観念
逃げたいが、逃げられない。
こうなるともう、一旦観念するしかなかった。ここは大人しく従い、隙を見つけ、逃げ出すしかない。……その隙をこのハロルド王太子が見せるかどうか、それは大いに謎であるけれど。
「驚いたか、ミーシャ。王都ではまんまと出し抜かれたからな。今回は万全の体制で乗り込ませてもらった」
「……サチを助けてくださったことには感謝します。でも、ズルいです! 騎士を、マイクを送り込み、私の状況を探っていたのですよね?」
「踊り子として過ごす時間が長く、占い師としての勘が鈍ったか? よもや気づいていないとはな」
そこでハッとする。
口づけからの、公爵の断罪という流れに比べると、小さな気づき。まさにスルーするところだった。
「まさかと思います。髪と瞳の色も違う。ほくろや声だって……でも」
そこでハロルド王太子の紺色のズボンと革のロングブーツを見て確信する。
その、まさか、であると。
「……マイクは……殿下なのですか」
「ミーシャ嬢。ようやく気付かれましたか」
ハロルド王太子がマイクの声音と口調で答えた。
脱力してへたりそうになるが、肩を支えていたハロルド王太子の手が、素早く私を抱き寄せる。そこで感じるマンダリンの香り。そう、これはマイク……。
マイク……。
あああ、そういうことね。
ハロルド・ミカエル・ダグラス
ミカエルのニックネームにはマイクがあったわ。
どうして気が付かなかったの……?
「気づかなくても当然であろうな。わたしはそういう特殊な訓練も受けている。声音を変えたり、かつらを被ったり、つけぼくろをつけたり。瞳の色は、王族に代々伝わる秘宝のポーションを使い、変えていた。後はミーシャの思い込みを使った。こんな場所に王太子がいるわけがない。水晶玉で確認したが、王都にちゃんといた、そう思ったであろう? 有事でしか動かさない影を動かしたからな」
「影……?」
「替え玉だ」
「それは……水晶玉に映ったのは、替え玉だったのですか!? 精霊さえ、騙したのですか!?」
驚愕する私にハロルド王太子は、余裕の笑みを浮かべる。
「精霊も混乱したと思うぞ。わたしの替え玉は、限りなく完璧に近いからな」
この言葉に、水晶玉で王都にいるハロルド王太子の様子を確認しようとした時。なかなか映像が見えなかったことを思い出す。
なるほど。あの時、精霊は……混乱していたのね……。
「聞くと精霊は通常、魂で相手を見る。だが人間は名前と実体を持つ。いつしか精霊は人間を見る時、名前と実体で判断するようになったのではないか? もし魂までじっくり見られていたら……替え玉だとバレたかもしれぬ。だが水晶玉で飼われているような精霊であれば、基本、面倒なことはしないだろう。『おや、なんだか違う』と思っても、誤差の範囲で目をつむった……とわたしは判断する」
精霊よりも、ハロルド王太子の方が上手ということになる。
そんな相手に、太刀打ちできるはずがない!
あの日、彼を出し抜いて、その手からすり抜けることができたのは……本当に奇跡だったのかもしれない。二度目の奇跡はなかった……。
「いつからつけていたのです? ルイジ公国の宿で、偶然を装い会うことになりましたが、それ以前からずっとですか?」
「いや。それは違うな。君にプロポーズするつもりで街へ向かい、もぬけの殻だった時は、一旦王宮に戻った。すべきことも山積みだったからな。仕方なく秘密諜報部を動かし、まずは所在を確認させた。その間に替え玉を用意したり、父君を説得したり、いろいろ準備をした」
「な……秘密諜報部を動かしたなら、そのまま彼らに私を捕らえさせればよかったのでは!?」
するとハロルド王太子が「信じられない」という表情で私を見た。
どうしてここでそんな顔で私を見るのか。理解できない……!