分かたれた運命
――彼の様な細身の男が、これだけ大勢のいかつい男に囲まれれば、普通は抵抗は無駄だと思うだろう。だが彼は吸血鬼、どんな屈強な男がどれだけ集まったところで彼を捕らえることなど不可能だ。
しかし、彼はある一点を見つめたまま抵抗どころか呆然と立ち竦んでいた。
彼の視線を辿ってみれば、そこには一人の女性が佇んでいる。ソファに腰掛けた主の後ろに立つその女性は、あのリーの装いさえ慎ましやかに思えるほど扇情的な衣服を身に纏っていた。
同性のライラでさえ目のやり場に困る姿を、アルフレートは穴があくほど凝視している。
「……まさか、ワルダ……なのか……?」
アルフレートはぽつりと女性の名を零した。
「ふん、吸血鬼め。魔物の分際で我が屋敷の敷居を跨ぐとは……。さあ、お前たち、さっさとそれを連れていけ」
しかし、不快そうな主の声がその小さな呟きをかき消すように命じ、男たちは即座にそれを実行に移した。
彼は一向に抵抗の意を示さないまま、あっという間に男達にもみくちゃにされた挙句、何処かへ強制連行されて行った。
彼以上に呆然としていたライラは、一人そこに残され、部屋には屋敷の主人と、アルフレートがワルダと呼んだ女性だけ。
ならば、彼女がアルフレートが迎えに来たという女性なのだろうか? 彼女がソロモン王の指輪の後継者――? けれどそれならどうして、あんな……?
いくつも、いくつも、沢山の疑問が後から後から際限なく湧いて出てくる。
「……で? お前は?」
だが、先に疑問を口にしたのは屋敷の主――オットーの方だった。
「先触れを信じるならば、モハメドが連れてくる予定だった娘……、との事ですけれど。所詮、魔物の言葉、信じるに値しませんわ」
そのオットーの後ろで、彼女はその豊満な胸を彼の肩に押し付けるようにしなだれかかり、耳元で囁いた。
「あれと共に居た娘でございますよ。そんな汚らわしいものは捨て置くべきですわ」
ふむ、と、オットーは顎に手をやり、じっくりライラを眺め回す。
「しかし……、な。魔物憑きの娘など滅多にお目にかかれまい? 一夜限り、少々危ない橋を渡るスリルを味わうのも悪くない」
オットーは手元の呼び鈴を鳴らし、呼びつけた従僕に指示を飛ばす。
「おい、そこの娘に湯を使わせろ。日が沈むまでに身支度を整えさせて私の寝室へ連れてこい」
「――かしこまりました」
アルフレートよりほんの少し背の低い、しかしがっしりとした体つきの男は、むんずとその大きく無骨な手でライラの華奢な腕を遠慮も手加減もなしにわし掴み、半ば無理やり引きずるようにして部屋から連れ出した。
広い屋敷の、絢爛豪華な廊下を右に折れ、左に折れ、まるで迷路のようなそこを、一人で歩いて元の場所に戻ろうとしても戻れないだろう程に複雑な道のりの果て、とある扉の奥へと、ライラは乱暴に押し込まれた。
ハンマーム、と呼ばれる公衆浴場――。
広さと設えから、ライラの頭にまず浮かんだのはそれだった。
けれどここはいかに広くとも、一応個人宅であるはず……という、ライラの驚きは、次の瞬間わらわらとわいてきた大勢の女性に取り囲まれ、寄ってたかって衣服を剥ぎ取りにかかられ、さらに深まることとなった。
あれよあれよと言う間に素っ裸に剥かれたと思えば、思わず汗のにじむ蒸し暑い部屋の中で乱暴にあかすりされ、何だかよく分からない物をべったり肌に塗りつけられる。
足元の床より一段高くなった場所に転がされ、押さえつけられた状態で、全身カミソリを当てられ、産毛同然の体毛がそっくり剃り落とされていく。
髪に香油を塗りたくられ、髪が引っこ抜けるかと思えるほどきつく編み込みが施される。
先ほどのあの女性が着ていたような、ライラが一度として身につけたことのない派手な衣装を無理矢理に着付けられ、胸や腹、太ももなど隠したい場所が嫌でも顕になる扇情的な格好にさせられる頃には、ライラは疲労困憊していた。
それでも、顔をうつむけると、自分でも目を逸らしたくなるような己の装いに目眩がしそうになる。
しかし、ひと仕事終えた彼女たちは、今度はとっとと出て行けとばかりに部屋の外へとライラを押し出した。それを、部屋の外で待機していた男は不機嫌そうに見下ろした。
「何だ、もう終わったのか? 旦那様はまだ仕事中だぞ?」
男はライラの頭のてっぺんからつま先まで遠慮なく眺めたあとで、無言のままため息を吐いた。
「ええ、いつもの通りに仕上げましたわ」
どうやら、あげつらうべき箇所が発見できなかったらしい男は、女の言葉に改めて反論しようとはせず、代わりのように再びライラの腕を乱暴に捕まえた。
「……時間まで、ここで大人しくしていろ。いいか、逃げようなんて考えるんじゃないぞ」
そして、適当な部屋に押し込み、部屋の扉を頑丈に封じてしまった。
雑然と物が置かれた、そこは物置のような部屋。
ベッドがひとつ置かれ、それで部屋の容量のほぼ全てが埋まってしまっている。
寒々しく、殺風景でベッドの他に家具はなく、廊下や他の部屋のような装飾の一切ないむき出しの壁面の様子を見ればまるで物置だが、ベッドが置かれている以上はおそらく物置ではなく一応居室なのだろう。
もしかすると、ここがこれからライラが寝起きするべき部屋なのだろうか?
どう見ても良好な環境とは程遠いが、今のライラにとってそんなことはさしたる問題ではなかった。
「彼は……? どこへ連れて行かれちゃったの?」
そもそも、どうして彼が吸血鬼だと、この屋敷の主は知っていたのだろう?
アルフレートに、一見して吸血鬼だと分かる特徴など存在しない。ただ外から眺めるだけなら、人間と見分ける方法などないだろう。
彼が、吸血鬼としての能力を振るわない限りは、人間との区別などつくはずがない。
彼がそう名乗ったわけでもないのに、あの男は最初から彼が吸血鬼だと知っている風だった。
――と、すると……。
『……まさか、ワルダ……なのか……?』
耳の奥で、彼の呟きがこだました。
「あの女の人が、あの男に告げ口した……?」
何故、どうして?
「せっかく、助けに来てくれたのに、どうして……?」
「――当然でしょう?」
答えが返るはずもないと分かっていて小さく呟いた問いに、しかしライラの意に反して扉の向こうから応えがあった。
「吸血鬼の花嫁と、人間の妾。……どちらが選べって言われたら、あなたはどちらを選ぶのかしら? ねえ、新入りの小娘ちゃん?」