襲撃
――天上の神が地上の事に直接手出しすることは決してない。
そう、彼女に言ったのは紛れもなくこの自分だ。
それを事実として知っているから。
……だが、こうも見事に祈りを裏切られると、流石の彼でも心に苦い思いが広がる。
男は、――男たちは、翌朝、まだ夜も明けないうちにキャンプへ戻ってきた。
皆、一様に必死の面持ちで駆けてくる。
「盗賊だ! 街が、オアシスが襲われてる!」
……男たちは、戻ってきたのではなかった。――逃げてきたのだ。
自分たちのキャンプに、凄腕の護衛が居ると分かっていたから、皆我先にと全力で走り、戻ってきたのだ。
その向こうから、男たちの罵声と、女たちの悲鳴が聞こえてくる。
――酒場や娼館の並ぶ小さな街が、今まさに襲われているのだ。
まだ薄暗く、星明りの残る空にパッと赤い火の粉が舞った。
火を、かけられたのだ。
――乾燥しきった砂漠の中、たちまちのうちに炎は勢いを増し、巨大な火柱となり、もうもうと濃い黒煙を上げる。
炎から逃げ、建物から次々人が飛び出して来る。
だが、街を席巻する炎から辛くも逃げ延びた先に待ち受けるのは――
「ぎゃあああああ!」
酒場の親父の野太い悲鳴が、盛大な血飛沫と共にあがった。
「きゃぁぁぁぁ!」
それを目の当たりにした、ほとんど裸同然の格好の若い娘達が揃って悲鳴を上げる。
ドドドッ、と、その悲鳴を馬の足音が踏み潰し、後には無残に倒れ伏した哀れな物言わぬ骸が残され――
……かろうじて、難を逃れた娘たちに、血と脂で赤くギラギラした刃を携えた男たちが迫る。
「やっ……いや……!」
娘は、壁を背に、胸元で固く両手を握り締め、小さく首を左右に降って、涙で潤んだ瞳で男たちを見上げる。
だが、男たちは下卑た笑みを深めるばかりで、娘に哀れみを覚える様子など一切ない。
男たちは、乱暴に少女を捉え、乱暴に引き倒す。
「やああああ!」
少女の悲痛な叫びがあがる。
「いやっ、やっ、やぁぁぁ……」
だが、その声も男たちの囃す声に紛れて、だんだんと小さくなり、やがて聞こえなくなる。
それを、泣きながら見ているしかできなかった少女を、男たちは無理矢理小さな荷馬車に詰め込んでいく。
大半の娘はすでに、それぞれ、炎に巻かれるか、馬に轢かれるか、男達に襲われるか、そのどれかの運命を辿った後のこと。
残ったのは僅か数名の少女たちのみ。
それでも、小さな荷馬車はぎゅう詰め状態だ。
だが、それに文句をつける少女は誰も居ない。すでに度重なる恐怖で精神は摩耗し、ショックで心は既に死んでいるようなものだ。
その光景は、まさにあの日のもの。――ただ、違うのは、事後ではなく渦中にあるという事。
あの時は、残された惨状から状況を想像するしかなかったが……
あの日、彼女はこんな只中に身を置いていたのか。
……どんなに怖かっただろう。どんなに辛かっただろう。
ギリっと歯を食いしばり、刀の柄を強く握り締めた。
「頼む! 助けてくれ!」
商隊の男たちは、揃って彼の背後に周り、彼に縋る。
賊の馬は、このキャンプへも押し寄せてくる。
「――っ、チッ」
彼は舌打ちをし、自らも馬にまたがり、鐙を蹴った。
剣を抜き放ち、先頭に立って駆けてくる賊の首を容赦なく切りつけていく。
たかが人間ごときに負けはしないが、さすがに多勢に無勢が過ぎる。
手加減しているような余裕は無かった。
派手な怒号と血飛沫が飛ぶ。
混乱を極める最中、彼はあの少女の姿を探す。
「やっ、イヤっ!」
――居た。ライラは、“連れ”の男が無理矢理腕を掴んで引っ張り、隊商から離れようとするのに必死に抵抗していた。
「静かにしろ! いいから来るんだ、……抵抗してみろ、お前の家族がどうなるか分かってんだろうな!?」
男はライラに罵声を浴びせ、ガツンと加減もせず頬を張った。
「――っ!」
衝撃で、ライラの体は砂の上に叩きつけられる。
男は構わず、彼女の首根っこを引っつかみ、引きずるように隊から離れようと躍起になっている。
それを見留めた彼は、即座に馬首を返した。
盗賊を2、3人切り伏せながら、ライラのもとへ駆けた。
派手に仲間を屠っていく敵が向かう先を、盗賊らも目で追い、「あ!」と声を上げた。
「あいつ! モハメドじゃねえか! おい、奴をとっ捕まえろ!」
目の前の隊商やその荷を狙っていた盗賊たちは一様に目の色を変え、一斉に標的を移した。
「裏切り者だ! 裏切り者には牙の制裁を与えよ! 『赤竜の牙』の名にかけて!」
賊の男たちは、口々に叫んだ。
『赤竜の牙』、裏切り者。……男の名は、モハメド。
(この男……やはり何か知っている!)
彼は、猛然と馬を駆り、揉み合うライラと男のすぐ脇を駆け抜け――同時に手綱から手を離し、片腕でライラを抱え、男の首根っこを掴んで引き上げた。
駆けるスピードを一切落とすことのないまま、ライラを自らの前に置いて抱きかかえるように守りながら、男の首根っこを掴んだまま男たちの追撃から逃げる。
唯一の情報源を、渡すわけにはいかなかった。
彼は馬首を街の外へ向けひたすら駆け続ける。
あまり上等には見えなかった馬だが、大の男二人と、少女一人の体重を背負いながら、全力で駆けるそのスピードは大したもので、どんどん賊の馬を引き離していく。
街の外へ出るまでも、幾人もの賊と出くわしたが、馬を手綱もなく上手に操り、片手で刀を振るい、自ら血路を切り開いていく。
――喧騒が、徐々に遠ざかっていく。
ライラは、浅く乱れる呼吸を必死に整えながら、彼の腕に縋った。
あの日とまるで同じ悪夢の中、唯一あの日と違う縋れるものがある事実に、希望と救いを求めて――。