真の竜
頭目は、理解しがたい物を見る目でライラを見た。
「俺たちより、化け物を選ぶと? 化け物と分かっていながら、そいつと共に行くと? 随分と肝の座った嬢ちゃんだが、随分と頭の悪い嬢ちゃんだな」
槍の柄で肩を叩きながら、馬鹿にするように笑った。
「お前は、大事な商品だ。俺達はお前を殺さない。だが、そいつは化け物だぞ? 明日どころか一瞬後にはお前はあの世行きになってるかも知れねえぜ?」
だが、ライラはそんな視線をものともせずに言ってのける。
「言ったはずよ。あんたたちの言葉なんて、何一つ信じないって。けど、私は彼を信じている。例え仮にあなたの言う通りになったとしても、私はこの選択を後悔したりしない」
「何、相思相愛って事? どうやら口で何を言っても無駄みたいだな」
互いに間合いを図りながら、じりじりと馬を寄せ合い、両者は睨み合った。
「ライラ。俺は、目を閉じ耳を塞いでいろと言ったはずだが? お前は、戦いを恐れていたのではなかったのか?」
緊張感の高まる空気の中、アルフレートは嘆息しながら小声で呟いた。
「ご……、ごめんなさい」
同じく小声で誤り、ライラは小さく縮こまった。
「でも……、目を背けていていい事だと、思えなくて……」
相手は、憎い仇とは言え、だからと言って殺していい理由にはなり得ない。
だが、現実にはそうしなければならない実情があって――。
その理由が、アルフレートにもあるのだとしても、それが今こうして対峙する事になったきっかけは確実にライラの側にある。
全ての責任と罪をアルフレート一人に押し付けるのは、何か違う気がした。
「私に、戦う力はないし、足手纏いにしかなれないけど。だからといって、逃げたらいけない気がしたんです。……難しいことは、よく分からないけれど、でも、そう思ったから」
そう告げると、アルフレートは改めて嘆息した。
「……全く、本当にお前という奴は」
ふと、首筋に柔らかな感触が落ちてきた。頬を、彼の髪が擽る。――触れているのは、彼の唇……。
ライラは、即座に“次”を思い、心臓が跳ねるのを感じる。
だが、予感していたそれが来る前に、肌に触れていたぬくもりは遠ざかっていってしまった。
しかし、一度早まった鼓動と上昇した体温は、すぐには戻らない。
ぴたりと密着したこの状態では、それがアルフレートに筒抜けに伝わってしまう。
羞恥に、ライラの鼓動はさらに早まっていく。
「ならば、その信頼に応えなければな。……いいだろう、俺の全力を見せてやる」
言いながら、何故か彼は剣を鞘へ戻した。
その仕草に、頭目も怪訝な顔をしたが――次の瞬間驚愕に目を見張った。
ライラの背後から、アルフレートの気配が消えた。
慌てて振り返るも、彼の姿はない。まるで、霧か何かのように消え失せて――
「ぎゃぁぁぁ!」
不意に、周囲から野太い悲鳴が上がり、派手に真っ赤な飛沫が飛び散った。
「何だ!?」
流石の頭目も、何が起きたか分からず、倒れ伏した男たちを見回した。
「――吸血鬼の能力のひとつ、霧化だ」
空っぽだったそこから、声が聞こえた――次の瞬間、言葉通り突然発生したごく小規模の濃霧の中から彼が現れる。
「そして、もう一つ」
アルフレートは、鞘から僅かに抜き出した剣の刃先に自らの掌を押し当て、血を滲ませた。
赤く染まった手のひらを掲げ、短く命じた。
「出でよ、我が血に宿りし古の竜王。盟約に従い、我が命に応えよ」
ふわりと、その掌から血色の霧が立ち上り、たちまちむくむくと膨れ上がる。
その端から、霧のようだったそれが次第に実体を成し、輝きを得る。
鈍く光る赤銅の鱗を身に纏う、その堂々とした出で立ちは、まるで――
「まさか……竜?」
ライラより数十倍も大きな体躯のそれが、腹の底から咆哮を放った。
たちまち空気が激しく揺さぶられ、凄まじい風が周囲の砂埃を巻き上げ、小規模な砂嵐が発生する。
砂埃を叩きつけられ、思わず顔を庇う頭目の顔から色が失われる。
「俺は、吸血鬼の祖王に繋がる血筋に生まれし者。古の竜と対峙し、その血を手にした古の王に連なりし者。それは魔界にて、竜王の名を冠した本物の竜だ。――竜の牙を名乗る者よ、本物の味を噛み締めながら、逝くといい」
竜が、その大きな口を開く。
ライラなど、軽くひと呑みにできるだろうそれにズラズラ並ぶ、巨大な牙。
とさりと軽い音を立て、頭目の手から槍が滑り落ち、砂に埋まる。
その巨躯をものともしない素早さで、竜は頭目を馬もろとも飲み込んだ。
続けて慌てて逃げ出す残党を追いかけ、その口から炎を吐き出した。
男たちは、悲鳴を上げる間もなく黒焦げになって転がる。
もはや、どんな抵抗もする気の失せる、あまりに圧倒的な力。
後には、血の海と、物言わぬ屍の原、そして静寂だけが残る。
「あなたも、王様だったの……?」
かつてソロモン王に仕えた臣が、吸血鬼の王……?
だが、彼は首を横へ振った。
「いいや。俺は確かに王族の血を引いてはいるが、分家のそのまた分家に生まれた傍系だ。だから、王ではないし、王族ですらない。もう、千年以上魔界に顔を出していない今、あちらではもはや俺の存在など忘れ去られているだろう」
竜を再び霧に戻しながら、アルフレートは馬から降りる。
「……街へ戻ろう。これでもう、憂いは晴れた。あの街からなら、都まで半日もあれば辿り着ける」
アルフレートは馬の横に立って手綱を引きながら、歩き出す。
「疲れただろう? 今日は宿をとってしっかり休んで。明日、出発しよう」