目撃
サハリア国に到達するために、いくつかの国を通過する必要がある。
ルイジ公国は、エルロンド王国の一部と国境を接している。ルートによってはルイジ公国を通過せずに、デュカン帝国に入ることもできた。ただ、それは少し遠回りになる。よってルイジ公国経由で、デュカン帝国に向かうことになった。
ルイジ公国は少し前までは、「蛮族の国」と言われていた。
というのもルイジ公国の先祖は、狩猟民族。獣の皮で作った衣類、骨で作ったアクセサリーを好んで身に着けることが、当たり前の文化だった。そしてそれは周囲の国々が綿やシルクの衣装を着るようになり、黄金や銀製品を宝飾品として身に着けても、変わることがなかった。
さらに剣よりも斧での戦闘を好み、敵の頭蓋骨を斧で攻撃するという残虐性で知られ、その結果、「蛮族の国」と言われてしまっていた。
ただ、戦争自体が減り、ルイジ公国にも他国の文化が入ることで、その残虐性と動物の頭蓋をアクセサリーとして身に着けることも、減ってきている。それでもやはりこの国を通過する時は、緊張してしまう。特に旅の踊り子は女性が多いのだから、警戒して当然だった。
「今日は宿の一階の食堂で食事をとったら、早く休むことにするよ。朝は早めに起きて、出発だ」
リーダーであるドナに従い、この日は早々に休むことにした。
ドナは唇がぷっくり厚く、色白で少しむちっとしており、男性客から誘われることも多い。だが、ホワイトブロンドの髪はいつもきっちりまとめ、グリーンの瞳は凛としており、誘いに応じることは滅多にない。自分の興が乗らない相手には、無関心というタイプだ。
一応、ワインも飲んでいたため、いつもより早い時間だが、眠りに着くことはできた。でもお酒の酔いで眠りについても、変な時間に目覚めてしまうのは、よくあること。この時も私は、真夜中にふと目が覚め、しかも喉の渇きを覚えてしまった。
一階の食堂には水があり、それは自由に飲んでいいとなっていた。
水を飲みに行こう。
二段ベッドが二つ置かれた部屋を出て、一階へと向かった。廊下は一箇所だけ、ランプの弱い明かりが灯っている。それを頼りに階段を下りていく。
さすがに真夜中の変な時間なので、人はいない。
そうして水を飲み、一息ついた時。
女性の悲鳴のような声が聞こえた。
これにはドキッとしてしまう。
ここはかつて「蛮族の国」と言われたルイジ公国。狩猟民族を祖先に持つルイジ公国の男性は、体格もよく、まさに斧で戦闘を繰り広げるのにふさわしい屈強な者が多い。もし女性が襲われているなら、ひとたまりもないかもしれなかった。
どうしよう。護衛で雇っている傭兵を起こすべき?
傭兵を起こすにしても、状況が分からないとダメだ。
声の聞こえた方の様子を見てみよう。
そう思い、声が聞こえた裏口のドアを、細く開けて見ると……。
そこには、宿を利用する客の馬車がとめられ、厩舎もあった。
その厩舎の方へ手をつないで歩いて行く男女の姿が、月明かりにぼんやり浮かんで見えた。
あれは仲間の踊り子のアデレンと傭兵のハミルでは?
アデレンは肉感的な踊り子で、この旅の最中の興行でも、大人気だった。興業の後は、貴族に呼ばれ、そのまま翌朝まで帰ってこない……ということも多い。一方のハミルは、茶髪のグレーの瞳のひょろっとした男性で、弓矢が得意だと聞いている。年齢は、三十代後半だが、無精ひげがあるので、四十代後半ぐらいに見えた。まだ十九歳のアデレンとは、親子と言われても違和感がない。
でも、あの手をつないで、はしゃいでいる様子は……。
そう思ったら二人は、厩舎の扉の前で熱烈な抱擁をして、口づけを交わしている。
……! そういうことなのね。
それを理解し、扉を閉じようとした。だが扉がぐいっと外側から引っ張られ、バランスを崩し、外へ飛び出してしまう。