アルフレートの願い
目を閉ざしていても眩しいと感じるほど強い、緑色の閃光。
そして――
「はぁ〜い、喚ばれて飛び出て助っ人参上〜、ってね!」
聞き覚えのある、色気たっぷりの声が、突如部屋に響いた。
「新たな王の情報とくれば数百年に一度の大きなネタだ。少々の手間は覚悟しねぇとな」
「我らが待ち望んだ新たな王を害そうというなら、当然相応の覚悟は出来ているのだろうな?」
続けて、やはり聞き覚えのある低い声が、二つ。
「リーさん、ベヒモスさんにカインさん……!」
慌てて目を開ければ、旅の途中で出会った三人が、悪魔と、アルフレートやライラとの間に立ち、悪魔に睨みをきかせていた。
「ふふふ、ライラちゃんが無事で良かったわ。……でも、アタシのお気に入りの娘を怖がらせたからには、お仕置きしてあげなきゃね?」
腰を無駄にくねらせながら、リーがうふふおほほとドスの効いた笑い声を響かせる。
「馬鹿な……! 大して知恵も力も持たぬ小娘が、今の今で指輪を使いこなせるはずが……!」
悪魔はそれまで浮かべていた笑みを消し、叫んだ。
「馬鹿は、お前だ。この男の傍にいて平然としていられる娘を、ただの娘と侮った時点で、お前の無能さはバレバレだ」
カインが嘲笑を浮かべる。
「そうそう、あんだけ渋ってた超カタブツ朴念仁男を見事落とした彼女を、アンタごときがどうこう出来るワケないでしょ?」
クスクス笑うリー。
「さて、お嬢ちゃん。こいつの相手はしばらく俺らが引き受ける。その間にそこでへばってる野郎を何とかしてやってくれや」
邪魔だと言わんばかりにしっしっと手を振り、ベヒモスがわざとらしい声を上げた。
「まだ、嬢ちゃん抱えて走るくらいの体力は残ってんだろ?」
尋ねながら、彼はえいやっと土壁を蹴り飛ばした。
どぉん、と重たい荷馬車が勢いよく衝突したような轟音と共にグラグラと蹴った壁だけでなく部屋ごとぐらぐら揺れ、ガラガラと音を立てて壁が崩れ、凄まじい粉塵が舞い上がった。
思わず息を止め、目を閉じたライラは、覚えのある感触がライラの体を持ち上げる浮遊感を感じ、そして上下左右に激しく揺さぶられながら、砂埃に頬を叩かれ――やがて限界を迎えた呼吸を再開させた肺に、地下牢のかび臭いよどんだ空気ではない、新鮮な夜の空気が流れ込むのを感じて目を開ける。
今度こそ両膝を地面につき、荒い呼吸を繰り返すアルフレートは、ライラを下ろすと、空いた両手も地面につけてしまう。
その爛れた手のひらも、濃く漂う血の匂いも、一向に治まる気配はない。
腹を刺された傷だって、あっという間に治して平然としていた彼が、ここまで消耗している。
彼の消耗を癒す術を、ライラは一つしか知らない。
ライラは躊躇う事無く彼の前で地面に膝をつけて跪き、彼に寄り添った。
元々襟ぐりが大きく開いた衣装は、彼の目線の高さにその首筋を惜しげもなく晒している。
もちろん、彼女の意図はアルフレートにも容易に察せられた。
「……ライラ。あの契約は、すでに解消されている。そして今のお前は王で、俺はその臣下だ。臣下が、王を食い物にする訳にはいかない」
――目はライラの首筋に釘付けなのに、アルフレートは頑なな口調で言った。
「……でも、今この瞬間、私にできる事はありません。たった一つしか」
ライラはそんな彼の目を強く睨んだ。
「あなたが言ったんです、私の足りないところは補ってくれるって。けど、今の私では足りないものばかりで、あなたが居てくれないと困るんです」
ライラは、大きく息を吸って、吐く。
「何より、好きな人が弱ってるのを見て何もしないような王様を、あなたは本当に望むの?」
アルフレートは、それを聞いてふと息を止めた。そして一拍おいて、掠れ、間の抜けた声を出した。
「何……?」
ライラはもう一度大きく息を吸って、吐いた。
「あなたが、好きです。……本当は、言わないでおこうって思ってたんです、さっきまでは」
でも、とライラは続ける。
「あなたとはもう、今日でお別れだと思っていたから。あなたは、あのワルダさんと言ってしまうんだって思っていたから、言わないでおこうって思ってました。でも、あなたは私を選んでくれたから」
「…………」
アルフレートは呆けた顔にやがて苦笑を浮かべた。
「全くもってお前は、俺の意表を突くことばかり言ってくれる」
くつくつと肩を震わせて笑い、大きく息を吐いた。
「さて、一体俺の何がお前の琴線に触れたのかさっぱり分からないんだが……。下の騒ぎ、あいつらにばかり任せておくわけにもいかない、か」
アルフレートは地面に胡座をかいて座り直し、建物の壁に背を預け寄りかかった。
夜空の星を見上げ、そしてライラの瞳を覗き込む。
かっかと頬を赤く染めた彼女の瞳は、未だに強くアルフレートを睨んでいた。
「本当に、永い事生きてきて、こんな想いを抱いたのはお前が初めてだ。……指輪の主だと、ただその臣下として敬うだけでなく、人として、女として愛しいと思うのは、お前だけだ」
そして、アルフレートは再び苦笑を浮かべる。
「本当は俺も、言わないでおこうと思っていたんだがな。どうやらお前に先を越されたようだ」
もう一度、大きく息を吐き、アルフレートはライラの前に改めて跪いた。
「ライラ、ソロモン王は、人間だった。偉大な王だったが、人である以上どうしても寿命という絶対の運命は曲げられず、俺より先に逝った。……俺はまだこの先も、何百年も生き続けるだろう」
すでに途方もない時間を一人で彷徨い歩いてきた。
「だが、俺は……。たとえお前が老いようとも、その事でこの気持ちが揺らぐなど有り得ないが、しかしお前が俺を置いて逝くのを見届けたその後の事を考えると、恐ろしくてならない」
ソロモン王が崩御してから今日まで、どれほどの負の感情を心に溜めて来ただろう。
もう一度、この時を振り出しから再び繰り返すなど、考えたくもない。
「これは俺の我儘だ。嫌なら嫌でいい。……だが、もしも頷いてくれるなら――」
アルフレートは苦しげに一度、言葉を詰まらせた。
「ライラ、俺と、同じ時間を生きてはくれないか?」
ライラと同じ目線にいるアルフレートは、懇願するようにその言葉を喉の奥から押し出す。
「お前に、俺の全てを預ける。身も心も全部、お前にやる。だから……俺の血を受けて、俺と共に生きてくれるか――?」