4杯目☕団子の味に勝てる理想などない
父親の口癖は「男は武道だ」だった。
180cmの巨漢の父に対して、俺は163cmで体重は46kg。まるで父の遺伝子を全部どこかに置き忘れてきたみたいな体だった。
武道に取り憑かれた父は、色々な武道を俺に習わせた。ある日、父親は知り合いがやっているという剣道の道場に俺を連れていった。そこで、“桃姉”に出会った。
ふわふわしていて、可愛くて、まるで天使みたいな少女。けれど、道着に袖を通し、試合が始まるとまるで別人だった。竹刀を構えるその姿は真剣そのもので、負けて悔しそうに涙をこらえる横顔に、俺は息を呑んだ。
名前も知らない彼女の姿に、気づけば心を奪われていた。それから何度か会ううちに、名前は知っている顔見知りになった。だからこそ嬉しかった。桃姉に「騎士みたい」って言われたことが。
桃姉を守れる男になりたい。
いつかは、俺が桃姉の憧れになれたらって、そう思ったんだ------。
「ん……」
ゆっくりと目を開けると、視界に見慣れない木材の天井が広がっていた。左右に視線を移すと、浅葱色のダンダラ模様の羽織と、数本の刀が目に入る。それを見た瞬間、止まっていた思考が一気に動き出し、勢いよく上体を起こした。
(ここって……そもそも、俺は何をしていたんだ……?)
飛び出しそうなほどの心臓の音と、冷や汗が体を伝う。
部屋の隅で、花帆はそんな真雄の様子を心配そうに見守っていた。彼女は少し笑顔を浮かべ、声をかける。
「あ! おはよう! 起きた?」
「はっ! はいっ!」
真雄は慌てて答える。目の前の花帆の表情は柔らかい。だが、真雄にとっては状況が飲み込めず、言葉がうまく出てこなかった。
「すみません! 俺、寝てたみたいで……」
「大丈夫だよ。開店時間を少し遅らせてたから。それより、ごめんね。びっくりしたよね?」
「あ、いや、その……」
花帆の問いに、真雄は目を泳がせる。驚いたと言えば、確かに驚いた。現実にあるわけがないと思ったから。真雄の言葉が詰まったのを見て、花帆は少し目を細めた。
「高瀬くんは、自分の前世を考えたことある?」
「え。あ、その……こうだったらいいな〜とかはありますけど……」
「普通はそうだよね。私たちみたいに記憶がある人の方が、むしろ珍しいくらいだから」
花帆は淡々と、けれど優しく語る。その言葉に、真雄は目を伏せる。
「……すみません。正直、疑ってます。本当に記憶があるってこと……」
花帆の視線から逃げるように、真雄は言葉を落とした。誰もが一度は考えたことがあるだろう、前世の記憶。こんな人だったらいいな、と。真雄も例外ではなかった。だからこそ、目の前の人たちが「本当に記憶がある」と話すのを、簡単には信じられなかった。
花帆は、そんな真雄の表情を静かに見つめていた。その視線は、真雄を責めるでも、否定するでもない。ただ優しく、彼の戸惑いを受け止めているようだった。
「普通そうだよ! 私も家族にも友だちにも信じてもらえなかったから!」
「でもね……遠久村さんだけが信じてくれたの」
どこか懐かしむような表情で、花帆は言葉を続けた。
「結城くんは、産まれた時から前世の記憶があるって言ってたんだけど……私はある日突然、フラッシュバックみたいに思い出したの」
夢でもない。でも、確かに覚えている記憶。刀の重さ、交わした言葉、血の匂い。そして、思い描いた理想が果たされないまま、命を落としたあの記憶。
自分ではない。しかし、確かに自分の記憶だった。そんな思いを抱えていた。周囲に話しても信じてもらえず、だけど忘れたくない大切な記憶でもあった。だからこそ、誰にも話すのをやめたのだ。
しかし、上京してこのカフェに出会ったことで、その気持ちは変わり始めた。偶然通りかかった場所に、「誠堂」という看板が目に入り、自然と足が店の中へ向かっていた。
慣れない土地での一人暮らしにホームシックを感じていた花帆は、偶然にも同じ京都出身の店員と出会った。どこか懐かしさを感じさせるその人は、花帆のために郷土料理である湯豆腐を特別に用意してくれた。
「また悩んだら、いつでもここに来てください。郷土料理をお出ししますよ」
そう微笑む彼の顔を見て、花帆は泣きそうになる気持ちを必死に抑えながら、湯豆腐を口にした。その湯豆腐が、花帆の心をそっと掴んだのだった。
「…美味しい」
懐かしい味と、店内に飾られた装飾に囲まれ、胸の奥にしまい込んでいた思い出があふれ出した。花帆の目からは涙が止まらなかった。
突然泣き出した花帆に、目の前の店員は驚きとともに慌てていた。店内には花帆しかいなかったこともあり、そのやり取りは小さな店内に響いていたのだろう。奥からもう一人の男性店員が姿を現した。
彼が「泣かせたー」と冗談めかして言うと、目の前の店員はさらに慌てふためく。その姿がおかしくて、花帆は驚きながらも笑ってしまった。
笑いながら、花帆はふと口を開いた。長く心にしまっていた記憶の話を、自然と語り始めていた。
二人の店員は驚いていたが、その表情には戸惑い以上に喜びが混じっていた。そして、二人は打ち明けてくれた。ここ「誠堂」では、新選組の記憶を持ったスタッフが大半を占めているのだと。
「それで、せっかくならってことで遠久村さんに会うことになって」
「正直、怖かったの。前世で、私は新選組を裏切ってるから」
理想を抱いて入隊し、可愛がってもらっていたあの場所。けれど、近藤ではなく別の人物の考えに共鳴し、自分の信じた理想を貫くために離れた。だけど、その先で、かつての仲間に命を奪われた。そんな記憶があったから、同じ記憶を持つ局長に会うのが、怖くて仕方なかった。
「おお! 久しぶりだな!」
花帆の心配をよそに、遠久村はにかっと笑うと、いつものように頭に手を置いた。
「おかえり」
その言葉に、堰を切ったように涙が溢れ出した。
「ああ、この人はいつまでも、私たちの局長なんだ。新選組は、私たちの帰る場所だったんだって」
「それで、藤代さんはここで働くって決めたんですね」
花帆の話を聞きながら、真雄の胸にはしみじみとした思いが広がっていた。前世の記憶を背負うということは、自分が想像するよりずっと大変なことなんだと感じたからだ。
「んー、それもあるけど、いちばんは」
「まかない付きだから!!!」
「……え? えぇ?」
突然の答えに、真雄の驚きが思わず声になった。
「え?、ちょっと待ってください! まかない付きじゃなかったら働いてなかったってことですか!?」
「うん!」
「いやいや!! 昔の絆とか! さっきまでの感動話は!?」
感動的な話を聞いたばかりの真雄には、まさかの答えに動揺が隠せなかった。そんな真雄を見て、花帆はにこりと笑う。
「私ね、ここで北里さんが作ってくれた料理の味に惚れちゃったの」
「その料理がここで働いたら無料で食べられるんだよ!!働くしかないじゃん!!もちろん、出勤じゃない日も食べるんだけどさ!私大食いだからさ、なるべく食費抑えたくて」
意気込みたっぷりに話す花帆を見て、真雄はただ口を開けたまま言葉が出なかった。
「よし! 働こうか!」と花帆が明るく言うのを聞きながらも、気持ちが全然追いつかない。
「……感動を返して」
小さく呟いた言葉は、届くこともなく、すっと空気に溶けていった。
新選組をテーマに書いてるのに全く詳しくないので、一から調べてるんですが、勉強になります。記述と違っても多め目に見ていただけたら嬉しいです。