥川一刀 All Rights Reserved. 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※

 スケイルドラゴンの息の根を確実に止めた。それを確認してから皆の所へと戻ると胡桃さんがカトリエルさんの膝枕で眠りについていた。


 「胡桃さんの様子はどうですか?」


 尋ねてはみるが顔色も悪くない。表情も安らかな寝顔に代わっている。

 もしかしたら戦闘中に一度は目を覚ましたのかも知れない。取りあえずは安心しておいて良さそうだ。

 それはさて置き、カトリエルさんの容姿も相まって、非常に絵になる光景だった。


「今の蒼一郎さんに比べたら全く問題が無いわね」


 今の自分……、龍の返り血を全身に浴びているせいで酷く臭い。

 これで龍の血が赤だったら軽くスプラッター状態である。

 どっちにしても見た目がグロいことに変わりはないか。


「一度、私の店に戻りましょう。そんな格好じゃ商業地区に戻るのもギルド地区に行くのも難儀でしょう? 工房の浴室で、汚れを落として行きなさい」


「あー……それじゃあ、お言葉に甘えます」


 美人の一人暮らしで使われている風呂を借りる。男としては色んな意味で非常に魅力的な提案だった。

 だが、今の自分は見た目も酷いが臭いも酷い。悪い気がしたし、確実に迷惑をかける格好で美女の住まいに入り込むのも情けなくて、遠慮したい気分だった。

 とは言え、一刻も早く、この状態から解放されたいのも事実だ。あまりいい気分では無かったが、彼女に好意に甘えることにした。


「アーベルト、男性用の着替を一式用意してもらえるかしら?」


「私がか? これでも忙しい立場なのだがな……」


 お願いすると言うよりは、命令にも似た口振りのカトリエルさんに、アーベルトさんが不満を漏らすと彼女の眼尻がキッと吊り上がる。

 美人は何もしても美人。そこに異存は無いが、どうにも気の弱い男なら萎縮したまま死にそうな迫力が篭もっていた。


「一人でスケイルドラゴンを撃破した功労者にその程度のこともしてあげられないのかしら、ソウブルーの衛兵団長様は。貴方の対応が遅いからこの娘がドラゴンに襲われて、彼がドラゴンと戦う羽目になったのだけれど?  二人ともただの観光客だというのに。治安維持のために存在する衛兵は一体何処で何をしていたのやら。全くもって嘆かわしいわね。ソウブルーの一錬金術師として嘆かわしい限りだわ」


 カトリエルさんは失望したと言わんばかりに首を横に振って、あからさまな溜息を吐いて皮肉ってみせる。

 そう言われるとアーベルトさんも苦しいようで、肩をわななかせるが、結局反論出来ずに肩を落として、降伏と服従の意を示す。


「なんか申し訳ないです」


 彼等が戦力を引き連れて、もっと早く来ていれば。そんな思いが全く無いと言えば嘘になる。


 だが、結果的に胡桃さんは無傷。気絶はしたものの無事だ。

 自分も全身に龍の返り血を浴びて、酷い臭いを纏っている以外の被害は無い。


 そもそもの問題はもっとしっかり胡桃さんの手を繋ぐなり、抱っこするなりしておけば良かったのだ。

 防げたはずの事故だったのだ。結局のところ何から何まで自分の監督不行き届きでしかない。


 ソウブルーの人々と幸運に満ちた出会いが無ければ……、想像しただけで背筋が凍る思いだった。


 強いて外的な問題を上げるとしたらライゼファー。魔人の存在に行き着く。

 全ては龍なんて非常識な化け物をけしかけるような傍迷惑な魔人が全部悪い。


「いや……我々に手落ちがあったのも事実だ。替えの服はすぐに用意する。暫しの間、カトリエルの工房で待っていてくれ」


「手落ちしか無かったのだから最初から素直にしていれば良いものを」


 実に辛辣である。


 言われたのが自分で無くて良かったと、肩を落とすアーベルトさんを見てつくづく思った。

 精々彼女を失望させないように振舞うとしよう。


 一先ず、胡桃さんをカトリエルさんとリディリアさんに任せ、彼女の工房に併設されている風呂場を借りることにした。


「匂い消しにマートルオイルを入れてるから、ゆっくり浸かって頂戴」


 マートルオイルの穏やかな甘い香りが漂う浴室に案内すると、彼女は言葉を残して立ち去って行った。


 正直、助かった。


 マートルオイルの甘い香りに思わず、「あ、カトリエルさんの匂いがする」と変態的なことを口走りそうになってしまったからだ。


「はぁ……これだから美人は」


 倉澤家に来たばかりの頃の胡桃さんを思い出させるような、何処と無く不愛想で人を寄せ付けない雰囲気。

 だが、その実、親切で面倒見が良いと来ている。その上、神秘性を感じさせる美人なのだから卑怯千万だ。

 因みに胡桃さんは倉澤家に来たばかりの頃から、人嫌いでも一人が嫌な筋金入りの寂しがり屋だった。


 微妙に似ているようで似ていない。でも、少しくらい似た所がある。そんな二人を比較しながら身体に湯をかけ、へばり付いた龍の血を剥ぎ取りながら、ふと思った。

 龍の血を浴びたり飲んだりして、不死身になったり絶大な力を得る。神話の類じゃ定番のエピソードだ。

 大して親しくも無い女性から風呂の貸し出しを提案される勢いで龍の返り血を浴びたが、特に強くなった気はしない。


 浴びて駄目でも飲めば自分も強くなり、魔人さえも一蹴出来る力が得られるんじゃないだろうか?


「……………………」


 スケイルドラゴンの血……まず酷い悪臭を放っている。

 そして、深緑色。かけ湯をすると、龍の血にドロリとした粘性が現れ、身体を這うようにして滑り落ちていく。


 飲むのか?


 これを?


 正気か?


 だが、魔人を一蹴出来る力を得られるかも知れない。

 そう思うと口の中に入れずにはいられない。抗い難い衝動に駆り立てられる。

 ちゃんと水に溶けていない濃い目の青汁だと思えば飲めるんじゃないだろうか?


 よし……行ける!


 意を決して右手で掬った龍の血を口の中に流し込む。


「おげぶっ……!?」


 ヤバイ。あまりのヤバさに脳と身体が拒絶反応を示す。

 浴槽に溜まったお湯に直接を口を付けて吸い込み、口の中を濯いで吐き出す。


 ヤバすぎるにも程がある。何で行けると思ったんだ俺は!?


 生暖かいヘドロみたいな味がした。

 いや、ヘドロなんて食ったこと無いから知らないが、兎に角不味い。只々不味い。有り得ない。

 こんな物を口の中に入れるなんてただの馬鹿だ。阿呆だ。正気じゃない。脳の機能が欠落しているとしか思えない。


 こんな物、人が、いや生物が口にして良いものじゃない。

 死者だって口に入れられた瞬間、即座に生き返って助走をつけて殴りに行くレベルだ。


「ああ糞、変なこと考えてないで汚れと臭いを落とそう」 


 汚れを落とし、彼女の言葉に甘えて浴槽にゆっくりと浸かり、悪臭を落としていく。

 彼女の錬金術で作られたものなのだろうか。明らかに普通のバスオイルじゃない。

 自分の体臭どころか、浴室に篭もった悪臭も消えていく。

 口の中に入れた龍の血も、浴室に撒き散らした分も含めて綺麗に浄化された。


 手桶でお湯を掬い龍の返り血で汚れた服を突っ込むと、みるみる内に汚れが浮かんで消えた。

 それでいて服の染料は落ちていない。


「凄いな……オーラルケア兼、洗濯石鹸兼、入浴剤兼、ボディソープ兼、シャンプーか。現実世界に持って帰ったら会社興せるな」


 現実世界に持ち込めたら、どうやって売り込もうか。

 そんな事を考えていると浴室の外からドタバタと、何処と無く聞き覚えのある騒がしい音が聞こえてきた。

 

「ま゛ずだあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛っ!!」


 浴室に飛び込んできたのは涙と鼻水で顔をぐしゃぐしゃにした胡桃さんだった。無事に目が覚めたらしい。

 恐らく、目を覚ました時に自分がいないせいで心細くなって泣いてしまったのだろう。

 服や身体が濡れるのもお構いなしに飛び付いて来た胡桃さんを抱き止めて頭を撫でてやる。


「ああ、おはよう。胡桃さん」


「ごめ゛ん゛ね゛? ご゛め゛ん゛ね゛! ま゛ずだあ゛あ゛あ゛っ!」


「え? え? え? 何が? 何がごめんなの?」


 胡桃さんの口から飛び出した嗚咽混じりの言葉が予想外過ぎて、自分もどうして良いのか分からなくなる。


「胡桃ざん゛、あ゛い゛づに゛がでな゛がっだよ゛お゛お゛お゛っ!」


「あ、あー……あー、そうか。そういう、そういうことか。胡桃さんは俺のことを守ろうと思って頑張ってくれたんだねー」


「う゛ん゛っ……でも゛……でも゛ぉぉぉ……」


 言葉にならず自分にしがみついて大泣きする胡桃さん。

 この子のことなら何でも分かっているつもりだったが、まだまだだったようだ。

 警戒心の強さ故の喧嘩っ早さだと思っていた。


 だが、今までして来た喧嘩も家族を守るために頑張ってくれていたのかも知れない。そう思うと胸が熱くなってくる。


「うんうん、よく頑張った。胡桃さんはよーく頑張った。偉いぞー、胡桃さんは良い子だっ!」


 胡桃さんの頭をわしゃわしゃと撫でながら慰めていると、浴室の中にリディリアさんが飛び込んできた。


「蒼一郎さん! 胡桃さんが……ってごめんなさい!!」


 そして、弾かれた弾丸のように引っ込んでいった。


 浴槽の中で風呂を楽しんでいたこともあり、自分の格好は全裸である。

 見られて困る場所は胡桃さんでガードされているが、嫁入り前の娘さんには少々刺激が強かったかも知れない。

 普通、逆なんじゃないかなぁと思う。


「胡桃さんが目を覚ますなり、泣きながら自分を探して飛び出したといったところでしょうか?」


「は、はいっ……、迷わずに蒼一郎さんの所に一直線なのは流石ですけど……。すいません。思った以上にすばしっこくって……」


「いえ、大丈夫ですよ」


 十五歳の老犬とは言え、元は野良犬の野生児。元気が良いのは当然だ。

 その身体は未だ衰え知らずなのだ。仕方が無い。


 それに胡桃さんの嗅覚ならまず間違いなく自分を見つけることが出来る。

 龍の血で悪臭を漂わせていようが、マートルオイルで甘い香りを放っていようが関係ない。

 そんな物で惑わされる程、自分達家族の絆は薄くない。


「それじゃあ胡桃さん、リディリアさん達の所で待っててね。すぐにお風呂から出るから」


「う゛ん゛……っ!」


 中々泣き止まないので脇腹に手を突っ込んでくすぐってやると「にゃあ゛!」と叫んでリディリアさんの元へと駆けていった。


「アーベルトさんから着替えを持って来てもらうことになっているのですが、届いてます?」


「あっ、はい! 胡桃さんがいなくなったって知ったら飛び出すに違いないって、アーベルトさんから預かってます」


 流石の手際である。浴室の影から着替えを受取り、袖を通す。

 通したのは良いが、明らかに良い生地を使った新品の服だ。

 そこまでなら厚意と思って受け取れるが、問題は服装のデザインだ。


 ゴシック調と言えば良いのか、それともV系と言えば良いのか。

 等間隔に打ち込まれたスタッズに、編み上げの三連ベルトが付いたマント風の真っ黒なジャケット。これまた真っ黒なボトム。

 更に浴室を出ると、これを履けと言わんばかりに揃え置かれた真っ黒なゴツめのブーツ。履いてみるとブーツデザインの安全靴だった。ゴツく感じて当然だ。


 態々、馬鹿正直に身に付けてはみたものの完全にコスプレだ。

 正直言って恥ずかしい。嫌がらせか。


 ドラゴンを一人で殺した俺に対する嫌がらせか!


「あら、似合うじゃない」


「背も高いし、スタイルが良いですからね~」


 浴室を出て店側に戻るなり、カトリエルさんとリディリアさんが自分の姿を見るなり口々に誉めそやすが、皮肉られているようにしか聞こえない。

 出来れば今すぐ脱ぎたい。自分の服装などシャツとチノパンくらいで十分だ。


「何故にこの様な服を……?」


「礼服よ、それ」


「礼服……、礼服?」


 意味が分からなかった。こんなゴシック系、V系バンドの衣装みたいなコスプレが礼服?

 いや、確かに現実世界でも礼服は黒が濃い程良いと言われてはいるが、そもそも、なんで自分が礼服を?


「だって、貴方持っていないでしょう?」


「ええ、まあ……、確かに身一つですが……」


「だったら叙勲式はそれで出なさい」


「叙勲式……、カトリエルさんか、アーベルトさんが勲章を受け取るのですか?」


「は?」


 カトリエルさんの声が1オクターブ低くなる。部屋の温度が三度くらい冷えたような錯覚が起こる。


 自分は何か的外れなことを言ったのだろうか?

 はっきり言ってスケイルドラゴンの咆哮よりも遥かに迫力がある。


「あ、いえ、あのですね。叙勲式に出られるのが誰か分かりませんが、自分の知り合いで叙勲されそうな方と言えば、カトリエルさんとアーベルトさんくらいしか心当たりがありません。正直、帝国の権勢なんかに興味関心が無いので、叙勲される方が知り合いで無ければ、例え素晴らしい功績の持ち主であってもどうでも良いと言いますか、面倒くさいしどうでも良いなー……ってのは駄目、ですかね……?」


 早口に口走ってから、しまったと思ってしまった。

 仮にだ。仮に、今のこの状況が夢では無く、現実なのだとしたら自分は酷く不躾で非常識なことをのたまったのでは無いだろうか。

 カトリエルさんの冷たい視線に晒され、思わず萎縮してしまう。


「ふふっ……」


「本当に、やれやれね」


 リディリアさんが吹き出したのを皮切りに、カトリエルさんが心底呆れた様子であからさまに溜息を吐く。


 自分が何かを仕出かしてしまったことだけは分かった。それも相当に馬鹿みたいなことをだ。

 二人のこの反応、いつまで経っても大人になれない馬鹿な男にする反応だ。


「えーと……自分、外国人なんで、帝国の常識とかよく分からないし状況を教えてもらえると助かります」


 取りあえず、そういう設定でいくことにした。

 何か仕出かしても「僕、外国人ーっ!!」でごり押しすることに決めた。


「ああ、ごめんなさい。そう言えば、そうだったわね。貴方、今回の騒動でスケイルドラゴンを一人で討伐したでしょう?」


「ええ、まあ……それで自分が叙勲、ですか?」


 漸く理解したかと言わんばかりにカトリエルさんが頷いた。

 しかし、アレは討伐したというか怒り任せに暴れてぶっ殺したと言うか、気が付いたら死んでいたと言うか、そんな感じだ。


 正直、素面になった今の状態で、もう一度同じことをやれと言われても多分、無理だ。

 それにまた胡桃さんがドラゴンに仕掛けて返り討ちに遭って泣き出す羽目になる。

 冗談じゃない。次の機会があったら胡桃さん連れてとんずらだ。誰が二度と戦うものか。


「帝国ではドラゴンを単独で討伐した人には龍殺しの称号がもらえるんですよ」


 リディリアさんがまるで自分のことであるかのように喜んでくれているが、自分では役者不足にも程がある。

 とてもでは無いが、そんな仰々しい称号や勲章を付けて歩く自信なんてない。


「単独って……何でそんなことに……?」


「本来、ドラゴンを討伐する時は魔術を使って堅牢な鱗を剥がしてから攻城兵器で討伐というのがセオリーなのだけれど、今回の襲撃に現れたのが魔術防御に優れたスケイルドラゴンだったせいで、それが通用しなかったのよ。初動に大幅な遅れが生じた結果、あんなことが起こって蒼一郎さんが交戦を開始。そのまま撃破。目出度く新たな龍殺しが誕生した、というわけね」


「五年ぶりに現れた七人目の龍殺し! しかも、外国人としては初だそうですよ!」


 余程凄いことらしくリディリアさんは喜色満面の笑みで飛び跳ねるが、あんまりピンと来ない。


「それって受けないと駄目ですか? 正直、ルトラールみたいな輩が激増しそうだし辞退したいのですが……」


 この礼服と言う名のコスプレ衣装を着せられた理由は分かったが、平穏を乱される予感しかしなかった。


「辞退は出来るけれど、それはそれで却って有名になりそうね」


「あー……」


 確かにそれは言えている。頭を抱えていると胡桃さんが不思議そうな顔をして隣にやってきた。

 現実逃避がてら胡桃さんを胸の中に抱き入れる。満面の笑みを浮かべ、ぱたぱたと尻尾を振って自分の胸元に額を擦り付けてきたので、触り心地の良い後頭部を撫でてやる。


「この礼服を用意したのだってアーベルトなのよ? 要塞上層部は貴方を叙勲するのは決定していると思って良いわね。こんな時ばかり動きが早い」


 カトリエルさんは鼻を鳴らして冷ややかに言葉を続ける。


「それにダニエラには気付かれていると思って良いわね。そして、彼女の性格上、善意で貴方の噂を流す――、もう流している筈。更に初の外国人龍殺し。ルトラールなら直感的に察するわ。戦士ギルド内に貴方の名前は知れ渡っていると思った方が良いでしょうね」


「あぁー……」


 現実逃避がてら胡桃さんの頭を撫で繰り回す。

 ダニエラさんにはレッドダイヤに件で恩義があるから別として、ルトラール。あの野郎……


「私としては貴方には龍殺しの称号を受けてもらいたいと考えているのだけれど、どうかしら?」


 彼女がそう提案する理由はクラビス・ヴァスカイルと、魔人に関わることだからだろう。

 確かに龍殺しの実績があれば帝国内での扱いも随分良くなるかも知れない。自分達の目的に関わる情報に深く入り込むことも期待出来る。

 自分の価値観と好悪はさて置き、自分を高く売り込むチャンスでもある。


 魔人を皆殺しにするまでの一時の苦悩だと、そう割り切ろう。

 魔人共を生かしておいたら、また今日みたいな事が再び、もっと最悪な形で起こるかも知れない。


「分かりました。受けましょう。考えようによっては龍殺しの称号は使い物になります」


「そう。叙勲式は二日後だから、その間にその礼服に着慣れておくと良いわ」


 このコスプレ礼服を着こなさなければならない。それだけが憂鬱だ。


「大都市で受ける叙勲を道具扱いなんて蒼一郎さんくらいですよ」


 リディリアさんが苦笑いを浮かべるが「外国人なのでご勘弁を」と返しておく。

 この『外国人だから』という言い訳、思った以上に使い勝手が良い。

 大抵のことはこれでごり押しが効きそうだし、問題や苦悩の棚上げに役立つ。

 何より、一々言い訳を考えずに済むところが最高だ。


「ああ、それとですが冒険者ギルドの登録のタイミングはどうしましょう? 叙勲式の前と後、どちらが高く売り込めそうですか?」


「叙勲式前に済ませておきましょう。貴方が無職なのを良いことに色々な組織が取り込みに来るわよ。そうなるとかなり自由が制限されるわ」


 彼女にとって深い意味は無いのかも知れないが、その無職という言い方は心に刺さるので止めてもらいたい。

 帝国の法に則れば、確かに住所不定無職なのかも知れないが。


「ところで貴方、独身って言っていたわよね?」


「ええ、三十五くらいまでは独身でいるつもりですが」


 晩婚化の著しい現代だからこその価値観だが、帝国だと大分非常識な発言なのかも知れない。

 リディリアさんが表情を凍り付かせる。カトリエルさんも一瞬だけ凍り付いたように見える。

 そう言えば、トーヴァーさんがリディリアさんのことを十八の行き遅れとか言っていたが……。


「故郷に恋人は?」


「いいえ、いませんよ」


 数日前、「どうせ私より犬の方が大切なんでしょっ!?」と詰め寄られ、最終的にフラれた。

 二年に一度くらいのペースで同じことを言われてフラれているし、恋愛に幻想を抱けるような年齢でも無い。 ショックも受けないし、最早、慣れっこだ。


「それがどうかしましたか?」


「だって蒼一郎さん、龍殺しですよ? 龍殺し! 司祭殺しのエルフに卑劣の王オライオン。その上、魔人にドラゴン。これからの帝国は力が求められるでしょうし、色んな貴族から求婚されるんじゃないですか?」


「うげっ……」


「その反応を見る辺り、本当に結婚したくないのね」


 自分が思うに結婚とは――、他人を家族として迎え、これから続くであろう半世紀以上の生涯を共にする。

 やがて生まれる子孫の人生や運命に対し、義務と責任を背負うということだと考えている。


 少なくとも『私と犬、どっちが大事なの!?』なんて馬鹿げたことを口走るような女と一緒になる事を選ぶことは無い。破綻するのが目に見えている。

 結婚相手に求めるべきは容姿や人格では無く、多くの事を背負う事に自分が微塵の躊躇いも感じない。そう思わせてくれる女性で無くてはならない。


 とまあ、義務や責任が重要とは言うものの、出来ることなら義務も責任も少なく、小さい方が良い。

 自由気ままな独身生活をもっと満喫していたいし、自分が稼いだ金は自分が好き勝手に使いたいし、休日だって自分の都合の良いように過ごしたい。要は幼稚なガキなのだ、自分は。


 勿論、こんなことを口にしては顰蹙を買うだけなので口には出さずに外国特有の価値観だと思ってもらうことにしておく。


「貴族の大半は人間史上主義を掲げているから、結婚する気があるのなら差別主義でない家だけでも教えておこうかと思ったのだけれど……」


「お気持ちですら結構です」


 面倒臭いことこの上ない。


「ますたーが結婚して赤ちゃんができたら胡桃さんがまもってあげるねー」


 胡桃さんが無邪気そうな顔をして言った。

 犬は子どもの情操教育に良いって言うし、その時が来たら胡桃さんに任せる気満々だ。


 そんな事を考えていると胡桃さんが自分の子供を子守りしている姿が見たくなってきた。

 いや、そんな無責任な理由で子供をこさえるなんて馬鹿な真似をするつもりは無いが。


「え? 胡桃さん、蒼一郎さんが結婚しても良いの?」


 リディリアさんが驚いたような表情で言うが、胡桃さんは何故そんなことを言われているのかが分からないと言わんばかりに不思議そうな顔をして小首を傾げる。

 胡桃さんのことは本当に大切だと思っているし、大好きだが、だからと言って犬と結婚するのはちょっと……。

 せめて人間と結婚させて欲しい。


「えっとね、結婚しておくさんに赤ちゃんを産んでもらわないとだめだよ?」


「なんか意外……、てっきり、マスターと結婚するーなんて言いそうなのに……」


「?」


 胡桃さんが『なんで胡桃さんが?』と更に不思議そうな顔をする。と言うか、既に自分達は家族だ。


「話が脱線しているわよ。兎に角、蒼一郎さんが独身希望となると事情が変わって来るわね。龍殺しの称号を叙勲した権威のある独身無職だなんて、取り込んで下さいと言っているようなものだもの」


 権威のある無職とは、また凄い響きだ。彼女の言う理屈は分かるが、矢張り無職という響きは心に刺さる。

 ちょっと就職して来るので話を一度中断して冒険者ギルドハロワに行かせて欲しい。


「仕方が無いわね。蒼一郎さんの婚約者を私ってことにしておきましょう」


 自分が下らないことを考えているとカトリエルさんは涼しい顔をして、とんでも無いことを言い放った。


「三日前に知り合ったばかりなのはダニエラも知っているし……、前々からの知り合いという線は無理。

 スケイルドラゴンに襲われていた私が蒼一郎さんに救われて一目惚れした事にしておけば良いわね」


「本気ですか……って問うまでも無さそうですね……」


「ええ、余計なことにかかずらってはいられないもの。それに私が平民とは言え、錬金術師としての影響力は其処らの木っ端貴族如きに劣るものでは無いわ」


 そう言ってカトリエルさんは液体の入った小瓶を振った。


「なんですか、それ? 良い匂いしますね」


 リディリアさんが興味深そうに言う。かすかにマートルの甘い香りがする。

 恐らく、浴室に使われていたマートルオイルだ。


 現実世界に持ち帰れば一財を築けそうな万能洗浄液。美容効果も抜群となれば貴族達が放ってはおかない。

 王族御用達に選ばれていても不思議では無い。確かに凄まじい影響力を持っていそうだ。


「私の資金源よ。貴女にもあげるわ」 


「わ、ありがとうございます!」


「良かったですね。多分、それ一本で金貨数千枚はしますよ」


「え゛……?」


 喜色に満ちたリディリアさんの表情が凍り付く。


「盛大に使って良いのよ。利益は貴族の奥方様達から毟り取っているから」


 ご愁傷様である。大切な資金源を干上がらせる程、迂闊な人では無いだろうから、本当に大したことは無いのかも知れないが。


「ああ、それからさっき渡した紹介状を返してもらえるかしら?」


「ええ、どうぞ」


 彼女は紹介状を開いてペンを走らせた。


「一応、紹介状には私が貴方に一目惚れして婚約したと書き加えておくわ。後は口の軽い物好き達が勝手に噂を広めてくれるでしょう。それと叙勲式には私も着いて行くわ」


 王族貴族にも顔が広い美人錬金術師と、外国から現れた龍殺しの婚約。話題としてはセンセーショナルだ。

 叙勲式まで後二日とは言え、噂は大きく広まっていくことだろう。

 結果として貴族達の婚活などという魔人殲滅の妨害を受けずに済む。


 大変、肝の据わった発想だ。こう、突飛なことにおいて女性のパワーは信じがたい勢いがある。

 古今東西、世の中の大半の男が女性の尻に敷かれるわけだ。


 更に彼女は何でもないような口ぶりで「ああ、そうだ」と付け加えた。


「輿入れを求めてきた家の中に良さそうな娘がいれば娶って良いわよ? 外国人でも貴族なら妻が数人いるのが普通だし、ましてや龍殺しなら文句も言われないわよ。魔人殲滅の目途が立つまでは私のことは正妻として扱ってもらう必要があるけれど」


 貴族や王族が入り込んできたとしても自分達の計画や行動の障害にはならないとでも言わんばかりだ。逞しいにも程がある。


「勿論、貴族達に取り入りたいなら私が婚約者になるという話は無し。貴方には貴方の考えがあるだろうし、どうする?」


「あー……、いえ、自分と結婚して下さい」


「はい、喜んで」


 何の情緒も無く、無感動に淡々と即答された。

 これはただの建て前。魔人殲滅を邪魔されないようにするための芝居だ。実際に結婚するわけでは無い。

 自分のプロボーズの言葉だって簡素で素っ気ない上に、胡桃さんを抱いたままと無粋を極める。


 だと言うのに自分の声は緊張で堅く、心臓は早鐘を打つ。

 こんなことをする機会は後十年はこなくて良い。茶番でこれなら本番はどれだけ緊張するのやら。


 だと言うのに彼女は緊張する素振り一つ見せず、無表情のまま事務的な態度を崩すことは無かった。

 何とも剛毅な人と婚約(仮)してしまったものである。


 何はともあれだ。


「ちょっと冒険者ギルドで登録を済ませてきます(就職してきます)


 これ以上の無職呼ばわりはごめんだ。

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