崩壊
初投稿です!拙い文章ではありますが、楽しんでもらえたらうれしいです!
指摘・アドバイス、どしどしください!
注意:残酷な描写あり
「は、あ……っ、は……」
呼吸がうまくできない。指先ひとつ動かない。ただ、喉の奥がせり上がる鉄の味で満たされる。
目の前で、親友の琉生が倒れていた。彼の口と腹からは、どす黒い液体がとめどなく溢れ出している。
そして、その傍らに”それ”はいた。
化け物――人間のような輪郭をもちながら、目も鼻もない。口だけが耳元まで裂け、三日月状に歪んでいる。剥き出しの歯茎が、暗がりのなか濡れた粘膜のように妖しく光っていた。
――逃げなきゃ殺される。
脳が、脊髄が、生存本能のすべてがそう叫んでいる。
「あああああああああああ!」
喉が裂けるほどの絶叫が、静寂を切り裂いた。
「……はっ……はっ……!」
今まで呼吸を止めていたかのように、必死に酸素を吸い込む。背中に張り付いたシャツがやけに冷たくて気持ち悪い。脂汗でぐっしょりだった。
顔を上げると、整然と並んだ机が視界に入った。前方には教卓と、縦方向の消し跡が残る黒板。――教室だ。
「ちょっと……大丈夫!?」
視界の端で、袴の裾が激しく揺れた。焦燥に満ちた声が鼓膜を震わせる。
呼吸を整えて顔を向けると、そこには袴姿の女子が立っていた。
彼女は鶴舞咲。クラスメイトで、僕も彼女も弓道部に入っている。
「全然部活に来ないから心配で見に来たら……優璃がすごいうなされてて。起こそうとしても全然起きないんだもん……」
うなされていた……? 確かに、何かおぞましい夢を見ていた気がする。だが、思い出せない。ただ、得体の知れない不快感だけが澱のように胸に溜まっていた。
「ごめん、心配かけた。もう大丈夫だから」
「そっか、よかった。私はもう道場に戻るから、優璃も早く来なよ?」
ほっとしたように笑い、彼女は教室を後にした。
僕も行こう。もやつく頭を振り払い、荷物をまとめて席を立つ。
部活が終わり、道場の玄関で靴を履いていると、突然首筋に冷たいものが押し当てられた。
「うわっ!」
情けない声を上げて飛び上がる。この感触、ペットボトルだ。こんな悪ふざけをする人間は一人しかいない。
「琉生……冷たいんだけど」
「ちぇ、バレたか」
振り返ると、僕より頭一つ分背の高い男子が、ニヤニヤしながらペットボトルを差し出してきた。羽入琉生。僕がこの学校で唯一「親友」と呼べる男だ。
「ありがと」
受け取って一気に飲み干す。
「あーあ、また負けちまった。これで通算何本目だっけ」
「なんか……申し訳ないな」
「いいんだよ! 俺が言い出した勝負だしな。次は絶対負けねえから!」
琉生がニカッと笑う。一年生の頃からずっと同じクラス。裏表のない、気持ちのいい奴だ。
「二人とも、おつかれー!」
背後から伸びてきた手が、僕と琉生の肩を同時に掴んだ。咲だ。
「も~、また馬鹿なことしてるの?」
「馬鹿じゃねえ、男の真剣勝負だ!」
「くだらなーい。置いて帰ろ、優璃」
咲が僕の腕を引いて歩き出す。後ろから「待てよ!」と琉生の情けない声が追いかけてくる。
夕日に包まれた通学路を、三人でゆっくりと歩く。
「それでさ、うちのクラスの数学、マジで分かりにくいんだけど……」
「咲は数学が嫌いなだけだろ?どの先生でも同じだって」
「琉生のくせにうっさい!」
他愛もない、けれど僕らにとってはかけがえのない時間。でも、なんだか少し寂しい。
「……こうやって部活帰りに話せるのも、あと少しなんだね。本格的に受験勉強が始まったら、余裕なくなっちゃいそうだし」
ふと漏らした本音に、二人が悲鳴を上げた。
「やめろよ! 今そんなこと考えたくねえ!」
「あああ! 受験なんて消えてなくなれ! 部活させろー!」
笑い声がひと段落すると、琉生がふと真面目な顔で聞いてきた。
「ところでさ、優璃は進路とか決まってんの?」
「まだ……かな」
自信なさげに答える。
「俺さ、優璃はもっとすごいやつになれると思うんだよ。いつも消極的だから心配なんだよな」
「お前は優璃の保護者か!」
咲のツッコミが入る。
けれど、彼の言う通りだ。僕はいつだって消極的で、空っぽだ。周りに合わせ、顔色を窺って生きてきた。この高校を選んだ理由だって、二人がいたから。やりたいことが見つかれば、僕も僕らしく生きられるのだろうか。
「じゃ、私はここで!」
交差点で咲が足を止める。彼女は左、僕らは右だ。二人は最後まで「あかんべえ」をやり合い、僕はそれを見て小さく吹き出した。
咲と別れた後、しばらく沈黙が続いた。気まずさはない。オレンジ色に染まった世界を二人で行く。
「あいつさ」
琉生が不意に口を開いた。
「咲のことだよ。あいつ、本当に弓が上手いよな。射がさ……綺麗なんだよ。目が離せなくなるっていうか」
彼は立ち止まり、燃えるような夕焼けを見つめていた。
「どうしたの、急に」
風が僕らの間を吹き抜ける。琉生が何かを決心したように、僕を真っ直ぐに見つめた。
「俺……咲のことが好きだ」
……驚きはしなかった。薄々感づいていたから。それでも、いざ言葉にされると、胸の奥がぎゅっと締め付けられる。
「消極的」という言葉が、呪いのように突き刺さる。自分から動けない人間に、他人を羨む資格なんてない。
「……そうだったんだ。頑張れよ、応援してる」
「おう! ありがとな!」
琉生が笑う。これでいい。これでいいんだ。胸の奥のもやもやに気づかれぬよう、自分に言い聞かせる。
市街地まで来たところで、別れの時間が来た。
「じゃあな琉生。あんまり咲と喧嘩すんなよ」
「わ、分かってらぁ……」
照れ隠しに頭をかく彼を見て、少しだけ心が軽くなった。
その平穏が、一本の悲鳴によって切り裂かれるまでは。
「きゃああああああ! 誰か、たすげっ――」
肉を叩き潰すような、鈍く不快な音が響く。夕暮れの街に、不自然な静寂が広がった。
「今の声、どこから……」
心拍数が跳ね上がる。誘拐か……?それとも強盗……?
「こっちだ!」
琉生の叫びに導かれ、声のした路地へと駆け出す。角を曲がった先、僕らは「それ」を目撃した。
女性が、崩れるように倒れている。腹部と肩が赤黒く濡れ、首は力なく折れ曲がっていた。
「なん……だよ、あれ……」
琉生の声が震えている。僕らの視線の先にいたのは、女性ではない。
”それ”は人の形をしていた。だが、口や鼻がなく、たるんだ皮膚が垂れ下がっている。巨大な裂け目のような口が、若い女性の首筋を貪っていた。
――化け物。
全身の血が凍りつき、足の感覚が消える。目の焦点がうまく合わせられない。指先が、唇が、ガタガタと震えて止まらない。
僕らの気配を察した化け物が、死体をゴミのように放り投げ、こちらを向いた。目がないはずの顔から、肌を刺すような殺気が放たれる。耳のあたりまで裂けた口が三日月のように大きく歪んだ。
「優璃……お前は逃げろ」
震える声が耳に届く。琉生が、着ていた学ランを脱いで腕に巻き付け、化け物へと一歩踏み出した。
「まさか……戦う……のか? 無理だ、殺される……!」
「……大丈夫だ。武器も持ってねえし、タッパも俺と変わらねえ」
琉生の手が小刻みに震えているのが見えた。汗が額や腕を伝っていく。
化け物がゆっくりと向かってくる。琉生は腰を落とし、迎え撃つ構えをとった。
その時、化け物が右の人差し指をスッと前に突き出した。奇妙な、滑稽なまでの動作。
その瞬間、悪寒が走った。――夢の断片が、鋭く脳を貫く。
「琉生ッ!! 離れろッ!!」
枯れた声で叫んだ瞬間、世界の音が消えた。
化け物の指が、あり得ない速度で伸長した。
水の中のように鈍くなった視界のなかで、長く伸びた「指」が、琉生の胸を無造作に貫く。
指先は金属のような光沢を放ち、彼の背中まで突き抜けていた。
琉生は呆然と、自分の胸を貫く指を見つめている。化け物が、それを乱暴に引き抜いた。
「がぁっ……ぅ、あぁぁぁ……っ!」
琉生の口から、熱い血の塊がぶち撒けられた。
「……る……い……? 琉生ッッ!」
駆け寄ろうとする僕を、彼の絶叫が遮る。
「来るなァッ!」
血を吐きながら、彼は膝をついた。胸の穴からどす黒い液体が溢れ出している。それでも、彼の声には力があった。
「でも……っ!」
「早く……失せろよッ……! お前がいたって……どうにもならねえんだよ!」
言い放つと同時に、化け物の指が再び琉生を貫いた。二度、三度。執拗に、肉を抉る。
琉生が地面に転がった。
「優璃……咲、を……たの、む……」
化け物は倒れた彼に跨り、何度も、何度も、その指を突き立てた。
グチャッ、ボキッ、という生々しい破壊音。
それは、子供が虫をつぶして遊ぶような、純粋で残酷な愉悦に満ちていた。
「――ああ……、ああああああああッ!」
僕は、逃げ出した。親友を見捨て、化け物とは逆の方向へ、なりふり構わず。
背後からは、肉が飛び散る音と、断末魔が聞こえ続けていた。
――ごめん、琉生。ごめん。
ニカッと無邪気に笑う彼の顔が、網膜に焼き付いて離れない。
ごめん、ごめんごめんごめんごめんごめんごめん――!
狂ったように足を動かし、大通りへと飛び出す。
「……は……? なんで……」
そこは、僕の知っている街ではなかった。
至るところにあの化け物が溢れ、老若男女を問わず食らいついていた。腕をもがれた女性、群がる怪物に囲まれた子供。衝突し、炎上する車。
悲鳴、怒声、断末魔。
当たり前の日常は跡形もなく消えていた。
世界は、たった数分で地獄へと塗り替えられていた。
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