山と肉
海に出るために舟を用意して準備を整えた僕たちは現在、なぜか山の中を歩いています。
その理由は簡単で、僕――ピートが丹精こめてお造りした舟をサーシャ様がお気に召さなかった、という事実に他なりません。
「そうだ!山へ登ろう。」
サーシャ様の、この一言で僕たちはロール山という山を登っている最中です。
なぜ?どうして?山なんですか?とは、あえて申しません。彼女が登りたいというのなら従うまでです。だって僕は従者ですから。
そんな僕の気持ちも知らずに、サーシャ様は、
「ピート。お腹すいた。」だの、「疲れた。」とか、ほざいて……小言ばかりです。
そういえば、さっきから似たような場所を何度も回っているような……遭難したのかもしれません。いえ!はっきりと申しましょう。これは迷子、つまり遭難しています。
そうは言っても、だいたい目的地も定まっていないので遭難というには、いささか無理があるのかもしれません。
まあ、修行の一環だと考えれば気持ちも少しは楽になるでしょう。
「サーシャ様。食糧を確保してきますので、ここでお待ちを。」
「分かった。ピート、肉。」
つまり肉が食べたいと申しております。サーシャ様は肉食獣みたいなものですから。
以前、山菜などを採って来た際、「こんなもの食えるか!」と、激しくお怒りになられたので、今回は気をつけなければなりません。
おや?どこからか水のせせらぎが聞こえてきました。どうやら近くに川があるようです。
川魚という選択もありですね。前は魚すら食べ物とは認識していなかったサーシャ様でしたが、この僕の料理の腕で彼女の舌を変えてやりました。近くに美味しそうな木の実もなっていますので、魚を焼いて木の実でソースを作りましょう。
あっ!レシピは秘密ですよ。
僕はズボンの裾を捲り上げ、膝くらいまでの深さの川に入り、まるで熊が鮭を捕るように川魚を捕らえました。
「よし。これだけ捕獲できれば上出来だ。」
僕は喜び勇んでサーシャ様の元へ走りました。すると、何やら後方から、ものすごい勢いで僕を追い抜いていった「何か」が駆け抜けていきました。
人!?でしょうか?それにしては尋常ならざる速さです。おまけに丸っこい。
あっ!戻ってきた。道でも間違えたのでしょうか。
ん?先程とは少し様子が違って見える。何やら必死の形相――追われています。さっきの丸っこい人が、どうやら何かに……サーシャ様だ!
「まてー!肉!」
どうやらサーシャ様は、あまりの空腹に我を見失ってしまっている、ご様子。
「サーシャ様!それは食用ではありません!」
僕の声も耳に入らないようで、行ってしまいました。
しかし、あのサーシャ様の足でも追いつかないなんて、なんという脚力の持ち主でしょうか。
「世界は広いな。」と、思わず感心してしまいました。
するとサーシャ様は諦めきれずに己の長い足に強化系の低級魔法をかけました。これで彼女の脚力は数段にアップ。あの丸っこい奴も、これでおしまいでしょう。
ああ、食べられてしまうのかな。そう思うとグロテスクでもあり興味深くもある。僕は、そんなサーシャ様の姿を目にするのだろうか。そんなことを考えると胸がドキドキしてきました。
――ところがです。驚くことに、丸っこい人は魔法で強化されたサーシャ様の脚力さえも凌駕した速さで逃げ去ってしまったのです。
まあ、サーシャ様は特異体質で自身の魔法が効きにくいのですが……これはまた追々話すことに致しましょう。
サーシャ様の人を喰うという、カオスは見れなかったものの、やはり世間は面白い。あんな不思議な人間?がいるのですから。
僕は息の上がったサーシャ様に近づき、
「さあ食事にしましょう。すぐに準備しますから。」と、自慢気に川魚を見せてあげました。
すると、サーシャ様は、
「肉だって言っただろ!」と、ぶち切れました。
しかし、腹さえ満たされれば、穏やかな気持ちを取り戻すはずです。早速、調理の支度に入ろうとした、その時でした。
「おい、こら!てめえら誰の縄張りで魚なんて食おうとしてるんだ!」
気がつくと僕らは大勢に囲まれていました。
「サーシャ様!ソースは甘辛とピリ辛どっちがお好みですか?」
「うーん。甘辛!」
「こらこら。お前たち無視してんじゃねーよ。」
彼らの姿から予測すると――山賊と、いったところだろう。数は十人ほど。問題はないでしょう。
「じゃあサーシャ様。僕は魚を調理してますから。」
「任せた。こっちは私が片付けておくわ。」
「ずいぶんと舐められたものだ。俺たちが噂の山賊『スパイス』だと知ってのことか!」
サーシャ様は何を思ったのか、僕に「ピート。こいつらスパイスを持ってきてくれたらしい。」と、天然キャラっぽい発言を繰り出しました。
「サーシャ様。もうよいですから早く皆殺しにしてください。」
サーシャ様は剣を抜いた。
その瞬間、突風が吹き抜けていきました。すると、なんということでしょう!山賊の半数が地面にひれ伏しているではありませんか。
サーシャ様の剣技は疾風の如しです。
「な、なんだ?何が起こった?」
山賊たちはパニックに陥った。そして頭領らしき男を残して逃げ去ってしまったのです。
「ちっ!あいつら……まあいいさ。俺にはお前の剣が見えている。覚悟してもらおうか!いくぞ――!」
しかし、頭領らしき男さんの喉元には既にサーシャ様の剣が当てられていました。
さあ!サーシャ様。それで、そいつの喉を切り裂いてやってくだい。僕は期待していました。だが、サーシャ様はとどめを刺しませんでした。崩れ落ちた山賊の頭領らしき人の後頭部にドカッ!と足を乗せて力を入れました。
彼は土下座をするような格好で震えています。
「殺さないでやる代わりに、肉よこせ。」
ああ!サーシャ様、まさかその男を食べる気では!?
どう見ても不味いですよ。
「は、はい。持って参りますので、暫くお待ちを。」
「分かった。早くしろよ。」
サーシャ様はアホです。素直に肉を持って来るはずがありません。もう、戻って来ないでしょう。それどころか手下を集めて戻ってくるかもしれません。
まあ、どちらにしても外れです。
それからしばらくしても案の定、山賊は帰ってきませんでした。その間に僕は魚の料理を完成させました。
「さあ食べましょう、サーシャ様。」
「そうね。ちょうど魚が食べたくなってきた頃合いだし。」
サーシャ様は素直ではありません。だが、そこが彼女の可愛いところであり欠点でもある。やはり僕が、お世話しないと。
魚の焼けた香ばしい香りが食欲を掻き立てたのでした。