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狼の探し物

 隊商から、完全にはぐれてしまった。――盗賊に襲われたあのオアシスは、はるか後方に消え、あたりは一面、砂の丘が延々と続く砂漠の風景が広がるのみ。

 太陽は既に地平線からしっかり全体を現し、徐々に徐々に高度を上げ、それに比例して気温もぐんぐん上がっていく。

 このまま遮るもののない砂丘を歩き続けるのは自殺行為だが、既に夜が明けてしまった今、星で現在地や進むべき方角を知ることは不可能だ。

 ましてやあたりはただひたすら砂丘が続くばかりで、目印になるようなものなど何もない。

 ――と、いうのに。あれだけ多くの盗賊たちから、ライラとその“連れ”の男という荷物を抱えながら見事に逃げおおせてみせた彼――暁の狼の二つ名を持つ男は、迷うことなく馬を進めていた。


 彼の衣服は、盗賊たちを切り伏せた際に飛んだ返り血でところどころ赤黒く染まり、鉄錆の匂いがライラの嗅覚を刺激する。

 馬にまたがる彼の前で馬に揺られるライラを抱きかかえる彼の胸板が、すぐ目の前にある。

 血に染まったそれは、ライラにとって本来嫌悪の対象となるべきもの。あの日の記憶を呼び覚ます忌むべきものであったはずなのに。


 ライラは腫れてしまった頬を彼の胸に寄せ目を閉じた。

 彼のおかげで昨日は久々によく眠ったはずが、起き抜けの騒ぎのせいで、ライラは酷く疲れていた。彼は片腕一本でそんなライラを支え、黙ってそれを容認してくれる。

 それが、ライラの心に安心感をもたらし、今朝の騒ぎで蘇った忌まわしい過去の記憶を上書きしてくれる。


 今、ライラの嗅覚を刺激する血臭は全て盗賊たちの返り血で、ライラの身には傷一つない。……頬の腫れを除けば、ではあるが。それは盗賊たちの仕業でななく“連れ”の男に張られてできたものだ。あの直後、彼の馬に乗せられた後はずっと、彼の逞しい腕に護られ、擦り傷一つ負わずに済んだ。


 何もできず、無抵抗のまま全てを奪われるのを黙って見ているしかなかった、あの日の記憶。その恐怖と悔しさは、忘れたくても忘れられない記憶だ。

 あの時と同じ光景――違うのは背景の景色のみで、それ以外は寸分違わぬあの悪夢の再現が目の前で繰り広げられる中で、ライラは襲い来る恐怖から完璧に護られていた。あの日のように、恐怖や悔しさに打ちひしがれる必要が、今のライラにはない。


 彼の傍に居る限りは、もうあのような思いをせずに済むのだと思えたから。

 (……でも、この人はあの隊商に雇われていた護衛)

 名の通った凄腕の護衛だ。彼を雇うのに、いったいどれほどの金が必要なのか、ライラにはさっぱり見当もつかなかったが、すくなくとも小娘一人で用意できるような金額ではあるまい。

 隊商とはぐれてしまった今、彼はどうするつもりでいるのだろう。……彼のことだ、さすがに砂漠の真ん中でライラ一人を放り出すような真似はしないだろうが、だからと言ってただのお荷物でしかないライラをいつまでも連れ歩く義理はない。



 「――起きろ」

 不意に、身体を揺すられ、声をかけられた。すこし目を閉じて休むだけのつもりが、うっかりうたた寝をしてしまったらしい。

 ライラが目を開け、あたりを見回すと、目の前にはささやかな水を湛えたオアシスがあった。

 あの、盗賊に襲われた街のオアシスに比べれば、水たまり程度の小さなそれも、太陽がいよいよ空の頂きに届く今は、とてもありがたい存在だ。

 

 しかし、盗賊に襲われ逃げてきて、方角も分からず彷徨っていたのだと思っていたのに、こんなにタイミング良くオアシスにたどり着いただなんて……彼は、これを知っていたのだろうか?

 馬から降りるのに、彼に手を貸してもらいながら、ライラは疑問を抱く。

 ちなみに、“連れ”の男は、蒼白な顔でへたりこんでいる。


 ライラを馬から降ろし、馬を泉のほとりに繋いだ彼は、こちらを振り返ると恐ろしい目つきで男を睨んだ。


 「さて。……モハメド、と言ったか。知っていることを、洗いざらい喋って貰おうか」

 彼は男の前に立つと威圧的な声を出し、脅すように言った。

 「昨夜、お前は知らないと言ったが……。どうやら奴らはお前のことを良く知っているようだったな」

 かちりと、わざと剣の鍔を鳴らし、脅す。

 「ついさっきまで、俺は隊商に雇われた護衛だったんだが、はぐれてしまったからな。……もう、彼らに遠慮する必要は無くなった」

 するりと、刃を鞘から抜き放ち、その輝きを見せつける。多くの盗賊の血を吸ったそれを、男の喉元に突きつけた。


 「では、もう一度尋ねよう。俺は、赤竜の牙に奪われた宝を追っている。――ワルダ、という名に聞き覚えはあるか?」

 「さ、さあ……、ありふれた名前だからねぇ?」

 モハメドは、逃げ場を探すように目を泳がせるが、彼を出し抜いて逃げるのは至難の業だろう。しかも、ここは砂漠の真ん中だ。仮に運良く逃げおおせたとしても、右も左も分からないままこの炎天下の砂漠を彷徨うのは自殺行為である。

 「……では、ハーミルという名の村を覚えているか? およそ2年前、赤竜の牙の標的となった遊牧民の村だ」

 狼は、男の喉を容赦なく剣先でつついた。ぷつりと肌が裂け、赤い雫が滴り落ちる。

 「ひ……ッ」

 モハメドは、声を詰まらせた。

 「若い娘だ。――ちょうど、お前が連れているその娘ほどの年頃の娘。黒髪に黒目。少し濃い目の肌の色をした娘に、覚えはないか?」

 狼は、モハメドの肩を蹴り飛ばし、地面に貼り付けるとさらに質問を投げつける。

 「あ……、ああ、そ、そういえばそんな女が……いたような……」

 モハメドはしどろもどろになりながら引きつった声で答えを返す。

 「では、その娘の行く先に心当たりは?」

 狼は、モハメドの上にかがみ込み、膝で彼を地面に押さえつけながら、剣を横に倒し、刃をモハメドの首に這わせる。


 だが、そこでモハメドは突然暴れだし、足で狼の腹を力一杯蹴り飛ばした。その拍子に、首の皮一枚、派手にパックリとさけ、血が吹き出すのも構わず、モハメドはドスンと狼に体当たりをした。

 ――気が触れたのだとしか思えない。不意を付いたその攻撃は一応成功したようだが、相手はあの数の盗賊を屠った男だ。その程度の攻撃でどうにかできる相手ではあるまい。

 ライラはまず、そう思ったが、モハメドは突然高笑いを始めた。

 「ふ、はははははは!」

 フラフラと、狼から後ろ歩きに離れながら、勝ち誇ったように笑う、モハメド。


 ――ぼたり、と重たい音がして、ぱたぱたと砂に赤い雨が降り注いだ。


 「――!!」

 ライラは、それに気づいて声にならない悲鳴を上げた。


 暁の狼の腹部から飛び出た、短剣の柄。――刀身は深々と彼の腹に埋まり、溢れた血が見る間に彼の足元の砂を赤く染めていく。

 

 「ははは、いくら凄腕っつったって、腹に穴を空けられちゃあもう何もできまい?」

 ライラの“連れ”――。ライラの村を襲った男は、嫌らしく笑った。


 「さあ、小娘。来るんだ」

 男は、狼に背を向け、ライラの方へ歩み寄る。

 「旦那が、首を長くしてお前をお待ちなんだからな」

 ライラは、ギュッと目をつぶり、首をすくめた。

 ――抵抗の術などない。また、乱暴に腕を捕まれ引っ張っていかれるのだ。その、誰ともしれない“旦那様”とやらの処へ。

 

 ざく、と。砂に重たいものが落ちる音がした。

 ライラはたまらず目を開け、音のした方を見た。一時でもライラに優しくしてくれて、守ってくれた人が、そこに倒れ伏す姿を想像して。


 だが、彼はまだしゃんとしてそこに立っていた。

 砂の上に落ちているのは、彼の腹部に刺さっていたはずの短剣だ。


 「悪いな。俺の身体はお前たちとは出来が違うんだ。この程度、怪我のうちにも入らん」

 彼は、つまらなそうに言った。

 そして、つい今しがた腹に重傷を負ったはずが、全くそうとは思えぬ軽い足取りでモハメドに歩み寄る。


 「あ、あ、あ、あ……」

 その様に、モハメドは普段浅黒い肌の色をした顔を真っ白にして、ふらふらと後ずさる。

 「そろそろ、観念して吐け。――私のワルダを何処へやった?」


 「――ッ、あ、あいつなら旦那に売った!」

 「旦那? どこの誰だ、それは」

 「あ、あの隊商の目的地だった都の、豪商で……、ハジってんだ」

 

 その名前に、ライラがポツリと呟く。

 「私を買った、旦那様……」


 それを聞き、狼はようやく手にした剣を鞘におさめた。

 

 狼は、血で汚れた服を不快そうに見下ろすと、おもむろに上着を脱ぎ捨てた。――細身ながら、しっかりと筋肉のついた端正な身体。

 ライラは、見慣れぬ異性の裸体に思わず釘付けになりかけた視線を慌てて引き剥がし、そっぽを向こうとして――ハッと再び視線を戻す。


 ――あれほど大量の血を流した傷が、ない。いや、流れた血は確かにまだ肌を汚しているのだが、その元の傷が見当たらない。


 モハメドも、それに気づいたのだろう。ガタガタと身を震わせ、叫び声を上げた。

 「ひ、ヒィッ、ば、化け物……!」

 モハメドは即座に身を翻し、こちらに背を向け駆け出した。

 砂に足を取られ、何度も転びそうになりながらも、足を止めることなく駆けていく。


 ここは砂漠の真ん中だ。右も左も分からないままこの炎天下の砂漠を彷徨うのは自殺行為だというのに……。


 モハメドは構わず駆け続け、やがてライラの視界から消えた。

 ライラは、そのことにホッとすると同時に、ふと不安を覚える。


 さて、困った事態になった。――この先、どうするべきだろうか?



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