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旅の終わり

 「下級悪魔二匹とその使い魔四匹。ついでに天井裏に巣食ったねずみも片付けてやったぞ。これで文句はないな?」

 久しぶりに見る気がする不機嫌そうな顔で、アルフレートは戻ってくるなりテーブルに手のひらを叩きつけ、カインに迫った。

 「おう、助かるぜ。じゃ、後は夕暮れ時まで好きにしな。出かける前に、一度うちに寄れ。飯食わせてやる」


 ニヤリ、と笑うその顔に、それまで見せていた鷹揚そうな店主の顔とは違う、野生の獣を思わせる凄みが垣間見える。


 ここは、狭間なのだとライラは理解する。

 今居るここは、確かに人界であるけれど、その当たり前の世界の片隅に作られた、彼らの世界。――人ではない、彼らの世界。魔界や、天界といった異界に繋がる、狭間の世界。

 これまで、聖典で読み、村の聖職者に聞かされてきた神代の時代の話など、半分位お伽噺のように聞いていたそれが、今、目の前にある。

 きっと、それはあのまま、賊に襲われることもなく平穏に暮らし続けていたなら、一生触れる事はなかっただろう世界だ。


 そんな出会いに、意味がないわけがない。――ライラは、強くそう感じた。

 彼が探し求め、一番に考える人は、指輪の主たる彼女のことだとしても。

 きっといつか、この出会いの意味が分かる時が来るような気がする。


 手を引かれるまま、店の裏手の建物へ足を踏み入れる。

 あまり人の手が入っていないようで、そこここと汚れが目立つ廊下を歩く。

 人の気配を感じない、がらんどうの屋内。

 アルフレートは、その廊下に並ぶ扉の一つを押し開けた。


 荒れた様子の表が嘘のように、整えられた部屋。

 女手が入ったとは思えない、素っ気ない設えではあるが、寝台にかけられたシーツに埃臭さはないし、床も壁も綺麗に整えられている。

 

 寝台は、これまでの部屋にあったのと同様、一人用の寝台が二台。

 あの時の部屋よりは間取りに余裕があり、左右足元に空けられた隙間の幅も広く開いている。

 少なくとも、寝台の端に腰掛け、足を伸ばしてもギリギリ踵が隣の寝台に乗る程度の広さがあった。


 ひとまず荷物をおろしたアルフレートはしかし、ぼふんと音を立てて寝台にうつ伏せに転がった。

 上着すら脱がないまま、脱力したように枕に顔を埋める。

 そのまま寝台に懷き、一向に起き上がろうとしない背中には疲労感が漂っていた。


 ――当然だろう。

 いくら吸血鬼とて、体力は無限ではない。あれだけ大勢の盗賊を引き連れ逃げ、戦って、休む間もなく街まで戻ったと思ったら、何やら用事を言いつけられていた。何をしていたのか定かではないが、“害獣退治”と言うからには、肉体労働だったに違いない。

 それで、疲れない方がおかしい。


 ライラは、アルフレートが転がる寝台の端に腰掛けた。無意識に、手が伸びる。砂漠の旅を続けながら、なお艶やかな彼の黒髪に触れ、撫で梳いた。

 指の隙間に、うっとりしそうなほど手触りの良い髪の毛の感触と、頭皮から伝わる熱を感じる。

 アルフレートは、ライラの指が頭皮に触れた瞬間、一瞬ぴくりと身体を強ばらせた気がしたが、しかしそのままライラの好きにさせながら、身体を弛緩させた。


 そんな彼を見て、うっかり可愛いく思えてしまい、顔周りの筋肉が思わず緩んだ。

 くすりと笑んだ吐息が漏れる。

 

 ――不意に。

 頭を撫でていたその手首を、後ろ手に回された彼の手に掴まれた。

 「!?」

 驚く間もなく、彼は寝台の上でくるりと寝返りをうち身体を反転させた。その勢いで、ライラは彼の胸に激突するかたちで態勢を崩す。

 アルフレートはさらにもう一度身体をひねり、両者の身体の位置の上下を入れ替えてしまった。

 たちまちのうちに、ライラは寝台の上でアルフレートに押し倒され、のしかかられる格好となった。


 「全くお前は、肝が据わってるんだか、単に馬鹿なだけなんだか分からん奴だな」

 耳元で囁かれる。

 「俺を信用してくれるのは嬉しいが、忘れてもらっちゃあ困る。俺は、吸血鬼で……、“男”だ」

 頭の上で、両の手首を片手で押さえられ、足もがっちり押さえ込まれてしまっていて、ライラは身動きできない。

 「これまでお前の身の安全を考えて、同じ部屋で寝泊まりしてきた。その間、俺が抑えていたのが血の渇きだけだと思っていたか?」

 彼は自由になる右の手で、ライラの頬を撫でる。

 「俺は、知っての通り人間ではないが……、見ての通り姿かたちは人間と変わらない。そして俺たち吸血鬼という種族は、古来より数多の生物と同様、雄と雌で交わり子を成す。そしてそれは……片方が人間であっても叶う。――生まれる子供は、半魔となるが……それでも」

 ぐっと、彼の顔が間近に迫る。


 「俺は吸血鬼だがな、そう言う意味では、人間の男となんら変わりはない。俺はずっと、血の渇きと共に雄としての本能も抑えていた。……だが、ここまで無防備に迫られれば、理性のたがが外れるのも無理はないと、そうは思わないか……?」


 「――つ!」

 ライラは視界一杯占領する彼の顔に、混乱のあまり喉の奥に悲鳴を詰まらせ、咄嗟に目を閉じた。

 心臓が、壊れそうなくらい猛スピードで鼓動を叩き、息が詰まる。

 

 ……それでも。

 ふと、湿った感触が額に触れた時、一際強く刻まれた鼓動とともに、少しの不満を感じた自分にさらに混乱する。


 「覚えておけ。お前がこれから行く屋敷の主は、何のためらいもいたわりもなくお前に触れるだろう。それを恐ろしいと、汚らわしいと感じるかもしれない。……だが、この世のどんな人間も、魔物も、……神ですら、直接汚すことができるのは、目に見え触れることのできるものだけだ」

 ライラの拘束を緩めながら、彼ははっきりとした声で、ライラに聞かせる。

 「目に見えず、触れられないもの――。お前の魂を汚すことは、この世の誰にも出来ない。ただ一人、お前自身を除けば、な」


 それは、とても難しいこと。人の心は弱く、脆い。だが、同時に強くもある。だから――。

 「お前のその、魔物の目を惹きつけてやまない魂の輝きを、決して汚すな」

 そっと、首筋に口づけが落とされる。

 「俺が、お前を守ってやれるのは明日までだが……。お前にも、必ず救いは訪れる。――必ず、だ」

 そして、彼の牙が、ライラの肌を破った。


 先日の途方もない快楽の波とはまるで違う、穏やかなさざなみのような淡い心地よさが、全身にゆっくりと広がっていく。

 ライラの目尻から、ひと雫の涙が流れ、シーツを濡らした。


 嬉しいのか、寂しいのか。混乱しすぎてもう、分からないけれど。

 でも、ただひとつ言えることは――。

 彼のことが、大好きで。きっと、もう他の誰にも、今感じているような想いを抱けないだろうということ。


 伝えられない想いだけが、少しだけ、今の幸せな気分に影を差す。


 ――明日。

 長いようで、短かった時間が終わり、明日がくる。

 もうそろそろ、覚悟を決めなければいけない時だ。


 ライラは、アルフレートに身を預けたまま目を閉じた。

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