第六話 喧嘩仲間
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帝国最強決定戦。予選の一方的過ぎる展開とは打って変わった展開を見せた。
ソウブルーの支配者バーグリフと、その従者にして帝国最強の兵と名高いアーベルトが激突。
下克上を達成したアーベルトは衆人観衆の前でティアメスとの情熱的なキスシーンを晒した。
会場を大いに盛り上げ、バーグリフの亡骸を抱えて会場を去った今もその熱気は醒める様子が無い。
「全く、複雑な気分ですよ」
「あァ?」
観客の凄まじい熱気とは反比例するかのように闘技場は寒々しい。
肌を斬り付けるような、凍て付いた空気が吹き荒ぶっていた。
魔人ガラベルの剣呑な視線に睨みつけられ、蒼一郎はやれやれと肩を竦める。
「あの恐ろしい魔人とお行儀良く喧嘩なんて、あまりにも予想外なもので」
「そうかよ。だが、どんな形だろうが待ちかねたぜ。テメェをぶん殴るこの時をなア!!」
獣の咆哮を思わせる獰猛な叫び声と共に、ガラベルの長身から繰り出されたのは白銀の長槍。
非常に高い靭性を有しているらしく、ガラベルの手で高速旋回する槍は鞭のように柔軟に撓り、彼が構えの姿勢を取るまで、蒼一郎はその武器が全長七メートルにも及ぶ槍だと認識できなかった。
「槍使いですか。剣で太刀打ちするには三倍の実力が要ると聞きますが……」
「ハッ!! 怖じ気付いたかよ?」
「いいえ、別に? 魔力を封じられ身体能力が高いだけのインテリちゃん相手には良いハンデですよ」
ガラベルの侮辱など何も響かない。そう言いたげな静かな態度で蒼一郎の口から挑発が飛び出した。
だが、実際には何も響いていないということはない。
「吹いたな? 装備頼りの糞餓鬼が!」
「上等だ、老いぼれが!!」
ガラベルには今まで散々反抗的な態度を取られ、謂れのない侮辱を受けてきた。
その根本原因は蒼一郎に行き着く。
己に原因があると分かってはいるが、それはそうとして腹が立つ。
公然と殴り、蹴り、斬り、刺す口実を与えられて喜んでいるのは、何もガラベルだけに限った話では無い。
――潰す!!
互いの心の声が重なった。
咆哮する蒼一郎が足元を中心に、地面に蜘蛛の巣状の亀裂が走る。
そうかと思えば、竜巻のような砂埃を巻き上げ、その姿をかき消した。
「!!」
ガラベルの眉間に皺が寄り、瞳孔が縦に裂け、双眸が獣の眼光を放つ。
軽やかに身を翻し、長槍を腰溜めに構える。
それまでガラベルが棒立ちしていた場所に、縦一文字の斬撃が地面を陥没させた。
上から降ってきた蒼一郎の後頭部目がけて、円運動からの一撃を繰り出すも、予備動作が大き過ぎた。
左足を軸に鋭く反転。再度攻撃に転じる蒼一郎の力強い踏み込みから放たれた上段斬りを受け流す。
更に放たれる執拗な追撃を高速旋回する槍で迎撃する。
無防備になった頭部目がけて振り落とされる長槍の一撃に、身を翻して肉薄しする蒼一郎にガラベルの貫手が迫るが首を逸らして避ける。
しかし、後一拍というところで、柔軟に撓る石突が蒼一郎を激しく打ち据える。
「チィ……」
悔し気に声を漏らしたのは、直撃させた側である筈のガラベルだった。
蒼一郎の不意を突いた一撃は、金属同士が激しく衝突する音を鳴らし、眩い火花を咲かせただけに留まる。
魔人の攻撃を真正面から受け止め、痺れる両手に顔をしかめ、衝撃を受け流すように後方へと足を運ぶ。
蒼一郎が姿勢を低く、弧を描くような軌跡を残して疾走すると、ガラベルはそれを追って間合いの外から長槍を旋回させる。
第一撃が蒼一郎の鼻先を掠め、石突と共に今しがた避けた筈の穂先が押し寄せた。
形勢が悪いと見るや、ガラベルの脇口を剣閃と共に走り抜け、間合いを取って地面を踏み抜き制動をかける。
動から一瞬の静に転じる蒼一郎に誘われ、肉薄するガラベルの脇腹に煌めく剣の残影が火花と共に飛び散った。
追撃は無い。蒼一郎の姿は十メートル程離れた位置で、長槍を両手に持ち替え突進するガラベルの背後に回り込み、一撃だけ加えて離脱する。
それを当然であるかのように、疾風の如き敏捷性で迫り来るガラベルに、カウンター気味の一撃を確実に繰り出し出鼻を挫く。
ガラベルの勢いこそ削ぐものの、反撃の尽くが弾かれ、火の花をただ舞い散らせるばかりだった。
「小賢しい真似を!!」
焦れる心に苛立つガラベルが単純な刺突を繰り出す。
蒼一郎は穂先に頬の肉を削がれながらも肩口目がけて斬撃を放つ。
一々躱していては余計な余裕を与えるだけだ。
戦闘行動に影響のない部位への攻撃を意に介さず、ただ只管、攻撃に専念する。
風を斬るような掴みどころのない両者の動きに斬撃と刺突が交差し、何度も立ち位置を入れ替える。
そして幾度目かの激突。
武器同士がぶつかり合う際に生じる反動――、と言うにはあまりにも激しすぎる衝撃。
蒼一郎は耐えるのではなく、力の流れに乗って飛翔するかのように大きく跳躍。
宙空で体勢を整え弓を構え、矢をつがえるような姿勢を取る。
精霊弓を召喚し、牽制を目論んだが――。
「弓が……!? ああクソ……!!」
魔力が使えない者達でも気軽に参加できるようにと――実際には蒼一郎や魔人の攻撃で巻き添えを受けて死者が現れないようにするために――魔術兵装、魔術や魔力の使用は制限されている。
集中するがあまり、ルールを忘れていた。条件反射的に攻撃を不発させた蒼一郎は大きな隙を生じさせる。
「間抜け。こうやるんだよ!!」
ガラベルの力強く踏み抜かれた震脚が、大地に激しい鳴動をもたらす。
爪先から前方に向かって二メートル程の短い亀裂が地面を深く切り裂き、その裂け目から墓石のような石柱が砂煙を巻き上げて立ち並んだ。
巻き上がる土煙がガラベルと石柱を隠し、膝を着いて地面に着地する蒼一郎を石塊の散弾が襲い掛かる。
弾速は当然のように音速を越えている。
猛然と飛翔する岩盤に意識を奪われかけるが、巨大であるが故に回避が容易いのは至極当然。
真に恐るるは細かく砕け、広範囲に拡散する鋭い石欠片だ。その数、三千七百。
小指程度のサイズだがまともに被弾すれば、全身を虫食い状態に貫かれるであろうことは考えるまでもない。
既に引き金を引かれた散弾銃を、眼前に突き付けられているようなものだ。
蒼一郎が如何に尋常では無いとは言え、命を奪うには十分過ぎる驚異的な攻撃力を秘めている。
そして、回避可能な空間は既に無い。
「化け物が小賢しい真似をする!」
負け惜しみを吐き捨て、弾幕の密度が薄い箇所に飛び込み、四方八方に剣閃を走らせる。
擦過音を立て石欠片の弾丸の大半を閃光と共に弾き返すが、幾つかは右肩の肉を削ぎ落とし、左わき腹を食い破り、左掌を貫き、右大腿骨を砕いた。
果実が弾け飛ぶような音と共に鮮血が弾け飛ぶが、これまでの戦いを思えば無視出来る損傷だ。
身体の中に石欠片が埋まり違和感を覚えるがこの身はアバターだ。これも無視出来る。無視出来るなら無傷みたいなものだ。
その一方で、被弾することなく背後を通過する石塊、石欠片が客席に飛び込む直前でヴァルバラの防御結界に阻まれ、吹き荒ぶる爆炎と共に塵芥と化し、その威力の高さを物語る。
被弾した蒼一郎を心配する声が客席からあがるが、当の本人にしてみれば、よくも死ななかったものだと呆れ――。
――見失った!?
失態だった。ガラベルの姿だけではない。
気配も、敵意も、悪意も、殺意も、ガラベルの痕跡を示すもの全てが完全に消失していた。
全方位を警戒し、剣を構えた瞬間、眉間に尖端物を突き付けたときにも似た不快感が蒼一郎を襲う。
「後ろか……ッ!!」
背後から心臓目がけて繰り出される刺突が塵や埃を巻き上げ螺旋を描く。
掠めただけで肉が骨ごとミンチ状に砕かれる程の威力がある。
攻撃の軌道と威力を咄嗟に読み取り、身を深く沈めてやり過ごし、地に着けた右腕を軸にして向き直ろうとする最中、ガラベルの蹴りが顔面に直撃した。
凄まじい衝撃に吹き飛ばされ、地面を転がされること百。
露出した肌を削られ、鮮血に濡れた身体に土がへばりつき蒼一郎の身体を酷く汚していく。
蹴飛ばされた勢いを利用して体勢を立て直し、口腔に溜まった血と土を吐き捨て、後方へと跳躍する。
「よく頭が吹き飛ばなかったもんだ。まともな人間なら今の蹴りで死んでいたところだ」
先程から一方的にやられっ放しの状況に苛立つ感情を誤魔化すように、おどけたように笑みを浮かべて首の骨を鳴らす。
「加減してやっただけだ!!」
その態度を挑発と見たガラベルの眼が憤怒の色に染まる。
高速で旋回する長槍が、死者の唸り声を思わせる禍々しい異音をかき鳴らし、力強い踏み込みに耐えかね破壊された地面の残骸が飛び跳ねる。
「テメェはこの一撃で消し飛ばしてやる!! 我は戦場を貫く者也!!」
更なる踏み込みと共に、長槍がジェットエンジンの排気音の如く轟き、音速の壁を越えて射出される。
「ッ!?」
大地を切り裂き、土塊の散弾とは比較にもならない速度で放たれた長槍を打ち払う。
――奇跡だ。
恐らく、もう二度と同じことは出来ない。
謙遜では無く、反射的且つ、苦し紛れに剣を振るったら偶々弾き返せた。偶然の成果だ。
だが、いつまでも偶然と奇跡に感動してはいられない。
上位の魔人が放つ技がこの程度で済む筈が無いからだ。
鳴り止まない残響の中、蒼一郎は宙を舞う長槍と、無手のガラベルの動きを警戒するように構え直す。
肺に溜まった古い空気を吐き出し、新鮮な空気と入れ替える。長槍が地に落ち、蒼一郎は呼吸を止める。
カランカラン、カラーン。
何も起こらない。
残響が止んだ。
矢張り、何も起こらない。
そして気付く――。
「もしかして魔術攻撃をしようとしてました?」
「うぜぇ……!!」
ばつの悪そうに吠えるガラベルに苦笑を浮かべて構えを解き、足元を転がる長槍を軽く蹴ってガラベルの足元に戻す。
地に突き刺さる長槍と蒼一郎を見比べ、ガラベルが牙を剥く。
「貴様、何のつもりだ? 舐めてやがるのか!!」
「別に? お前を舐めてやる程、自分は愚かではないつもりですよ」
肩を竦めて腕を組み、考え込むように眉間に皺を寄せて首を傾げる。
「しかし、そうですね……、お前にも分かる言い方をしましょうか」
そして、心底意地底の悪そうな笑みで表情を歪ませる。
「間抜け」
「殺す!」
含み笑いと侮蔑を込めた蒼一郎の一言にガラベルが吼え、槍を手に高く跳躍する。
空中で身体ごと旋回し、落下と回転によって生じるエネルギーを乗せた落雷の如き一撃が蒼一郎の頭蓋に叩き落とされる。
「上等だ!!」
斬撃を跳ね上げ穂先を受け止める。撓る石突に身を打たれ、押し潰されそうになる衝撃を堪える。
刃を押し上げ、右足を軸に左胴回し蹴りで滞空するガラベルを蹴り飛ばすが、爪先に手を着き軽やかに跳躍し、眉間に突き付けられた穂先を後方に跳躍して避ける。
空を切る穂先が地面を穿ち、棒高跳びの要領でガラベルが飛び上がり、蒼一郎の頭上から猛追する。
「猿みたいに飛び回りやがる……!」
武器の射程距離に加え、卓越した身体制御能力が追随と反撃を許さない。
五月雨の如き刺突の雨を一方的に降らせる。
蒼一郎は飛び退き、地面を転がり、這う這うの体で辛うじて避けながら歯噛みする。
体勢を立て直し、跳躍せんと膝を曲げた瞬間、ついにガラベルの長槍が蒼一郎の左肩を貫いた。
「野郎っ!!」
吠えたのは貫かれた蒼一郎では無く、貫いたガラベルだった。
――誘われただと!?
それを悟ったのは左肩を貫かれたにも関わらず、蒼一郎が勝機を確信するかのように口の端を吊り上げるのを見たからだ。
己の身を貫通する長槍が更に深く侵入してくるのもお構いなしに、神速の踏み込みで肉薄し、槍に沿わせ斬撃を繰り出す。
上体を反らし、火花の迸る剣閃をやり過ごすも額を切り裂かれ、鮮血で顔を濡らす。
「クソが……!!」
長槍を振り上げ、貫いたままの蒼一郎ごと地面に叩き付ける。
更に振り上げ――突如として重量感が減少し、軽くなった穂先が空を切って地面に食い込んだ。
槍に残るは蒼一郎の左腕のみ。
自らの左腕を肩口から斬り落とし、拘束を解かれた蒼一郎は無防備を曝すガラベルの頭蓋目掛け、飛翔する。
落下する身体をバレルロールの要領で旋回させ、十分な回転によるエネルギーを蓄えた一太刀を振り落とす。
左の肩口から袈裟懸けに振り落とした刃を、ガラベルの肘で受け止められ、長槍の穂先と石突が鞭のようにしなり蒼一郎の眉間と後頭部を挟み打つように迫る。
――知ったことか。
迫り来る攻撃を察して尚、無視して刃を引き抜く。
もつれ込むように飛び付いて、剣の柄尻で殴り付け、ガラベルの額を額を叩き割った。
崩れた体勢から槍の穂先と石突が蒼一郎の右耳を引き千切る。
右側頭部が赤く染まるが、殴り付ける手が止まることはない。
「効くかよ!」
既に多くの血を流しており、今更欠損の一つや二つ増えたところで大差は無い。
飛び退くついでにガラベルの顎を蹴り上げ、仰け反った首筋に剣閃を走らせる。
脳を激しく揺さ振る一撃と首からの激しい失血に遂にガラベルが地に崩れ堕ちた。
立ち上がろうとする素振りを見せるのも一瞬、息を切らせて脱力する。
眼は開いている。
意識もある。
だが再び動き出す気配はない。
そして、蒼一郎は確信する。
「は……は……お、俺の、勝ちだな……!!」
「クソが………!! テメェの……勝ちだ……!!」
構えを解いて呼吸を再開する蒼一郎に、ガラベルは崩れ落ちたまま敗北を認める言葉を口腔から絞り出した。
蒼一郎は荒い呼吸と共にガラベルに近付く。
重荷を背負わされた殉教者のような重々しい歩みだ。
ともすれば今すぐに崩れ落ちそうな程に頼りない歩みで眼下にガラベルを捉え、右腕一本でレーベインベルグの切っ先を天上に掲げ――、
「あ、やっぱ無理」
軽々しい言葉が蒼一郎の声から漏れ出し、剣を掲げたままの姿勢で背中から地面に倒れ込んだ。
「倉澤蒼一郎、貴様……?」
勝敗を場面だ。最後の一撃を叩き込んで然るべき場面だ。
それを自覚していただけにガラベルは弾かれたように起き上がる。
この男の――、倉澤蒼一郎の勝利を認めたが故に、この引き分けを与えられたような状況が我慢ならなかった。
そして、怒りはあれど戦意の無い眼で倉澤蒼一郎の姿を改めて見て納得する。
「やせ我慢の強さは自分の方が上ってことですよ」
襤褸屑が――、倉澤蒼一郎が含み笑いを浮かべて言葉を漏らす。
耳が千切れ、頬が裂け、右足が捩じれ、左腕は欠損し、岩盤に貫かれた傷口からは夥しい鮮血が止めどなく流れ出し、地面を赤黒く染め上げていく。
如何にこの男が純粋種で、半神半人と言えども、基本的な身体性能は魔人よりも、人類寄りだ。
「後一撃でも粘られたら……、敗北していたのは此方、だった……。もう、指一本動かせない。喋るのも……億劫だ」
「貴様……!」
「……………………………」
怒声に対する応えは沈黙だった。
「気絶しやがっただと? ふざけやがって……余裕があるだけ勝ち目あったんじゃねぇか。クソが! 悪足掻きとルールに救われたくせに満足面して寝こけやがって!」
立ち上がり、蒼一郎に近付いていく。今ならこの男を倒すことが出来る。
だが、手にかけることはしない。
先に敗北を宣言したのは己だ。
その後、相手がどうなろうと、勝ち目が転がり込んでこようとも先に敗北を認めたのは己なのだ。
その事実は決して覆ることは無い。
悪意も、敵意も、殺意も無く、蒼一郎を抱えて闘技場の隅へと歩を進める。
近付いて来た審判に「先に敗北を認めたのは俺だ」と申告して押し退ける。
「悪足掻き、か」
――最後に悪足掻きしたのはいつだった?
洗脳に操られたオズヴェルドの襲撃を受けたとき。
――いや、勝てる筈が無いと最初から諦めた。
人類が国を作ったとき。
――いや、何も思うことなく遅々とした発展を眺めていただけだ。
地殻変動から生き延びた高齢世代が尽く自らの命を断っていったとき。
――いや、自ら支配する側に立つことすら考えず、ただざまあみろと思って見殺しにした。
地殻変動の発生が予測され文明の破壊が免れないと知ったとき。
――いや、なるようになれとただ流された。
高齢世代に研究成果を横取りされ、未公開の論文を盗用されたとき。
――いや、腹を立てるだけ時間と労力の無駄だと思って何も言わず、何もしなかった。
そもそも、最初に足掻いたのはいつだ。足掻いたことはあったか。
いつかその内、誰かが良くしてくれる。世界を変えてくれる。
そんな無様で怠惰で愚かな願いを抱いていただけではなかったのか。
足掻いたことなど――。
「ガラベル!」
「ヴィヴィアナか」
自問自答しながら歩みを続けていると妹分のような長い――、七千年以上の付き合いになる女が声をかけてきた。
今更になって闘技場の裏に辿り着いていたことに気付く。
「お疲れ、負けちゃったねぇ」
「コイツの程度は知れた。次の喧嘩で勝つのは俺だ」
「え、ええ? 次って……」
男の負け惜しみをするような物言いに女は戸惑った。
これではまるで、相手を対等な存在だと認めているようだと。
「そういや、ヴィヴィアナ」
「んー?」
「俺、お前のこと好きだわ」
大事な家族のために勝ち目のない相手と戦う。
成る程、確かに倉澤蒼一郎という男が気に食わなくて当然だ。
ガラベルが足掻く理由は決まって、目の前にいる女に関わることだけだった。
他の魔人同様に諦め癖が付き、身近過ぎてすっかり忘れていたが、元々悪足掻きの動機なんてものは限られているものなのだ。
「ガラベル、今なんて言った? もっかい! 百回言って!!」
男の人類に対する急激な心変わり以上に、衝撃的な言葉が飛び出したことに女は狼狽する。
聞き逃したりなどしていない。何の心構えも無く、唐突に言われ、聞き流すような形になってしまったのが、酷く惜しくて堪らなかった。
「言わねぇよ、莫迦が」
女に聞かせるための言葉では無い。己にとって誰が大切なのかを理解するために口にした言葉だ。
だから、女の要望に応えることはせず、ただぶっきらぼうに言ってのける。いつものようにだ。
「ぶー!! 言ってってばぁ!!」
「倉澤先生!!」
「あン?」
地殻変動以前から変わらぬやり取りを引き裂くような緊迫した声が彼等の耳朶を叩く。
赤毛の少年が息を切らして駆け寄って来る姿が見えた。
恐らく、大会出場者の生命が安全に確保されていることを知らないのだろう。
観客席で呑気に勝利を喜んでいる倉澤蒼一郎の女達とは対象的な態度だ。
「ガラベル、あの子は……」
ヴィヴィアナは見覚えが無いと首を横に振る。
だとすれば、ルカビアンの十九魔人であるということも知らないのだろうと察する。
「坊主。お前、コイツの弟子か何かか?」
「僕……いや、自分は倉澤蒼一郎の一番弟子、ヴィルスト」
「そうかい。わりーな、おめーの師匠ぶっ刺して」
「あの、貴方は?」
「俺か? 俺は……」
ガラベルは意識を意識の海に沈める。そして、思考する。
倉澤蒼一郎を敵とするか否かで言えば、甚だ不本意だが、断じて否である。
ライゼファーを完殺された。
二度と話をすることも出来ない。
その嘆きを嘲うかのように倉澤蒼一郎の妻にしてハーティアの養女、カトリエルは生者にままクラビス・ヴァスカイルに渡る術理を身に付けた。
会いに行こうと思えばいつでもライゼファーと再会することが出来るようになっていた。
そして、ライゼファーはクラビス・ヴァスカイルで、人類と意気投合し、倉澤蒼一郎とも和解が成立している。
最早、恨む理由など無い。
しかし――、己の預かり知らぬ場所で親しい者が殺され、これまた己の預かり知らぬ場所で加害者と被害者が和解を成立させ、蚊帳の外で様々な出来事が起こり、気付いた時には何もかもが手遅れだったという状況に決して小さくない憤りを覚えていた。
今はどうか? この男は己にとって何者なのか。
男にとっては長く、少年にとっては一瞬の思考の後に出した結論は――、
「コイツの喧嘩仲間だ」
その表情は懊悩から解放され、晴れやかなものだった。
※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※
Copyright © 2017-2019 芥川一刀 All Rights Reserved.
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