【chapter:3】
【chapter:3】の一話目。ぶつ切りですみません。
「01.出会った時から敵だった」
――血の匂いが鼻をつく。
――人の悲鳴が耳を劈く。
――炎が、煙があちこちで上がり、景色が破壊されていく。
最早逃げ惑う人々の姿はなく、其処に立つのは戦人。
優位種と異脳種、ふたつの種族による「戦争」が特に激しい区域であることから「戦争激区」と呼ばれるT区。
そこで今、二人の戦人が対峙していた。
政府軍の軍服、その中でも「隊長」のみが身につけられる黒の丈長。胸にはその証の金バッチ。腰には無骨な拳銃が一丁。だが――男の顔には、微かな笑み。
「フン、『異脳種』の半分か」
対する反乱軍の異脳種は――苦しそうに胸を手で押さえ、その背中からは血に濡れた二本の腕が生えている。
「そんな未熟な〝血〟では――本来の力は出せんだろうに」
「…だ……まれッ…」
軍服の男の唇が高く釣り上がり、顔は歪な色を滲ませる。
そして、次に告げられた言葉は、異脳種の心を深く鋭く抉り出す。
「親の血が可哀想だなぁ……『優位種』の半分さん?」
「黙れぇぇぇええッッ!」
聞きたくなかったこと。
言われたくなかったこと。
認めたくなかったこと。
彼――朽葉マコトは「純粋」ではない。
彼は、異脳種の母親と、優位種の父親の下に生まれた。
異脳種の「能力」が遺伝するためには、最低でもどちらかの親がそうでありさえすればいい。
だからマコトも、能力を受け継いではいる――しかし。
『〝半分〟でしかない癖に』
優位種の血の混じるマコトを、母方の朽葉の一族は酷く嫌悪した。生まれたばかりのマコトを虐待し虐め抜いた。
幼い頃のマコトは、それを能力が顕現していないせいだと考えた。だから能力が顕現しさえすれば、少しは収まると思っていた。
――十歳になり、マコトの能力「念動力」が顕現した。マコトの〝見えぬ手〟の本数は多くないものの、一族の誰よりも長い射程距離を持っていた。
マコトは喜び、母に頼んで一族のもとへ連れていってもらい、その能力を見せた。
――結果は、酷く悲しいものだった。
『半分しか血の無い者がっ!』
『思い上がりも甚だしいわ!』
『貴様のそれなぞ――こうしてくれる!』
――途轍もなく「嫌」な感触が奔り、脊髄で熱が爆発したように感じた。
『あああああああッッ!!』
それは誰の悲鳴だったのだろうか。
その悲しい、血に塗れた声を最後に、マコトの意識はふっつりと途絶える。
目が覚めて、真っ先に視界に飛び込んできたのは蒼白になった母の顔。
縋り付かれ泣きじゃくられて、マコトは見ていられず、能力を発動させた。能力を見せて、だいじょうぶだよと、母親を安心させたかった。
でも、
「……あ、あれ…」
激しい違和感が沸き起こり、全身を貫く。
何かが違う、何かが足りないと、脳の奥の奥で叫ぶ声。
なぜだろう、寒くもないのに手が震える。
感覚がマヒしたような指先で、〝見えぬ手〟をなぞる。
それで、やっと理解った。
「……あ、あ」
四本あった筈の〝見えぬ手〟――それが、二本に減っているということに。
「――――ッッ!!」
声にならない声で、マコトは慟哭する。
思い出したかのように再び熱と痛みが起こり、それは血流に乗って体内を駆け巡る。
「ああ、ああああああ、亜亜亜亜亜亜――ッッ!」
喉の奥から迸る、痛みと悲しみと憎しみの絡みついた悲鳴を、マコトは何処か遠くから聞こえたように感じていた。
……。
………。
「まさか〝見えぬ手〟を奪われるとは」
「朽葉は念動力の一族だ。〝見えぬ手〟に関するあらゆる情報は握っているだろうさ」
……誰の、声だろう。
頭がぼんやりする。白い霧で覆われたように、考えがはっきりとしない。
誰かはまた、言葉を紡ぐ。
「しかし不幸中の幸いと言うべきか」
「射程距離が大きく伸びた。これは貴重な結果だな」
「この子は何れ戦力となるだろう」
……セン、リョク?
音だけが脳内に反響して、はっきりと文字を、意味を掴む前に、何かが腕にぷつりと刺さる感触。
「今は一先ず、眠りなさい」
優しげに囁かれたその言葉は、父の声音によく似ていたような気がした。
それから、マコトは反乱軍で暮らしてきた。
能力の概念や上手く扱うコツを教わって。
「戦争」の目的と、「優位種」がどんなものかを叩き込まれ。
十七歳の時の初陣では、一度に十人もの相手をまとめて貫いて殺した。
そして、それを見込んだ寒雷参謀に勧められるまま第零番隊に移って。
――反乱軍で暮らして、もう十七年が経つ。家族といたよりも長い、最早第二の家族とも言える皆。
なのに自分は、未だに皆に混血である事実を打ち明けられないままで。
……だから、優位種には知られたくなかったのに。
ぞろり、と空気が騒めく。
ただならぬ気配を感じ、神代は腰に取り付けられたホルスターに手を伸ばす。
神代がその常人離れした反射神経で銃を抜くのが早かったのか――それとも、マコトが目前まで迫るのが早かったのか。
どちらであったにせよ――二人の間の距離は、その一瞬の内に詰められて、互いの瞳に映る自分が覗き込める程に肉薄した。
目線の高さは全く同じ。それでいて何もかもが対照的。
マコトの瞳の色は神代の髪の色。神代の瞳の色はマコトの髪の色。
マコトは怒りを、神代は微笑を口元に浮かべて。
「…貴様なんかに、〝半分〟などとっ…言われたくないッ…!」
「おやおや」
神代の首に巻き付いた、マコトの〝見えぬ手〟――それにより一瞬で眼前にまで迫ったマコトは、〝見えぬ手〟で神代の細い首を締め上げながら、憎々しげに吐き捨てる。
――だが。
「……力が弱いね」
「ッ!」
……力が、弱い?
……どういう意味だ。苦しくも何ともないと言うのか。
「本気を出していない力だ。その程度では俺は殺せない。――お前は何を躊躇っている?」
「…五月蝿い!」
ニコリと、一見優しげにも見える笑みを浮かべる。でも、その瞳の奥の奥――例えようのないモノが其処で蠢いているのを、マコトは見た気がした。
「――そちらが本気でなくては、俺もつまらない」
「……ヒッ」
喉が引き攣る。
いつの間にかマコトの下顎、骨の部分に銃口がピタリと突きつけられていて。
――こんな至近距離では避けようもない。そのまま引き金が引かれたら、確実に死ぬ。
「安心しろ。撃つつもりはない」
笑顔を崩さぬままで言う神代。だが現に銃口を突きつけられ引き金に指の掛かった状態で言われても、全く説得力がない。
そして暫く固まっていたが――不意に神代は、さらりと信じられない事を口にする。
「気に入った。――お前を俺のモノにする」
「………はぁ?」
余りにも自然な口調で、余りにも軽く言われた言葉。まるでそれが当然の事のように。
「所有印は鎖か? 紐か? あぁでも、鎖は似合わんな――ならば組み紐か。貴様に似合う色は」
「待てやゴラぁぁっ!」
勝手にべらべらと恐ろしい事を喋るその口を咄嗟に手で塞ぐ。ギリギリと自分なりに強い力を加えているつもりなのに、その余裕は変わらない。
「テメ、何勝手なコトほざいてくれてんだ? あぁ!?」
「おお、そう睨まなくても良いだろう? 俺はただ望みを述べているまで。」
「その望みとやらが凄く怖いし気持ち悪ィんだよ!」
「……フン」
パシ、と塞いでいた手を払われる。とても軽い動作なのにその一撃は重く、鉄球で弾かれたような衝撃が襲う。
下顎に当てられていた銃の冷たい感触が消えた。
「……ぁ」
ほっとしたのも束の間――銃と入れ替わりに触れてきたのは、あろう事か神代の指。
「俺は貴様が気に入ったと言った。俺が己のモノにすると言えば必ずそうする。
貴様は必ず、俺の所有物になる」
指だけなのにかなり強い力で引き寄せられ、互いの吐息の音すら聞こえそうな距離で。
何をされるのか、何をするつもりなのか、
身構えていると――
「!」
柔らかな感触。仄かな熱。先程よりもずっと近い距離。睫毛すら触れてしまいそうで、その漆黒の瞳は吸い込まれそうな夜空。
「……美味だな」
その感触が消えて、一歩離れた神代がおどけた仕草で自分の唇をぺろりと舌なめずりした。
それだけで、マコトは何をされたのかを一瞬で理解した。
理解、してしまった。
「てっ……てめっ……!」
「一先ずの印、と言った所だな」
「ふざけんじゃねぇッ!」
腰元に隠しておいたナイフを引き抜き、神代の喉元目掛けて切りつける。
だが最小限の動きだけで躱され、ナイフの刃先を掴まれる。――片腕の動きが封じられた。
「いい目だ。怒りの火が見える目。それでこそ俺のモノになるのに相応しい」
「…誰がっ、貴様のモノなんかになるかッ!」
吐き捨てる――と同時に、片腕が解放された。
マコトは脱兎の如くその場から逃げ出し、後に残されたのは、屍の中、楽しそうに笑う神代一人だけ。
――どうしてどうしてどうして。
それだけがぐるぐる、マコトの頭の中で渦を巻く。答えの見つからない問いは、永久の螺旋の中に取り込まれる。
優位種の声が、脳裏にこだまする。
――冗談じゃない。
拳を固く握り締め、唇を血が出るほど噛み締めて、マコトは一つの決断をする。
「あいつは絶対に、俺の手で、殺してやる」
そう呟いたマコトの瞳の奥で、紅い焰が揺らめいた。