最期の使命
「――この指輪はそなたに託そう」
かの偉大なる王が身罷られてからもう気の遠くなる程の時が流れた。かつて、唯一神を信仰する民の王であったかの方は、聖典に名を残す偉人として今も語り継がれている。
――天使も、悪魔をも使役した、ソロモン王。
あれから、時代は目まぐるしく移ろってきた。唯一神を信じてきた者たちの中、救世主を名乗る御子が生まれ、新たな宗教が誕生した。
――聖典に書かれた神は、古の聖典に書かれた神と同じ。……正確には、古の教典、「旧約聖書」に新たに書き足され、「新約聖書」と名付けられた物が新たな教典とされた。
そう、「救世主があらわれる」と記されていたのは、旧約聖書の方であったのだ。かつて、迫害を受けていた徒が求めた、神より遣わされし救世主。
――もしも、かの救世主が、申し分ない身分を持って生まれたなら、「十三日の金曜日」など、なかったやも知れない。……「最期の晩餐」などというタイトルの名画など、存在しなかったかもしれない。
彼らの救世主は、貧しい農民の女性から生まれた。――しかも、産声を上げたその場所は、なんと厩であったという。
そんな彼を、救世主と信じる者と信じない者とで線引きがなされ、同じ神を信じる者らが二つに分かれた――。
さらに時代は流れる。
かつて、彼をを救世主と信じた者らの間でも、いくつかの線引きがなされた。
もともと貧しい者や弱者の為の宗教であったはずのそれが、いつの間にか王侯貴族らに利用されるようになり、聖書に記された神の預言が捻じ曲げられている――。
……そう感じる者らが増えたのだ。
そして、新たな預言者が現れる。
神の言葉を預かった者。かつての救世主と同様に、彼もまた預言者である。
かくして、新たな教典が生まれる。
――当然、救世主を信ずる王侯貴族らにとって、それは到底、面白い話ではありえなかった。
かくして、広がりを見せる新興宗教を切り崩すため、結成されたのが十字軍であった。
……その全てを見て来た。
「この指輪を、託すにふさわしい者を探せ」
その、最後の命を全うするため、各地を放浪して回った。――正直、時代が移ろうにつれ、失望が募っていった。
所詮、人間なんてこんなもの。
そんな風にしか思えなくなっていた。……そんな時に出会ったのが、彼女だった。
あの夜と同じ星空を一人見上げ、過去の記憶に浸る。
硬いだけで、大して味もしない干し肉を、ひたすら噛みしめながら。
そして、ため息をつく。――ちら、と荷車の方へ視線を向けながら。不機嫌な目で睨みつけると、さっと小さな頭が荷車の中へ消えた。
盗賊騒ぎがあるたびに小さく丸まって怯えてる小さな少女。
盗賊に襲われる事が当たり前で。砂嵐に合う事も珍しくはなく。昼は灼熱、夜は極寒と言う厳しい気候の砂漠を行く隊商に、女性が同伴するなど通常であればありえない。
――幼い少女とあれば、尚更。
……しかも、彼女のあの様子を見るに。
「ようやく、当たりを引いたらしい。……これで、ようやく手がかりがつかめる……頼む、無事で、いてくれよ……」
掌に、エメラルドの指輪を握りしめ、青年は呟いた。