16杯目☕️ 子どものまま、約束を。
「それで、作戦会議?」
先ほどまでの話を聞き終えた清夏が、そう口にした。上城が用意したお菓子とジュースをカウンター席で口にしながら、律はこくりと頷く。
「清ちゃんなら、どうする?」
「そうね……喧嘩っていうほどでも、なさそうだし」
律は小さく息をついた。少しの間、黙ったままカウンターに肘をつき、頬杖をつく。視線は無造作に並べられたクッキーやジュースに落ちていたが、心ここにあらずという表情だ。
「律くん」
「やっぱり、杏ちゃんに自分の気持ちを伝えることが大事だと思う。杏ちゃんも律くんと仲直りしたいけど、素直になれないだけかもしれないよ」
「うん……そうだよな……」
律はコップのジュースを手に取り、軽く握っては放す。手のひらに伝わるひんやりとした感触が、なんとなく自分を落ち着けてくれる気がした。
「よし……腹を決めるか……」
小さな決意の空気が、カウンターの上でキラキラ揺れる光と混ざる。ジュースやお菓子に反射した光が、律の心を少しだけ落ち着かせる。
「……近藤に、頼む……ことをっ」
(相当、嫌なんだな……)
遠久村の名前を出すたびに歪む顔に、真雄はそう思った。
「それで、うちの杏に謝りたいと?」
出勤してきた遠久村は、腕を組んだまま律を見下ろした。その視線は、いつもの軽さが嘘のように真剣だ。
律は一瞬、視線を逸らした。
前世の記憶が、否応なく胸の奥をざわつかせる。芹沢鴨だった自分が、近藤勇に頭を下げる日が来るとは――どんな未来でも、想像すらしていなかった。それでも。
杏の泣いた顔が、脳裏をよぎる。律は小さく息を吸い、ぎこちなくも、はっきりと頭を下げた。
「……頼む。杏に、会わせてくれ」
それは、芹沢鴨としてではなく、一人の子どもとしての、精一杯の願いだった。
「…分かった」
その一言に、場の空気がふっと緩む。少し離れた場所で見守っていた真雄たちも、思わず息を吐いた。
「ただ俺も着いていく!」
間髪入れずに放たれた遠久村の声に、場の空気が一瞬、止まった。
「……は?」
思わず返した律の声は、素のままだった。眉をひそめ、何を言われたのか理解できない、といった表情で遠久村を見上げる。
「大事な大事な一人娘だからな! また泣かせられたら困るからな」
遠久村は胸を張り、腕を組む。その表情は真剣そのものだが、言っていることは完全に過保護な父親だった。
「……っ」
律は一瞬、言い返しかけて口をつぐむ。
「……分かった」
短くそう答え、律は視線を逸らした。その声には、不満も、悔しさも、そして杏のために飲み込んだ覚悟も、すべてが滲んでいた。
「いやー!それにしても、芹沢さんが俺に頭下げる日が来るなんて思わなかったな!」
遠久村が急に表情を崩し、がははと豪快に笑った。
「まさか杏の友だちが芹沢さんっていうのにも驚いたのに、喧嘩したなんて」
悪気の欠片もない。ただの冗談、ただの感慨。けれど、その一つ一つが、律の胸の奥を正確に抉っていく。
「……っ」
律の喉が、かすかに鳴った。
胸の奥で、押さえ込んでいた何かが、音を立てて軋む。芹沢鴨だった過去。近藤勇だった男の前で、頭を下げたという事実。
「だから僕はお前が嫌いなんだ!!!」
律は、拳をぎゅっと握りしめ叫んでいた。
公園の片隅で、ブランコがひとつ、きぃ、と小さな音を立てて揺れていた。その影の中に、杏の姿があった。
律は足を止め、一拍だけ呼吸を整えてから、そっと近づく。
「……杏」
名前を呼ぶと、ブランコが揺れる音が止まった。
「……! りっちゃん……」
杏の大きな瞳が、驚いたように見開かれる。立ち上がろうとするその動きよりも早く、律は深く頭を下げていた。
「杏、ごめん。杏を泣かせてしまったこと、謝りたい」
「りっちゃん……」
律は一度、息を整えてから続けた。
「僕たちは結婚できない。でも、僕は杏のことが大好きだし……ずっと一緒にいたいと思ってる」
「でも……ずっと一緒にいるには、結婚だって……」
「パパが言ってたよ……」
その言葉を聞いた瞬間、律の顔がわずかに歪んだ。そこには、「余計なことを教えやがって」とでも言いたげな視線が、遠久村へと向けられていた。
当の遠久村は、その視線に気づいたのか、笑いながら小さく手を合わせ、謝るようなジェスチャーを返している。
「っていうか、そもそもどうして律くんは“結婚できない”なんて言ったんですか?小さい子なら、みんな言いますよね」
真雄には、それがどうにも引っかかっていた。
幼い頃は、理由もなく「結婚する」と口にするものだ。それなのに、律だけがはっきりと拒んだ理由が分からなかった。
「杏、結婚は……男の人と女の人がするものだろ」
「好きな人同士がするって、パパが言ってた」
「……いや、うん。それは間違ってない。間違ってないけど、杏……」
杏の言葉に、律は思わず頭を抱えた。そして一拍置き、ゆっくりと視線を落とす。
「僕たちは……女の子同士だろ」
「お、女の子!?」
律の言葉に、真雄は思わず声を上げかけ、慌てて自分の口を手で塞いだ。
「…女の子同士だからダメなの?」
「女の子同士だからダメなんじゃない。きっと大きくなったら、色んな出会いがある。結婚は出来なくても、僕はずっと杏と一緒にいたい」
律の言葉に、杏はしばらく黙り込んだ。やがて、ゆっくりと顔を上げる。涙の跡も消えて、どこか納得したような――けれど、どこか違う気もする表情だった。
「じゃあ!」
杏の顔がぱっと明るくなる。
「杏が男の子になればいいんだね!」
「「なんで!!??」」
杏の言葉に、律と真雄の声がぴたりと重なった。
「だって、杏が男の子になれば結婚できるでしょ?」
「いや、待って、杏。そこまでしなくても……」
「杏!!!」
「え!? 遠久村さん!?」
遠くから見守っていたはずの遠久村が、いつの間にか二人の前に立っていた。その顔は、どう見ても号泣している。
「杏は! ずっと可愛い女の子でいてくれ!!結婚はパパとしよう!!」
「パパ!でも、パパはママと結婚してるじゃん」
「……そうだけど。杏は……パパの天使だから……」
(親バカだ……)
その場にいた全員が、同じ感想を抱いたが、誰も口には出さなかった。
「……パパは、少し落ち着きましょう」
真雄が苦笑しながらそう言うと、遠久村は鼻をすすりながら頷いた。
「じゃあさ!」
杏はぱっと顔を上げた。
「りっちゃんと結婚しなくても、一緒に住めばいいんだね!」
「……え?」
「毎日一緒にごはん食べて、一緒に寝て!」
「待って待って待って!!」
遠久村が慌てて割って入る。
「同居は早い! 早すぎる!!パパも一緒に住む!」
「大人げないですよ、遠久村さん」
真雄のツッコミに、その場の全員が一斉に遠久村を見た。本人だけが状況を理解しておらず、まだ涙と鼻水でぐしゃぐしゃだ。
「さすがに過保護すぎますよ」
「パパと3人は嫌かなー!」
花帆と清夏の即答が突き刺さる。
杏はぽかんとその様子を眺めたあと、くすっと笑った。場に張り詰めていた空気が、ふっと緩む。
「杏」
律は杏と目線を合わせた。
「結婚できなくても、友だちでも、僕は杏のそばにいる」
「ずっと一緒?約束?」
「ああ」
「じゃあ、杏も約束する!」
律がぽつりと呟くと、杏は楽しそうに笑った。仲直りの印のように、2人は手を握りあった。今日の小さな騒動は、こうして穏やかに幕を閉じた。
芹原律
誕生日10/28 age.6
前世・芹沢鴨。イメージカラー紺の灰色のジャケットに紺のショートパンツ、白いハイソックス。青みがかかった髪色に灰色のベレー帽。紺色の瞳。
京都生まれ東京育ち。エスカレーター式の私立小学校に通っている。偶然知り合った遠久村の娘と友だち。祖父母に連れられ、ごく稀に誠堂にやってきていた。幼い頃から前世の記憶持っているため、友だちが少ない。見た目と名前、自身を僕と呼んでいるため、男の子と間違えられるが、れっきとした女の子。




