第1章 ミロダクトの村
勇者。
それは神が創りし聖剣エクスカリバーを抜くことができる人間で、強くて、かっこよくて、悪い奴らをやっつける正義の味方だ。村の教会で勉強を教えてもらうついでに、俺はいつも勇者などの正義の味方が出てくる本を借りていた。彼らはいつだって仲間に囲まれ、勇敢に戦い、多くの人達に感謝され、尊敬されていた。
……いいなぁ。俺が住んでいるのは山奥の村だから、いっしょに冒険できる歳の近い友人はいないし、そもそも剣も持っていない。俺は記憶喪失でもないし、お金持ちでもないし、魔術も使えないし、特別頭がいい訳でもない。こんな無い無いづくしの俺だから、せめて剣の練習くらいはしようと思い、今はナイフで木刀を作っている。
温かな雰囲気を醸し出すログハウスの一室である自分の部屋で、ひたすら木の枝を削っていた。
でもどんな物語より一番憧れるのは、村のシスターが語ってくれる勇者ジャスティスの話だ。『正義』の名にふさわしい人だと思う。もともと帝国騎士団出身らしいけど、聖剣を手にし、勇者となってからは自分でギルド(同じことを目的とする集団のようなもの)を立ち上げ、帝国軍と共に魔王軍を撤退させたんだ。その時に魔王と一騎打ちになり、見事倒したというのだから、驚きだ。すぐに次の魔王が即位したらしいけど。魔王軍が撤退した後もジャスティスはギルドの仲間と共に、かつて皇帝ゴルギオスに敗れた国の復興支援までしているのはさすがだと思う。弱きを助け、強きをくじく。まさに理想のヒーローだ。
足元に木屑をまき散らしながら、延々と削る。ようやく形が整い、表面が滑らかになってきた。
俺もいつかそんな風になれたら、きっと――――。
「うわぁーっ! 兄ちゃんすげえっ!!」
「ちょっと待て! 危ないって!!」
俺がナイフで木刀を完成させようとしていると、弟のライアンがいきなり現れたのだった。
ライアンは鳶色の短髪を持つやんちゃ盛りの十歳の少年で、いたずらしたり、勝手に村の外に出たりしては、いつも母さんに怒られている。俺がナイフを鞘にしまうと、もうすぐ完成の木刀をひったくったのだった。
「あ、返せよ! 作ったばっかりなんだから」
「やーだよ! ……剣、かっこいいなぁ。ねえ兄ちゃん、俺にも作ってよ!」
ライアンは手に取った木刀をしげしげと眺めながら言った。褐色の輝く目が、木刀をなぞる。
「だめだよ。お前この間作ってやった剣で花瓶割っただろ」
俺が木刀を取り返して言うと、ライアンは項垂れた。
「……うっ」
「これは俺の剣の練習用なんだからな」
そう言い切ると、俺は木刀を軽く振った。
「……」
やはり、軽い。普段畑を耕す時に使う鍬や鋤のような重みはない。
「そういえばさぁ、兄ちゃん16だろ? 来年なら帝国騎士団に入れる年だけど、試験受けるんだろ?」
「うーん……」
弱ったなぁ、昔のジャスティスと同じように騎士にはなりたいし、その為に自主練習もしてる。だけど……。その時、俺の部屋のドアが勢いよく開け放れた。
「アレク! あんたまたそんな馬鹿なことを言ってたのかい!」
母さんが狭い俺の部屋にずかずかと入り込むと、ベシっ!と、兄弟揃って顔をはたかれてしまった。
「人様を傷付けてお金を貰うだなんて最低よ! 汗水垂らして、美味しいご飯が食べれたらそれで十分だろう!」
正しい事を言われているのは確かだから、俺はふてくされる事しか出来なかった。
母さんは普段は優しいけど、数年前の戦争でおじさん……お母さんのお兄さんがまだ帰ってきてないから、帝国騎士団に入りたいって言ったらすごく怒られるんだ。
でも、カッコいいんだよなぁ。勇者ジャスティス!
俺が実際に見た訳じゃ無いけどその勇猛果敢な戦いっぷりは伝説として、帝国中に広まっている。ま、こんな辺境の村に広まっているくらいだしね。しかし、そんな思いも
お母さんには届かないらしい。母さんは、さっき作ったばっかりの木刀引ったくると、なんと膝でへし折ったのだった。「人様を傷付けてお金を貰うだなんて最低よ! 汗水垂らして、美味しいご飯が食べれたらそれで十分だろう!」
正しい事を言われているのは確かだから、俺はふてくされる事しか出来なかった。
母さんは普段は優しいけど、数年前の戦争でおじさん……お母さんのお兄さんがまだ帰ってきてないから、帝国騎士団に入りたいって言ったらすごく怒られるんだ。でも、カッコいいんだよなぁ。勇者ジャスティス!
俺が実際に見た訳じゃ無いけどその勇猛果敢な戦いっぷりは伝説として、帝国中に広まっている。
ま、こんな辺境の村に広まっているくらいだしね。しかし、そんな思いも
お母さんには届かないらしい。
母さんは、さっき作ったばっかりの木刀引ったくると、なんと膝でへし折ったのだった。
「母さんひどいよ! せっかく作ったのに……」
床に落ちた木刀だったものを拾い集めながら、俺は母さんを見上げる。
そりゃあ、いっぱい隠し持ってはいるけど、今日はすごく上手くいっていたのに。
「私はあんたたちが心配だから言ってるの。わかってちょうだい」
母さんは優しい声音でそう言いながら、さっき木刀をへし折った手で俺達の頭を撫でた。
こうなってしまうと抗いようがない。大切に思ってくれている事をひしひしと感じる。
ライアンはやっぱりむくれたままだったけど。母さんに頭を撫でられて、少し照れくさそうにしていた。しかし、母さんは俺達が大人しくなったと見ると、
「それじゃ、さっさと畑を耕しておいで! ライアンも手伝うんだよ!」
「「ええーっ!」」
俺達のブーイングに耳を貸すことなく、母さんは俺に鍬を、ライアンにスコップを手渡した。母さんは仁王立ちで腰に手を当てながら、庭の畑を指差した。
「働かざる者、食うべからず!! ほら、リーネはもう草引きやってるんだから、行った行った!」
そう言いながら、俺とライアンを強引に家から追い出した。玄関から外にでると、妹のリーネがプチプチと草をしゃがんだ状態で抜いていた。小さな背中をこちらに向けたまま、黙々とお手伝いをしている。
「リーネ、えらいなぁ」
俺が感心したようにつぶやくと、リーネはすぐさま振り向いた。
「お兄ちゃん達が遅いんじゃない!早くしないと日が暮れちゃうよ」
眉間にしわを寄せながらむくれる様はライアンとそっくりだけど、迫力はリーネの方が勝っている気もする。末っ子ながらまじめなリーネは、鳶色の髪を動きやすいように束ねており、こめかみからにじむ汗が、彼女の懸命さを物語っていた。そして、まだ小さな指を畑に向け、俺たちに指示を出す。
「ほら、この辺の草はもう抜いたから、後は耕してよね!」
……まだ8歳の妹に指図される、16歳の俺ってなんなんだろう。
少々いたたまれない感じもするが、仕方なく作業にとりかかることにした。リーネにさぼっていたと告げ口されては、本当に晩御飯抜きになりかねない。俺は鍬を持ち上げて下すという動きを、何度も何度も繰り返したのだった。
ここ――ミロダクト山の麓の村は、豊かな自然に囲まれている。
あまりにも自然が豊かすぎて、村を訪れるような人は、年に一回の祭りの時に来る司祭様達を除いてめったに見かけない。だけどその分村人同士の関わりが深く、みんなが家族のように温かかった。
「おう。アレク、今日も頑張っているな!」
こんな風に、通りかかった近所のおっちゃんが話しかけてくれたりする。
「うん! おっちゃんは?」
俺は作業をする手を止めておっちゃんの方を振り向いた。気まずそうに黙っているのをよくよく見ると、顔が赤くなっているのがわかる。
「あ~。さては昼間からお酒飲んでたんだろ」
「げ……。かみさんには内緒な!」
「しょうがないなぁ......」
「ありがとよ。たすかったぜ!」
そう言うと、おっちゃんはベルトに収まりきらないお腹をさすりながら、通り過ぎて行った。
再び作業を始めようとした時、突如、リーネの悲鳴が聞こえた。俺はとっさに鍬を投げ出し、リーネのいる方へ向かった。
「どうしたんだ!?」
リーネは俺に気が付くと、目に涙を溜めながら駆け寄ってくる。
「お兄ちゃんっ!!」
しかし、俺が耕したばかりの地面に足を取られて、派手に転んでしまった。
自分で起き上がり、片方だけ脱げてしまった靴を履きなおすと、恨めしそうに地面を踏みしめて平にする。
「怪我はしてない?」
あわてて駆けつけて、リーネのスカートについた土を払う。
「もう大丈夫かな?」
そう尋ねると、リーネは俺にしがみついた。頬を膨らませながらぽつりとふてくされたように呟く。
「……大丈夫じゃない。おんぶ」
「しょうがないなあ」
俺が背中を向けてしゃがむと、リーネは飛びついた。そして、俺は後ろに手を回し、膝の力を入れて立ち上がる。……重くなったなぁ。昔はすごく軽かったのに。リーネはほっとしたのか、小さくため息をついた。
「そういえば、さっきの悲鳴は何だったんだ?」
何か危ないものがあったらいけない。そう思って聞いてみたが、リーネが答えるより早くわかった。
「兄ちゃん! 見てみてよ!」
ライアンが手を土まみれにしながら、顔をほころばせて両手を器のようにして差し出してきた。俺が覗き込むより早く、耳元でリーネの絶叫が直接俺の耳に響く。
「嫌だぁぁぁーーーーーっ!!!」
「うぐっ!? 」
おまけにリーネが力いっぱい首にしがみつくから、一瞬気が遠くなった。だが、微かにライアンの手の中に無数の黒い粒粒を見る事が出来た。まさか……これ全部ダンゴ虫?黒く小さな何十匹ものむしが無数の足をもぞもぞさせながら動き回っている。おまけにアクセントとして、ピンク色のミミズや、てかてかと緑色に光るカナブンも含まれている。うん。これは気持ち悪い。一匹や二匹なら全然平気だが、量が尋常じゃない。
「……逃がしてきて」
半ばひきつった顔で俺が言うと、ライアンはにやけながらますます虫たちを近づけてきた。
「ちぇー、せっかく捕まえてきたのに」
「頼むから」
さすがにこの量の虫を相手にできない俺は、思わず顔をそむける。リーネにいたっては、俺の首をしめたまま、プルプルと震えていた。
「じゃあさ、逃がすかわりに祠に連れて行ってよ!」
「え?」
ライアンは目をキラキラさせながら俺を見た。ライアンが言った祠とは、村の外れにある洞窟の中のドームのような場所で、祭りの時以外は立ち入り禁止になっているものだ。おまけに、洞窟の中に入るには『仕掛け』を解かなければならない。
そのおかげで、村人と帝国からの神官やシスター以外でこの祠に入った者は誰一人としていない。さらに、その周辺には魔物が出るから、俺達子供は祭りの時でさえも祠に行くことは許されないんだ。俺もまだ中へは入ったことがない。
だけど剣の腕試しをするために俺は夜にこっそり家を抜け出して、祠の周辺を探索していたのだった。まさか、ライアンにばれているとは思わなかったけど。
「ねえ、俺も連れて行ってよ! じゃないと、これ全部まき散らすからな!」
目の前に大量のダンゴ虫を突きつけられる。虫は苦手じゃないけど、虫まみれになるのは嫌なのでしぶしぶ了解することにした。
「仕方ないなぁ……」
俺がため息をつくように言うと、ライアンは両手を上にあげ、バンザイをするように飛び上がった。
「やったあっ!!」
だがその瞬間、見事にダンゴ虫が空へとぶちまけられる。
「ライアンのバカぁーーーーっ!!」
その後、リーネがいじけていたのは仕方ないと思う。