武者
ところどころ街灯が死に絶え、不気味な静寂が支配する街中を、僕たちは必死に走り続けていた 。
先頭を行くのは、屈強な男。真ん中に僕が走り、最後尾を同年代くらいの男が固めている 。屈強な男は、肩から下げていた巨大な剣のような「黒い塊」を同年代の男に預けると、腕の中で眠る小さな女の子を抱き直し、さらに速度を上げた 。
――正直、聞きたいことは無限にあった。
突如現れた怪異の正体、彼らは何者なのか、これからこの街はどうなってしまうのか……。何から聞くべきか、そもそもこの極限状態で質問など許されるのかと逡巡していると、背後から声が飛んだ 。
「すごい体力だな、君は。俺たち、結構早めに走っているんだぜ? キツくないのか?」
振り返ると、同年代の男が驚いたような、それでいて気さくな笑みを浮かべていた 。
「まあ、その……昔から、なぜか体力だけはあったので……」
「そっか! 俺は赤城仁! 先頭走ってんのは桐山剛太郎! 俺らのボスだ!」
「僕は……如月優璃です。その……」
僕は乱れる思考を懸命に整理しようとした 。だが、何もわかっていないという焦りからか、無意識のうちに声を荒らげてしまう 。
「……あなたたちは何者なんですか!? あの化け物たちは、いったいいったい何なんですかッ!」
剛太郎さんが徐々に減速し、足を止めた。それからゆっくりと振り返る。仁さんが何かを答えようとしたのを、剛太郎さんが掌で制した 。
剛太郎さんが重い口を開こうとした、その瞬間だった 。
「「「aaaaaaaaaaaaaaaaa!」」」
鼓膜を刺す、あのおぞましい咆哮。……“奴ら”だ 。一匹二匹どころではない。十体近い“奴ら”が、いつの間にか僕らを取り囲んでいた 。
「いつの間に…… どうしますか、剛さん」
「仁、剣をよこせ」
剛太郎さんの指示に従い、仁さんが預かっていた剣を投げ渡す。黒い布で幾重にも巻かれたそれは、近くで見ると改めて異常なほど巨大だった 。
「aaaaaaaaaaaaaaa!」
怪異の一体が、獲物を定めて剛太郎さんへ飛びかかる 。
――その直後、化け物の体は空中で真っ二つに裂けた 。
……今、何が起きたんだ?
宙に舞う二つの肉塊と、どす黒い液体。化け物自身も、状況をつかめないという虚脱した表情のまま地面に落下し、ぐちゃり、と生卵が割れたような不快な音が響いた 。剛太郎さんの方を見ると、驚くべきことに、まだ布を巻かれたままの剣が静かに振り抜かれていた 。
……斬ったのか? あれで? あまりに速すぎる。視覚が情報を処理しきれない 。剛太郎さんは無造作に剣を下ろすと、残る怪異たちのところへゆっくりと歩を進める 。
「「「aaaaaaaaaaaa!!!」」」
仲間の死に激昂したのか、怪異たちは吐き気を催すような大声を上げ、一斉に襲いかかった 。奴らが剛太郎さんに向けて人差し指を突き出そうとした、その刹那―― 。
……今度ははっきりと見えた。剛太郎さんの持つ剣が、美しい孤の軌道を描くのを 。シュン、と風を切る音が聞こえると同時に、九体の化け物の体がバラバラに砕け散った 。
ミンチになった死骸と血しぶきが、剛太郎さんに雨のように降りかかる 。これまで人々を蹂躙していた化け物が、まるでおが屑かゴミのように一瞬で掃き溜めへと変えられた 。
「見たろ? あれが俺たちのボスだ。滅茶苦茶強いんだぜ?」
仁さんの誇らしげな声が聞こえるが、僕は何も言葉が出なかった。あまりのあっけなさに、思考が追いつかない 。
「……無理もない。普通の生き方をしていて、このような場面に遭遇することはないからな」
返り血を浴びたまま、剛太郎さんが僕を見据えた 。
「俺たちは“鳳焔”という秘密結社の一員だ。この国を陰から守るために働いている。さっきの化け物は……シンプルに怪異と呼んでいる。古来より我々人間にとって身近な場所にいる存在の一種だ。もっとも、見たことのない個体だったが」
信じがたい話だった。だが、今日この目で見た地獄が、それを真実だと認めさせていた 。
「それで……」
これからどうなるんですか、と 問いかけようとした瞬間、影からありえない速度の突風が剛太郎さんに迫った 。
「……ッ!!!」 剛太郎さんが反射的に剣で防ぐ。凄まじい火花が散った 。影から飛び出したそれは、今までの奴らより遥かに人に近い姿をしていたが、剣を受け止めている腕全体が、悍ましい金属光沢を帯びていた 。
「……ぅらあッッッ!」
その存在が気合とともに力を込めた瞬間、あの剛太郎さんが後方へ豪快に吹き飛ばされた 。
「剛さん!!」 仁さんが叫ぶ。嘘だろ、あんなに強かった剛太郎さんが、こうも容易く…… 。
「ははははははははははあ! 反応が鈍いな、ニンゲン」
……人の言葉をしゃべった……? 怪異は喋れるのか……?
「……怪異の中には知性を持ち、人の言葉を話す奴もいる。奴はその一種だ。時には人間に擬態する」
いつの間にか立ち上がっていた剛太郎さんが僕の思考を読んでいたかのように静かに説明した 。
「仁……こいつは危なすぎる。この場は俺が食い止める。お前は、二人を連れて避難所へ急げ」
仁さんは一瞬ためらったが、強く頷いた 。
「ねー、早くやり合おうよー」
無邪気に殺し合いをねだる怪異。剛太郎さんはそれに答える代わりに、剣を幾重にも封じていた黒い布を、一気に解き放った。
「――言われなくても、今ここで終わらせてやる」
剛太郎さんが剥き出しになった漆黒の刀身を、アスファルトへ深々と突き立てた。
その瞬間、世界から音が消えた。
次の刹那、地響きと共に剛太郎さんの足元から、粘り気のある「真っ黒なナニカ」が噴き出した。それはオーラと呼ぶにはあまりに質量を持ちすぎていた。竜巻のように渦巻く黒泥の暴風。それは周囲の空気を腐らせ、重力を数倍に跳ね上げたかのような重圧となって僕を襲う。
「あ、が……っ!?」
肺が潰れる。立っていられない。
凄まじい衝撃波が街を震わせ、近くの民家の窓ガラスがことごとく粉砕された。
仁さんは反射的に自分の体を盾にし、抱えていた女の子をその身で覆い隠す。歯を食いしばる彼の顔も、恐怖と重圧で歪んでいた。
爆風が収まり、黒い霧がゆっくりと晴れていく。
そこに立っていたのは、僕の知っている「人間」ではなかった。
「……! あれは……剛太郎、さん……なのか?」
喉が、極度の恐怖で凍りついた。
そこにいるのは、死神さえも跪くような絶望の化身。
全身を夜の闇を切り裂いたようなボロ布が纏わりつき、深い頭巾がその貌を完全に隠している。人としての輪郭は失われ、ただそこに「死」そのものが直立しているかのような錯覚。
暗い頭巾の奥底から、ドロリとした血の色をした二つの光が、妖しく、そして冷酷に明滅した。
その視線が触れるだけで、寿命が削られていく感覚。さっきまで戦っていたあの怪異が「肉体的な恐怖」だとするなら、今の剛太郎さんは「存在そのものへの拒絶」だ。
味方のはずなんだ。助けてくれた人のはずなんだ。それなのに。
脳が、心が、生存本能のすべてが、「こいつの傍にいてはいけない」と狂ったように警鐘を鳴らし続けていた。
「おお……! すごい! かっこいいよぉ!」
この世の終わりのような光景を前にして、唯一、あの怪異だけが子供のようにはしゃいでいる。その光景さえも、狂気の色を帯びて見えた。
剛太郎さん――いや、「それ」が、僕の方を向いた。
死神の鎌を思わせる節くれだった手が、虚空から一本の「黒い剣」を取り出し、僕の足元へ投げ捨てた。
「ここまできたら、もうお前も関係者だ。……自分の身は、自分で守れ」
それは、地獄の底から響いてくるような、およそ生物の出すものとは思えない「音」だった。
僕は麻痺した指先を動かし、呪われたその剣を拾い上げる。
触れた瞬間――。
脳が乗っ取られた。
数千、数万の人間の首が同時に刎ねられ、その絶望に満ちた生首が、赤い空を埋め尽くすように舞い踊る――そんな、正気ではいられないビジョンが強制的に頭の中に注ぎ込まれる。
「ひ……ぎっ、あ……ああああ……!」
倒れそうになる僕の肩を、仁さんが強く掴んだ
胃の中のものが逆流しそうになるのを必死に堪え、僕は深く頷いた 。
「――行け。そして知れ、この世界の真実を」
その言葉を背に、剛太郎さんは怪異の懐へと駆け出していった 。
「優璃、行くぞ!」
背後では、天を裂くような金属音と、世界が崩壊するような轟音が響き渡る。
仁さんに促され、僕は反対方向――指定された避難所を目指して走り出した 。




