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第十話 無名の龍殺し

※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


Copyright © 2017 芥川一刀 All Rights Reserved. 


※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※※


 時に怒りは思いも寄らない力を発揮することがある。

 それをカトリエルは改めて目の当たりにした。


 古い友人のダニエラに紹介された倉澤蒼一郎の第一印象、それは大型犬だった。

 デザインこそ変わってはいるが仕立ての良い服装に身を包んでいる事から、身分と立場がある事を感じさせ、カトリエルは蒼一郎を外国の貴族だと考えた。


 帝国の貴族にしては素直過ぎる。平民や錬金術師に対しても丁寧な口調と柔らかい物腰の振舞い。

 居丈高になることも権力を振りかざすことも無い。ありがちな慇懃無礼さも全く感じなかった。


 警戒することを忘れてしまうような貴族など見たことも聞いたことも無い。


 極めつけは半獣の少女に名を付け、家族として扱い、溺愛するなんて絶対にありえないことだ。

 余程の馬鹿か、余程の聖人か、余程の世間知らずか、ともすればお人好しのような人格に加えて百九十センチ程もある長身が、余計に大型犬らしさを醸し出していた。


 魔人を始末したい――暢気な男にそう言われても、あまり現実味を感じなかった。


 胡桃がスケイルドラゴンの焔に呑み込まれた際の絶望感、無事だと知った時の安堵する表情。

 蒼一郎が帝国人とは大きく異なる理の持ち主であることをカトリエルは漸く理解した。


 そして、カトリエルは蒼一郎の怒り、その一端に触れたことで、魔人を始末したいという気持ちが決して軽いものでは無く、その動機が胡桃の安全、その一つだけに集約し、それが信仰心よりも遥かに重いことを悟った。


 ろくな武器も持たず、一人でドラゴンを殺す。普通に考えれば与太話でしかない。

 だが、此処に来て、それが与太話の類では無く、どうしようも無く現実となった。


 スケイルドラゴンの鱗は一枚一枚が魔術攻撃を弾き返す障壁としての役割を持っている。

 魔術師の大火力を活かすには大砲や投石器などの攻城兵器による意識外から奇襲で鱗を引き剥がし、柔肉を露出させる必要がある。

 それで漸く、まとまったダメージを与える準備が整う。


 カトリエルですら拮抗状態を形成し、まずは時間を稼ぐことを選んだ。


 アーベルトと別れてからそんなに時間は経っていない。

 時間を稼いでいれば程無く鱗を破壊するというおまけ付きで合流が出来るはずだ。

 本格的に攻撃を仕掛けるのは彼が戻ってきてからでも遅くは無い。


 ――だと言うのにだ。


「死ねよ、下等な爬虫類如きがッ!!」


 スケイルドラゴンの口腔から放たれる火炎弾を単純な脚力だけで走り抜け、巨大な剛腕から繰り出される爪撃を前転で潜り抜け、刃のように鋭い翼の羽搏きを精霊剣で受け流す。

 魂さえも凍てつく程の殺意に満ちた咆哮に罵倒で対抗し、頭蓋に二度、三度と精霊剣の斬撃を振り落とし、刃が通らないと見るなり、更に距離を詰めて人間の頭部よりも巨大な眼球に刺突を繰り出した。


 能力も度胸も足りている。だが、一番肝心な武器の攻撃力が足りていない。

 蒼一郎に与えた指輪には精霊兵器を召喚するための術式が刻印されている。


 名前の仰々しさとは裏腹に、人間好きの精霊が人間の真似事で作った劣化武具だ。

 スケイルドラゴンの鱗一枚どころか、弾性に優れた眼球にも傷一つ付けることが出来ず、弾き返されたたらを踏む。


 精霊弓も同じだ。弦を引くと矢が雨霰と降り注ぐが一本も刺さらない。かすり傷一つ付けることが出来ずに弾き返されていく。そこで諦めるならまだ可愛げもあるが、蒼一郎が次にした行動は更なる前進だった。


 スケイルドラゴンはいつまで経っても獲物を仕留め切れずに苛立ち混じりの咆哮と共に再び焔を咥える。

 龍の咆哮は一種の魔術で、呪詛の力を持つ。まともに聞けばたちまちの内に恐怖による精神ダメージを受ける羽目になる。


 カトリエルは防護結界を展開するが完全に防ぎ切れず、トーヴァーとリディリアが脂汗を浮かべて片膝を突く。


 それにも関わらず、咆哮を浴びる度に蒼一郎は萎縮するどころか、その動きには鋭敏さが、攻撃には殺意が、吐き出される罵倒には敵意を重ねていく。あの指輪にはそんな効果は無い。


 つまり、蒼一郎の身には呪詛に対する耐性が備わっていることを意味する。

 人間にそんな特性は備わっていない。さりとて魔術行使をした形跡も無ければ、呪詛耐性持ちの装備を付けている様子も無い。

 倉澤蒼一郎という人間のみに与えられた個性なのか、それとも怒りによって目覚めた力か。


「死ね! 死ね! 死ね! 死ねッ! 死に腐れ糞豚ァッ!!」


 罵声と共に振り下ろされる斬撃。

 ついに精霊剣が耐え切れず圧し折れるが、蒼一郎は間髪入れずに新たな精霊剣を召喚する。

 踏み込んだ足を軸にした円運動の中に回避と攻撃を織り交ぜ、時にドラゴンの攻撃を足場に跳躍したかと思えば、滑り込むように股下を天地自在に駆け抜ける。


 そして、互いに決定打が無く、膠着していた戦いがついに変化を見せた。

 スケイルドラゴンが翼や尻尾を振り回そうと身体を捩り、竜巻の如くその身を旋回させた。

 その瞬間の出来事である。切断された長い尻尾が宙を舞った。

 

 空に広がった緑色の鮮血が豪雨となって地面を叩き、それに巻き込まれた者も少なからずいたが、ただ茫然とするしか出来なかった。

 切断された尻尾が重い音を立てて地面に叩き付けられ、漸く頭と身体が動き始める。


 動いたところで戦いを見守る大半の者の脳裏を占める言葉は――


 訳が分からない。


 ――である。


 誰もがそう思った。

 特に尻尾を切り取られた当事者であるスケイルドラゴンは、輪をかけて意味不明過ぎた。


 このちょこまかと動き回る羽虫が必死になって攻撃しても自慢の鱗に傷一つ付けることが出来ない。

 それだというのに鞭のように撓り、槍のように鋭く、触れる物を鋸状の鱗で削り殺す自慢の尻尾が、この小さな羽虫に、下等生物に切断された。

 困惑はすぐに怒りになった。怒りが全身を支配し、その咆哮を轟かせようとして失敗した。声が出ない。


 スケイルドラゴンの首が半ば程まで切り裂かれている。


 尻尾を切り落としたのも、喉を引き裂いたたのも、倉澤蒼一郎の手によるものだ。


「やっと貴様の殺し方が分かってきた。ここからは一方的だ。今すぐ殺してやる」


 殺意と殺気に満ち満ちた言葉が小さな羽虫から、蒼一郎の口から洩れる。

 羽虫の言葉が伝わらずともその言葉には呪詛にも匹敵する濃密な殺気が込められている。

 そうで無ければ、羽虫ほどの人間が放つ奇声如きにドラゴンが後退することは無い。


「成る程。魔術耐性のあるドラゴンにはああやって戦えば良いのね」 

 

「いきなりドラゴンが血塗れになりましたけど何があったんですか?」


「特別なことは何も。彼はただ精霊兵器を召喚しているだけ」


 感心したようにカトリエルが呟くが、リディリアにとってはまるで手品か奇術を目の当たりにしたような気分だった。


 だが、蒼一郎は本当に、ただ召喚しているだけなのだ。

 ドラゴンの攻撃を紙一重で避け、僅かに生まれた隙を突いて、その巨躯に掌を押し当て精霊兵器を召喚。


 精霊兵器は召喚に応じて蒼一郎の手の中に納まろうとするが、そのためには蒼一郎の手先にある物、ドラゴンの肉体が邪魔だ。

 だから、元々其処に有ったスケイルドラゴンの鱗、肉、骨を押し退けてこの世界に出現するスペースを確保しようと力場が形成される。

 結果的にドラゴンの強固な肉体を耐性に関係無く破壊することが出来る。


 スケイルドラゴンの尻尾を切断したのも同じ理屈だ。

 尻尾を掴み精霊盾を召喚。精霊盾は長さ百六十センチ、横幅百二十センチ、長方形のタワーシールドだ。

 如何にドラゴンが巨大であろうとも上手く体内に召喚することが出来れば、肉を分断することも容易い。

 

 ブレス対策で首に刻んだ裂傷も精霊盾を召喚して肉を押し退けてから送還して作ったものだ。

 召喚した精霊兵器を武器として扱う必要は無い。召喚を終えた時点で攻撃は完了しているのだから。


「召喚魔術ってえげつないですね」


「精霊兵器をあんな使い方する召喚魔術師なんて見たことがないわ。

 ましてやドラゴンに長時間張り付きっぱなしなんて命知らず。私にはとても真似できないわね」


 だが、カトリエルは思う。蒼一郎の精霊兵器の使い方は本質を突いていると。


 後退するドラゴンに肉薄すると、その禍々しい足に精霊剣が剣山のように生え、地面に縫い付け、悶絶させる。


「最強気取ってる化け物がかすり傷程度で喚くな!!」


 人間の腕は二本。だからと言って精霊剣の召喚上限が二本と決め付ける必要は無い。

 必要なら必要な分だけ十本でも百本でも千本でも召喚すれば良い。召喚数量の上限は魔力が続く限りだ。

 そして、カトリエルが蒼一郎に贈った指輪には膨大な魔力が充填されている。千や二千で尽きる程安い物では無い。


 それにしてもだ。蒼一郎を頭から食い千切ろうと牙を剥いて迫る顎門に躊躇うことなく手を突っ込む胆力には流石のカトリエルも驚かされた。


 その凶悪な顎門が閉じるよりも先に僅かな隙間も無い程、精霊剣を召喚し、その牙を粉砕し、腐臭漂う口腔から腕を引き抜く。

 引き抜いた腕を砕かれた顔面に叩き付け、柄頭が生えるように召喚するとそれを足場にして頭蓋に飛び移り、龍の巨体を駆け巡る。

 一歩踏み出す度に足跡代わりの精霊剣がスケイルドラゴンの体内に深々と突き刺さっていく。


「カスが逃げられると思うな!!」


 蒼一郎が目指したのは背中から生える二枚の翼だった。

 その付け根に手を伸ばし、精霊盾を召喚して翼を切断する。切断面からは鮮血が噴水のように勢いよく飛び出る。


 返り血を浴びて汚れていく蒼一郎の顔は未だ怒りが収まることは無い。

 いつものような人の好い笑みや胡桃に見せる甘い面影は微塵にも残っていない。


「凄まじい狂相だな」


 蒼一郎の豹変ぶりにトーヴァーが警戒心を露わにするが、カトリエルは首を横に振って否定する。


「大切な家族を傷付けられて心穏やかでいられないのは当然でしょう。

 彼の場合、それが怒りに振り切れているようだけれど、ドラゴンを前にしても少しも怯えること無く、怒りを持続できるのは、それだけ胡桃ちゃんのことを大切に想っているという証拠。印象通り家族想いの男性じゃない」


 まるで質の悪い冗談だ。


 トーヴァーはそう思わずにはいられなかったが、カトリエルは胡桃を抱きかかえたままシニカルな笑みを浮かべて、蒼一郎の戦いを見守っている。


(最近の都会の若者はこういう感じなのか……?)


 カトリエルも口ではそう言いつつも内心では「だけど、蒼一郎さんじゃドラゴン退治の勇敢なナイト様役にはなれそうにはないわね」と付け足した。

 事実、古今東西、現実幻想に関わらず、全身に返り血を浴びてドラゴンの四肢を切断して嬲り殺しにする勇敢な正義の騎士など前代未聞だ。


 漸く駆け付けた衛兵や冒険者、戦士達はこの惨状に思わず息を呑む。


 スケイルドラゴンは四肢、翼、尻尾を欠損した達磨状態。

 頭部は顎門が完全に破壊され、眼球からは何本もの剣が飛び出し、身体は剣の墓標と化している。

 身体の至る所から剣の切っ先が飛び出し、特に内蔵の辺りは念入りに破壊されている。


 この惨状を一人の人間が使い勝手の悪い召喚術、それも最下級の精霊兵器によって行われたというのだから絶句するしかなかった。


 この状況で満足気に笑みを浮かべるのは唯一人、錬金術師のカトリエルだった。

 まさか温厚な大型犬だと思っていた協力者が龍さえも噛み殺す狼で、魔人殺しという目的も一致している。

 そして、倉澤蒼一郎を凶行に走らせたトリガーは倉澤胡桃を害したこと。そんなことなら気を遣うまでも無い。


 元より彼女に胡桃を害するという意思は微塵にも持ち合わせていないのだから。


「無名の龍殺し……ね。意外と隠れているものなのね」


「身の程を弁えろクズがッ!」


 最強の幻想種と呼ばれるドラゴンの巨体を無残な惨殺死体に作り替えたにも関わらず、未だに怒りが収まらないのか、物言わぬ躯となったスケイルドラゴンを足蹴にして唾を吐き捨てる蒼一郎に、カトリエルは苦笑して未だ目覚めぬ胡桃の頬を撫でるのであった。

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Copyright © 2017 芥川一刀 All Rights Reserved. 


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